第1話「物静かな隣人の秘密」
東北のとある田舎町。
町から少し離れた自然豊かな場所に、宮野一家が住んでいた。
宮野圭介37歳と、その妻怜奈33歳。
そして、2人の娘である伽奈13歳と静香4歳の四人家族である。
宮野家は新築で、学校に通うにも便利な立地だった。
圭介は若くして地元工場の課長職に就き、安定した収入を得ていた。
見た目も爽やかで優しく温和ながら、仕事には人一倍の情熱を持っており、最近は仕事で家を空けていることが多い。
また、妻である怜奈は家事の傍ら、在宅で翻訳の仕事をしている。
子供2人を産んでいるが、モデルのような美しいスタイルを維持しており、周囲でも噂の奥さんだ。
経済的にも恵まれており、宮野家は何不自由ない暮らしをしていた。
圭介たちの家の隣は、大きな敷地を持つ立派な家屋が建っている。
一条家と書かれたその家には、一条ではなく大根太という30歳の男性が1人で暮らしていた。
元々は一条幸吉と、その妻である三津子という高齢の夫婦が住んでいたのだが、三津子が3年前に亡くなると、幸吉も後を追うように1年前に亡くなった。
大根太は、幸吉と美津子の孫に当る。
三津子が亡くなり悲しみに暮れている幸吉を心配した親族が、都会で仕事やバイトを転々として暮らしている太に、戻って来て幸吉と一緒に暮らすように勧めた。
太もまた、祖母の三津子が亡くなったことにショックを受けており、このままでは祖父である幸吉まですぐに体調を崩してしまいそうだと感じ、親族の勧めを承諾して、一条家に引っ越して来たのだった。
帰って来た太は、料理や掃除、洗濯などの家事全般を引き受けてくれ、幸吉のことを支えていた。
だが、労働という労働はしていなかった。
家事や買い物以外では、部屋にこもってパソコンをいじっていることが多い。
一条家の広い庭の、草刈りや庭木の剪定をすでに90近い幸吉が1人でやっている姿を、宮野一家は何度も目撃していた。
「若いんだし働いてないみたいだから、幸吉さんの手伝いしてあげればいいのにねぇ」
近所の人たちは何度も噂をしていた。
まったく手伝わないわけではなかった太だが、それでも庭で作業をしているのを圭介たちが見たのは、ほんとうに数えるほどだった。
それでも、雪かきや太い木を切ったりする際など、大きな労力を使う作業には太も加わっていたようだ。
祖父と孫のそんな生活が続いていたが、次第に幸吉は年老いていき、病院へ入院すると、すぐにこの世を去ってしまった。
残った一条家はどうするのだろう、と宮野一家は心配していた。
だが、それからも一条家の大きな家には太が住み続けている。
町内会や地域の活動にも参加せず、ただパソコンをいじり、たまに幸吉がしていたように庭の草刈りや、太い木を切る作業などをするだけだった。
幸吉が進んで町内会や地域活動に参加し、地域の美化に取り組み、盛り上げようとしていたのとは、正反対の生き方を太はしていた。
圭介の家とは隣同士のため、庭先でしょっちゅう顔を合わせていたが、そのたびにお互いに軽い会釈をしたり、少し話をしたりする程度だった。
太は何をするでもなく、ただ庭にある大きな石に座ってボーっとしたり、2階のバルコニーから外の景色を眺めたりして過ごしていることが多かった。
「私の遺産はこれまで面倒を見てくれた孫の太に譲る」と遺言があったらしく、幸吉が残した遺産と広大な土地は全て太が受け継いだ。
かなりの莫大な資産を得た太は、ますます働きに出ることもなくなり、食べて寝てパソコンをいじる、そんな引きこもり生活を続けているようだった。
「太くん、あなたには遺産や土地がたくさんあるけれど、もっと外に出てみない? 幸吉さんみたいに、地域活動に積極的に参加するとか……」
近所の高齢女性は、ついにたまりかねて太に直接質問をぶつける場面もあった。
だが太は「そうですね」とか「考えてはいます」と、愛想笑いで返すだけで、地域の人たちの話が通じたような感触は全く得られなかった。
そんなある時のことである。
庭にいる太のところに、静香が1人で遊びに行ってしまっていたらしい。
