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瓜と銭

 「瓜ー。瓜はいらんかえ~!」


 喧しい蝉の音が鳴り響く恵林寺の境内に、瓜売りのよく通る声が響き渡る。


「採れたての瓜だよ~。お侍方、喉が渇いてなさるなら、おひとついかがかね~?」


 瓜売りは、その頬被りをした猿のような顔に人懐っこい笑顔を浮かべながら、手にした瓜を高く掲げつつ、鬱蒼とした木々に囲まれた境内を練り歩く。

 と、本堂の方から、わらわらと数人の武士が血相を変えてやって来た。


「これ! 止まれ! そこの瓜売り、止まれい!」


 武士達は、刀の鍔に指をかけ、いつでも鯉口を切れるようにしながら、瓜売りの周りを取り囲む。

 瓜売りの笑顔は消え、驚いた表情に変わった。


「おお、怖い。そのような怖いお顔で……一体何事で御座いまするか、お侍方――?」

「貴様、ここで何をしておる!」


 訝しげに訊く瓜売りの顔を睨みつけ、髭の濃い武士が居丈高に問い質す。

 だが、威圧感たっぷりの武士の誰何に、瓜売りはキョトンとした表情を浮かべて答える。


「……何をしておるも何も……あっしは瓜を売りに来ただけでござりますが?」

「……」


 瓜売りの言葉に、武士達は互いの顔を見合わせた。

 そんな彼らに向かって、眉根を寄せた瓜売りは、少し苛立ちを込めた目を向ける。


「本来、あっしは、向嶽寺の辺りで商売をしていたんですがね。今年は、アガリやら何やらでちょいと揉めちまいまして……。寺衆から出禁を喰らっちまったんですよ。それで、チョイと足を伸ばして、今年からは恵林寺(ここ)で稼がしてもらおうと思いましてね……へへ」

「……残念だが、この恵林寺で商売は罷り成らぬ。早々と立ち去れ」

「ええ、何でですかい?」


 取りつく島も無い武士の言葉に、瓜売りは血相を変えて食い下がった。


「そこを何とか! 家には、腹を膨らませたかかあと、うるせえ盛りのガキが三人、あっしの帰りを待ってるんでさ。瓜を売りさばく事も出来ねえで、全部持ち帰ったとあっちゃあ、かかあが家に入れさせてくんねえよ!」

「知るか。とにかくダメだ。諦めよ」

「……そんなご無体な……」


 けんもほろろに拒絶された瓜売りだったが、諦めきれぬとばかりに、武士達の内、もっとも年若い者に縋り付いた。


「何故? 一体、何故でございますか? こんな広い境内の片隅で瓜を売るくらい、お見逃し下さいよぉ」

「……ええい、しつこい! あまりに食い下がれば、この場で斬って捨てるぞ!」


 泣き疲れた若い武士は、苛立ちで顔を顰めながら刀の柄に右手をかけ、鯉口を切る。

 瓜売りは「ひぃっ!」と叫ぶと、若い武士の元から飛び退き、背を丸めて頭を石畳に擦りつけた。


「ひい……な、何とぞ、お赦しを……!」

「――分かったら、早々に消えよ! これ以上、手を患わせるな。……我らは忙しいのだ。お屋形様の警護でな……」

「――オイ! 喋りすぎだ!」


 思わず口走った若い武士を、慌てた様子で年嵩の武士が小さな声で窘める。――だが、遅かった。

 瓜売りが、驚きで目を丸くした顔を上げた。


「――お屋形様? 信玄様がいらっしゃるのですか? この恵林寺に――?」

「……忘れよ!」


 興味津々で尋ねてくる瓜売りに、渋い顔を向けて、年嵩の武士は小声で言った。

 だが、瓜売りは、目を輝かせて武士達の方へとにじり寄る。


「――でしたら、是非とも、信玄様にお伝え下さい! あっしの売る瓜は、それはそれは瑞々しくて美味うござります。信玄様に召し上がって頂ければ、お喜びになるはずですし、あっしの瓜に箔が付くって――!」

「ええい、しつこいと言うに! 本当に斬り捨てるぞ、貴様ッ!」


 遂に激昂した若い武士たちが、一斉に刀を抜いた。瓜売りは「ひっ!」と短い悲鳴を上げると、身体を小さくして平伏する。

 ――と、


「……おい、止めろ! お屋形様の庇護篤いこの寺の境内を、卑賤な瓜売り如きの血で汚したとあっては、叱責では済まぬ事になる!」


 年嵩の武士の声に、その他の武士達はハッとして、戸惑い気味にお互いの顔を見合わせた。そして、渋々といった様子で、抜いた刀を鞘に納める。

 彼らが納刀したのを見た年嵩の武士は、ふるふると頭を振ると、懐に手を入れながら一歩前に出る。

 そして、亀のようにちぢこまって、ブルブルと震えている瓜売りの背中に向けて声をかけた。


「おい、お前。……そこまで申すのならば、ワシがその瓜を買うてやろう。さすがに、お屋形様に献上する訳にはいかぬが……それでも良いか?」


 武士の言葉を聞いた瓜売りは、猿のような顔にありありと喜色を浮かべた。


「ま……誠にござりますか! ……もちろん、それでも構いませぬ! さすが、武田家中のお侍様じゃ! 御心が広いッ!」

「……見え見えの追従は要らぬわ。――ほれ、銭じゃ。持っていけ」


 苦笑を浮かべて言うと、年嵩の武士は、懐から取り出した銭入れを瓜売りの前に放り投げた。


「あ――ありがとうございます!」


 瓜売りは、深々と頭を下げると、満面の笑顔を浮かべて、眼前に落ちた銭入れに手を伸ばした。――が、銭入れの紐を解き、中の銭を検めた瓜売りの顔が陰った。


「あの……いや……これは少し……瓜代としては――」

「……何じゃ、それじゃあ不満か?」


 口ごもる瓜売りに、ニタニタと底意地の嘲笑(わら)いを向けながら、年嵩の武士は訊いた。

 その言外の意味を悟った瓜売りの顔が青ざめる。


「……!」

「……確かに、この境内での殺生はならぬ。――が、()()()()ならば、どうかのう……?」

「ひ――!」

「――分かったら、その銭を持って、サッサと失せよ! ……もちろん、瓜はワシが買うたのじゃから、全て置いていけよ! カッカッカッ!」

「そ……そんな……ご無体な――」

「ほれっ! サッサとせぬか!」


 そう怒鳴ると、年嵩の武士は左足を引き、今にも抜刀しようという仕草を見せる。


「ひ――ッ!」


 瓜売りは悲鳴を上げると、足を縺れさせながら、一目散に逃げ出す。

 その滑稽な姿に、武士達は一斉に嘲笑(わら)い声を上げた。

 年嵩の武士が、瓜売りの背中に向かって、更に言葉を投げる。


「安心せい! お主の美味い瓜とやらは、ワシらが有り難く平らげてやるからのう! ハッハッハッ!」

「ガハハハハハッ!」


 年嵩の武士の言葉に、他の武士の嘲笑が加わる。


「…………」


 その言葉を背中越しに聞きながら、瓜売りは脇目も振らずに、山門に向かって走る。

 ――と。


「…………くく」


 その口元が、三日月のように綻んだ。

 彼は走りながら、不敵な薄笑いを浮かべ、ぼそりと呟く。


「――ああ、皆で仲良く食うがいい。それは、美味い瓜だからな。……()()()()()()、な――」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 佐) 「武田のご家中では行商人に対しこの様な扱いを奨励しておられるとは。いやはや、行商人からの評判もさぞや高うござろうな(笑)」 厩) 「………」
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