29-5.閑話 1951年 レーヴァンの雇い入れと組織として立て直し・その他
ロイヤル・サブリン級戦艦の人員は第二次大戦中、正式に英国軍に軍属として任務にあたっていたが、戦争終結に伴い解散か傭兵組織へと要求され、傭兵組織レーヴァンと命名しミグラント国の国営企業として設立する事となった。
戦死者だけではなく定年退職者が増えたために追加での雇用を考え、数的主力として退役したドイツ軍人を雇入れる予定であったのだが、政治的問題もあり1500人もの傭兵を旧ドイツ軍人だけで構成する事に英国政府からストップが掛かる。
「旧ドイツ軍人だけでそれほど大規模な傭兵団設立には賛同できません」
「何か起きないとは断言できず、ある程度英国人が指揮立場にあったとしても政府として容認は難しい」
英国政府が主張するのは当然のことであり、兵卒や運営に問題がないとしても戦後6年で大規模な師団規模は困る。2000名の兵士に対し、補給や事務などを後方を支える人材を含め1万人を超える大規模な企業となると、そのほとんどがドイツ人となるのは第二次大戦の傷と記憶が深すぎた。
「それでは、他国の人材と合わせ3割で収まるようにいたしましょう」
条件としては総数の3割であるとしたことで英国政府から許可が下りるのだが、英国や英国連邦から残りの7割を産めるのは難しい。戦後で人手不足が激しい為に退役軍人とて本来の仕事に戻り、連邦は現在独立に関して政治的混乱の中の為に不可能であった。
そして今まで人的主力でありながらも、英国連邦軍の一員としてロシア帝国時代から徴募され働き続けていたスラブ人を再び雇う方針を選ぶことになる。
世界的世情では冷戦に入りつつあるために本来であれば難しいのだが、スターリンはベリアに対して不信感を持っていた。また、ベリヤの性的無分別さの蓄積によって政府に対する苦情も多くあり、ある程度は黙認・黙殺できると言っても限度がある。従順な死刑執行人ともいえる立場とはいえ、現政権にダメージを与えるだけの問題行動をいつまでもそのままというわけにはいかない。
粛清とまではいかずまずは権力を奪い左遷をするための情報集めなどを考えている時期であるため、それにはなんであれ情報が必要であった。むろん捏造など簡単にできるのだが、実際の情報があるに越したことはない。
西側の英国連邦に所属しているミグラント国であるが、旧来の伝手として変わらぬロシア帝国時代の契約更新、つまり年収の10%を支払い続ける為に、支払い方法を含めた取り決めと確認の連絡方法があった。
その伝手による連絡によって英国にある大使館での面会だけではなく、ロシアへ直接赴き港町で直接外交官と面会となる。
「男女問わぬ1000人程度の自由な雇用、もちろん軍人や職工人ではなく農民や無学の者を主にしますが」
「1000人ですか。 確かに変わらぬ10%としても、それだけの人数となれば相応の金額になるでしょうな」
積み上げられた賄賂の目録と共に担当官は大規模な徴募にどうしたものかと考える。決して悪い取引ではなく、得られる利益と自らの功績を考えれば留めずスターリンまで情報が上がるルートで上申したほうが良い。
「情報は上げますのでそれまで滞在していてください。 なに、一月は掛からないはずですよ」
ホテルに案内され滞在する事になったのだが、暗殺とまではいかないものの好意的とは言えない視線や軍人が常に周囲を監視し、護衛であるアンバーが不快ながらも役割をこなしていた。
「レヴィア様、あまり状況がよくありません。 警戒をしておりますが、念のため一旦帰国する事も考えられてはいかがでしょうか」
「この程度気にしていては、ソヴィエト相手に外交などできませんよ。 悠々と待たせて頂きましょう」
交渉としてソヴィエト連邦を訪れ滞在しているのだが監視が緩む事はない。それでも東側筆頭のソヴィエトで行動できるだけ、第一の情報提供によって相応に優遇されているのだ。
一週間の滞在の後、政府から別の担当官が一度途中経過の通達に訪れる。
「情報の真偽を確かめており、さらに数日の滞在を許可する」
