12 仕事を始める
12 仕事を始める
結婚式を無事に終えた翌日、エリザベスは家族へ、王城で働くことと屋敷を出ることを伝えた。
「王城で働く?」
ボトムズ伯爵は、聞き間違いを疑うように尋ね返した。
「はい。資材管理課で働くことになりました」
「どうして、そのようなことを勝手に決めたのだ」
「私はもう、ボトムズ家の跡取りではございません。婚約も解消されました。自分の生活について、自分で決めなければなりません」
「だからといって、伯爵家の娘が働く必要はないだろう」
父親の言葉に、エリザベスは静かに答えた。
「この家に、私の役目は残っているのでしょうか」
「役目なら、いくらでもあるわ」
継母が口を挟んだ。
「パトリシアは結婚したばかりなのよ。慣れないことも多いのだから、姉であるあなたが支えてあげなくては」
「家の仕事も、まだ何も分かりませんの」
パトリシアも困った顔でエリザベスを見た。
「お姉様がいてくださらないと、私、本当に困ります」
「家の仕事はお義母様が教えることです。ボトムズ家の仕事はロバート様とあなたの仕事です」
名前を出されたロバートは、気まずそうに顔をそらした。
「もちろん、私がするつもりだ。だが、君はこれまでの帳簿や契約を知っている。しばらく残って、私たちに教えてくれてもよいだろう」
「必要な帳簿や契約書は、すべて書庫にございます。確認した内容をまとめた記録も残してあります」
「そういう意味ではない。分からないことがあったときに、君に聞ければ助かると言っているんだ」
エリザベスは、ロバートをまっすぐ見つめた。
「それは、妻となるパトリシアとお二人でなさるべきお仕事です」
ロバートは何も言い返せなかった。
数日後、エリザベスは必要な荷物だけをまとめて家を出た。
身の回りの品と本、学院時代のノート、それから母親の形見。
長年暮らしたわりに、持ち出す荷物は驚くほど少なかった。
玄関には家令と、エリザベスを幼い頃から知る年配の侍女が見送りに出ていた。
「お嬢様。本当に、行ってしまわれるのですね」
侍女は目に涙を浮かべていた。
「ええ。でも、同じ王都にいるのよ。それほど遠くへ行くわけではないわ」
「どうか、お身体を大切になさってください」
「あなたも元気でいてね。今までありがとう」
エリザベスは二人へ頭を下げた。
父親も継母も、見送りには出てこなかった。
パトリシアとロバートも、姿を見せなかった。
馬車へ乗る前に、エリザベスは一度だけ屋敷を振り返った。
母親を亡くしてからも、ここを自分の家だと思おうとしてきた。
父親の期待に応えれば、いつか認めてもらえると信じていた。自分がこの家を守らなければならないと思い、懸命に学び、働いた。
けれど、この屋敷は最初から、エリザベスが安心して帰れる場所ではなかったのかもしれない。
「出してください」
エリザベスが馭者へ声をかけると、馬車は静かに動き始めた。
もう、彼女は振り返らなかった。
エリザベスが家を出て間もなく、ボトムズ伯爵家の屋敷では大がかりな改築が始まった。
「前から提案していたのにエリザベスが反対してたから」
伯爵夫人の言葉に、パトリシアも大きくうなずいた。
「お客様をお招きできる、明るくて華やかな屋敷にしたいですわ。舞踏会を開ける大広間も欲しいです」
「それなら、正面の階段も造り直したほうがよいな」
ロバートは、建築業者が広げた図面を眺めながら言った。
「客を迎える玄関も、もっと立派にしよう。外壁も時代遅れだ。すべて新しいものに替えたほうがよい」
壁が壊され、家具が運び出され、庭木まで次々と植え替えられていった。
屋敷のあちこちで槌の音が響く中、改築にかかる費用は当初の見積もりを大きく上回っていった。
「せっかく価値のある土地を持っているのに、古い家を安い家賃で貸し続けるなど、もったいない」
ロバートは帳簿を眺めながら、そう主張した。
「土地を担保に資金を借りて投資すれば何倍にもなる」
ヒルズ子爵も、言い添えた。
「友人から勧められた話がある」
「さすがはロバート様ですわ」
パトリシアは目を輝かせた。
「修繕ばかりなんて、今の時代に合いませんわね」
屋敷の改築が終わると、ボトムズ伯爵家では、それを披露するための宴が開かれた。
玄関広間には季節の花が惜しみなく飾られ、磨き上げられた床には、いくつもの燭台の明かりが映り込んでいる。楽師も招かれ、広間の隅では軽やかな曲が奏でられていた。
料理も酒も、ボトムズ伯爵家がこれまで開いてきた宴とは比べものにならないほど豪華だった。
「まあ、見違えましたわ」
「以前の屋敷も立派でしたけれど、こちらのほうがずっと華やかですわね」
招待された親族や知人たちは、口々に屋敷を褒めた。
その言葉を聞くたびに、伯爵夫人は満足そうに微笑んだ。
「王都で名のある職人に頼みましたの。壁紙も調度品も、すべて一流のものを選ばせましたわ」
「それは費用もかかったでしょう」
「そりゃ、多少はね。ですが、伯爵家の屋敷なのですもの。あまり質素では、かえって恥ずかしいでしょう?」
伯爵夫人は、何でもないことのように答えた。
本当は、当初の予定を大きく上回る費用がかかっていた。
カーテンを変えれば壁紙が気になった。壁紙を張り替えれば、家具が見劣りした。家具を入れ替えれば、燭台や食器まで古びて見える。
伯爵夫人とパトリシアが気になるところを一つずつ直させているうちに、費用は際限なく増えていった。
今夜の客たちは、そんな事情を知らない。
新しい屋敷を見回し、ボトムズ伯爵家はずいぶん羽振りがよいのだと感心していた。
「ところで、エリザベスの姿がないけど」
親族の一人が尋ねると、伯爵夫人は手にした扇を広げた。
一瞬だけ口元が強張ったが、すぐに困ったような笑みを浮かべる。
「もちろんです。けれど、あの子は仕事が忙しいとかで来ませんの。家族の祝いより仕事を優先するなんて、困った子ですわ」
「まあ……いくら家を出たからといって、実家の祝いには顔を出すべきでしょうに」
「私も、そう言ったのですけれどね」
伯爵夫人は悲しげに目を伏せた。
「エリザベスは昔から頑固なところがありましたから。私たちがいくら心配しても、聞く耳を持ってくれないのです」
「お姉様は、まだ私たちのことを許してくださらないのです」
そばにいたパトリシアも、寂しそうに付け加えた。
「私、お姉様にも、この屋敷を見ていただきたかったのですけれど……」
「あなたは優しい子ね」
親族の女性が慰めるようにパトリシアの手を取った。
周囲の者たちは、伯爵夫人とパトリシアに同情した。
招待状を送ったのだから、ボトムズ家はエリザベスとの関係を修復しようとしている。それを拒んだのはエリザベスのほうだと、誰もが受け取った。
エリザベスは新築祝いへ行かなかった。
それどころか、家を出てから一度も実家へ戻っていなかった。
祝いの品も送らなかった。
招待状への返事も、出席を断るために必要な最低限の言葉だけだった。
家族の祝いより仕事を優先したのではない。
エリザベスは、ボトムズ伯爵家との一切の接触を断ったのだ。
その事実を、伯爵夫人たちは理解していなかった。
たとえ今は怒っていても、いずれエリザベスのほうから折れるだろう。生まれ育った家が恋しくなり、戻ってくるに違いない。そう信じていた。




