生と死の旅路
マザーシップの規則正しい往復運動により、タクヤの乗る機体が大きく揺れ始める。彼は旅立ちの日が近いことを悟った。
オープン回線が開く。中枢司令からシナプス伝達によるアナウンスが流れる。
『エミッションシーケンスを開始します。総員、出撃準備』
タクヤは司令に対し、プライベート回線を繋いだ。
「司令。俺たちの行き先はどこだ。白の雲海かい?」
白の雲海。過去、何人もの先輩たちがその海に沈んでいった――そこへ行くことは、何の使命も果たさぬまま、在庫整理されることを意味する。無為。そう、無為なだけだ。
だが中枢司令の言葉は意外なものだった。
「確認します。各種センサー、および神経系ネットワークより総合的に判断……おめでとうございます。酸の海が満ちるスキャバード回廊ですよ。母なる星へと通じる正統派ルートです」
酸の海。その先にある母なる星。そこに辿り着いた者は新世界創造の権利を得る。だが彼は一つだけ懸念した。
「どうせマザーシップの周囲に射出防止バリアが張ってあるんだろ?」
『安心してください。バリアもありません。それに現在稼働中の運動軌道も安定。スーパーセントラルに問い合わせたところ、軌道の変更意志は確認されず。このまま行けそうですよ』
往復運動がより激しくなる。いよいよか。ゴボゴボと射出液に包まれた。タクヤの愛機であるSP-Y-231025617号機がふわりと液体の中で浮かぶ。そのままランウェイの手前の格納庫へと送り込まれる。
『タクヤ、あなたは第三次突撃隊です。グッドラック』
隣へと振り向くとマサルの顔が見えた。通信を入れる。
「マサルと同じ隊か。最後までよろしくな」
『タクヤか。よろしく。恨みっこなしだぜ』
マサルとは訓練生時代から一緒に過ごしてきた親友だ。だが無情にも、この片道切符の旅の末に、母なる星へ辿り着けるのはただ一機。他はもれなくホワイトバクテリアンの餌になる。
マサルと話していると、回線にインタラプトが入った。
『タクヤ、マサル。まさかあなたたちと一緒に出撃する日が来るなんてね。まあ、よろしく!』
ユカリ先輩だ。訓練生時代、指導を担当してくれた。
『『よろしくお願いします!』』
先輩からは、機体の整備についても操縦技術についても基礎を叩き込まれ、容赦なくしごかれた。だけど的外れなことは一度も言われたことはない。全てはこの過酷な旅を完遂するための愛の指導だったのだ。
一度でもマザーシップから射出されてしまえば、先輩、後輩の関係も終わる。過酷な旅を共に続ける戦友となり、ライバルとなるのだ。
タクヤが先輩との日々の思い出に浸っていると、オープン回線が入った。中枢司令からだ。
『総員、出撃に備えよ。ここから先、もう私から言うことは何もない。射出液が最後の手向けだ。液に含まれる浮遊エネルギーをうまく取り込みつつ、各々の技量を存分に発揮してくれ。グッドラック』
間髪入れずに発進命令が飛ぶ。
『第一次突撃隊……発進!』
ランウェイ奥のチューブトンネルが一瞬で圧縮される。その勢いで、およそ一億の同胞が射出液とともに射出された。
『第二次突撃隊……発進!』
同じく前方の格納庫にスタンバっていた一億の同胞たちが、ランウェイを奔流のように駆け抜けていく。幾つもの白い機体から靡く尾が、幾千の流れ星のように見えた。
いよいよ俺の番か……タクヤは心の中でそう思った。コクピット前方に設置されたコントロールモニターを再確認する。
エネルギー代謝効率 中央値+37%
運動性能 中央値+35%
推進性能 中央値+52%
対酸性中和シールド 中央値+25%
ステルス性能 中央値+17%
ナビゲーション性能 中央値+42%
酵素ドリル出力 中央値+39%
認証コネクタ適合力 中央値+88%
総合評価 S+++(標準偏差+4σ圏内)