諜報機からはすでにスターリンの元に情報が届き、真偽を確かめられ人員の処分が実行されているのだが、情報を得ても報酬を支払おうとするそぶりもない。正確には対価ではなく労働を行ったがゆえに権利を認めるのだが、特定の担当者が自らの功績だと工作をしている最中である。諜報機があらゆる場所に入り込み、十数人にもわたるサボタージュ及びスターリン暗殺及び排除計画を取引材料としていただけに、ほんの一部だけでも自らの功績として盗むだけで新たな役職に仕えるだけの情報量であった。
人を信じないスターリンであったが、情報の正確性と事実サボタージュ及び政治資金の横領、そして一部ではあるがスターリン暗殺計画が成されているなどが確定し、立場上労働を行った報酬を出さなくてはならなくなった。
もし報酬を出さなければ、それは自らの政権において正当な労働に対する成果に対してなにもしないということになってしまうからだ。あくまでスターリン主義とはいえ正当な労働に正当な報酬が与えられるのは当然であり、もちろんそれはスターリン主義による評価指標の中ではあるが。
「徴募の許可がされた。 事務所はこちら指定の場所となる」
3週間の待機の後に正式な担当官により許可書面が回され、1000名の自由な徴募、ただし軍人・高度技術者・優秀な学生を除くとされた。あくまでいくらでもいる代わりの効くタイプの人間のみであり、そして徴募に関しても広報などはソ連政府を通してのみと厳しいものである。
内務人民委員が何かをしようにも、現在ベリヤはスターリンから厳しい眼と叱責を受けて左遷寸前の状態であり、内務人民委員会もスターリンからその実情を厳しく問いただされている為に動けないでいた。
町や村を回りながらというわけにはいかず、指定された町と村において監視された移動手段を持って行動が定められてもいる。
該当地区で徴募の連絡が成された後、各市町村などの講堂に来るのは海外での徴募でも20歳になる前であり高度学問を学ばず働く若い男がほとんどである。それ以外となるとベリヤの暴挙を恐れ、まだ6歳にも満たないが目鼻立ちが整い将来美しくなる可能性がある娘を持つ一家であった。
「一家全員ですが雇っていただけるでしょうか。 子供も簡単な仕事をさせますので一緒に連れて行きたいのです」
いくつもの一家が逃げるように雇われることを希望し、そして監視役や担当官は気にする素振りもない。それでもレヴィア伯として雇うことに何ら問題はなく、子供であろうと一家全員が働くのに理由があろうとも仕事はある。もちろん相応に賃金は大きくばらけてしまうが。
そして護衛のアンバーは状況を察してはいるが、立場上何かできる事はない。あるとしたら雇われた後に女性には身を護る為の訓練を付けることくらいだろう。
「女子供でも仕事はありますから、家族全員を雇い入れをしますよ。 兵士の住む施設の運営人員も大量に必要ですからね。 掃除炊事洗濯に経理書類や物資輸送まであらゆることがありますから」
少なくとも、一つの傭兵組織を回す為には兵士を補助する事務作業や後方運送などすることはいくらでもある。正面活動を行う人員も必要であるが、その倍以上の人員が裏方で支える為に必要なのだ。のちには、レーヴァンの傭兵に所属している女性はスタイルも良く美しいが強く恐ろしいと伝わり、裕福層の女性護衛官として多く雇われる始まりはスラブ人女性が主となった。
ロンドン
大戦中は輸送船なども動かしていたのだが、組織として独立する以上全て自前で用意しなければならず、さらに法務関係でも人手が多く必要となる。
港にほど近い場所にあるビルを一棟借りを行い、初期立ち上げに向けた設備や人員の用意をしている
幸いなのは英国政府と英国王立軍の理解があり、第二次大戦で余剰となった兵器であるのならば、再整備済み品を回してもらえると話がついていた。
あくまで歩兵装備ばかりであり、戦車は含まれずハンバー装甲車が少数回される程度の軽装備なのは仕方ない。ミグラント国の大使館にて雇った人員及び組織のとりまとめは順調であった。
