それぞれが果たす使命
うすぐらい地下に悲鳴がひびく。
ブラットリーが男に溶けこんでいく――いや、男がブラットリーに侵食されていく。
融合と呼ぶには、あまりに一方的な蹂躙だ。
男のかたちが溶けて、再構築される。
ねじれた双角、黒ずんだ肌、髪は白く変色し、いびつな翼が生える。
まるで爬虫類を人型にしたような姿だ。
異形は激しく首をふり、胸をかきむしる。
「すべてをゆだね、すべてをうけいれろ。高貴なる血に屈服することは、ひとの本能であり本質である」
唇が不自然に動き、ブラットリーの声を発する。
しかしすぐに白髪を振りみだし、おぞましい声で叫ぶ。
「――ぼくに従え、ダグ・ストーン。おまえの望みを叶えてやろう」
異形は頭をかかえて、うつむく。
いびつな翼が痙攣して、動きが止まった。
――いまのは何だ。
ギルバートは石壁にすがって立ちあがる。
見たことが、しんじられない。
人間が、悪魔のように他者に溶けこみ、異形となった。
――ブラットリーは人間だ。でも異形からは悪魔の気配がする。
奔放なイブリースに、魔界に連行されること数十回。
経験則から、ギルバートは「悪魔」か「そうでない」かを見分けることができた。
――悪魔を貸す? ずっと体内で飼っていた? 王族特有の能力か、術具か、それとも……。
さまざまな疑問が浮かぶが、なにひとつ確証がもてない。
しかしこれだけはわかる。
――あの異形を生かしてはおけない。
たとえそれが、ブラットリーを殺すことになっても。
ギルバートは全速力で飛翔する。
岩壁にとびつき、魔術剣をもぎとる。
手になじむ柄に魔力を流し、ふりむきざまに払う。
漆黒の残光がはじけて伸びる。
凶悪に膨張した刃を、異形の頸にたたきつけた。
みみざわりな音と火花が散る。
斬撃をうけとめたのは、無造作に上がる白銀の小刀。
異形の頸はつながったまま、赤い瞳がこちらを向いた。
「――むだだよ。この術具は、すべての剣技を防ぐ」
聞きなれた口調に、ギルバートは鉛を飲んだ気分がした。
「……ブラットリーか」
「意識下ではそうだね」
「ダグは死んだのか」
「まさか。勝手に死霊術士にしないでよ」
そう言って、異形――ブラットリーは小刀をはらう。
術具による凄まじい力、ギルバートは鍔迫りあいを避けて、飛びのく。
せまい地下室、天井に翼をうちつけて、バランスがくずれた。
ブラットリーは跳躍する。
飛行には貧弱な翼、だが落ちるギルバートよりは疾い。
白刃が突き出される。
ギルバートは魔術剣の刃先をからめて、横に捌く。
ブラットリーの体勢がくずれた。
がらあきの胴をねらい、魔術剣を斬り上げる。
白銀の小刀が割って入った。その尋常ではない速さ。
甲高い金属音とともに、ギルバートの剣を押しとどめた。
ギルバートは息をのむ。
渾身の力を込めるが、そこから腕が上がらない。
ブラットリーの剣技は稚拙だ。しかし鉄壁の防御に、なすすべがない。
ギルバートは刃をすべらせ、膠着状態から脱する。
すぐに後方に退き、間合いをとって魔術剣を構えなおした。
必死なギルバートに対して、ブラットリーは余裕だ。
高性能な術具もさることながら、彼は無傷だ。
ギルバートは一太刀ごとに体が重くなっていく。
右足を伝い、地面に朱い液体がしたたる。
ギルバートの残った体力と魔力が、いっしょに流れて消えていく。
術具がすべての剣技を防ぐなら――それ以外で勝つしかない。
視界の端で光るのは、手首に残った白銀の輪。
「――邪魔だ!」
漆黒の刃をぶつけて、横に一閃。
白銀の輪に切れ目がはいり、真っ二つに割れておちた。
ブラットリーは瞠目し、あわててギルバートに飛びかかる。
ギルバートは身を反転させ、部屋の中央まで翔ける。
空中で魔術剣を左手に持ち替え、右手首の輪を壊した。
動きながら斬ったために皮膚まで切れたが、白銀の傷よりマシだ。
地面すれすれに下降し、魔術剣で寝台の足を薙ぎ払う。
先端におもいきり体重をかけ、直立させて盾にする。
その陰に逃げこみ稼いだ数秒、左足の輪を剣先で突いて壊した。
「あとひとつ――!?」
寝台がこちらに倒れてきた。
ギルバートは刹那迷い、右に飛びだす。
そこにはブラットリーが待ち構えていた。
輝かしい小刀を手に、お見通しと言わんばかりに口角を上げる。
ギルバートは剣柄をにぎりしめ――。
「やかましい!!」
怒気をこめて、ブラットリーに投げつけた。
「ぼく、なにも言ってないけど!?」
ブラットリーは抗議しながら、飛んでくる剣をかわす。
すぐに小刀を構え直すが、ギルバートが懐に入るほうが速い。
ブラットリーは目を見開く。
ギルバートはにぎったこぶしを、異形の頬にたたきこんだ。
「――ざまあみろ!」
晴れやかに言い放ち、よろめくブラットリーをすりぬける。
落ちた魔術剣をつかんだ直後、右足首を引っ張られた。
傷からの激痛に体が固まり、その隙に引きずり倒される。
せまる床に、ギルバートは両手をついて、激突を回避する。
