第18話 魔物との遭遇
「マシラが行きました。私達もそろそろ、ここを出ましょう」
小屋の中から窓の外を隠れ覗いていたヴィーが私の方を振り返る。
「わかったわ」
私も一応、外に誰もいないことを確認して、放出し続けていた魔力を抑えてやる。
すると、小屋の裏に展開していた炎壁が蜃気楼のように揺らめきながら空気の中に溶けて消えた。
それを見計らってヴィーが裏の窓から飛び出し、辺りを警戒する。
追手の気配はないようでヴィーが「出てきても大丈夫だ」と、頷いて知らせてくれた。
私もヴィーにならい同じように窓に足をかけて外へ跳ぶ。
「きゃっ!」
着地に失敗して、ふらついてしまった。
地面に手をつきそうになった瞬間、ヴィーが私の腕を優しく取って支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。すこし昨日のお酒が残ってるみたい」
本当は少しどころではなかった。
頭も痛いし、石でも飲み込んだんじゃないか、というくらいお腹の中が変だ。
だけど、マシラが敵を引き連れているのに、弱音なんて言っていられない。
お酒なんか飲むんじゃなかったという後悔と一緒にそんな弱音も胸の内にしまいこむ。
しかし、私の嘘はヴィーにお見通しのようで「無理はしないでくださいね」と苦笑いを浮かべて、森の中へと歩を進めた。
目指すのは大杉の生えた山頂。
ヴィーを先頭に私たちは森の中を歩く。
こうして二人きりになるのは久しぶりな気がして、家にいたころはどんな話をしていたかしら?なんてことを考えながら、道なき道をヴィーの後に続いて進んだ。
「マシラは大丈夫かしら?」
「エル……あんな男の心配なんてしなくても良いんですよ。だいたい、あの男が殺されてくれれば、この忌々《いまいま》しい隷属の首輪が解除されて私達は晴れて自由の身になれるんです。死んでくれた方が私たちのためかも知れませんね。フフフ」
「ヴィー……それは少し酷いんじゃない?」
我ながら自分を攫った人をかばうのは変だと思うけど、ふいにそんな言葉が口をついて出た。
「酷くなどありませんよ。それにあの男がそう簡単に死ぬとは思えませんし……」
ヴィーは木々の枝を払いながら私を先導してくれる。
「そうね。私もそう思うけど……だけど、もしマシラから解放されたところで、私は……」
「……エル……様」
マシラから逃れて家に帰ることになったとしても私の自由はない。
一度だけ会ったことのある隣国の豪商のもとに嫁ぐことが運命けられているのだ。
このままマシラに人質として連れられる方が良いのか、家に帰る方が良いのか、私の中の天秤は平行に釣り合って動くことはない。
しばらく私達は無言で森の中を進んだ。
「エルッ!気を付けて下さい!」
「えっ?」
前を歩くヴィーが急に止まったせいで彼女の背の甲冑に鼻の頭をぶつけてしまった。
「前方、魔物です」
ヴィーがそう言った途端、茂みがガサリと動いた。
「グルルル……」
牙をむき出しにして身を低くした四足の獣が藪をかき分け現れた。
その姿は狼そのものだけど、体は一回り以上大きく浅黒い。
家の本で見たことがある。あれは魔狼だ。
「ど、どうして?今まで魔物に会うことなんてなかったのに……」
「悔しいですが、マシラの索敵能力のお陰です。あの男うまい具合に魔物と遭遇しないように歩いていたんです」
そう言うヴィーの顔は少し悔しげな表情を浮かべていた。
そうか、今まで私はマシラに守られていたのね……
マシラが聞いたらきっと笑うであろう考えが頭に浮かんだ。
そんな私を庇うようにヴィーが剣を構える。
「魔狼が一匹で現れるとは思えません。エルも警戒してください」
いつもなら「私にお任せください」と、つねに身を挺して庇ってくれるヴィーに初めて「警戒して」と頼まれた。
それは、人手不足だからかも知れないけれど、私はヴィーに頼られるのが少し嬉しかった。
「わかったわ!」
ヴィーが警戒しにくいであろう後方に体を翻し、呪文を唱える。
「踊るは風精。なびく裳裾が風を断つ……」
私の一番得意な風魔法をいくつか身の回りに展開させておく。
魔狼がにじり寄るのが、鼻につく獣臭でわかる。
ジリジリする緊張感で魔力の消費が激しくなってしまう。
私とは正反対に、落ち着いた呼吸のヴィー。
彼女がいなければ私は、すでに発狂して魔狼に襲われているに違いない。
「エル。そのまま、貴女から見て左方向、高い茂みの中に魔法を放ってください」
早口でヴィーの指示が飛んだ。
一見なんの変哲もない茂み。
しかし、ヴィーがなんの考えもなくそんな指示を出すとは思えない。
「風刃」
ヴィーを信じて指示通りの場所めがけて魔法を放つ。
それは鋭利な風の刃。
障害となる木を薙ぎ倒し、茂みを上下に別つ。
「ギャン!」
魔狼の断末魔が森に鳴り響いた。ヴィーの読み通り魔狼が隠れ潜んでいたのだ。
その断末魔を皮切りに前方の魔狼がヴィーへと飛び掛かる。
「ガウッ!!」
「ふんっ」
ヴィーはその場を動くことなく大きな魔狼を縦に両断した。
「まだ来ます。今度は後ろ!」
言われたとおりに素早く後ろを向くと、すでに魔狼がこちらに駆け出すのが見えた。
「風刃!」
魔狼は前進する速度を緩めることなく、身をわずかに低く屈めた。
風の刃が魔狼の真上を掠め、耳だけを切り飛ばす。
「ガウッ!!」
怪我を負わされた魔狼が怒りを剥き出しに私に飛び掛かってきた。
迫りくる牙が目の前に迫る。
「エ、風刃!」
魔狼が開けた大口を裂くように風刃が走った。
ネチョリと粘りけのある血が糸引きながら、魔狼の体が上下に別れる。
どこからどうみても、魔狼は息絶えた。
「風刃!風刃!風刃!風刃!!!」
それでも私はその死骸に向かって出もしない風刃を叫び続けた。
「エル……エル……エルッ!!」
ヴィーが私の体を力一杯揺すってくれて、やっと私は正気に戻ることが出来た。
しかし、手の震えが依然止まらない。
「はぁ……はぁ……す、少し待って」
私は両手を擦り合わせ震えを止めようと試みた。
「大丈夫です」
そう言って、ヴィーが私の手を優しく握ってくれる。
「ご、ごめんなさい。今、止めるから」
この時に自分の声も震えていることに気づく。
「いいんです。初めての戦闘です。誰でも怖い。よく逃げずに戦えました」
ヴィーは少しだけ腰を折って私の目線に合わせると、にこりと笑って褒めてくれた。そのことがとても嬉しく、心が穏やかになる。
ヴィーはそのまま、しばらく私が落ち着くのを待っていてくれた。
何度目かの深呼吸のあと、私は周りを見る余裕が出来た。
「ヴィー、すごい」
驚くことにヴィーは何と四体もの魔狼を仕留めていた。しかも、その体に返り血の一つも浴びていない。
「こんなもの慣れですよ。エルのあの魔法の精度なら、すぐに私を追い越していきますよ。それよりも先を急ぎましょう。血の匂いに引かれて他の魔物が寄って来るかもしれません」
「わっ、わかったわ」
冒険者と呼ばれる人たちならば、魔物の中にある魔石を取り出すのでしょうが、私達は足早にその場を去った。