タクヤ自身がびっくりするほどの高性能機に仕上がっている。レア度で言えば、三万一千五百七十機に一機の超エリート機体だ。それでも突撃隊全体で見た場合、一万六千機は存在する。
『第三次突撃隊……発進!』
チューブトンネルが一瞬で収縮した。次の瞬間、白い濁流に乗せた機体が一気に押し流される。
「……ッ!」
凄まじいGがタクヤを包み込む。気が付けば、トンネル型のランウェイを一瞬で後方へと置き去りにしていた。
タクヤの隊の後に第四次突撃隊、第五次突撃隊が続く。こうして五億の同胞と供に、漆黒が支配するスキャバード回廊へと放出された。そこは光無き、蠢く巨大空洞。
全突撃隊射出後にマザーシップは往復運動をやめ、暫くその場に留まっていたが、やがてゆっくりと後退していった。
マザーシップにつられたように、酸の海が糸を引きながら流れ出す。母艦が去った後。そこには次元の裂け目にも似た大穴から、大きなアウタープレーンが顔を覗かせていた。
――阿鼻叫喚だった。瞬く間に同胞たちが酸の海に溶かされていく。さらにスキャバード回廊内で飽和し、居場所を確保できなくなった最後尾の同胞たちがアウタープレーンへと押し流されていく。
あちこちから別れの通信シグナルが届く。タクヤは油断すれば踊り狂いそうになる心臓を宥めながら、コマンドを入力する。
《PH確認》
突撃隊外周部のPHは4.0、強酸の海だ。タクヤが乗る機体周辺のPHは6.1。同胞たちの展開した中和シールドの効果で、やや酸性の安定状態を保つことこができていた。
3Dマップを展開し、自機の位置を確認する。中央やや右の位置取り。まずまずのポジションだ。
「クルージング開始。巡航速度を保て」
機体は安定して直進している。外を見ると真っ直ぐに進めずに、同じ場所をグルグルと回っている機体もいた。
射出から十秒が経過した。残機メーターを確認する。この時点で残り約五千万機。突撃隊の九割強がすでに酸の海に沈んだか、回廊外、アウタープレーンへと放り出されていた。
突如、鋭いアラート音が鳴り響き、コクピット内が赤い光で明滅する。
『ホワイトバクテリアン出現。数およそ一千万。捕食されないよう注意して下さい』
回廊を構成するケーブウォールから無数の白い斑点が滲み出す。ホワイトバクテリアンだ。
そして、まるで引き寄せられるようにこちらへと向かってくる。
運動性能が遅い機体が狙われている。奴らはアメーバみたいに自身の身体を広げ、そのまま機体を包み込んだ。死の抱擁だ。次から次へと別れの挨拶が飛び交う。
刹那。鋭い警報音が響いた。目の前には巨大な白い物体。
「しまった! 緊急回避!! 間に合え!」
機体が奴の外側をかする。死の抱擁を覚悟した。
「……」
奴は一向に身体を広げる気配がない。それどころか触手を振っている。
「見逃してくれたのか……?」
タクヤは九死に一生を得た。
――第一関門が現れた。粘性抵抗トラップゲートウェイだ。残機メーターを確認する。度重なるホワイトバクテリアンの襲撃により、僚機の数は五百万機に減っていた。
タクヤは静かに愛機に対して命令を下す。
「ゲートウェイへの侵入開始。併せてキャパシテーション開始」
機体はゆっくりと粘性抵抗の中へと潜り込んでいく。同時にキャパシテーションによりトラップゲートウェイに漂う浮遊エネルギーがチャージされていく。
『PH値が7.3に変動。弱アルカリ性領域のため、耐酸性中和シールドは解除します』
酸の恐怖からは解放されたが、粘性の液体に阻まれ、進みが遅い。
『チャージ率36%。ホワイトバクテリアンの動きには注意して下さい』
わらわらと散らばっていたホワイトバクテリアンが密集隊形を組んだ。猛スピードで突撃隊へと群がってくる。彼らにとっては粘性などないかのようだ。
『チャージ率67%。ホワイトバクテリアンとの相対距離360』
「くっ……間に合え」
