第2話 アリスとアニス(後編)
「くらえ、妹よ!」
「なんの、姉様!」
アリスの水の渦が蛇のようにうねりながらアニスに迫り、アニスの炎の壁がそれを迎え撃つ。
水と炎が激突して凄まじい水蒸気が立ち昇り、処刑場全体が濃い霧に包まれていく。
「やるじゃない、アニス」
「姉様こそ、さすがです」
霧の中で、2人は互いを認め合うように微笑み、それから同じ言葉を発する。
「「さあ、決着を!」」
だが、2人の魔力が最高潮に達しようとした次の瞬間、まるで風船が割れるかのように、2人の膨大な魔力は霧散してしまう。
「アリス! アニス! この、ほんっっとうに、どうしようもないバカ娘どもがああっ!」
地響きのような怒声と共に、2人の母であるアメリア王妃が、鬼の形相で現れたからだ。
「「げえっ! お母様!」」
姉妹は息ぴったりに悲鳴を上げると、アイコンタクトで頷きあい、即座に転移魔法の術式を展開。
周囲にいたキルア族100名を巻き込んで、その場から逃亡を図った。
でも試みは無駄に終わる。
母であるアメリア王妃もまた、寸分の狂いなく同じ座標へ転移し、娘たちの前に立ちはだかったのだ。
キルアの巫女マツバはいつの間にか別の場所に移動させられたことに気づき、周囲を見回した。
そこは荒涼としたキルアの大地。
さらに目の前では立派なたんこぶを頭にこしらえ、涙目で正座させられている美しい王女姉妹と、腕を組んで仁王立ちする恐ろしくも美しい王妃、という奇妙な光景が繰り広げられていた。
すると呆然とするマツバの瞳に、新たな未来の断片が流れ込んでくる。
玉座に座り、凛とした表情で真下を見据えるアリス姫。
隣には逞しく成長した兄ヒイラギの姿がある。
それと戦場で、世界を浄化するかのような、眩い光の魔法を放つアニス姫の姿。
どちらも力強く、美しく、輝かしい未来。
(……視える。10年後の未来……アリス様もアニス様も……兄様も、生きている……?
ならば……あのディンレル王国滅亡の予知は……外れた……?
いや、元々あれは確かなものではなく、胸騒ぎに近い曖昧な感覚だった……そうだ、きっとそう!)
未来視の確かな感覚が、漠然とした滅亡の予感を打ち消す。
マツバの心に、僅かな希望の光が差し込んだ。
「はてさて、このバカ娘たちをどうしてくれましょうか?
1週間の食事抜きも、王都の路地裏への放置も、全く効果がなし。
……もはや牢に入れるしかありませんが、それでは牢役人の方々が心労で倒れてしまいそう。本当に困ったものね」
アメリア王妃がやれやれとため息をつく。
「アハハ、お母様、もう大丈夫です。私たち、ちゃんと反省しましたから! ね? アニス?」
「そうですそうです! 私と姉様の良い評判が、リュンカーラ中に鳴り響いているのを、お母様だって喜んで下さってるんでしょう?
