第八話 語り継ぐ者
“記録者”の目覚め
あの日から、蒼依の姿を見た者はいない。
大学も、バイト先も、SNSにも、蒼依は一切姿を見せなくなった。
しかし――彼女が“消えた”その翌日、新たなレビューが「読書アプリ」のコメント欄に投稿されていた。
『第七話、震えました。次は……誰が語るんでしょうね』
投稿者の名前は伏せられていた。だが、そこには“蒼依の部屋のIPアドレス”が記録されていた。
それに気づいたのは、大学院で情報解析を研究していた佐倉恵麻、22歳。
蒼依の先輩であり、かつてのルームシェア仲間だった。
◆
「蒼依が……いない?」
蒼依の部屋を訪れた恵麻は、鍵のかかっていないドアと、薄暗い室内に不穏な気配を感じた。
バスルームの扉が、わずかに開いていた。
そして、床には濡れたスマホと、黒いノートが落ちていた。
ノートの表紙には、金の箔押しでこう記されていた。
『第八話:語り継ぐ者』
それを手に取った瞬間、ページが一枚、ゆっくりと開かれた。
その紙にはこう書かれていた。
『記録者へ。ようこそ。あなたはまだ“読者”である』
◆
恵麻は、その日から黒いノートを研究室に持ち込み、解析を試みた。
活字ではない、手書きのような筆致。それでいて、ページが開くたびに内容が変わる。
電子ペーパーの技術か? それとも未知の印刷方式か?
――だが、最も恐ろしいのは、ノートの内容が“常に”現在進行形で書き換わることだった。
ある晩、ノートにこう記されていた。
『恵麻は今日、5限のゼミを欠席した。彼女は理由を“頭痛”と答えたが、本当は――』
その内容は、誰にも話していない“心の中の真実”だった。
「なんで……」
震える手でページを閉じた。
しかし、次に開いた時、こう書かれていた。
『あなたが読むことで、物語は続く。あなたが書かなければ、“次の読者”は選ばれない』
◆
次の日から、恵麻のまわりで異変が起きた。
自宅の風呂場の鏡に、湯気がないのに“指の跡”が浮かぶ。
大学のトイレで、誰もいないはずの個室から水音がする。
スマホの画面が、勝手に真っ暗になり、フロントカメラが起動する。
そして、ノートの一節が“通知”として届いた。
『あなたが最後まで語り継がなければ、この物語は“永遠の読者”を求めて彷徨う』
◆
ある夜、恵麻は決意した。
自室の机の上にノートを広げ、ボールペンを手に取る。
「……私が、記録する」
そう言って、書き始めた。
『第八話:語り継ぐ者』
『蒼依がいなくなった日、私はその痕跡を見つけた。バスルームには黒いノートが残されていた。これが呪いなら、私はその正体を暴いてやる。だが、書けば書くほど、物語は“こちら側”へと滲み出してくる――』
その瞬間、ノートの中から水滴が一粒、ポタリとこぼれ落ちた。
ペンの先が濡れたページに染み込む。
そして、新たな行が自動的に記された。
『記録者・恵麻の物語は続く。だが、次のページを開いた時、“彼女”はすでに読者ではない』
その夜、恵麻の部屋の灯りは、朝まで消えなかった。
彼女が記した第八話は、アプリにアップされることはなかった。
だが、そのノートは――今日もどこかの浴室に置かれている。
次の“読者”を待ちながら。