「子供達は7日の内1日だけ掃除の仕事、それでよろしいのですね?」
秘書官はロシア帝国時代である1903年に家から逃れるように働き始めた一人であり、まだ10代中頃であったが1951年にもなれば60代になった。同じく雇われていた英国籍の軍人と結婚し国籍も変わり孫もいる立場なのだがいまだに働いている。
7か国語を読解し10カ国の風習に詳しい為、時折英国外交部から協力を求められるほど優秀なのだが、それでも当時の恩を感じてミグラント国の大使館で働き続けていた。
「子供などそのくらいでいいのです。 学び体験し成長したのちに、国に帰らないのなら、それから正式に働けばいい。 今は親の善意による働く事を対価とした保護なのですから」
子供の為に生まれ育った国を出て戦場と関わる職場で働く事を選んだ両親、見捨てるには情が強く重用すれば必ず味方になりえる人材であった。
「私から声をかけ、3人には復職するよう話しております。 言語習得について職務に当たってくれるとのことです」
当初は5人いたものの1人は病死し4人が存命、現役は1人だけであるが残る3人も子育ても終わりのんびりと暮らしているが、変わらずロシア語を含め3か国語に堪能であり、呼びかけで再雇用する形でロシアから来た人たちの応対と言語習得に務めるよう秘書官が話を付けていた。
最低でもロシア語・独逸語・英語の参加国が堪能でなくては仕事にならない。それが多国籍である傭兵組織に求められる言語技能であった。
退役英国軍人の中からも700名の参加者がおり、叩き上げられるように厳しい訓練は行われず、ミグラント国の流儀に則り朝から昼まで徹底的に運動を伴う鍛錬を行わせ、午後は嫌というほど学問と軍人思考を叩き込む。追い込んだ分3食をしっかりと食べさせ、泥のようにしっかりと眠らせる。まず体と知性がしっかりとしなければ兵士として暴走し問題となってしまうからだ。
心身が出来上がってようやく正式な新兵、半年は訓練を施すが今回は船舶については輸送船のみであり、戦艦や巡洋艦などは配備されることはない。
英国から700名 独逸から900名 露西亜から900名、以上が傭兵としてレーヴァン始りの人員であった。
閑話の2 英国自動車企業
1954年 英国自動車企業
英国本土ではミグラント国の印象というものは貧民・軍を除けば一般的に英国連邦に所属している国家程度の認識しかない。連邦に所属はしていても旅行客などは開放していないために訪れる事も出来ず、内情などさっぱりわからないというのが評価であった。
同じ白人系国家程度は誰しも知っているが政治も世情も特産品も不明、ただし技術という意味では先進的であると軍事面から気付き始め、富裕層や貴族の中ではミグラント国から技術購入について話が出ていた。
そんな中でも車両に関してミグラント国は時折英国から購入しており、国家が独立してからMGが主な取引相手としていた。年に50台程度とは言え大衆車からスポーツにトラックなど、一般車両の売り上げの一部を毎年賄うほど、ライセンス権利の購入と共に関係はあった。
「申し訳ありません。 どうやらエンジンが壊れてしまったようで」
「気にはしていませんよ。 代車もありますし、屋敷を出てすぐでしたから」
英国内を移動する際は英国で購入した車を利用しているものの、しっかりとメンテナンスをしていてもやはり突然の故障をしてしまう。不安定な品質によるエラーはどうしようもなく、雇われている運転手や整備士が手間暇をかけてもどうしようもない。
少々使い勝手が悪く高い故障率の問題、これは技術の発展と共に落ち着いてくるのだが現状ではどうしようもなく、仕方なくミグラント国の自動車企業を立ち上げた。国有企業であるために株式などないが、ミグラント国から持ち込むより印象は良い。何より英国からライセンス購入したり戦時製造で得た技術によって、進み過ぎていない車両の製造範囲は把握できていた。
自動車企業 NightMare
他の自動車企業にとって悪夢となるようにとの思惑もある。安定性と実用性だけを追い求めた企業。
