第70話 婚姻前
私たちがゴルバス様の屋敷があるキルスティンに到着したのは、マシラが逃げ出して一週間ほど経ってからでした。
マシラが逃げたと報告を受けた時、どうして連れて行ってくれないのかと一人枕に顔をうずめて泣きました。でも、分かっているんです。ここまで来れば私という存在はただの足枷。
道中少しだけ彼が戻ってきてくれるのではないかと、ほんの少しだけ期待していましたが、今ではそんな淡い期待も浮かんできません。
思うことは、どうかマシラが無事魔界領に着いて夢である領主になれること。そしていつかそれを耳にすることが今、私が持つ唯一の希望です。
私の到着を出迎えてくれたゴルバス様……。やはり私は彼を好きにはなれそうもありません。
「ぐへへへ。ようこそ、我が屋敷へ」
粘り気のある笑みを浮かべる彼の後ろには、彼に付き従うように四人の奥方様が立っていました。
彼女たちからは、もちろん歓迎されてはいないのが、私に向けられた刺すような視線で分かります。私ももうすぐその中の一人になるのかなと、他人事のように思っていました。
ゴルバス様は、ずかずかと私に近寄り、耳元でこうささやきました。
「お前が花嫁になった暁には毎晩毎晩犯してやるから楽しみにしておれよぉ。グフフフ」
常に顔に張り付いているあのイヤらしい笑み。およそ普通の人ならば表に出すことはないその卑猥な笑みを浮かべた彼を私はどうしても好きにはなれないのです。
一代で巨万の富を手にした彼が私と結婚する目的は、権威の拡充。王国とその王国に総本山を置くルミシラ教と繋がりを持ちたいがためです。
だから、未婚の女性は純潔を旨とする教義に反することは出来ず、私は今だ彼のモノにはなっていないのです。しかし、それもわずかな間だけ。
着々と結婚の準備は進んでいきました。
彼の屋敷の中は、裸同然で働かされている獣人の女性や、私の国では珍しい魔族の女性もいました。どの人も皆、死んだような目で働いていて、いずれ私もああなるのだと理解することが出来ました。
ほかにもゴルバス様の奥方たちは彼の寵愛を受けようといつも必死です。奥方の中にはレイアース王国でも公演された劇団の花形女優の姿もありました。
彼女たちはことあるごとに私に突っかかってきました。
「調子にのるんじゃないわよ。ゴルバス様の第一夫人は私なのよ」
皆が口々にそう言います。おそらくは彼の寵愛を一番に受けることで彼の財産を我が物にしようと躍起になっているのだと思います。
私は彼の財産など欲しくない。だから、彼女たちにはただ「すみません」と謝るだけです。
ゴルバス様の屋敷に来て一月ほど経ったでしょうか。結婚式の数日前、ゴルバス様の屋敷はルミシラ教の大司教様や司祭様達があわただしく動き回っていました。
ルミシラ教の司祭様方は皆、顔を白塗りの面で隠しているので分かりやすいです。彼らは未だ信仰の道の途上として、罪に穢れた顔を神に見せないようにと白い面を付けているのです。
私は獣人のメイドから屋敷のとある部屋に来るよう告げられていました。
大きな木製の扉を軽くノックします。
「入れ」
中からくぐもった声が聞こえました。私は言われた通り部屋の中に入ります。
中にいたのは一人の男性司祭。仮面をかぶっているので顔は分かりませんが、司祭になれるのは男性だけです。
「これから貴女が汚れなき身か、見定めさせてもらう。下着を脱いでスカートを捲りあげなさい」
私は好きでもない相手にこれから自分の純潔を証明するために秘部をさらさなければならないのかと、ぐつぐつと煮え立つような怒りと、泣きたくなるような悲しさが同時に心の中に沸き立ちました。
それでも必死に感情を抑え、彼の言う通りにしようと歯を食いしばります。
検分が終わるタイミングを見計らっていたのか、私はあふれ出した涙を拭き終わるころゴルバスがノックもせずに部屋の中へと入ってきました。
「なんだ、もう終わったのか。それでどうであった」
「確かに彼女は穢れなき身。どうか婚姻の儀までその勤め果たすように」
司祭は、ゴルバスにぺこりと頭を下げるとすぐさま部屋から出て行ってしまいました。
「ぐふふふ。楽しみだ。式が終わればその美しい体、毎晩弄り倒してやろうではないか!」
「お好きにどうぞ!!」
いやらしく私の肩を這う手を思いっきり叩き落して私は部屋から出ていきました。
「その強気な態度も調教しがいがあるというもの!!」
部屋の中からは依然としてゴルバスの下卑た声が響いてきました。
廊下を歩いていると前から見知った顔が来ます。
「おお、エレオノーラ。久方ぶりだな」
「お父様……いらしていたのですね」
「ああ。娘の結婚式だ。来るのは当たり前だろう。それよりも……」
お父様は秘め事を話すように小声で私に語り掛けます。
「なんとでかい屋敷なのだろう。いいか、エレオノーラ。お前はどんな手を使ってもゴルバスの第一夫人になって、私の所に金を送るのだぞ。いいか!!ここまで育てるのにいくらかかったかわかっているのか。今こそ親孝行をするのだ!!」
呆れて声も出ませんでした。
「失礼します。お父様」
もう、お父様に付き合うのも疲れました。私は、何か後ろで怒鳴り散らす父を置いて自分の部屋に戻りました。
結婚式当日。
屋敷から仲の良い侍女たちが来てくれました。彼女たちが私の身支度を手伝ってくれます。
「このドレスは、エレオノーラ様のお母さまが来ていたものです。よくお似合いですよ」
「ありがとう、ばあや。最後にばあやに会えてうれしい」
鏡の前に立つ。そこには真っ白なウエディングドレスを着た私。結婚相手がゴルバスではなかったら……マシラだったらなどと空想を頭の中で描いてしまいます。
しかし、時は待ってくれません。
教会の鐘が高らかに鳴り響きます。
「もう、そろそろ時間です。ご準備を」
外から、教会関係者の方が声を掛けてきました。
私はばあやを抱きしめて部屋から出ます。
私の覚悟は今、決まりました。




