第56話 コーエン伯爵
カーンバーニュ村を離れる二頭引きの馬車が一台。
進行方向とは逆向きに座る老執事とそれに向かい合う様に座る男。彼は、さきほどまでマシラと会話をしていた男である。
老執事が少しあきれた様子で男に声を掛ける。
「どちらに行かれていたのですか?コーエン」
そう……マシラに声を掛けたのはこの辺り一帯を治めるコーエン伯爵であったのだ。
コーエンは窓の外を眺めつつ、執事に気のない返事を返す。
「んん?ちょっとな」
その返事に執事はため息を漏らす。
「はあ……。大変申し上げにくいのですが、このようなことはもうお控えください。伯爵ともあろう御方が市井の者に扮して祭りに顔を出すなど、警備の面から言っても大変危険が……」
執事の小言はいつもの事。ダラダラと続く執事の言葉を右から左に聞き流し、コーエンは、さきほどの出来事について考えを巡らせていた。
(やはり、あれはエレオノーラ嬢……。誘拐されたと王室から捜索協力の要請が出ていたはず)
コーエンは、一年前の王室晩餐会を思い出した。
例年通り爵位の高いものから王への挨拶をした後の歓談の場で、ガルドバラス公爵から突然話し掛けられたのだった。
相手は公爵。伯爵の身のコーエンとしては遥か高みの存在が自分に何のようかと身構えた。
しかし公爵の口から出るのは、息子の自慢から始まり、独り身のコーエンを心配して良い縁談をしてやろうと言う、なんとも上から目線の面倒なものだった。
彼の話に辟易しながらも、これも貴族の務めと真剣なフリをして彼の話を聞いていたが、「ところで……」という公爵の言葉を切っ掛けに会話に暗雲が立ち込める。
なんと、公爵は自分の息子を王女の婚約者として推挙する時にコーエンにも賛同してほしいと願い出たのだ。しかも、すでに何人かの貴族には約束を取り付けているとも言っていたのだ。
派閥争いに巻き込まれたくないコーエンは、どうにか返事を遅らせたいという思いで彼の長女であるエレオノーラの事を聞いてみることにした。
「ガルドバラス様には、確かお嬢様が一人おられたはず。彼女は、どうされるおつもりで?」
コーエンはただ何の気なしに話題を変えるために質問したつもりだったのだが、ガルドバラスから返ってきた答えに驚愕と怒りを覚えることとなった。
「あぁ……アレか?」
そう言ってガルドバラスの目線は広間の壁に移る。それを追ってコーエンも同じものを見た。
そこにいたのは、レイアース屈指の美貌を誇ると歌われる彼の娘、エレオノーラであった。
彼女は誰に交わるわけでもなく、ただただ無表情で俯いて立っていた。
「アレは、家にいても邪魔なだけなのでな。共和国へ嫁に出すことにしたのだよ。
しかし、わざわざ金持ちの商家を選んで出したと言うのに、たった五千万の値しかつかなくてな。これまで育ててやって、これぽちかと辟易していたところだよ。アハハハハ」
そう言って笑うガルドバラスにコーエンは無性に腹が立った。
以前からガルドバラスに対し、領民の扱いや税の事などで不信感を持っていたコーエンは、無礼を承知で話の腰を折る形でその場を退席することにした。
プライドの高いガルドバラスは、怒りに顔を赤くしたが流石に王主催の晩餐会で、怒鳴り声など上げるようなことはせず、去るコーエンの背中に静かに声を掛けた。
「お前のような田舎の伯爵風情が調子に乗るなよ。私は、いつでも潰すことなど出来るのだからな。しかと肝に銘じておけ」
ただ話を中座しただけで、この怒りようにコーエンはほとほと呆れはてた。そして、壁際に佇む人形のようなエレオノーラに少しだけ同情してしまった。
だからなのかは不明だが、彼はその足でエレオノーラに歩み寄る。
「あなたの苦労は如何ばかりかとお察しします。どうか、この先あなたの歩む道に幸多からんことを微力ながら願っております」
突然のことに一瞬目を丸く見開いたエレオノーラに、やっとコーエンは人間らしさの一端を見ることが出来、安心した。
しかし、すぐに彼女の顔は能面のように戻る。彼女の目線の先にいたのは、怒りに震える父ガルドバラスであった。
「ありがとうございます。コーエン様」
小さく、本当に小さく礼を言ってエレオノーラは自分の殻に再び閉じこもってしまったのだった。
あの時の人形のようだった少女が今、私の領地であんなに楽し気に笑っているではないか……
あの報せは嘘だったのかと疑うほどであった。
しかし、その考えは執事の言葉で霧散することとなった。
「そういえば、さきごろ、ガルドバラス公爵領よりエレオノーラ様の捜索隊なる者たちが屋敷に尋ねてまいりました。どうやら、誘拐の主犯である盗賊らしき者の姿がこの付近で目撃されたとのことでして、いかがいたしましょう?」
コーエンは広場で会話した青年の事を考えた。
(あれが恐れく盗賊のマシラか……)
要請と一緒にマシラの手配書も回ってきていた。その顔はいかにも盗賊然としており、先ほど会った男とは似ていなかった。
(それに、彼がエレオノーラを見る目だ。あれが人質に取った者を見る目だろうか?)
ガルドバラス公が我が娘に向けるそれよりも、遥かに慈愛に満ちた目をしていたようにコーエンには映っていた。
「そうだな……我が領内には、そのような不届き者はいないと帰ってもらえ」
「よろしいので?」
執事の心配はもっともである。捜索隊を無下に帰したとガルドバラスに知られればひと悶着起きるかもしれない。
しかし、それも良いと思えた。
彼らがどこに向かい何をしようと言うのか、その行く末に少しだけ興味がわいたのだ。
「ああ、かまわん。エレオノーラ嬢は心配だが、あのいけ好かない公爵に付き合ってやる義理はないからなぁ」
「……ふふふ、誰かに聞かれでもしたら大変ですよ、コーエン様」
執事もガルドバラスには思う所があるのか、やんわりとたしなめる程度でコーエンと一緒に笑った。
コーエンはふと目線を窓の外に移す。
そこには広大なブドウ畑。そして、その遥か向こうには万年雪が山頂を白く染めるアリアズ山脈が連なっている。
「一体どこまで行けるのか……楽しみにしているぞ。マシラ」
その声は誰に届くでもなく、馬車の車輪の音と共に消えていったのだった。




