エピローグ
「人間の仕事量じゃないだろ」
四日ぶりに出勤したギルバートを迎えたのは、書類だらけの執務室だった。
いまさら人間あつかいしろとは言わないが、机を埋めつくす紙山は異常だ。
ちかづくと、死角になった床に、散らばった書類をみつけた。
きっと山のひとつが崩壊したのだろう。
見なかったことにして、そばの窓まで歩く。
騎士団本部の三階、見上げる青空は、おだやかで平和だ。
「……帰りてぇ」
やる気がないのはいつものこと、きのうまで寝込んでいたために、今週はアンジェリカからの「おしごとがんばってください」が貰えなかった。
これでは何のために生きているのかわからない。
事実、生きているだけで殺されそうになる毎日だ。
休みといえば九割が療養、休み明け、竜騎士団員からのあいさつは「生還おめでとうございまーす」が定番だ。
着席しようとして、座面にも書類が雪崩れていることに閉口する。
げんなりと執務室をみわたせば、座れそうな場所は三人掛けのソファのみ。
息を吐き、とりあえずそこに腰を下ろす。
目の前のローテーブルにも、あたりまえのように書類の束がある。
それを手にとったところで、とびらがノックされた。
「入れ」
「生還おめでとうございまーす」
かるい口調で入室したレスターは、ソファのギルバートを見て、口元をゆるめた。
「団長。いまお手元にあるのは、『建国記念祭の警備草案』ですか?」
「ん? ああ、そうだ」
「……さすがだな」
レスターはつぶやき、昨夜のことを思い出す。
書類だらけの執務室、重要書類の置き場所に迷っていたら、エリオットからローテーブルを指示された。
首をかしげながら従ったが、どうやら最速でギルバートの目に留まったようで、その知略に感心する。
いぶかしげなギルバートに、レスターはにこりと笑う。
「何でもありません。それよりこちらの改定案にサインをいただきたいのですが、一点、ご確認したいことが――」
レスターが書類を差しだしたとき、とびらがガンとたたかれた。
ノックというより、なにかがぶつかった音だ。
「すいませーん! あけてもらっていいですか」
くぐもった声に、レスターはとびらをあける。
乱雑に積みあがった箱が、危なっかしく揺れていた。
「たすかります! ついでに何個か持ってください」
箱がしゃべる。
上の数個を取ると、ゼノがでてきた。
「あ、レスター先輩でしたか」
「おまえ、団長を使うつもりだったのか」
「そんなことより聞いてくださいよ。荷物をもって歩いていたら、皆どんどん上に追加していくんですよ! しかも落とすか落とさないか賭けてるし」
ゼノは口をとがらせ、箱をローテーブルに置く。
重い音とともに、ローテーブルがかすかに揺れた。
「下のふたつは書類です。それ以外は先輩方に置かれたので、いまから仕分けしますね」
ゼノは右肩をグルグルまわしてほぐす。
そして人懐っこい笑顔を、ギルバートに向けた。
「団長、生還おめでとうございます」
「おまえらそれ言うけど、知らないだろ」
「え? 今回は死にかけた休みじゃないんですか?」
「……まあ……そうだが」
「ですよね! おどろかせないでくださいよ」
ゼノは明るい声で、箱をあけていく。
「あたらしいインクは、デスク……のそばに置いておきますね。つぎの箱は……うわあ、団長宛てのプレゼントだ」
ひときわ大きな箱からでてきたのは、長方形のギフトだ。
きれいに包装され、赤色と水色のリボンで装飾されている。
「きづかなくてすみません。差出人は書かれていないし、だれから受け取ったのかも、おぼえていないです」
ゼノは肩をおとす。
個人宛の贈り物は、受けとらないのが基本だ。
とくに竜騎士団長であり、筆頭公爵家嫡男であるギルバートの立場を考慮すれば、受けとったことで、いらない騒動がおきる可能性が高い。
レスターは苦笑して、ゼノをこづく。
「やられたな、ゼノ」
「備品の空き箱につめるのはずるいです……。そういえば去年も、この時期はすごかったですよね」
「あらゆるツテとコネを駆使するご令嬢方のたくましさには、目をみはるものがあったな。まあ、どうあがいても、団長がエスコートするのは妹さんだ」
ギルバートの肩がゆれる。
ゼノは、え、と声をあげた。
「今年の建国記念祭は、出席なさるんですか」
「そりゃそうだろ。妹さんのデビュタント後の、はじめての公式行事だ。婚約者のいない女性は、兄弟がエスコートするのが基本だからな」
「へえ~、そうなんですね」
「ああ、それで確認ですけど、当日の警備に、ギルバート団長のお名前がありました。代わりにエリオット副団長が抜けていますが、これ間違いですよね」
そのとき、とびらがノックされた。
「ギルバート団長、いらっしゃいますか」
その声に、レスターが返事をする。
「エリオット副団長、ちょうどよかったです」
にこやかに扉をあけて、エリオットをむかえる。
「警備の改定案に、間違いが――」
レスターを押しのけ、ギルバートはいきなりエリオットの胸倉をつかんだ。