怜奈が少し目を離している隙に、ずっと石に座っている太を見て、好奇心から静香が声を掛けたのだ。
「お兄ちゃん、何をしているの?」
「……こんにちは……。えっと、ね。鳥の声を聞いて、風の匂いを嗅いで、草花を見ていると、落ち着くんだよ」
「へぇー! そうなんだ!!」
静香は太が何を言いたいのかよく分からず、適当な相づちを打った。
太もそれ以上会話をするつもりもないらしく、またボーっと庭の石に座って景色を眺めていた。
静香がそんな太の横に座り、一緒に景色を眺めているところを母親である怜奈が見付けた。
「静香、もうこんなところまで……。大根さん、ごめんなさい。うちの娘が……」
怜奈が太に謝罪すると、太は少しだけ目を合わせるとすぐに逸らし、「いえいえ」と愛想笑いを浮かべた。
静香の好奇心は止まらない。
「お兄ちゃん、鳥ってどんな鳥? お花の匂いを嗅いでいて落ち着くの? お兄ちゃんは1人で住んでるの? 食べ物は、何が好き?」
「……えーっと……。どこから答えればいいかなぁ……」
「ぜんぶ!」
元気いっぱいの静香が笑顔で答えると、太も少し顔をほころばせながら答えた。
「わかった。じゃあ1つずつ全部答えるね……」
そう言って娘に微笑む太を見て、怜奈は胸が温かくなるのを感じた。
物静かでひきこもりがちの隣人。その隣人の始めて見せた笑顔に、怜奈は好感を持った。
それからというもの、静香は保育園が終わると毎日、一条家の広い庭に遊びに行くようになった。
彼女に連れられて、姉の伽奈も時折お邪魔することがあった。
太は一緒になって遊ぶことこそ少なかったが、庭にある石に座ったり、バルコニーから静香や伽奈が遊ぶ様子を、微笑みながら見守っていた。
迎えに来た怜奈は、娘が遊ぶのを見守ってくれたお礼に、とちょっとしたお菓子やジュースを太に手渡していた。
そんなことが続いたためか、静香と伽奈、特に幼い静香の方はすっかり太に懐くのだった。
彼女を通じて圭介や近所の人たちとのコミュニケーションもほんの少し増えてきた太。
「彼が外の世界に興味を持つきっかけになればいいね」
と圭介たちは話していた。
だがそんなある日のこと。
怜奈が回覧板を回しに、一条家を訪れる。
玄関のチャイムを鳴らしても太は出てこなかった。
(あれ? いるはずなのに……)
2階の窓は開いており、カーテンが風に揺られている。
彼がよく過ごしている部屋がある場所は、隣人であり、何度も静香を迎えに来た怜奈にはわかっていた。
庭を裏手に回ると、やはり彼は窓を開けたままパソコンを操作していた。
勝手に裏に回ったのを申し訳ないと思いつつも、静香はいつもこうやって声を掛けているらしいことを聞いたため、何気なくそうしてしまったのだ。
……が、窓から見える彼の部屋とパソコンの画面を見て、怜奈は驚きの声を上げそうになったのを抑える。
部屋には幼い少女向けアニメのフィギュアがいくつか飾られており、女性もののコスプレ衣装と思われるものが壁に掛けてあった。
そして……。
パソコンの画面にはセーラー服もののグラビア動画のようなものが再生されていた。
彼はヘッドフォンをして、それをジッと見ている。
だからチャイムに気付かなかったのだろう。
(な、なんなのあの衣装とフィギュア……それにあの動画……女子学生……?)
困惑しながらもバレないようにその場を立ち去る怜奈。
健全な成人男性であれば、グラビアくらい視聴するのは別段変わったことではないのかもしれない。
しかし、あのコスプレ衣装とフィギュアが強く脳裏に焼き付いて離れない怜奈。
(しかもセーラー服って……)
伽奈は今年から中学1年生。
年頃の娘を持つ怜奈としては、いくら趣味の動画とはいえ、心配になってしまうのは無理もなかった。
とはいえ、太がおかしな行動をしたわけでもない。今は全て怜奈の想像の中だけのこと。
それでもいろいろと考えてしまい、静香と伽奈にはおかしなことをされたらすぐに言うようにと言い聞かせ、娘たちが太のところに行くときには極力自分も付いていくようになった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!