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第3話 大学

大学は、

何事もなかったかのように、

いつも通りだった。

 

昼下がりの中庭。

談笑する学生たち。

ベンチに座って、

スマホを眺める人影。

 

——世界は、

昨日までと、

同じ顔をしている。


「ほんとに倒れてたのかよ」

 

隣で、

長谷が言った。

 

長谷啓介。

同じ学部で、

入学してから、

なんとなく一緒にいる男だ。

 

派手じゃない。

でも、

場の空気に溶け込むのが、

やたら上手い。

 

「救急車、

呼ばれたって聞いたぞ」

 

「……らしいな」

 


俺は、

曖昧に答えた。

 

長谷は、

俺の顔を、

じっと見る。

 

その視線に、

胸の奥が、

わずかにざわついた。

 

昨夜、

路地で感じた

違和感が、

一瞬、

蘇る。

 

「……なに?」

 

思わず、

聞いていた。

 

「いや」

 

長谷は、

首を振る。

 

「顔色、

ちょっと悪いだけ」

 

——顔。

 

その言葉に、

意識が引っかかる。

 

「……なぁ、長谷」

 

「俺、

ちゃんと見えるか?」

 

自分でも、

何を聞いているのか、

分からなかった。

 

長谷は、

一瞬きょとんとして、

それから笑った。

 

「何だよ、それ」

 

「当たり前だろ。

 ちゃんと顔、あるぞ」

 

そう言って、

俺の肩を軽く叩く。

 

その感触は、

確かだった。


でも。

 

——「ちゃんと」って、

何だ?

 

講義棟へ向かう途中、

人の流れに紛れる。

 

前を歩く学生。

横をすれ違う学生。

 

顔を、

無意識に、

追ってしまう。

 

そのとき、

違和感が走った。

 

——思い出せない。

 

今、

すれ違った学生の、

顔が。

 

見ていたはずなのに、

目も、鼻も、口も、

思い浮かばない。

 

(……気のせいだ)

 

そう思おうとして、

足を止める。

 

もう一度、

周囲を見る。

 

見える。

人は、

ちゃんと見えている。



首を振る。

 

言えなかった。

 

——他人の顔が、

欠けて見える、

なんて。

 

長谷は、

少し考えるようにしてから、

言った。

 

「無理すんなよ」

 

「倒れたんだろ?」

 

その言葉に、

胸の奥が、

冷えた。

 

倒れていた。

 

——誰が?

 

俺か。

それとも、

あの夜、

影の中にいた、

もう一人か。

 

考えようとした瞬間、

背中に、

視線を感じた。

 

——見られている。

 

振り返る。

 

人混み。

知らない顔。

知っている顔。

 

その中に、

焦点の合わない何かが、

確かに、

混じっていた。

 

瞬きをすると、

それは、

消えた。

 

「……なぁ、春樹」

 

長谷が、

少しだけ、

声を落とす。

 

「昨日からさ」

 

「お前、

 なんか——」

 

言葉を探すように、

間を置いてから、

続けた。

 

「立ち位置が、

 変わった気がする」

 

心臓が、

一度、

強く鳴った。

 

——それだ。

 

俺は、

もう、

同じ場所に

立っていない。


そう、

はっきりと、

理解してしまった。

 

人混みの向こうで、

誰かが、

こちらを見ていた。

 

顔は、

見えない。

 

でも。

 

見られているという感覚だけが、

確かに、

そこにあった。

 

俺は、

何も言えなかった。

 

ただ、

一つだけ、

確信していた。

 

——もう、

元の場所には、

戻れない。




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