張りぼての信頼
剣圧が衝撃波となり、周囲の木をなぎ倒す。
ヘビーモスが驚異の反射力で後退するが、前脚からは血が噴きだした。
ギルバートは、魔術剣片手に追撃する。
迎え撃つヘビーモスは、頭を低くして突撃の体勢をとった。
するどい角が、ギルバートに向かって突き出される。
横に跳んで回避し、ヘビーモスの直進する勢いを利用して脇腹を斬り裂けば、怒りの咆哮が響いた。
振りかえったのはほぼ同時。
赤眼と碧眼がかち合うのを合図に、たがいに地を蹴った。
せまる爪をかいくぐり、ヘビーモスのヒジを踏み台に、ギルバートが跳躍する。
ヘビーモスが咆哮し、ギルバートが吠えた。
「うおおおお!!」
ヘビーモスの頸をめがけて、魔術剣をたたきつける。
すさまじい音と火花が散って、刃が肉に埋まると焦げくさい匂いがした。
悲鳴をあげたヘビーモスが、首を振りまわす。
力の入った魔獣の肉は固い。
すさまじい切れ味を誇る魔術剣だが、首に埋まったまま進退きわまり、ギルバートは刹那迷う。
ひときわおおきくヘビーモスが跳ねた。
右手に残るわずかな脂が、ギルバートの手を滑らせる。
あっと思った時には上空に投げられ、受け身をとって着地したのは、ヘビーモスの背中だった。
「どんな確率だ!」
吐き捨てながら、ギルバートはたてがみを掴んで体勢をたてなおす。
狂ったように暴れるヘビーモスが、とつじょ走りだした。
おりしも王都の方向で、ギルバートはとっさに術を放つ。
「火焔の檻!」
ヘビーモスの四方に、高温の炎の壁が現れた。
ひるんだヘビーモスの足が止まる。
周囲を見渡し、警戒のうなりごえを上げた。
「次はとどめを刺す」
太ももでヘビーモスの背骨をはさみこみ、ギルバートは上体を起こす。
脳裏に浮かぶ術式があった。
「――地下の落書き」
入団したての頃、城の地下通路に、だまし落されたことがある。
わずかに発動する魔術で、いらだちまかせに壁を壊しながら直進していると、苔むしてくずれかけた壁に、書きなぐったような術式を見つけた。
黒ずんだ線はどうみても血で、せっかく思いついたのに書くものが無かったのかと笑えた。
それだけ必死になるのが共感できるほど滾る術式で、夢中になって読み解いたのを覚えている。
あの複雑に絡みあった美しい術式を、この手で再現できたら。
「構築――」
気付くと、力ある言葉がすべりでていた。
「――追加構築、魔力凝縮。弾倉に装填」
ヴンと空気が唸り、巨大な魔術陣がヘビーモスの真上に出現した。
円形の輪郭が光に透けて、古代文字が銀にかがやく。
いくつもの小さい魔術陣が、虹のように色彩を散乱させながら、つぎつぎと組み合わさっていく。
「照準、ヘビーモス」
十字の入った魔術陣が、ギルバートの瞳と連動し、的を絞る。
高濃度の魔力を察知したヘビーモスが、逃走をはじめた。
その背にまたがるギルバートは、タイミングを計って目をすがめる。
――獣の本能で逃げるなら、つぎの行動は決まっている。
突き進む先には、高温の炎の壁。
ヘビーモスが体を縮ませ、渾身の力で跳躍した。
ヘビーモスが火焔の檻を越える。
ギルバートの耳元で、カチリと全てが噛みあう音がした。
「つらぬけ、閃光銃!!」
濃縮した魔力が、一直線の光となって突き抜ける。
ヘビーモスの胴体を易々と貫通し、光はそのまま前方の山に直撃する。
破壊音が山びことなって、あたりに反響した。
すさまじい爆風が、ヘビーモスから離脱したギルバートを巻きあげる。
空たかく投げだされながら、凄絶たる魔術の軌道を視界にとらえ、全身を駆ける痺れに身を震わせた。
急激な魔力消費のために起こる反応であったが、ギルバートはそれを感動に打ち震える心情の反射のように感じた。
地面にたたきつけられる前に、ギルバートはありったけの風魔術を展開させて落下の勢いを殺す。
万全とはいかないが、無様に潰れることはないだろう。
楽観的に考え、受け身の体勢をとろうとした体が、いきなり浮上した。
「――まったく、貴方という人は」
「エリオット!」
ギルバートを片腕で掬いあげたたくましい腕の持ち主は、あきれたような口調で竜の手綱を操る。
空を旋回しながら、強い力でギルバートを竜のうえに引きあげた。
「さっさと逃げ帰ってくればいいものを。驕るのも大概にしていただきたい」
背中から聞こえる不服そうな科白に、ギルバートは笑いながら寄りかかる。
「えらく不機嫌だな。ダイアウルフに逃げられでもしたか?」
