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第9話「夫との対決。母の誓い」

 夕暮れの街。

 怜奈は、車のハンドルを握りながら圭介の車を追っていた。

 彼の仕事帰りの動きは、ここ最近ずっと調べていた。

 今日も、工場とは違う方向へとハンドルを切る圭介。

 

 車は、繁華街近くのコインパーキングに停まった。

 圭介が車を降りる。

 そのすぐ後ろを、小柄な若い女性が歩いていた。


 ふたりは言葉を交わすわけでもなくまるで示し合わせたかのように並んで歩き、ラブホテル街へと吸い込まれていった。


 震える手で、スマホを構える。

 圭介と若い女性が、

 ホテルに入っていく瞬間を――

 怜奈はシャッターを切った。

 決定的な証拠。


 自宅に戻り、撮った写真を何度も見返した。

 圭介の後ろ姿。

 若い女の笑う横顔。

 逃げも隠れもできない証拠だった。


 だが――

 心の奥底に、

 ドロリとした葛藤が湧き上がる。

(このまま離婚して……伽奈や静香は……)

 父親と離れ離れになることが、子どもたちにとって本当にいいことなのか。


 怜奈は迷った。

 もう一度、家族を繋ぎとめられないか――

 その想いが、頭を離れなかった。



 怜奈は意を決して、帰宅した圭介に切り出した。

「……ねぇ、前に言ってたでしょ。もう一人、子どもが欲しいって」

 圭介は、ビールを片手に無表情で怜奈を見た。

「仕事で疲れてるし、今はこれ以上小さい子どもを育てるのは無理だろう」


 怜奈の胸に、ひび割れのような痛みが走った。

(外では、他の女を抱いているくせに……)

 怒りが、静かに、しかし確実に募っていく。

 圭介はそのまま何事もなかったかのようにテレビに目を戻した。

 怜奈は黙ったまま、空いた缶とつまみの皿を片付け始めた。

(……証拠はもう十分。あとは――いつ切り出すか。)



 平日の昼間、小さな法律事務所の一室。

 スーツ姿の弁護士が、怜奈の話に耳を傾けていた。


 圭介の不貞行為の証拠。

 家計を顧みない態度。

 子どもたちへの影響。


 すべてを聞き終え証拠を確認し終えた弁護士は、静かに言った。

「……立派な離婚事由になります。証拠も十分です。慰謝料、親権、養育費、問題ないでしょう」

 その言葉に怜奈はふと、喉が詰まるような感覚に襲われた。

(本当に――この道を選んでいいのか?)



 その夜、洗濯物を畳んでいると隣に座った伽奈がぽつりと漏らした。

「ママ……最近、パパと喧嘩してるの?」

 手が止まる。

「なんで?」

 伽奈は少し困ったように笑った。

「……なんかね。パパ、前よりあんまり喋ってくれないし。前はたまに一緒にゲームとかしてたのに。いまは、ママもパパも、ちょっと怖い顔してるときあるから……」

 怜奈は、伽奈の細い肩をぎゅっと抱きしめた。

(この子たちを、こんな空気の中に閉じ込めたままにはできない。)


 子どもたちが寝静まった夜。

 怜奈は、アルバムを開いた。

 結婚式の写真。

 初めて伽奈を抱いた日。

 静香が生まれた日の写真。

 みんな笑っていた。

 その笑顔が、今の現実とあまりに違いすぎて――


 怜奈は、声を押し殺して嗚咽した。

(どうして、こんなふうになっちゃったんだろう)


 圭介は――

 すでに家庭に何の情も持っていなかった。

 金を入れれば、父親としての役目は果たしている。

 そんなふうに思い込んでいた。

 夜の繁華街。

 圭介は、若い女性と笑いながら腕を組んで歩く。

 その相手とはすでに肉体関係もあり、家庭のことなど一切話題にしない都合のいい関係だった。


 怜奈は涙を拭きながら、弁護士にもらった書類を見つめた。

 伽奈も、静香も――

 もう、父親からの愛情を感じることはできないだろう。


 このまま冷たく形だけの家族を続けていても、子どもたちは幸せにはなれない。

(壊すんじゃない。守るために、私は――)