わざわざ遠くからザックスだって訪ねてきて、立派な教会を建ててくださったくらいですし! ね? 姉様!」
2人の王女は懲りずにへらへらと言い繕う。
ちなみにザックス神官が噂の王女姉妹に実際に会い、彼女らのあまりの奔放さに数分で呆れて舌打ちしたのも、王都では有名な話である。
「まーったく! 口先ばかりで反省の色が見えませんね! よろしい! 決めました! アリス! アニス! あなたたち、反省しきるまで、今後一切の魔法の使用を禁じます!」
「「はあああああああああ⁉」」
「そ、それはあんまりです、お母様! 横暴にも程があります!」
アリスが悲鳴に近い声で反論する。
「ま、魔法……禁止……? そんな……そんなの……この世界、もう、いらなくね……?」
アニスはショックのあまり、背後にドス黒いオーラを揺らめかせ、世界を滅ぼしかねない危険な呟きをもらした。
「身から出た錆とはこのことです! 己の行いを、よーく反省なさい!」
アメリア王妃がきっぱりと切り捨てると、両姫はがっくりと両手両膝を大地につき、項垂れてしまった。
王妃は自由奔放すぎる娘たちの将来を深く案じ、時に厳しく接することで、彼女たちが力に伴う責任を自覚することを願っているのだ。
「あのう……よろしいでしょうか? ディンレル王妃」
沈黙を破って声を発したのはマツバの後ろで事の成り行きを呆然と見守っていたキルアの戦士、マツバの兄、ヒイラギだった。
「あら? 巫女だけでなく、戦士の方も一人、意識を保っていらっしゃったのね。結構なことですわ。して、何か用かしら?」
アメリア王妃は優雅な微笑みを崩さずに応じる。
ヒイラギは故郷の土の上に片膝をつき、恭しく一礼してから言葉を続けた。
「……大変恐縮ながら……そのようなご家族の話し合いはできれば王都リュンカーラにお戻りになってから、お願いできないか?」
ヒイラギの隣で、マツバが(これだから空気の読めない兄様は……)と、深いため息を吐く。
(でも……)
マツバは兄を見た。
それから先ほどから兄と視線を交わし、頬を微かに赤らめているアリス姫を見つめる。
アメリア王妃だけが、2人の間に生まれた言葉にならない特別な感情の芽生えに気づいていた。
(……これは好機かもしれない)
マツバは意を決した。
「恐れながら、王妃様。一つ、提案がございます」
「申してみなさい、巫女マツバ」
「私と兄ヒイラギを、両王女殿下付きの『奴隷』として、王都へお召しいただけないでしょうか」
「「え? 奴隷はいらない!」」
マツバの意外な提案に、アリスとアニスは即座にハモって拒否反応を示す。
「まあ、待ちなさい。……奴隷、ですって?
ディンレル王国において奴隷制度は表向きはとうの昔に廃止され、現在は重罪人の刑罰か、政治的な脅し文句として形式的に残っている程度。
……それを承知での申し出かしら?」
アメリア王妃が訝しむように問う。
「はい」
マツバは力強く頷いた。
「お、おいマツバ」
「ヒイラギ兄様は黙っていてください」
と兄を制してから、王妃に向き直る。
「私はディンレル王国の滅亡を予知したとされる巫女。
その私が王国王都にて、あろうことか王女付きの、それも『奴隷』という最も低い身分で仕える。
人々は噂するでしょう。『ああ、あの滅亡の予言は偽りだったのだ』と。
そして不敬な予言をした報いとして、キルア族の族長兄妹が奴隷の身分に落とされたのだ、と。
これならば、アノス陛下も此度の戦果に不満はあれど、民衆への体面も保たれ、無下には扱いますまい。
形式上とはいえ、『奴隷』という言葉の持つ重みが、今回の騒動を収める方便となりましょう」
マツバの黒曜石の瞳は未来を見通すかのように、どこまでも澄み切っている。
彼女は先ほど視た、10年後の輝かしい両姫と兄の姿を確信していた。
ディンレル王国の滅亡は回避される。
ならば今は耐え忍び、未来への布石を打つべきだ、と。
「……なるほど。面白い考えね。いいでしょう、巫女マツバ、戦士ヒイラギ。その提案、受け入れましょう。
あなたたち兄妹を、アリスとアニス付きの者としてリュンカーラへ迎え入れます。身分は……そうね、表向きは『奴隷』としておきましょうか」
アメリア王妃は思案の末、決断を下した。
ヒイラギとマツバは深く頭を垂れて決定を受け入れた。
「ただし!」
王妃は付け加える。
「あなたたちの役目はこのバカ娘たちの監視役です。2人がこれ以上、無茶なことをしないよう、しっかりと見張ってちょうだいね♪」
「「うへえ……」」
アリスとアニスの気の抜けた返事が、荒涼とした大地に響き渡る。
こうして、キルア族の族長兄妹が側仕えになることを条件に、2人の王女の魔法使用禁止令はひとまず回避されることとなったのだった。
そんな一部始終を、遥か上空から見下ろす影がある。
ただ風に乗って一枚の絹織物が、ひらり、と静かに舞い落ちていった。