体重をかけようが、鍛えぬかれた体幹はビクともせず、ただそこにある翠眼がギルバートを見下ろす。
「ご命令どおり、一頭残らず殲滅いたしました。それより」
ついと動くエリオットの視線が、魔術で削れた山をかすめる。
いびつな稜線が西日に染まり、いつの間にか日が暮れかけていることを知る。
「さきほどの魔術は何ですか。はじめて見ました」
「俺もだ。すばらしく美しい術式だった」
「悦に入るのは結構ですが、国立公園を焦土に変えるおつもりか」
「おっと、わすれていた」
ギルバートが手を払うと、眼下の火焔の檻が消え失せた。
あとにはヘビーモスの丸焼きが残り、ギルバートはたまらず笑いだす。
「上々だな」
「どこがですか。成果に対して、被害がいちじるしい」
「イブリースとの融合許可が出ている。――あるていどは目をつぶるということだ」
「融合の事実が無ければ、被害の責を問われるのでは?」
ギルバートが、いぶかしげにエリオットを仰ぐ。
「いまさら融合しろとでも? ダイアウルフは残っていないのだろう?」
「ご安心ください。さきほど大型魔鳥、イクティノスの群れを発見しました。貴方の得意な空中戦です。よかったですね」
頬をひきつらせたギルバートが、くやしまぎれにエリオットの胸に後頭部をぶつける。
揺らぎもしない、強靭な体幹が憎らしかった。
「さっさと現場に案内しろ! お望みどおり、融合してやるよ!」
「……貴方の自己犠牲にも困ったものだ」
「は? あ、そのまえに魔術剣を回収するから、ヘビーモスの近くに下ろせ」
返事はおおきなため息がひとつ。
最短距離で降下した竜が、体重を感じさせない動きで着地した。
ヘビーモスは胸腹部に風穴があき、いまにも千切れそうなありさまだ。
それでも凄惨な光景にみえないのは、黒一色に焦げているからか。
焦げ臭いなかに、食欲をそそる匂いが混じる。
刺さったままの魔術剣からは煙があがり、肉汁が刀身を伝って滴る。
「焼きたてローストビーフ」
「空腹ですか? 携行食を持参していますが」
「いらん! ビルゴに食わされたばかりだ。おまえのせいでな」
「それはなによりです」
そっぽを向いたギルバートが、何事かをつぶやく。
魔術剣に水の塊が落ちて、ジュッと蒸発する音がした。
柄を握り、魔術剣を引き抜いたギルバートが、刃をかざして首をかしげる。
歩いてヘビーモスの下半身にたどりつくと、スパン、と長い尾を切った。
あらわになった切断部を見て、ギルバートがうなずく。
「A5ランク」
「ふざけている場合ですか」
「切れ味を確かめただけだ」
ギルバートは剣を鞘に戻した。
「イブリースを召喚するから、離れていろ」
「ひとつよろしいですか」
「ん?」
「その耳の飾りは、いったい何のためにあるのですか」
ギルバートが、一拍おいて、あ、と口にした。
目を伏せ、しばらくしてから喋りだす。
『完全に忘れていた』
『……この距離でお使いになるとは』
『二重に聞こえる』
『そうですね』
魔力を切って、ギルバートが目だけで笑う。
「おまえに助けを求める時に重宝しそうだ」
「……それで機嫌をとったつもりですか」
「どういう意味だ?」
「わからなければ結構です。それより」
エリオットが空をにらむ。
「日が落ちると厄介だ。お急ぎください」
「人使いが荒い」
「――貴方がひとこと、疲れたと泣き言を言うならば、話は別ですが」
ギルバートが肩をすくめ、無造作に歩きだす。
夕日に染まる彼の背中を、エリオットはまぶしく見つめ、思う。
――彼が俺に助けを求める未来など、欠片も見いだせない。
それでも、蓋のできない思いがあふれて、口から零れた。
「なぜ人を頼らない。貴方ひとりで事足りるなら、何のための竜騎士団だ」
充分な距離をとって、ギルバートが振りかえる。
このどうしようもない現実を、彼はあっけなく笑いとばす。
「頼りにしているぞ、エリオット副団長」
言い切り、集中するように目を閉じたギルバートは、場違いなほど気高い。
唯一無二の孤高の存在はあまりにも遠く、明確な線引きにエリオットはこぶしをにぎる。
――俺ができることなど、限られている。
今だって彼が身を削るのを、黙って見ている他はない。
「召喚、イブリース!!」
茜色の空に向かって、漆黒の魔力が噴きあがる。
陶器のような白い腕が現れるのを視界の中央にとらえ、エリオットは奥歯を噛みしめた。
――足手まといにしかなれないのなら、竜騎士団の意義とは何だ。