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叔父と甥

 四郎の真意を見極める為には、彼と直接会うのが一番早い事は判った。――だが、何故か信繁は、それを行動に移す事に抵抗を覚えた。

 なかなか気が進まない。

 自分が四郎に会うという事自体は至極簡単な事のはずなのに、どうしても躊躇いを感じるのだ。

 寝所の中に入っても、モヤモヤする思いは晴れない。

 その理由が判らぬもどかしい思いに囚われながらも、疲れと酔いから、信繁はいつしか深い眠りに落ちていった。


 ――そして、翌日、


「――おはようございます、父上」


 と、バツの悪げな顔をしながら現れた信豊は、父に向かって深々と頭を下げた。

 結局、彼が屋敷へと帰ってきたのは、翌朝になってからだった。したたかに酩酊し、両親に碌な挨拶もせぬまま、昌幸の肩を借りて千鳥足で自室へと入っていった彼がようやく起きてきたのは、既に日が中天を過ぎた頃であった。

 信繁は、彼の横に座って団扇で扇いでいる桔梗に目配せをすると、いかにも不機嫌そうな顔を作りながら、低い声で息子に声をかける。


「……おはようございますと言うには、随分と遅いな」

「……も、申し訳ございませぬ」

「朝帰りとは、父の知らぬ内に、随分と()()()()()になったものよのう、六郎次郎」

「あ……い、いえ!」


 険しい表情の父が紡ぐ皮肉交じりの言葉に、信豊は顔を真っ青にしながら、必死で口を動かす。


「そ――その! あ、朝帰りとは言っても、父上がお考えの――()()()()理由ではなく……」

「……ぷ、ははははは! 戯れだ。悪かったな、六郎次郎」


 その身体を小さく縮こまらせる信豊の様子に、信繁は堪らず吹き出した。彼の横に座る桔梗もまた、袖を口に当てながら、クスクスと笑っている。

 そんな両親を見て、信豊は思わず憮然とした表情を浮かべる。


「……ふたり揃って、拙者をおからかいになられたのですか? ――いや、綾も……ですか?」

「何だ、綾にも何か言われたのか?」

「ええ……まあ……。『ちちうえは、かなりおいかりです!』と、起きてから散々に脅され申した……」

「まあ……うふふ」

「はっはっはっ! 綾も、なかなか言うようになったのう!」


 信豊の言葉に、信繁と桔梗は顔を綻ばせた。

 そんな愉快そうなふたりの様子を恨めしげに見ていた信豊だったが、やにわに顔を顰めると、こめかみを押さえた。


「痛つつつ……」

「――何だ六郎次郎。二日酔いか?」

「え……ええ、はあ……い、痛つつ……」


 頭痛に歯を食いしばって耐えながら、信豊は頷く。


「あらあら、それは大変。――どれ、白湯でもお作りしましょう」


 そう言いながら、桔梗は立ち上がって、台所の方へと向かった。


「……で、どうだった、四郎は?」


 信繁は、桔梗が置いた団扇を手に取り、自分で扇ぎながら、さり気なく信豊に尋ねた。

 ――途端に、信豊の顔が輝く。


「いや、楽しゅうございました!」

「ほう……」


 喜色満面で大きく頷いた信豊の様子を見て、心中秘かに驚いた信繁だったが、その心の内は表には出さず、相槌を打つに止める。

 一方の信豊は、二日酔いなど何処かへ行ってしまったような様子で言葉を継いだ。


「四郎殿……彼は、げに傑物と呼ぶに相応しき御方です! 昨日、酒を酌み交わしながら、夜を徹して様々な事を語り合いましたが、この信豊、四郎殿のお人柄にほとほと感服仕り申した!」

「ふむ……」

「四郎殿は、拙者とたったの三つしか歳が離れておりませぬが、とても落ち着いた、柔らかい物腰で他人(ひと)と接するのに長けておられます。さすがは神家・諏訪氏の血を継いでおられるだけありますな」

「……諏訪――か」


 ――その氏族の名を聞いた瞬間、信繁の脳裏に、二十数年前に見た情景が目に浮かんだ。


 炎に包まれる湖畔の城。

 泥と血に塗れながら、義弟達に恨み言を吐きつける諏訪頼重(義兄)

 涙を浮かべた目で、自分たちを睨みながら逝った実姉の顔――。


「……諏訪か」


 信繁は、またしても掘り起こしてしまった、旧く苦い記憶を吹き飛ばすかのように、乱暴に団扇を振ると、殊更に平静を装って信豊に微笑みかける。


「それにしても――お主が、他人の事をそこまで褒めそやすのは珍しいな」


 親の贔屓目ではないが、信豊の人を見る目は確かだ。そんな彼が、そこまで手放しで賞賛するとは――。


(諏訪四郎勝頼という男、余程の器量を持ち合わせているのか、それとも……)


 と、信繁が思いを巡らせていると、ハッと思い出したように、信豊が声を上げた。


「――そうそう! 四郎殿が仰っており申した。『近いうちに、お父上にもお目見得したい』と――」

「……儂と?」


 突然の話に、信繁は思わず目を丸くした。


「儂と会いたいと申しておったのか……四郎は」

「はい、左様にござります!」


 信豊は、再び大きく頷いてみせた。


「四郎殿は、武田の副将として、日々精励なされておられる父上に深い敬服の念を抱かれているとの事で、是非とも直にお話をお伺い致したいと仰っておりました。――そうそう」


 信豊は、ポンと手を叩くと、言葉を継いだ。


「あと、こうも言っておられました。――()()()()()()()()()()()()()というものも、是非ともお伺いしたい――と」

「! ……弟としての……心構え――とな」


 信繁は、その信豊の言葉で、ハッと気付いた。

 ――そう、似ているのだ。かつての自分の立場と、現在の勝頼の立場(それ)が。

 だから、自分でも気付かぬ心の底の方で、彼を拒絶し、避けようとした。

 それが、昨夜に感じた躊躇いの理由だ。


「……そうか」


 ――ならば、なればこそ。


(儂は、必ず会わねばならぬ。兄上の為、儂自身の為、武田家の未来の為、――そして、何より……()()()()()


 信繁は、顔を引き締めると、信豊の顔を真っ直ぐに見つめて、大きく頷きながら言った。


「そうか……。分かった。ならば、四郎にこう伝えよ。『こちらこそ、願ってもない話。喜んでお会い致したい』――とな」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] これは…色々と思うところがあるでしょうね。 父親と長男の関係が自分にどのように影響するのか。 なにより名門武田の嫡流とはいえ次男。周囲から「将来の副将」として…
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