身をひねって足首をとりもどし、おおいかぶさってくるブラットリーに膝蹴りをかます。
「――触手みたいなマネしやがって!」
「怒っていいのは、ぼくだよね?」
ブラットリーはギルバートを組み敷く。腹に馬乗りになり、体重をかける。
ギルバートは不利な体勢から抜け出そうと、めちゃくちゃに暴れる。
「ギルくん、いい提案があるよ!」
ブラットリーは明るい声で、白銀の小刀をふりおろす。
とっさに魔術剣で受け止めたギルバートは、歯がみする。
避けるべきはずの、鍔迫りあいだ。
「言ってみろ、ブラットリー! 暇だから聞いてやる!」
上からの圧倒的な力に、ギルバートの腕はガタガタと震える。
ブラットリーは身をかがめ、声をひそめた。
「ぼくのものになるなら、なんでも言うことをきいてあげる」
「――は?」
「籠の鳥にしようというわけじゃない。まずは一日、ぼくの好きにさせてくれるなら、この実験を廃止すると約束しよう」
「悪魔お得意の“約束”か」
「知ってるんだ。じゃあぼくが絶対に約束を破らないことも、理解できるよね」
ブラットリーの笑う気配がした。
逆光で、彼の表情は見えない。
「さあ、どうする? 稀代の魔人。――断れば、腕をもらう」
ブラットリーの手に力が入る。
白銀と相殺され、魔術剣の漆黒が薄まっていく。
気合で魔力をぶちこむが、相殺の速度に敵わない。
血も魔力も不足して、ギルバートの目がかすむ。
白銀の小刀に押され、魔術剣がギルバートに接近する――敗北が、ちかづく。
ギルバートはおおきく息を吸い込んだ。
「――俺のすべてはアンジェリカのためにある! 貴様なんぞに渡してたまるか!!」
刃から漆黒の魔力が消失し、ただの金属にもどる。
白銀の小刀が、ギルバートの魔術剣をはじきとばした。
「だいじょうぶ、ぼくは主治医だ! 死なないように処置してあげる!」
白銀の小刀がぎらついた。
「――イブリース!!」
名に意を込めて叫ぶ。
悪魔は意を理解し、ギルバートから離脱した。
ふりおろされた白銀、そこにみずから二の腕を突き刺す。
魔人といえども生身なら、切断に至らないのは実証済みだ。
ギルバートは歯をくいしばり、柄まで二の腕を押しこむ。
驚愕するブラットリーの、手首を両手でつかみ、一気にへし曲げる。
ボキリ、と鈍い音がした。
強いのはあくまで術具。ブラットリーの手首ではない。
ブラットリーの手から柄が離れる。
ギルバートは二の腕から小刀を引きぬき、逆手のまま突きだす。
ブラットリーは反射的に利き腕をあげて、防御する。
悪魔と融合した体では、白銀は防げない。
祝福された刃先は、異形の腕を軽々と突破する。
ちぎれる肉片は盾にはならず、白銀の閃光が、無防備な喉笛を掻き切った。
ギルバートは立ちあがる。
駆け寄ってくるイブリースを手で制し、右足をひきずりながら数歩あるいて、床に腰をおろす。
差し向かいには、異形の魔人。
倒れた寝台に背中を預けて、ぐったりと座りこんでいる。
喉からおびただしい血をながし、首は不自然にかたむいている。
ブラットリーとも、ダグとも違う姿。
目に焼き付けるように、ギルバートはその姿を直視する。
うつろな瞳がギルバートをとらえ、ゆっくりとまたたいた。
「……」
ブラットリーの口が動く。
残った腕をかすかに持ちあげ、手をひらく。
そこにあったのは、虹をとじこめたアイリスクオーツ。
片方だけのピアスには、彼の血がこびりついていた。
ギルバートは腕を伸ばして、それを受けとる。
右耳につけると、三連のチェーンが揺れる感触がした。
無言でブラットリーを見つめる。
彼はまぶしそうに目をすがめ、ゆるやかに微笑んだ。
ブラットリーのまぶたが下りる。
血のような赤い瞳、その理由は永遠に閉ざされた。
彼の呼吸音に、笛のような喘鳴が混じる。
ギルバートは目をそらさない。
ブラットリーはちいさく息を吸って、呼吸を止めた。
ギルバートは最期まで見届け、目を伏せる。
急激に全身の力が抜けた。
『――ギル!!』
意識を失い、かたむく体をイブリースは抱きとめる。そのあまりの冷たさに、ぞっと背筋を凍らせた。
出血のせいで体温が下がっている。傷は深い。すぐに止血をしなければ。だが。
『よりによって白銀の傷ばかり! 僕じゃ治せない!』
ギルバートをかき抱き、イブリースは歯噛みする。
空間転移しようにも、行き先に迷って実行できない。
どこに行けば彼は助かる。
主治医はいま殺した。
ブレイデン公爵家に飛んだところで、彼を治せる人間はいない。
治癒魔術に長けた、ギルバートの絶対の味方など――。
『――エリオット!』
一介の人間の魔力を追うには、すさまじい労力が必要だ。
しかし彼とは「約束」を交わしたばかり。結んだ魔力をたどれば、彼のもとに飛べる。
『なんの因果だ!』
憎々しげに吐き捨て、清廉潔白な魔力のありかをつきとめる。
聖騎士は言わば天敵、乗り気もしなければ、嫌悪感しかないが、最愛の主の命には代えられない。
イブリースは地団太を踏んで、エリオットのもとに空間転移した。