・壊れにくいエンジン
・丈夫な足回り
・規格化され同社製ならば簡単に交換が可能な各部品
中型乗用車2種 中型トラック1種、どれも広報を行わずに販売を開始したためにスタートは極めてゆっくりとしたもので生産数も多くはなかった。そして工場で雇った職人もほとんどが軍で車両整備などを行っていた退役軍人ばかり、車両も色気やデザイン性など捨てた効率と実用性を求めた直線構造であり、大衆車として好かれはしなかったものの、小規模企業や個人企業などでは頑強さと安価なことから最初は少数から売れ始める。
「なんつうか、軍用車の趣があるな」
「そうそう、飾りっ気が無くて丈夫で。 どこか懐かしい」
最初に購入されてから口コミと価格、そして壊れにくさから徐々に広まり、一般的な修理工場でも歓迎される簡便な修理手順は業務用として一部では高く評価されていた。
その中で製造した車両のトラックは工場で使う資材の購入などにも使用しており、働いている人達からなんとなく好評であり安い価格でもある事から販売当初から売れたのはトラックばかりであり、それも取引先の業務用などであった。
荷台は極めて丈夫な上にワイヤーやローブなどが掛けやすいフックリングが多い、その為に工場や建設現場への荷運びに使いやすくことが評価されていた。もちろん他社製トラックでもオプションやあとからの改造でどうにでもできるのだが、元からあるのに越したことはないし、荷台の強度規格が軍用車トラック並みという信頼性も大きかった。1年ほどでNM社と関わりのある中小企業では購入されるなど地道に販売は広がり、乱暴に扱っても壊れない荷台と調子が悪くなりにくいエンジンは好評で受注生産であるのだが日々製造作業に忙しくしていた。
そんな状況で主にトラックが売れているという中、ロータス・カーズが直接取引の求めて来社していた。企業同士の取引は予定外であり、そもそも英国で信頼性が高い自動車が販売されれば撤退する予定の企業であった為だ。
「NM社の自動車を拝見しまして、そのエンジンの売却をして頂けないかと」
NM社で働く従業員が自社製乗用車を購入し、たまたまロータス社の人間と知り合いであった。NM社の乗用車に興味を持ったことで少し乗り回しエンジンだけの購入は出来ないかとの話であった。
地球の企業でも自動車の一部部品を自動車企業間での共用することで、価格低減やメンテナンスコストダウンが行われること多くあり、機関部となるエンジンさえも共有化が行われている事であった。
経営部からエンジンについて技術部へと確認を取ったのだが。
「難しい要望です。 心臓部となるエンジンは特に製造時間を要し、ご存じの通りもっとも生産コストもかかっておりますので」
NM社の技術責任者は許諾を出せなかった。ミグラント国からライセンス生産許諾を受けた技術を利用し製造している車両、限定的ではあるが守秘義務もあるので心臓部のエンジンは信頼できる製造技術者チームに組み立て作業を任せてもいる。
そして厳しい組み立て手順順守と異常ともとれる製造・品質管理によって選ばれた高精度の部品、そのため故障しにくく始動しやすいエンジンとなっている事を理解しているからこそ、よほどの条件ではない限り受けられるわけはなかった。
地球において英国自動車企業のロータスは複数回の買収を受け傘下企業として生き続けた。その為経営体制はさほど良い企業とは言えず、この星のロータス・カーズにおいても経営陣は趣味的な人員がやや多く、のちに新たに雇われた質が悪い役員に振り回される傾向が見え始めていた。
そのような企業に対してエンジンの売却をする理由もなく、ロータス・カーズからの強い要望をミグラント国が筆頭株主となる事を条件に出す事で断りを入れる予定であった。
しかし半年近い交渉の結果としてミグラント国がロータス・カーズの株式51%を保有する事で、傘下企業とはせずNM社と提携企業として乗用車用とトラック用の2種のエンジンを供給する事が決定した。どうしてもエンジンを採用したいロータス・カーズ側が筆頭株主というハイリスクを背負う事を選び、そこまで選択されてはミグラント国側としても折れるしかなかった。
