第62話 アンブラダルのスラム
その日の夜。
寝支度をすませたヴィーが机に向かう俺に話しかけてきた。
「どうやって国境を超えるつもりなんだ?」
ちなみに最近じゃヴィーの前でも、俺はエルから文字と数の勉強を教えてもらっている。
俺は一旦向かっていた紙から目を離し、ベッドに腰かけ剣の手入れをするヴィーと向かい合う。
「キッドって言う仲間がいたんだが、そいつは元々共和国の出でな。このアンブラダルから密入国して入ってきてたんだ。
二、三年前にそのキッドから聞いたんだが、一緒に入国した男がそのままアンブラダルに住み着いて偽造屋をしているらしいんだ。確か名前は……ゲルダだ。そいつに頼んでニセの商業ギルドの身分証とその他諸々の書類を作ってもらおうと思ってるんだが、ヴィーは、どう思う?」
「共和国から来て、そのまま住み着いた者か。それなら、無法都市との繋がりも薄そうだな。それに商業ギルド所属の商人に扮するのなら、国境越えは容易いかも知れない……。懸念があるとすれば、そのゲルダという男の腕次第なところはあるが、いい案だと思う」
「よし!それじゃ明日はスラムの方に行ってそのゲルダって男を探すぞ」
「ああ、わかった」
「私も頑張るから!」
明日の予定を話していたら、勉強する気がどこかへ飛んでっちまった。俺は魔法袋に机の上に置いた勉強道具一式をしまい込んでベッドに進む。
「フフフ」
明かりの消えた部屋に小さく笑うヴィーの声だけが響く。
「どうしたの、ヴィー?」
「いや……おかしなものだと思いまして……」
「何がかしら?」
「正義の執行者たる騎士の私が真面目に密入国の相談を受けているなと考えると……フフフ。ここに来る前の私からすれば信じられないことだと思いまして」
「そうよね。昔のヴィーは、本当にお堅い騎士様って感じだったもの。私、今のヴィーの方が好きよ」
「私もです。昔のエルは、いつも儚げで見ているだけで胸が詰まる思いがしました。今のように明るいエルが私も好きですよ」
宿に泊まるときは、いつも一つのベッドに二人で身を寄せ合うようにして寝ていたからか、今日の二人は少女のように暗い夜を楽しんでいるようだった。
……そうなると、邪魔をしたくなるのが、この俺、マシラ様だ!
「じゃあ、俺は?俺のどこが好き?俺はねぇ、ヴィーのでっかいおっぱいでしょ!それにエルのちんちくりんなとこも好きかなぁ?」
「「マシラ、うるさいっ!!!」」
知ってたけど俺の出る幕はねぇとよ!
「へいへい。んじゃ、おやすみぃ」
二人のひそひそ話す声と、たまに聞こえるクスクスと小さく笑う声を子守歌に俺は眠りについた。
◇
「こっちだ。ついてこい」
入り組んだアンブラダルの裏路地を俺の勘だけを頼りに歩く。
「本当にあってるのか?」
「間違いねえ。スラムの達人、マシラ様に任せとけって」
「んん~本当に大丈夫かな……」
俺の背後から心配する声が聞こえてくるが、お構いなしにズンズンと路地を進んでいく。
進めば進むほど、落ちているゴミの量が増え、どこからか懐かしい我が心の故郷無法都市を彷彿とさせる乾いた小便のようなかぐわしい香りが立ち込めてくる。
これぞまさに掃きだめ。
俺の読み通り、いくつかの路地を抜けてやれば、あら不思議。同じアンブラダルとは思えないボロ小屋が立ち並ぶスラムのお出ましだ。
「どうだ?これが達人の技よ」
俺は得意満面、ふふんと鼻を鳴らし振り返るが、エルもヴィーも若干引いてた。
「今まで見てきた技の中で一番いらない技だと思うわ……」
「私もそう思います」
スラムが放つ悪臭に耐え兼ね、酸欠の魚のように口呼吸に努める二人にゃ、俺の素晴らしさは何百年経とうと理解は出来っこねぇ。
甘ったれの二人に説教の一つでも唄ってやろうかと考えているとスラムの中から一人のガキが俺にぶつかってきやがった。
狙いは俺の腰の魔法袋か。走り去ろうとするガキの首根っこをひっ捕まえてやる。
「はっ、はなせ!バカヤロー!!」
「ケケケ。俺から盗もうなんて百万年早ぇんだよ。それよりなぁ、この辺にゲルダって男はいるか?」
人が懇切丁寧に物を尋ねているってのにクソガキは生意気な態度のまま。
「べーー!!」
真っ白になった舌を出してみせる。
まぁ、学のねぇガキはどこも一緒だ。怒る気にもなりゃしねえ。
俺はガキを捕らえる手とは逆の手をガキの目の前で振って見せる。手の中からは、ジャラジャラと何とも景気の良い金属が擦れる音がした。
「か、かね!!!?」
その音を聞くやいなや、一瞬で生意気だったガキの顔色が従順な犬のように変わる。こうなりゃ、こっちのもんだ。
「こいつがほしけりゃ、ゲルダの居場所を教えな」
「オ、オイラ本当に知らねえんだ。でも、アグルの兄ぃだったら知ってるかも。オイラ、そこまで案内すっからよ、金くれな」
「わかった、わかった」
「約束だからな。じゃあ、オイラについてきな」
俺からの了解を得るや、すぐさまスラムの奥へと続く路地へと駆け出した。
俺は、後ろに控える二人に向かってガキに着いていくぞと合図を送れば、二人とも俺の後に続いて歩き出した。
「なんとも、逞しいというか、浅ましいというか……」
案内するガキの事だろう。ヴィーが憐れみとも同情とも取れる表情で苦言を呈した。
「誰もが生きるために必死なんだよ。そんで生きるためにゃ金が要る。あのガキなんてまだ可愛いもんさ。周りを見てみろよ」
俺に促され、エル達はきょろきょろと辺りを見回す。
俺からしちゃ、素人同然だが物陰に隠れ、こちらを覗う者たちが何人もいる。そいつらの手には、もれなく錆びたナイフが握られている。
「ひっ!」
エルが短い悲鳴を上げる。
「心配すんな。そう簡単には襲ってこねえよ」
俺は、腰に下げた大鉈を叩いて見せる。
「ま、マシラは弱くてあてにはなりませんが、私がついてます。安心してください」
いつか、稽古でボロ勝ちして以来、ヴィーの中では俺は軟弱男というレッテルが張られてる。
まぁ、実際勝てないんだから、俺はその不名誉な烙印を甘んじて受け入れている。
「まあ、騎士様はなんとかっこよろしいことか。ケケケ、俺が女だったら惚れてるね」
「お前なんぞに惚れられるなんてこっちから願い下げだな」
「ヴィー、それは、ちょっとひどいんじゃない?マシラが女の子だったら……んー……かわいい、かな?」
エルの奴、本気で俺が女だったら、どうなのか空想を始めやがった。
「エルよ。気持ち悪ぃ想像すんなって」
「そうですよ。マシラが女だったなんて、考えただけ……ん?」
ヴィーの会話が不自然に途切れた。
「どうしたの、ヴィー?」
ヴィーは立ち止まり左手に続く細い路地の先を怪訝な表情で見つめている。
「え、あ……ええ。すみません。騎士団の仲間がいた様な気がして……一瞬の事だったので似た人と見間違えたみたいです。ごめんなさい、行きましょう」
ヴィーは小首をかしげながらも、歩みを止めることない俺に追いつこうと小走りで先を急ぐ。
ちょうどヴィーが俺に追いついたところで、ガキンチョの足が止まった。