「……どういうつもりだ」
「ご確認後は、早急にサインを」
「発表前だぞ。調子乗ってんのか」
「待てというなら従います」
エリオットは淡々と告げ、ギルバートの手をひきはがす。
その手を引き寄せ、よろめくギルバートの肩をつかんだ。
「……公式発表は本日正午。それまでに、竜騎士団員への根回しを」
「――は?」
「無用な混乱は抑止すべきです。目的をはき違えば、守れるものも守れない。いいかげん、割り切ってお考えください」
エリオットは低くささやく。
言葉につまるギルバートを解放し、わずかにあごを上げる。
「先が思いやられますね」
ギルバートは奥歯をかみしめ、エリオットから顔をそむける。
踵を返してレスターに近づき、その手から書類をひったくる。
たちつくすゼノとすれちがい、ソファに乱暴にすわる。
静まった執務室に、筆記音がおおきく響く。
ギルバートはレスターに書類を突きだす。
そこには、ギルバート・ブレイデンのサインがあった。
レスターはまたたき、あわててそれを受けとる。
当惑しながら書類に目をやり、ハッと顔をあげた。
「――そうなんですか!?」
目を丸くして、ギルバートとエリオットをはげしく見比べる。
事態をまったく把握できないゼノが、レスターのうでをひっぱる。
「なにが、どうなってるんですか?」
「それは……」
レスターは首のうしろをかく。
ギルバートはふてくされて床をにらんだまま、許可なくレスターが口にしていいことではない。
エリオットはためいきをつく。
「ギルバート団長」
「……」
「お気持ちはわかりますが――」
「ふざけるな!」
ギルバートはたちあがる。
「俺の気持ちが――」
手近な箱をわしづかみ、
「――わかってたまるか!!」
振りかぶった瞬間、箱が破裂音をあげて発火した。
とっさに手をはなしたギルバートは、目を見張る。
炎は漆黒、床に落ちた箱は、溶けながら燃えていく。
「ギルバート団長!」
真横から腕を引かれる。
ふりむくと、エリオットに右手をとられた。
「ケガは!?」
返事をするまえに、表裏をたしかめられる。
ピリッとした刺激に、反射的に手をふりはらう。
「はなせ!」
「やけどをしています」
「すぐに治る」
「ゼノ、くすりを――」
言いさして、エリオットは止まる。
不審に思い、ふりかえったギルバートは、彼らの目線の先――床をみて絶句する。
燃え尽きた箱から現れたのは、一振りの剣。
折れた刃に、見慣れた剣柄――特注の魔石と、うつくしい装飾のような古代文字。
「……魔術剣」
ギルバートはぼうぜんとつぶやく。
「本物ですか?」
ゼノの問いに、ギルバートはうなずく。
さきほどの爆発は、怒りで濃縮された魔力が、魔術剣に一気に流れこんだために起きたものだ。
「ひろった人は、なぜ贈り物にしたのでしょう」
レスターの問いの答えを、ギルバートは持っていない。
「どこに置きわすれたんですか」
ギルバートはぎこちなくエリオットを見やる。
「……地下室に決まっているだろ」
「地下室?」
「すべて焼けたと聞いた……火をつけたのは、王家ではないのか」
「何のはなしですか」
「黒焦げ死体では判別がつかない! だからブラットリーだと――異形の証拠を隠滅したから、口裏を合わせろという王命だとばかり」
――現場は火災により、一切が焼失。焼け跡から、男性の遺体を発見。ブラットリーの生存確認がとれていないことから、彼であると断定。これは事故のため、ギルバートは証拠不十分で不起訴――。
王家からの通達は、いつもどおり一方的、便宜を図らえという意味にしか思えなかった。
ギルバートは融合と解離――イブリースと分離したときのことを思い出す。
魔獣の爪跡はすべて本体に残り、イブリースは無傷。
ではあのとき呼吸を止めたのは――死んだのは、だれだ。
知らず、こぶしをにぎりしめる。
やけどの痛みが、ギルバートを苛む。
みつめる魔術剣は、なにも語らない。
緑の匂いが濃い林を、二頭の馬が駆ける。
みじかい下草が生えた道は、遠乗りに最適だ。
木々を追いこし、こもれびを突っ切り、山のふもとにたどりつく。
眼前にそびえるのは国境の山、これを越えれば帝国領だ。
男は馬の足をゆるめる。
後続の栗毛の馬がならんだ。
乗騎する青年は笑みをうかべており、つかれたようすはない。
「休憩、いるか?」
「どっちでもいいよ」
「ならば登りきる。迎えが来ているはずだ」
「はーい」
かるすぎる返事をして、栗毛の馬がゆるやかな勾配を登りはじめる。
男は目をほそめる。
いまから向かうのは帝国領、男にとっては故郷だが、青年にとっては敵国だ。
客人の体で迎え入れるが、仲間がどういう反応をしめすのかはわからない。
「いいのか? 想い人がいると聞いたが」
皮肉気に笑えば、青年がふと空を見上げた。
つられて目をやった先、初夏にむかう空は、涼やかな碧色だ。
「いいんだ。――かならず、また会えるから」
歌うように告げて、青年がふりかえる。
笑う青年の瞳は、血のように赤い。