元よりNM社としても会社の規模を大きくするつもりもなかったことから、車両の販売数を抑えエンジンの供給率を上げるために製造技術者育成へと向かう。しかしNM社のエンジンは特別馬力が高いわけでもなく、燃費も優れているわけでもない。ただ壊れにくく始動性が良いので一般車両としては高い評価を受けていただけに、ロータスにおいてもエンジンだけは壊れにくいと称されるようになる。
1986年頃、様々な販売方針の失敗によってロータス・カーズは資本力の低下からGM社の参加になるように株式の大幅な買い付けが行われている。もはやミグラント国が持つ株式以外はほぼ失い、ミグラント国が持つ中でも10%も売却をすれば米国企業GMの傘下となる状態となった。
「如何でしょう。 提示した金額で株式を譲っていただけないかと」
GMからなされる相場よりも高い購入価格の提示、94年に発表され95年発売のロータス・エリーゼ111は高い売り上げを出した事でなんとか経営危機さえ乗り越えているものの、現在においてははっきり言って企業体制も売り上げも最悪でしかなかった。
「ミグラント国として売却はしませんよ。 大事な英国企業ですので、海外資本化には賛同できません」
しかし英国資本でなくなるのは惜しく、度重なる交渉に折れる事がない動きに利がないとGMも判断し、GMからミグラント国が追加で20%の株式を購入することで今回の買収の話は終わった。
ただし、GMから買収を仕掛けられるほど経営体制が惰弱というのは問題があり過ぎる。筆頭株主が持つ権利として企業体制の改善に向け、厳しい監視と役員の再評価などを行うと株主会での発言に経営層は悲鳴を上げた。
販売網の立て直しに営業ルートの構築、労働者とのストライキへの対処などすることは多い。英国政府としても自国自動車企業が海外資本化するのは好ましくもなく、ロータスNMとして再出発を政府として中立であるために歓迎こそしないものの問題ともしなかった。
NM社との本格的な業務提携と態勢立て直しが始まる。
高級車1種とスポーツ車1種を除き他車種の部品共通化及び品質の安定化を推し進め、新たなデザイナーと民間に好まれる物を調べ、何よりも品質の向上による顧客への信頼を優先とした。
ミグラント国が株主として得られる配当の8割を社員の福利厚生へと回すと社内に発表し、車種の限定や業務改善への理解を求めた。
誰よりも最初に身を切ることで改善を求める方法にある程度の理解を得る事できたが、やはり管理層である役員などは身を切る事を否定している。
確かに厳しく難しい会社の方針決定は高額な報酬でしかるべきであるのだが、実績を上げられず経営を悪化されている状況で高額の固定報酬というのは一般社員からすると評判は宜しくない。
体制を整え直すために、筆頭株主として第一に行ったのは役員報酬の大幅なカットであった。
「役員報酬の大幅カットなど受け入れられん!」
「そうだ! そのような無理な提案をなさるのなら退職を考えさせていただく!」
「退職を望むのでしたら止めません。 企業として健全な利益体勢があってこそ社員を守る事が出来ますので、満足頂けないのでしたら残念ながらお別れになるのも仕方ないかと」
極端ではあるが、現状の経営に直接かかわる役員たちが報酬に不満を持って全て退職したところで、ミグラント国として一切困ることがない。
小規模自動車メーカーとはいえNM社で真っ当に働いている役員を派遣すれば問題はない。変わらず継続しているNM社の自動車生産量は全車種を合わせても年100台にも満たないが、色気はなくとも壊れにくくメンテナンスも簡便なことから業務用などでは一定以上のシェアがあり、販売車種を搾り業務用のみとしている中で少数のコアな人達からは業務用車を一般利用もしている。
