矜持のお値段
ブレイデン公爵家の馬車は豪奢だ。
ひとり一台以上所有しており、当主のディビットともなれば保有数は五台にものぼる。
車輪はどれも四つ、屋根の有無や客室の形状、外装や内装がそれぞれ差別化されている。
二頭立てと四頭立てがあるが、ディビットひとりならば二頭立てで事足りる。
それでも、客室はおとなが四人座れるほどの広さがあった。
登城するときは、いっとう華美なものを選ぶ。
家の紋章がはいった馬車は、威厳と財力をしらしめる。
あえて紋章をつけずに、おしのびの用途で使われるものもあるが、馬車自体が高価なために、貴人が乗っていることには違いない。
国内三大公爵家の筆頭であるブレイデン公爵家ともなれば、馬車の造作や装飾はもちろん、馭者の人格や技量、曳く馬の能力や容姿にいたるまで妥協はゆるされない。
最新のスプリングを搭載した馬車は乗りごこちがよく、座面のかたさや材質にもこだわり、長時間すわっていても疲れない。
どの馬車も一級品だと自負しているが、使用されるのはもっぱらディビットの馬車だ。
夜会ではクリスティーナを同乗させ、アンジェリカの送迎は、都合をつけてディビットが自分の馬車で向かうのが常だ。
ギルバートに至っては、転移魔術か、馬の方が速いと単身で駆けていってしまう。
本人も不要だと言いはってはいるが、公爵家嫡男の馬車が無いなど体面が悪い。
そういう事情でりっぱな馬車を仕立てあげたが、彼が馬車を使ったのはここ数年で数えるほどしかない。
じっとしていられない性分のギルバートに、馬車は相性が悪いようだった。
ディビットを乗せた馬車は、整備された大通りを――貴族街を走る。
等間隔にならんだ外灯が、ぼやけては遠のいていく。
洗練された貴族街はうつくしい。
さまざまな策略や陰謀がふくざつにからみあう混沌を、綺麗な街並みが覆い隠している――あたかも腹黒い人間しか、うつくしく飾られた馬車に乗ることができない証左のように。
そんなことを思いながら、ディビットは向かいに座る少年を見やる。
行儀よく膝をそろえ、窓の外にひかえめに視線を向けている。
こちらの視線に気づき、彼が居住まいを正した。
「旦那様。このたびはすばらしい馬車に同乗させていただき、ありがとうございます」
年に似合わぬ落ち着いた態度と、しっかりとした言葉遣いに、ディビットは感心する。
庭師見習いにしては、礼儀がともなってる。
「馬車ははじめてかね」
「いいえ。ですが、このような乗りごこちが良い馬車ははじめてです」
「そうか。家人は皆、馬車に興味がなくてね。君だけでも、わかってくれて嬉しいよ」
アルデがひかえめに笑う。
「ギルバートに助けられたと言ったね。よければ、話を聞かせてくれないか」
アルデは明朗な返事をして、いきさつを語る。
国立公園で魔獣に遭遇したこと、ギルバートがあらわれて魔獣を倒したこと、金の腕輪を借りたこと――。
「その腕輪で転移したあと――」
いきなり見知らぬ子供があらわれ、転移室は騒然となった。
――なぜ、こどもが。
――どうやって侵入した。
――まさか、帝国の間者。
怖い顔の大人に囲まれ、アルデは床に座ったまま、知らず帰還の腕輪にすがる。
そのとき、人の輪のむこうから、おっとりとした声が聞こえた。
――おや、その腕輪は術具かい?
年かさの術士が、にこやかにアルデを見つめた。
この人なら、自分の話を聞いてくれる。
そう判断したアルデは、右手首――金の腕輪をかかげて叫ぶ。
――ギルバート・ブレイデンより貸与いただいたものです! 私はブレイデン公爵家の使用人、庭師見習いのアルデと申します!
年かさの術士はうなずき、しゃがみこむとアルデと目をあわせた。
――君は運がいい。ブレイデン卿が、このあと転移室を視察される。
やわらかい笑顔でアルデに告げて、手をさしだす。
――彼が来るまで、お茶でもいかがかな?
