交渉ゲーム
「どういうことか、説明しろ!」
「――そのまえに」
ブラットリーはしゃがみこむ。
黒い触手でぐるぐる巻きになったギルバートに、いつもどおりの笑顔で告げる。
「呼ばれると困るから、預かっておくね」
冷たい指がギルバートの右耳に触れる。
ギルバートは勢いよく顔をそむけ、すぐに通信術具に魔力を流す。
「――!?」
声を出すより早く、触手に首を絞められる。
頸動脈を圧迫され、ハクハクと口がうごく。
ブラットリーが通信術具を取るのがわかったが、なにもできない。
彼は見せつけるように、ギルバートの目の前でピアスを揺らす。
ぼやける視界に、白金のチェーンが煌めいた。
「ギルくん、引っかかりすぎ。魔力を流したら触手が活発になるって、すこし考えればわかるでしょ?」
視界が白く、音が遠い。
ふざけるなと怒鳴りたかったが、酸欠で意識が落ちた。
見覚えのない石の天井に、ギルバートはいぶかしげにまたたく。
「ギルくん、おはよー。七分十六秒、気をうしなっていたよ」
のぞきこんでくるブラットリーに、ギルバートはハッと息をのんだ。
起き上がろうとして、ガシャンと腕がひっぱられる。
のけぞるように確認すると、白い手枷をされていた。
手首に嵌る輪は鎖でつながれ、頭上で拘束されている。
ひっぱってみるが、みみざわりな金属音がするだけで、外れそうにない。
足首にも金属の感触がして、ためしに上げてみるが、すぐに鎖に動きを制限される。
手首に力を込めて魔力濃度を高めるが、ヒビのひとつも入らない。それでこれが白銀であることがわかった。
白銀は魔力を相殺する。
ためしにかんたんな術式を構築するが、発動するまえに分解した。
白銀よりも魔力伝導率の高い媒体があれば、発動までこぎつけられるが――たとえば、魔術剣のような。
ギルバートは石壁にかかったままの魔術剣を見やる。
刃は折れているが、柄は無傷にみえる。
あれがあれば脱出できる。だが、どうやって――?
これといった案がおもいつかず、脱力して息をはく。
木の寝台は固くて埃っぽい。お世辞にも快適とは言えなかった。
「無駄なあがきは終わった?」
のぞきこんでくるブラットリーの顔が腹立たしい。
「……悪趣味が過ぎる。何が目的だ」
ギルバートはおもいきりブラットリーをにらむ。
彼は目をほそめ、ギルバートに手をのばす。
「――人体実験」
するりと頬をなでられる。
首を振ってはらうと、ブラットリーが笑って、ギルバートの右耳を強くひっぱった。
「――ッ!」
「ギルくんが遅いから、素材の質がわるくなっちゃった。責任とって、協力してね」
「ことわる!」
ブラットリーは両手でギルバートの顔をはさみ、ゆっくりと顔をちかづける。
「いつ見ても希少宝石のような魅力的な瞳だねぇ」
「離せ! ――俺を解放しろ!」
「おびえなくても、えぐらないよぉ」
ひとのはなしを聞かないブラットリーは、パッと手を離してにやりと笑う。
上機嫌に鼻歌を奏でながら、床に鎮座する大掛かりな装置にちかづいた。
装置はひとの腰ほどの高さ、ひとかかえ以上あるおおきな台形をしている。
しゃがみこむブラットリーの影が、表面の金属に映る。
赤枠の操作盤にはさまざまなスイッチがならび、ブラットリーは演奏するように五指でたたいていく。
ギルバートはおおきく息をつく。
――おちつけ。考えろ。情報をあつめ、活路を見出せ。
「……人体実験とは、何をするつもりだ」
注意深くブラットリーを観察しながら、ギルバートは質問する。
ブラットリーは装置から目と手を離さずに口をひらく。
「魔人の生成。――石壁の彼は志願者だ」
「――は!?」
「なんかギルくんに勝ちたいから、魔人になりたいんだって」
「そうではない。魔人の生成とは何だ!」
「ちょっとまってね~。……これでよしっと」
中央のパネルに「0」と表示され、ブラットリーが立ちあがる。
操作盤の左からコードを引きだし、プラグを指でぬぐうと、ギルバートの方へとあるいてきた。
ずるずると伸びるコードは、ほそいヘビのように床をのたうつ。
「動物実験のつぎは、人体実験。研究の基本だよ?」
「……誰の依頼だ」
「あ、そこ気づいちゃう? やっぱりギルくんは油断ならないなぁ」
「国の上層部か、親善国――大穴狙いで帝国だ」
ブラットリーは楽しげに笑い、ギルバートの横で立ち止まる。
「守秘義務をやぶると、お金もらえなくなっちゃうんだよね」
「知ったところで誰にも言わないと約束する」
「言わないけど、書面にまとめて提出するんでしょ? そしたらぼく、研究できなくなるから、いくらギルくんのおねだりでも聞いてあげられないなぁ」
「――では、取引だ」
ブラットリーはぴくりと反応する。
「へぇ? どんな?」