NM社の雇われ社長や役員も企業規模からみれば給料は若干安いが、それでも移籍することなく働き続けてくれている。極めて健全な企業体勢を維持できる人材は貴重であり、そして健全な企業体制だからこそさほど高くはない給料でも長く落ち着いて働く事が出来ている。親子そろって働いている人材もいる事から、会社としては小規模でも社員の帰属意識は非常に良い。そこから健全な経営を出来る人材を持って来るだけなのだ。
入れ替えるだけで止める事もしないと役員たちは理解し、役員報酬の減額を折れる形で受け入れた事でロータスの筆頭株主として恨まれているものの、もちろん実績を出している為に報酬が減らされていない役員も居るため、問題としては成っておらず会社内での中層以下の評判は非常に高い。
形が見える見えないではなく実績として会社の業績を伸ばす、それが出来てこその役員だと一般的社員も理解できるからだ。
上層部の役員報酬を削った分は、毎年顧客満足度が高い営業マン数名と高い品質を誇る製造チームにはロータスの業務用車か中流車を報酬として提供し、私生活でも広報となるように使用してもらう。
数年続く評価の中で二台目となると一台目との交換になるのだが、実績を上げれば正当に認められ報酬が得られるというのは意欲へと繋がる。まずは自国民に選んで買ってもらえる車であるべきということを忘れてはならない。
「聞いたか? 常務がやらかした話」
「あぁ、横領紛いの無記載領収書を出そうとして警告されたそうだ。 次やらかした時は懲戒解雇だとよ。 その場合退職金も大幅カットだとか」
「良い様じゃねぇか。 会社の金は全社員の金なんだ。 横領なんて盗みと同じだろうが」
会社や製造工場では変わらず不定期に入る監査に管理職は怯え、仕事終わりでは労働者は飲食店で上司たちを話題にして食事をし、少しだけ気を吐きながら翌日の仕事のために疲れをとっていく。
「そいやこの前提出した効率化案、通らなかったがちょっとした報酬が出たんだ。 ほとんどが嫁の服代に消えちまったが、まぁ喜んでくれてよ」
苦笑しながらも一人の労働者が予定外の報酬が出た事で、奥さんが喜んでくれたと同僚に話す。
「そりゃいいな。 俺もいくつか思い当たるのもあるし、アレやれば少しだけ組み立てが楽になるな」
「楽より時間短縮じゃないか? しっかし何か案をひねり出してみるか」
「「「ほとんど嫁に持ってかれるけどな!! はっはっはっは!!」」」
笑い話種に酒と料理へと彼らのストレスと疲れは消えていく。
作業効率化案は社内で公募され、それをさらにブラッシュアップしたり参考にすることで採用されることもある。採用されなかったとしても良い案であれば少額の報酬は支払われ、モチベーション・品質・効率を上げられる事を重視していた。
コストカットは大事な事だがリスクが大きく、現場を知らない人間による無理なコストカットになりやすいだけではなく品質で問題が発生しやすい。作業している人達が実体験として自ら無駄と判断し、さらに第三者が調べ上げる事で質や効率を下げる事がないかと判別を行う。
その為着実にエラー品を減らしつつコストダウンが続き、品質の向上と共に小さく着実に利益率が上がり始めている。
そして利益率が上がれば社員に還元を行う。筆頭株主として要望書を直接読んだり、入り込んでいる調査員に調べてもらったりすることで情報を精査し、何が特に必要とされもっとも高い結果が望める物を実行する。
「以上の事から食堂の食向上が現状の要望の中で最もモチベーション向上に繋がると」
調査グループからの報告により、筆頭株主として企業側に提案する案件として纏め上げるには十分であった。
「ご苦労様でした。 それでは強く提案を出しておきましょう」
利益として確実に出ている為、利益還元の為社員の要望なども出している中で行動はすべきこと。要望書として食堂の料理の種類を増やして欲しいというモノが比較的多かった。元々工場に併設されている食堂は料理を選択式かつ無料で利用できることから好評ではあるのだが、それでもやはり種類が欲しいというのは食べる側としても当然であった。