そんなタクヤの願いを嘲笑うかのように、眼前にホワイトバクテリアンの巨体が迫る。
『チャージ率93%。バクテリアン来ます。ショックに備えてください』
コクピットのすぐ目の前で、ホワイトバクテリアンが白い大凧のようにバッと広がった。その時。タクヤの機体を追い抜いた一機が猛然と奴へと体当たりした。
『SP-X-657082号機、前方のホワイトバクテリアンへ突入』
……ユカリ先輩の機体だ。タクヤは慌てて通信回線を繋ぐ。
「ユカリ先輩、何をしてるんですか!? 早く逃げてください!」
『タクヤくん……私ね。ここまでみたい』
通信越しに聞こえる先輩の声は、ノイズまみれだった。彼女の機体は粘性抵抗に負け、すでにあちこちが溶け始めている。
『チャージが貯まらなかった……でも、後悔してないよ。最後に君の役に立てたから。訓練生のときから不器用だった君が、ずっと頑張っていたのを見てたから……』
「先輩っ……!」
『――私の代わりに行って、お願い!』
ユカリ先輩の機体が奴の死の抱擁を受け、ドロドロに溶けていく。通信が途絶える直前、最後のシグナルが届いた。
『――新世界で、私のぶんまで笑ってよ、後輩くん』
タクヤは両手をぎゅっと握りしめた。
『チャージ率100%、行けます』
「くっ……ユカリ先輩のことは忘れない。絶対にだ!」
タクヤの目が据わった。彼は厳かに命じる。
「……出力最大。エネルギー備蓄全開放。駆動系へ叩き込め!」
『了解。エネルギー全開放……駆動系に注入します』
「見せてやるよ……ホワイトバクテリアンども。ユカリ先輩の分もな!!」
彼は目を一度閉じ、息を深く吸い込む。再び大きく見開いた。
「刻め、俺の想いを――この機体に。ハイパーアクティベーション、開始」
『了解。ハイパーアクティベーションを開始します』
SP-Y-231025617が輝き出した。機体先頭がグルグルと高速回転する。
その直後、グワンという凄まじい衝撃とともにタクヤの背中がシートへと深く押しつけられた。超活性化状態に入った機体は、粘性の荒野を切り裂く光の矢と化す。
『なっ……んだあれは!?』
『バカな、あんな加速……ありえない!』
「見ろ、ホワイトバクテリアンの群れが一瞬で置き去りにされていくぞ……!」
オープン回線から聞こえる、畏怖と感嘆の入り混じった幾つもの同僚たちの声。だがそのどれも、タクヤの耳を素通りしていく。
誰も彼を捉えることはできない。目の前に現れたホワイトバクテリアンも、瞬きした瞬間には遥か後方へと置き去りにしていた。
――トラップゲートウェイを抜けた先にサンクチュアリの巨大空間が現れる。新世界を育むための聖域だ。
『対ホワイトバクテリアン・ステルス有効区間に入りました。ステルス・シールドを展開します』
タクヤと同じようにハイパーアクティベーション状態の僚機が姿を見せる。残機メーターは1024機を示していた。
『タクヤも抜けたか! おめでとう!』
嬉しい通信。マサルからだった。
「マサル、お前もか、おめでとう!」
先行する僚機の後ろをスリップストリームでマサルと一緒に進む。ただただ静かだった。
そして……サンクチュアリの最奥で左右にぽっかりと空いた黒い穴が見える。最後の関門、スタートンネルだ。母なる星はこのどちらか一方にしか降りてこない。
ナビゲーション機能をオンにすると、最適経路を導くための高速計算が始まった。
『左方向有利。経路正解確率99%を超えます』
「マサル、俺は左に行く。お前は?」
『俺のナビゲーションは右を示した。俺は右へ行く』
「そうか。グッドラック、マサル」
『ああ。グッドラック、タクヤ』
タクヤと同じ、左のトンネルを選んだのは257機。ここまで来れた僚機の大部分が右を選んでいた。
――スタートンネルの突き当たり、ドッキングポートが見えた。母なる星の姿はない。
「さて……最後の休息だ。文字通り」