「――金だ。実験を廃止し、契約書を開示しろ。そこに記載されている金額――契約不履行による違約金と、成功報酬の倍額をおまえにやろう」
「魅力的なおさそいだけど、それはできないなぁ」
「なぜだ。研究費のためなら、患者まで売るくせに」
「研究費は二の次、ぼくの目的は研究だ。――魔人を生成するような」
「では情報を開示した量に応じて、俺の魔力を提供しよう」
ブラットリーは小首をかしげた。
「どうしてそこまでするの? ――自分より優秀な魔人があらわれるのがこわい?」
ブラットリーは、聞いておいてつまらなそうな顔をする。
手にもったコードを揺らし、ギルバートに懐疑的なまなざしを向ける。
ギルバートはその視線をまっすぐに受けとめ、きっぱりと告げる。
「そんなもの、アンジェリカのために決まっているだろう」
ギルバートは語る。
魔人という人間兵器が量産されれば、紛争は悪化、本格的な戦争にでもなれば、ギルバートは激戦区に送られ、終結するまで帰れない――つまりアンジェリカと過ごす時間が激減してしまう。
そのうえ戦火が王都におよばないともかぎらず、万が一にもアンジェリカを危険にさらすわけにはいかない。
そうでなくても清らかな心を持つアンジェリカのこと、最前線で戦うギルバートの身を案じるのはもちろん、戦いで傷ついた他人のために心を痛めて、ふさぎ込んでしまうかもしれない。
「だからさっさと実験を廃止し、俺を解放しろ。せっかくの休日、アンジェリカとのディナーにまにあわなかったらどうする!」
「それでこそ、ギルくんだね!」
「めちゃくちゃ楽しそうじゃねーか! 遊びじゃねぇんだぞこっちは!」
「じゃあ、こういうのは?」
ブラットリーは目をかがやかせる。
「この装置の数値が100になるまでのあいだ、ギルくんの交渉につきあってあげる。だからがんばって、ぼくが快諾するような条件を提示してね」
それを一蹴しかけ、ギルバートは思い出す。
交渉は持ちかける方が有利――勝つのはルールを作った方だ。それは先週、嫌というほど思い知った。エリオットとの遊びでの黒星――単なる負けのままにしておくのは性に合わない。
「――いいだろう。ただし」
ギルバートはもったいぶって言葉を切る。
ブラットリーがふしぎそうに見てくるのを、不敵な笑みで迎え撃つ。
「俺の質問には嘘偽りなく答えると約束しろ」
「だから、守秘義務をやぶるわけにはいかないんだってばぁ」
「そこはおまえの答え方しだいだ。――拒否するならイブリースを召喚し、いますぐすべてを破壊する」
ブラットリーはわらう。
「召喚? ――白銀の枷をつけたまま?」
「やってみればわかる」
「そうだけど、触手の魔術陣のことも忘れていない? 目視できるほど魔力が噴き出すんだから、召喚前に窒息死だよ」
「知らないのか? 召喚は魔術のくくりではない。見せてやろう――」
はったりを口にして、ギルバートは目を伏せる。
召喚の原理など知らないし、触手の魔術陣が反応しない保証はない。
しかし噴きだすほどの魔力なら、白銀が相殺する速度を上回るはず。
イブリースが来ればもうけもの、たとえ触手が発動しても死ぬまえにブラットリーが止めるだろう――いまだ実験は始まってすらなく、せっかくの上質な素材をムダにするわけがないのだから。
ギルバートから黒い靄がたつ。
さらに魔力を練ろうとしたところで、トンッと腹に手をおかれた。
「――わかった。嘘は言わない」
「……最初の質問だ。あの男は誰だ」
「ちょっとギルくん、なんで召喚やめないの?」
「おまえが答えるの先か、イブリースが来るのが先か――」
「強情なんだから! ――あれは第二騎士団のダグ・ストーン。転移室でギルくんにひどいめに遭わされたらしいよ」
「……なるほど」
ギルバートはようやく魔力を止める。
ひとまず『こちらの質問にブラットリーが答える』という刷り込みに成功した。
あとは情報を集めて、最適な交渉を持ちかける。
直球で聞いたところで躱されるのがオチ、ならばブラットリーが話したくなるような質問をして、彼の口の滑りをよくするほうが得策か。
「――実験の概要を説明しろ」
「装置を始動させてからね」
ギルバートは胸中で舌打ちする。
こちらのペースに乗らない相手だとはわかっていたが、魔力をとられる激痛のなか、頭を働かせなくてはならないとは。
ブラットリーはギルバートの左手をおさえ、コードのプラグをちかづける。
プラグが緑色のなぞの物質に変化し、ギルバートの左手にからみつく。直後カチカチに固くなり、ギルバートの左手とコードがつながった。
その感触は執務室で魔力を抜かれたときと同じで――つぎに来る痛みを思い出し、ギルバートの体が勝手に固くなる。
「じゃ、痛いけど、がんばってね」
ブラットリーはパチンと指を鳴らす。
鎮座するおおがかりな装置が、ブィンと唸って始動した。