アルデは目をまたたかせる。
――はい。ありがとうございます。
つかんだその手は、あたたかかった。
「そうして、旦那様にお目通りが叶った次第です」
ディビットがうなずく。
それから短くない時間、彼を転移室に待機させたことに思い至る。
「ずいぶん、待たせてしまったね」
「いいえ。あの、それより……ギルバート様の容態は……」
迷いながら、アルデが口をひらく。
彼が待たされることになった原因――ディビットを追ってきた宰相が、ギルバートが重傷で医務室に運ばれたと耳打ちしてきたとき、近くにいたので聞こえているだろうとは思っていたが。
彼の本心から心配している様子に、ディビットはめずらしい気持ちをおぼえる。
ついまじまじとアルデを観察してしまった。
「もうしわけありません。庭師見習いの分際で、出過ぎたことをお聞きしました」
ディビットの無言を拒絶と受け取ったのか、アルデはきっちりと頭を下げる。
「……息子を心配してくれてありがとう。さいわい、命に別状は無い」
「……そうですか」
安堵が混じる声音に、ディビットはこの少年ともっと話がしてみたい気になった。
「アルデ、だったね」
「はい」
「年はいくつだ?」
「十二になります」
「ギルバートとは、前からよく話すのか?」
「いいえ。今朝、はじめてお会いしました」
ディビットは首をかしげる。
息子はそんなに情が厚い人間だっただろうか。
それとも、竜騎士団長という立場から、一般人を救出しただけか。
ふしぎそうなディビットに、アルデは考えるそぶりをみせ、説明を付け加える。
「私が執事長に追及されているときに、ギルバート様がいらっしゃいました。それを覚えていらしたのだと――」
「つまり――いっしょにロベルトに叱られた仲というわけか」
「え!? それは、ちがっ……うとも、いいきれませんが……」
しどろもどろになりながら言葉をさがすアルデに、ディビットは笑い声をあげる。
「君のおもいやりを無駄にするのは心苦しいが、あれはおとなしく美談に仕立てあげられるような息子ではない」
「……まぎらわしい言い方をして、すみません」
すなおに謝罪するアルデに、ディビットは笑みをたたえながらうなずく。
「ところで、国立公園で何をしていたんだい?」
「ええと、職探しの一環といいますか――」
「うん? 君はうちの庭師だろう?」
ディビットの視線をうけとめたアルデが、姿勢を正して口をひらく。
「はい、まだ見習いですが。――休日に働くことに関しては、特別許可をいただいております」
その言葉に、ディビットは内心で驚愕する。
使用人を管理するのは、執事長だ。
あのロベルトから特別許可を引き出したのか、となかば感心してアルデを見やる。
通常、貴族の使用人は、他で働くことは許されない。
家の財力が疑われ、外聞が悪いからだ。
公爵家の筆頭であるブレイデン家の使用人ならば、なおのこと。
だれよりも――それこそ当主のディビットよりも、公爵家の名誉に神経をとがらせている御仁が、いったいどのような経緯で、この少年の副業をみとめたのか。
ただ単に気に入っているだけではありえない。
深い事情があるはずだ。
相手が少年だろうが、そこに土足で踏みいるべきではない。
「――そうか」
それゆえ、ディビットは言葉少なに、それとなく視線を逸らす。
「はい。医療費が高額で」
あっさりと告白するアルデを、ディビットはおもわず見やる。
「どこか悪いのか?」
聞いてから、しまったと思う。
公爵家当主が、援助のつもりなく聞くべき話ではない。
期待させるだけ残酷であり、ましてやこの隙につけこまれ、彼が金の無心をするようになれば、ディビットがロベルトに叱られてしまう。
かすかな緊張とともにアルデを見やるが、彼からはなんのこだわりも見受けられなかった。
「俺ではなく、両親です」
聞かれたことに対して、返答する。
それ以上でも、以下でもない。
その態度に、ディビットは腹を決めた。
途中で止めるには、いささか気持ちが悪い。
