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長谷が、

変だと言い出したのは、

それから三日後だった。

 

「なぁ、春樹」

 

昼休み。

学食の端。

いつもの席。

 

「最近さ……

 人の顔、

 ちゃんと覚えられる?」

 

箸を持つ手が、

止まった。

 

「……どういう意味だよ」

 

「そのまんま」

 

長谷は、

笑おうとして、

少し失敗した。

 

「昨日、

 ゼミの連中と話しててさ」

 

「途中で、

 誰と話してたか、

 分かんなくなった」

 

「声は聞こえる。

 でも……」

 

言葉を探して、

口をつぐむ。


言葉を探して、

口をつぐむ。

 

「……顔が、

 記号みたいだった」

 

胸の奥が、

冷えた。

 

(やめろ)

 

そう思った瞬間、

視線を感じた。

 

——春樹じゃない。

——長谷でもない。

 

見ている。

 

柱の向こう。

人の流れの隙間。

 

何かが、

そこにいる。

 

「……それ、

 疲れてるだけだろ」

 

声が、

わずかに、

掠れた。

 

長谷は、

じっと、

俺を見る。

 

「春樹」

 

「お前、

 何か知ってるだろ」

 

言えなかった。

 

——言えば、

完全に、

こちら側に引き込む。

 

「……知らない」

 

長谷は、

目を逸らした。


「……そっか」

 

そのとき。

 

長谷の顔が、

揺れた。

 

ほんの一瞬。

 

映像が、

フレーム落ちするみたいに。

 

目の焦点が、

ずれる。

 

「……?」

 

長谷自身も、

違和感に気づいた。

 

瞬きを、

何度か、

繰り返す。

 

「……今、

 何か、

 おかしくなかったか?」

 

俺は、

答えられなかった。

 

——見えてしまった。

 

長谷の顔の、

左半分。

 

目と、

頬と、

表情。

 

そこだけが、

“渡されていない”。

 

完全に消えてはいない。

でも、

未定義。

 

「……なぁ、春樹」

 

長谷が、

俺を見る。

 

「俺さ……

 お前の顔、

 ちゃんと見えてる?」

 

心臓が、

痛いくらい、

鳴った。

 

——答えは、

分かっている。

 

でも、

言葉にした瞬間、

“決まってしまう”。

 

背後で、

低い声がした。

 

「残念だけど」

 

振り返る。

 

あの男が、

そこに立っていた。

 

「彼は、

 まだ“保留”だ」

 

長谷が、

目を見開く。

 

「……誰だ、

 あんた」

 

男は、

穏やかに、微笑んだ。


——長谷用の顔。

 

人懐っこい。

安心させる表情。

 

「君はね」

 

「春樹くんを

 信じようとした」

 

「それで、

 十分だ」

 

長谷の声が、

途中で、

途切れた。

 

俺には、

はっきり見えた。

 

——境界線が、

 長谷を横切った瞬間。

 

顔の欠けが、

一段、

深くなる。

 

「ちょっと、

 待て」

 

俺は、

思わず、

声を上げた。

 

男が、

こちらを見る。

 

「何?」

 

「……俺の代わりに、

 長谷を——」

 

言い終わる前に、

首を振られた。

 

「それは、

 できない」

 

「彼は」

 

一拍。

 

「見る側に

 なろうとした」

 

「だから、

 戻れない」

 

長谷が、

ふらついた。

 

俺は、

反射的に、

腕を掴む。


——触れる感触は、

まだ、人間だ。

 

でも。

 

長谷が、

俺を見上げた。

 

「……なぁ」

 

「俺さ」

 

「今、

 お前の顔……」

 

言葉が、

続かない。

 

男が、

静かに言った。

 

「——保留」

 

その一言で、

世界が、

一段、

閉じた。

 

長谷の視線が、

俺を通り越す。

 

焦点が、

合わない。

 

「……すまん」

 

誰に向けた言葉か、

分からないまま。

 

長谷は、

その場を離れた。

 

人混みに、

溶ける。

 

——戻らない歩き方で。

 

男が、

俺の横で、

言った。

 

「君は、

 見届けた」


「だから、

 もう一段、

 先に行ける」

 

俺は、

拳を、

強く握った。

 

——これが、

選ばれるってことか。

 

これが、

顔がない側の、

責任か。

 



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