社員還元を行う為地元で他国の料理を出す店を開いている個人店数か所に声をかけ、食堂の拡張と共に料理を作ってもらえるよう話を持っていく。地域と密接しておかないと工場や作業員のことで何か起きた場合にクレームや撤退運動になりかねない。少しずつ着実に理解してもらう為にも、地域とは密接に関わり利益を回さなくてはならない。
「それでお話についてなのですが、週に一日かつ2品ということでしたら、受けられるかと」
「えぇ、それで構いません。 社員の為にお受け頂きありがとうございます」
工場近くので個人の料理店を開いている数箇所に何度か交渉を兼ねて訪れ、工場の食堂で料理を作って貰えるようにとの取引は完了し、工場の食堂の全品物ではなく複数ある中かいくつか品物を選ぶ選択式の中の2品を担当してもらった。
日替わりであるために5の店に週に1日ずつの異なる味の料理も変わり、広報もある為気に入った従業員は仕事終わりや休日に店を訪れるなど地元への還元も成される。
地元の理解あっての企業。企業が盛り上がり地元へと金銭が還流するよう配慮し、撤退した場合は困るように深く深く根差す。もちろん不正や賄賂などではなく極めて真っ当な方法で、地元と密着した優良企業として立ち振る舞わなければならない。
94年にもなると地球よりも早く販売が開始されたロータス・エリーゼの系譜は国内外で評判が高く、地元の協力もあり工場設備の改善と共に若干の拡張が行われ、生産量を上げつつも品質維持のために尽くした。
それから社会が若干の不景気となっても、地力の強さ及び地元の協力もあり企業として保ち続け、赤字決算となった際には一部の役員から新設工場との合併による地元旧工場撤退について案が出るも地元の維持を選んだ。
いくらか企業としては正しくない判断であるが、地元と一丸となって広報活動やイベント招致などでなんとか車種の人気を取り戻し、翌々年には再び黒字経営と返り咲いた。地元の雇用と経済を守り地元に生かされる、大企業の立ち振る舞いとは言えないがそういった優良企業として2000年以降もロータス社は生き続ける。
95年以降、レヴィア伯として使用するために外装と内装のカスタマイズとメンテナンス契約を結び、エリーゼ111が2台常時整備された状態でミグラント国の大使館に置かれている。王宮や政務で議事堂に向かう際に自ら運転し、一部層ではレヴィア伯はロータスのエリーゼを愛用していると知られていた。
時折、レヴィア伯が乗るエリーゼと同様の外・内装カスタマイズを受けたエリーゼ・NMタイプは少数が販売され、一部コアな層には受け入れられ受注限定製造される程度には人気を誇る。
00年、NM社は新規車両製造停止が決定し、人員の募集が停止し販売された車両の維持メンテナンスだけと方針が決定された。元より不安定かつ信頼性の低い車両がほとんどであった為に立ち上げた企業、民生車両でも信頼性が置けるのなら会社として運営していく理由がミグラント国としてなかった。エンジンについても信頼性を保証していた品質管理など他企業でも当然に行われており、ライセンスによって守秘義務の発生していたエンジンの企業秘密もすでに技術がとっくに追いつき守秘でもなんでもなくなっている。
最後として設計技術者達は、癖も色気も何もない実用性だけに積み上げた技術の全てを注ぎ込んだNM社の最後のコンセプト車両として Bad Dream を発表した。
製造効率を最優先とした直線主体で製造された車体に、壊れにくく長年の実績のある 2.5リットル6気筒直列ディーゼルエンジン を積んだ作業用トラック。
内装も汚れた作業服などでついた汚れが落としやすい材質と、掃除機や雑巾などで汚れが除去し安い作りに頑丈で破けにくいシート。
荷台はワイヤーやロープ用の丈夫なフックリングが計算され尽くされた場所に複数備え付けられ、雨水がたまりにくく丈夫な構造、見た目はかなり悪く不格好であるために乗用という意味では否定されるばかり、実用性以外をかなぐり捨てたような作業用車両であった。受注生産であったがそれなりに売れ続け、その後2020年には車両メンテナンスもBAE社の一部門に売却しNM社は終わりを告げた。




