問いと答え
「……そう言えば、織田の使者は大人しく帰ったのかのう?」
昌幸は、信玄の病状の話で淀んだ空気を払拭しようと、話題を変えた。
平八郎もホッとしたような表情を浮かべ、小さく頷く。
「ああ。使者達は、お屋形様との直接のご対面を望んで大分食い下がったらしいが、典厩様が頑としてお聞きにならなかったそうだ。馬場様と浅利様の兵に周りをビッシリと囲まれては、下手な真似も出来まいて。――そろそろ若神子に着いた頃ではないかな」
「……お屋形様との面会――か」
昌幸は、眉根に皺を寄せて、盃を呷った。
そして、殊更にさり気ない様子を装い、平八郎に尋ねる。
「織田からの使者というのは、最近はどれくらいの頻度で来ておったのか?」
「……そうだのう」
平八郎は、目を中空に向けて、考えながら答えた。
「最近は、とみに来訪の頻度が上がっておるな。三月に一度くらいか……。南蛮渡来の珍しき品や、京の反物、業物の太刀など……豪奢な献上品を携えて、な」
「……季節が変わる度に――か。それは多いな」
昌幸は、思わず舌を巻く。
「まあ、筆頭家老自らが出向いてくるのは、さすがに此度が初めてだがな。尾張のうつけ殿は、よっぽど武田家と仲良くしたいらしい」
そう言うと、平八郎は、苦笑とも嘲笑ともつかぬ笑い声を上げた。
「……ところで、平八郎。――風の噂で聞いたのだが」
と、昌幸は僅かに表情を引き締めると、最も訊きたい事を切り出す。
「……お屋形様が、織田家の姫と四郎様との婚姻話を、秘かに進めているという話は――真なのか?」
「! ……」
昌幸の問いに、平八郎の表情が変わった。すぐには答えずに、濁り酒を一気に喉に流し込む。
そして、昌幸の方に身を寄せると、声をひそめて言った。
「……そこまでの事は知らぬ。オレは、ただのしがない近習だからな。……だが」
そこまで言うと、平八郎は一旦言葉を切り、唾を飲み込むと、意を決した様に言葉を継ぐ。
「――あの貢ぎ物の山と頻度を考えれば、あり得ぬ事ではないと思う」
「……やはり、そうか」
「あ、いやいや! 勘違いするなよ! それは、あくまでも、オレの推測だからな」
眉を顰めて小さく頷いた昌幸を前に、慌てて手と顔をブンブンと横に振る平八郎。
そんな彼の滑稽な仕草にも、険しい表情を緩めぬまま、昌幸は重ねて尋ねる。
「お屋形様と織田家の使者との会見には立ち会わんのか、近習たちは?」
「……立ち会わん。必ず、お屋形様が人払いをされるからな。面会で交わされた内容は――お屋形様ご本人以外、誰も存ぜぬ……筈だ」
「左様か……」
昌幸は、平八郎の答えに小さく頷きながら、秘かに確信していた。
(これでハッキリしたな。……お屋形様は、織田と手を結ぶおつもりだ。――今川を攻める為に)
前日、信繁が話していた推測が概ね当たっていた事に、暗鬱たる心持ちになる。
昌幸は無言で、自分と平八郎の盃に新たに酒を注ぎ足しながら、さり気なく尋ねた。
「……ところで、その他に、何か珍しい事はなかったか? 面白い者が参った――とか」
「そうさのう……」
平八郎としても、これ以上織田家の話題を掘り返されるのは嫌だったのだろう。話の鉾先が変わった事に安堵の表情を浮かべて、再び目を中空に漂わせる。
――そして、「おお、そういえば!」と、小さく叫ぶや、ポンと手を叩いた。
「珍しいと言えば……。知っておるか、源五郎? 最近来る、京からの遣いが、秘かに何を携えてきておるのかを?」
「京から……? 将軍家からのか?」
「左様」
昌幸の答えに、ニヤリと笑って頷く平八郎。
彼のしたり顔に、怪訝な表情を浮かべつつ、昌幸は尋ねた。
「携えてきておる――というのは、当家から献上した品に対する返礼品や礼状以外に……という事か?」
「そうそう。何だと思う?」
「何だと思うと言われてもなあ……」
昌幸には、全く見当も付かない。だが、律儀に想像を巡らせる。
「秘かに……とは、表立っては渡せぬものなのか?」
「まあ……目録などには記載されておらぬな。とはいえ、殊更に明記するような類のものでも無い故、『秘かに』というのは、些か大袈裟なのかもしれぬ」
「目録に明記するほどのものではない――か」
昌幸は、首を傾げながらも、思いついたものを口に出した。
「例えば……書状とか――」
「お、さすが源五郎。当たりだ」
平八郎は、顔を綻ばせて手を打った。そして、ニヤリと笑うと、ズイッと顔を寄せる。
「では……、それは一体、誰からの書状だと思う?」
「……公方様から――というのは、捻りがないか……。そもそも、秘かに送る意味がないな」
「当たり前だ。公方様からの使者が公方様の書状を持ってきたところで、面白くも何ともない。さすがのオレも、そんな事で話題には出さぬ」
「だろうなぁ……」
昌幸は頷き、更に考えを巡らそうとしたが――面倒くさくなったので、素直に降参する事にした。
「見当も付かぬ。降参だ」
「お! 知恵比べでは人一倍の負けず嫌いのお主が、今日は随分と素直に負けを認めたな」
「……いつから勝負になっていたのだ? ――ふん。いい加減、頭に酒が回って、考えるのが億劫になっただけよ」
「くく……。前言撤回だ。負けず嫌いは相変わらずだな、源五郎」
「……五月蠅い。いいから、早く答えを申せ」
したり顔の平八郎に、憮然とした表情で先を促す昌幸。
平八郎は、ニヤニヤ顔のまま「分かった分かった」と言うと、酒で舌を湿らしてから言葉を続ける。
「知れば、さしものお主も吃驚するぞ。覚悟は良いな」
「――だから、早く申せと言うておる!」
「あっはっは、済まぬ済まぬ」
平八郎は、焦れる昌幸を見て、愉快そうに笑った。そして、グビリと酒を飲み干すと、遂にその名を舌に乗せる。
「それはな……無人斎道有様よ」
「……は? 誰だ、それは?」
聞き慣れぬ名に、昌幸は首を捻った。その様子を見る平八郎は、更ににんまりと笑む。
昌幸は、そのしたり顔に腹を立てるが、その者が誰なのかが、どうしても気になる。
彼は、悔しさで歯噛みしつつ、渋々平八郎に尋ねた。
「……勿体ぶらずに、さっさと答えを言え。そこまで言うのなら、俺が知っている者なのであろう?」
「まあ、な。ただし、お主は、直に会った事は無いであろうな。……オレもだが」
そう言うと、平八郎はズイッと身を乗り出し、その名を告げ――昌幸の目が驚愕で見開かれる。
「無人斎道有様とは――お屋形様のお父上。即ち、先の甲斐国守護・武田左京大夫信虎様だ」