「おふたりとも、ご病気で?」
「いえ。事業に失敗して、自殺未遂を起こして――ああ、でも母は精神病棟に移ったから、病気といえば病気なのかな」
アルデが首をかたむける。
彼の口調には、負の感情がまったく混じっていない。
ごくあたりまえの事実を話すように、淡々としている。
「――いくらだ」
「はい?」
「その、医療費は」
「ああ。今月の請求書をもらったばかりです」
アルデがポケットから病院の請求書をとりだす。
「約150万です」
「150万……君が支払うのか?」
ディビットは、平民の月給が30万ほどだと記憶している。
その実に五倍もの金額を、このこどもはどのように稼いでいるのか。
推し量るようなディビットの視線に、アルデがきょとんとまたたいた。
「いえ、支払えてはいないです。特別に分割払いにしてもらっていますが、減っていくどころか、増えていく一方なので――そういう意味では、退院が待ち遠しいですね。両親がすぐに働いてくれればいいんですけど。一億五千万の借金もありますし――」
絶句するディビットに、アルデがなにかに気づいたような顔をした。
「うち、破産したんです。大口の取引先が相次いで倒産し、億単位の売掛金が回収できなくて。いわゆる連鎖倒産です」
話したほうが早いと、迅速に判断を下したところは評価しよう――彼の長所を見つけることに尽力したディビットは、戸惑いを隠して、会話をつづける。
「破産ならば、負債は清算されるはずだが」
「会社は父の名義でしたが、母が債務の連帯保証人になっていました。その場合、支払い義務が発生するみたいで。屋敷ごと資産を手放したんですけど、どうしても一億五千万だけ足りなかったんです」
十二歳の少年が語る事実にしては、いささか返答に困る内容だ。
それでも、ディビットには引っかかることがあった。
「お母様は、自己破産なされなかったのか?」
「顧問弁護士と協議したとき、それだけは人としてやってはいけない、と強く反対されたみたいです」
「……そんなことが?」
財産を整理し、再出発できるだけの金が残るならば、それもありかもしれない。
だが現状は、莫大な借金をかかえ、未来を悲観し、自殺未遂を起こしてしまった。
どうかんがえても、おかしい。
その顧問弁護士とやらを、調べたほうがいいのかもしれない。
そう思う反面、ブレイデン公爵家としてやる義理は無く、ディビット個人の興味本位で調査するには、手間も金もかかりすぎると算段してしまう。
ディビットの心情を知ってか知らずか、アルデが辟易するような笑みをみせた。
「金にもならない矜持など、あるだけ無駄だと強く訴えましたが、しょせん子供の言うことだと、まともに取り合ってもらえなくて」
さすが商売屋の息子だ、とディビットはなかば感心する。
アルデの意見は筋が通っており、会社が存続していれば、彼の手腕を発揮する未来があったかもしれない、と少しばかり残念な気持ちを覚える。
「ちなみに屋号は」
「フェニクス商会です」
「不死鳥が商標の?」
「よくご存知ですね」
それでディビットは腑に落ちた。
アルデの言動は、貴族を相手にする商会の息子のそれだ。
しかもフェニクス商会といえば、堅実な商売をする店であり、従業員の躾が行き届いていることで有名だった。
「知り合いが懇意にしていた。――最近見ないとも聞いたが、それでか」
「ご不便をおかけして、もうしわけありません」
「私に謝ることはない」
「……そうですね」
アルデはクスリと笑って、また車窓に視線を向ける。
いくぶん肩の力が抜けて、たのしそうに景色をながめる姿は、十二歳の少年だ。
大人でも逃げだすほどの逆境に、アンジェリカよりもおさないこどもが、ひとり静かに抗っている。
慈悲など求めず、ひたむきに努力を重ねる姿。
そういうところがロベルトの心を動かしたのか、とディビットは納得するとともに、貴族としての義務――ノブレス・オブリージュの一環として、この件の調査をロベルトに相談してみようとも思った。