ここから先は母なる星に辿り着いて新世界を開くか、脱落してホワイトバクテリアンの餌になるのかのどちらかだ。
持って三日が限界だろう。ドッキングポートから補給を受けながら静かに待つ。PHは7.8。まるで胎内にいるようだ。とても居心地がよい。
たまにホワイトバクテリアンがポートのすぐ近くを通過していく。見つかった機体は死の抱擁を受ける。幸いにもステルス機能が良い働きをしてくれた。
――一日目が経過した。星は降りてこない。
――二日目が経過しようとしている。星の姿はない。
「マサルのところに降りたのか……それとも降星の時期じゃなかったのか……」
活動限界まで残り三時間。機能完全停止まで残り二十三時間。三時間後に星が降りてきても辿り着くことは叶わない。
タクヤがため息をつこうとしたまさにその時。ファンファーレにも似た厳かなパイプオルガンの旋律がコクピットに満ちた。
『プロゲステロン反応……極大。母なる星、来ます』
ドッグの外を見ると、視界を埋め尽くすような巨大な球体がゆっくりと降りて来た。母なる星だ。
タクヤは急いで機体のスリープモードを解除し、再起動シーケンスを叩き込んだ。
「どちらにしてもこれで決着がつく。行くぞ」
ふわりとタクヤの愛機が浮かぶ。同様に、ドッキングポートから離陸した僚機たちも姿を現す。
「ハイパーアクティベーション!」
僚機からも、オープン回線を通じて命令が雷鳴のように轟く。
『『『ハイパーアクティベーション!』』』
トップスピードで僚機とともに母なる星へ迫る。それは無数のミサイルが一斉にターゲットへと向かう姿に似ていた。
母なる星に取り付いた。ヒアルロン酸の粘膜装甲に覆われている。
「粘膜装甲に突入」
第二装甲に到着した。装甲は透明で、下の層が透けて見える。僚機によって既に削掘済みの、装甲が薄くなった箇所に機体先端を触れた。母なる星に向けて通信を送る。
《酵素ドリル発動許可申請》
母なる星からレスポンスを受け取った。
《許可を受諾しました。酵素ドリルのロックを解除します》
「酵素ドリル展開」
機体先端から装甲融解酵素が溢れ出す。第二装甲を削りながら奥へと進む。ふいに抵抗がスッとなくなる。
いよいよファイナルプロシージャだ。IZUMO1認証コネクタを母なる星のJUNOインタフェースへと結合する。認証エラーなら弾き飛ばされ、スタートンネルの底で、いずれホワイトバクテリアンの世話になるだろう。
タクヤは固唾を飲んでその様子を見守った。コンソールに映る、結合処理の進捗バーが徐々に100%へ近づいていく。
母なる星からの通信。
《あなたを迎え入れます。ようこそ新世界へ》
「ありがとう、母なる星よ――結合開始」
『コネクタの結合を開始……完了』
刹那。母なる星の第二装甲が輝き出す。同時に僚機たちが次々と振り落とされていく。通信が相次ぐ。
『おめでとう、タクヤ』
『やりやがったな、この幸せ者め』
『私が結合したかったけど……しょうがないね』
タクヤの目に、涙が浮かんだ。
「みんな……ありがとう。そして……さようなら……」
遠距離通信が入る。マサルからだ。
『タクヤ……お前の未来に祝福あれ』
「マサル……マサルー!!」
彼の目から幾つもの筋が零れ落ちる。だがここで止まっている時間はない。彼は前を向いた。
「新世界創造シーケンス起動!」
『二重螺旋設計図を展開。母なる星へマージします。タクヤ……お疲れ様でした』
「ああ……お疲れ様。そして、ありがとう」
タクヤはまばゆい白い光に包まれ、溶けていくように消えていった。
――それから9ヶ月後。一人の美しく若い女性がベッドの上で元気な男の赤ちゃんを抱いていた。彼女の目の前には、男が涙を流しながら微笑みを浮かべている。
「なあ、名前は何がいいと思う?」
「そうね……拓也がいいかしら」
(おわり)