 怜奈はペンを手に取った。

 覚悟を込めて、離婚届けに署名した。

 リビングに、重い沈黙が落ちていた。



 怜奈は静かに切り出した。

「圭介――離婚して」

 ソファに腰掛けていた圭介が、一瞬何を言われたか分からないように怯んだ。

 だが、すぐに顔をしかめ怒鳴り声をあげた。

「は? ふざけんな! 俺がいなくてお前、ひとりでやっていけるのかよ!?」


 怜奈は声色ひとつ変えず、スマホを取り出した。

 画面には圭介が女性とラブホテルに入っていく写真。

 圭介が目を見開く。

「……なにこれ」

「あんたがやってきたことの証拠よ。弁護士にも相談済み。養育費も慰謝料も、きっちり請求するから」

 冷たい声で告げる怜奈に圭介は言葉を失った。


 その頃、2階の子ども部屋では、伽奈が静香を抱き寄せていた。

 下の階から聞こえる両親の声に、静香は怯えたように顔を伏せている。

 伽奈は静かに撫でながら、笑顔を作って言った。

「大丈夫だよ。ママもパパも、ちゃんと話してるだけだから」

 自分にも言い聞かせるように――


 リビングでは、圭介が顔を赤くして怒鳴った。


「――そうか! あのニートと不倫してたのか!」

 怜奈は目を細めた。

「……最低ね。娘たちに危ない目が及ぶかもしれないって、何度も言ってきたのに」

「黙れ!あのクズとくっついたってわけか!」

 圭介は逆上して、テーブルを叩いた。


 それでも怜奈は、冷たく言葉を続けた。

「不倫なんかしてない。でも、あんたは――家族を裏切った」

自分が危ういからと、くだらない作り話で逃げようとしていることにあきれ果てる怜奈。



「……いいよ。だったら、あのニートに直接聞きに行ってやる!」

 頭に血が上っている圭介は立ち上がり、上着を掴むと玄関へ向かった。

「夜も遅いのに、やめなさい!」

 怜奈の静止も聞かず圭介はドアを乱暴に開け、夜の暗闇へと飛び出していった。


 向かう先は――

 一条家。

 夜の闇の中、圭介は荒々しく一条家のインターホンを連打した。

 しかし、応答はない。

 窓の明かりも消え、車もない。


 太だけでなく、この家にいた親族たちもどこかへ出掛けてしまっているようだった。


「クソが……!」

 圭介は吐き捨て、スマホを取り出してタクシーを呼んだ。

「ちょっ! どこ行くの圭介っ!」

 怜奈の腕を振り払い、タクシーに乗る圭介。

 行き先は――

 恐らく、あの若い愛人のもと。

 夫は、父は、家族を捨て暗闇に消えていった。



 静まり返った家。

 怜奈は静かにドアを閉め、リビングのソファに腰を下ろした。

 ふと力が抜ける。


 これまで子どもたちのために、何とか強くあろうと踏ん張ってきた。

 だが――

 ついに、家庭が壊れてしまった。

 手で顔を覆い、声を殺して泣いた。


 その時――

「ママ……」

 伽奈が、静香が、ソファの両脇に座った。

 小さな手が、怜奈の背を優しく撫でた。

「私はママの味方だよ」

「ママ、泣かないで……」

 怜奈は顔を上げた。

 泣きながらも微笑む娘たち。


 怜奈は二人を抱き寄せた。

 ぎゅっと、力を込めて。

 3人はそのまましばらく声を上げず、ただただ抱き合って涙を流した。


 たとえ家庭が壊れたとしても――

 この子たちと一緒にいる限り、自分は負けない。

 そう、心に誓いながら。

 


 圭介からの連絡は――

 あれから一切、なかった。


 怜奈は、弁護士との打ち合わせを進めていた。

 離婚届の提出準備。

 慰謝料と養育費の請求。

 住まいと生活費の算段。

 一つずつ、着実に。


 まだ、心が痛まないわけではない。

 だが、もう迷わなかった。

(私たちは――前に進むしかない。)



 一方で、子どもたちにも変化は出始めていた。


 伽奈の学校では、いつも仲良くしていた友人たちが急に距離を置くようになった。

 静香の保育園でも、先生からそれとなく家庭環境を尋ねられることが増えた。

 せまい田舎だ。

 噂はすぐに広まる。

 誰に話したわけでもないのに、誰かが見て、誰にか話すのだ。


「ママ……私のせいで、パパ帰ってこないの?」

 そう聞いてくる静香を、怜奈は強く抱きしめた。

「そんなこと、絶対にないよ」

 そう言いながら、心の中で苦い思いを噛み締めた。


 そんななか、静香は再び言い始める。

「お兄ちゃんに、会いたいな」

 あれから、時折庭先から手を振るだけだった太。

 距離はある。

 だが、静香がまた心を寄せ始めているのを怜奈は敏感に感じ取っていた。


(この子たちが、もう一度巻き込まれたら……)

 そう考えると、胸が締めつけられた。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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