視線
駅前は、
人で溢れていた。
夕方。
仕事帰りの社会人。
スマホを見ながら歩く学生。
ざわめき。
ネオン。
雑踏。
——安全なはずの場所。
なのに、
俺は、
ずっと、
落ち着かなかった。
誰かに、
呼ばれている。
そんな感覚が、
背中に張りついている。
気のせいだ。
そう言い聞かせて、
改札へ向かう。
そのとき。
「無視しても、
意味ないよ」
背後から、
声がした。
振り返る前に、
分かってしまった。
——ああ、
こいつだ。
スーツ姿の男が、
俺の隣に立っている。
年齢は、
三十代半ばくらい。
どこにでもいそうな顔。
でも。
視線だけが、
妙に、
重い。
「……誰だ」
俺は、
声を低くして聞いた。
男は、
肩をすくめる。
「名前は、
今はどうでもいい」
胸の奥が、
ひやりとした。
「……何の話だ」
「顔」
即答だった。
「君、
もう気づいてるだろ」
「人の顔が、
欠けて見える」
言葉が、
喉に引っかかる。
否定しようとして、
できなかった。
男は、
人の流れを眺めながら、
続ける。
「全員じゃない」
「ちゃんと見える人間も、
いる」
——長谷。
その名前が、
頭に浮かんだ。
「……どうして分かる」
「君が、
見えてるからだよ」
「君が、
気づいたかどうかが、
大事だから」
男は、
こちらを見た。
いや。
“測る”ように。
「普通の人間は、
違和感を感じても、
目を逸らす」
「でも君は、
考えた」
「自分が、
どこに立っているのかを」
心臓が、
強く鳴った。
「……何が言いたい」
男は、
少しだけ、
口元を緩める。
「簡単な話だ」
「君は、
“見る側”に来た」
足元が、
わずかに、
揺れた気がした。
「……ふざけるな」
「ふざけてない」
男の声は、
驚くほど、
落ち着いている。
「見せるか、
見せないか」
「その境界に、
君は立ってる」
俺は、
周囲を見回した。
行き交う人々。
笑っている顔。
疲れた顔。
無表情な顔。
——そのいくつかが、
最初から、
完成していない。
視線を戻す。
男は、
もう俺だけを見ていた。
「……戻れるのか」
思わず、
聞いていた。
男は、
一瞬だけ、
言葉を選ぶ。
それから、
はっきり言った。
「無理だ」
その一言が、
胸に刺さる。
「だって、
君はもう」
「見てしまった」
男は、
背を向けた。
「安心しろ」
「今すぐ、
何かが変わるわけじゃない」
「ただ——」
振り返らずに、
言う。
「次は、
誰が見えるか」
「それだけの話だ」
人混みに、
男は溶けた。
そこに、
俺だけが残る。
ざわめき。
ネオン。
雑踏。
世界は、
何も変わっていない。
なのに。
——俺だけが、
立つ位置を
変えられていた。
逃げ場は、
もうなかった。




