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手柄と褒賞

 箕輪城を落とした上野方面軍と、海津城の香坂虎綱と協力して、川中島へと進出してきた上杉軍を退けた信濃方面軍。ふたつの武田軍が、甲斐府中へと帰着したのは、月が変わった七月上旬の事だった。

 程なくして、此度の戦に関する論功行賞が、躑躅ヶ崎館にて執り行われた。


 ――まず諮られたのは、箕輪城攻めに加わった諸将への評価だ。

 一番手柄とされたのは、箕輪城の大手口から攻め上り、城将長野弾正忠業盛を討ち取った、馬場民部少輔信春であった。彼は莫大な褒美の他に、一月に鬼籍に入った宿老・原美濃守虎胤の官途名である“美濃守”を名乗ることを許された。

 次いで、搦手から城を攻め、城の水の手を切って早期落城に貢献した、真田左衛門尉(さえもんのじょう)信綱と真田兵部丞(ひょうぶのじょう)昌輝の兄弟。

 彼らふたりの功績と、川中島での広瀬防衛戦において多大な貢献を果たした、ふたりの父・真田弾正忠幸綱の働きが高く評価された結果、真田家は岩櫃城に加えて、箕輪城の城代をも拝命する事になった。

 ――もちろん、この差配は、単なる褒賞というだけではない。西上野における真田家の影響力――言うなれば、顔の広さと、彼らの戦巧者ぶりが加味されたものである。彼ら真田家の者たちならば、今後予見される上杉家の侵攻にも、充分に対抗できうると期待されての抜擢であった。


 そして、彼らと同等の働きをした工藤源左衛門尉(げんざえもんのじょう)昌秀には、褒美こそ与えられたものの、信玄からの感状は与えられなかった。が、それはいつもの事である。

 信玄は、


「源左程の武士(もののふ)ならば、常人以上の働きがあって然るべきじゃ。取り立てて文字にする必要もあるまい」


 と言って憚らず、昌秀自身も、


「お屋形様がその様に申しておるのならば、わざわざ感状なぞ貰う必要もござらぬな」


 と、涼しい顔をしていた。


 ――そんな中、ひときわ武田諸将の注目を浴びたのは、此度の戦いが初陣だった諏訪四郎勝頼の論功行賞であった。


「――四郎、前に」


 信玄に名を呼ばれた勝頼は、「ハッ!」と良く響く声で応えると、ゆっくりと信玄の前に出て膝をついた。その整った白皙の顔は、初めての論功行賞の場に立った事で、微かに強張っている。

 信玄は、我が子の緊張の面持ちに、一瞬だけ口の端に微かな笑みを浮かべたが、すぐに口元を引き締め、厳かな声で言った。


「諏訪四郎勝頼……貴公は、先だっての箕輪攻めにおいて、敵方の将・藤井豊後守と一騎討ちに及び、見事これを討ち取った。初陣の身にして、敵将を討ち取る手柄を立てるとは、誠に天晴れなる働きである」


 信玄の言葉に、居合わせた諸将は微かに響めいた。己に厳しいあまり、他者へも厳しい態度で対する事が多い彼が、ここまで手放しで褒めそやす事は珍しい。

 ――首席に座る嫡男義信の顔が、少し曇る。

 そんな家臣達の反応を余所(よそ)に、信玄は眼前の勝頼に小さく頷きかけると、言葉を継いだ。


「故に、その働きに対し、褒賞として――」

「畏れながら、お屋形様」


 信玄の言葉を、勝頼は中途で遮った。


「……? どうした、四郎」


 突然口を挟まれた信玄は、訝しげな表情を浮かべて、勝頼に尋ねた。

 勝頼は、「お言葉を遮り、誠に申し訳ございませぬ」と、深々と父に頭を下げてから、言葉を継いだ。


「大変申し訳ございませぬが、その事は無かったものとして頂きとうござります」

「……無かったもの? ――何故じゃ? 藤井の首を取ったのは、お前じゃろう」

「は……それは確かに」


 信玄の言葉に小さく頷いた勝頼は、切れ長の目で真っ直ぐに父を見ながら、涼やかな声で言葉を紡ぐ。


「されど……それは、私ひとりの手柄ではございませぬ。寧ろ、一騎討ちの場で彼の者に後れを取って組み伏せられ、私はあわや首を掻かれるところでございました」


 し……んと、多数の将が詰めかけた大広間は静まり返った。

 そんな中、勝頼の凜とした声だけが朗々と響く。


「――そんな窮地に陥った私を助けんと、我が配下が身を挺してくれたおかげで、私は命を拾い、逆に敵を討ち取る事が出来たのです。……故に、私に手柄を誇る資格はございませぬ――」

「……」


 勝頼の堂々とした言葉に、信玄をはじめとした諸将の面々は、語る言葉を失った。

 静寂に包まれた大広間で、勝頼はもう一度深々と信玄に向かって平伏すると、


「……お屋形様からの感状は、またの機会――胸を張って誇れる手柄を立てた後に、堂々と頂きとう存じます。――私はこれにて失礼仕ります。……御免」


 勝頼は顔を上げて、そう静かに言うと立ち上がる。

 そして、微かな衣擦れの音を立てながら、勝頼は大広間から立ち去っていった。


「……」

「――なんという、天晴れな態度であるか……」

「普通、初陣での手柄などは、喉から手が出るほど欲しいものだが……」

「己が胸を張れぬ手柄は要らぬ――とはな。……まだ二十にも満たぬ若人(わこうど)の言葉とは、とても思えぬ……」

「平然と、お屋形様に己の意見を申し述べ、あの挙措……末恐ろしい御方じゃ」


 勝頼が去った後、そんな感嘆の声があちこちから漏れ聞こえた。――それは、一番間近で兄と甥の様子を見ていた信繁も同意だった。

 ――と、彼は、向かいに座るもうひとりの甥の顔を見て、眉を顰めた。

 その顔が強張り、紙のように白かったからだ。


(……太郎、気にするな)


 信繁は、論功行賞の場で、彼に声をかけられない事にじれったさを感じながら、心の中で彼に言った。


(四郎の事を意識する必要など無い。お主と四郎は、立場が違うのだ。張り合う必要など無いのだぞ――)

 劇中での工藤昌秀のくだりは、甲陽軍艦に載っている有名なエピソードです。

 彼は、第四次川中島合戦で、武田信繁が戦死した後の“武田の副将”として、『甲陽軍艦』で名を挙げられた人物です。

 また、武田二十四将のひとりでもあり、高坂昌信・馬場信春・山県昌景とともに、『武田四名臣』のひとりにも数えられます。


 彼は、その生涯において、信玄から感状を受ける事はありませんでした。

 ある時、信玄に「何故昌秀に感状を与えないのか?」と訊いた者がいたそうで、その時の信玄の答えが、「修理亮ほどの弓取りともなれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」だったそう。要するに、「昌秀ほどの奴だったら、これくらいは出来て当然。取り立てて賞してやる必要は無い」という事です。信玄が昌秀に寄せる信頼が、どれほど絶大だったかがよく分かるエピソードです。

 なお、その信玄の言葉に対する昌秀の言葉は、「合戦は大将の軍配に従ってこそ勝利を得るもので、いたずらに個人の手柄にこだわることなど小さなこと」というものでした。……うーん、カッコイイ。一度で良いから言ってみたい(笑)。


 因みに、感状は、武士が主家を失ったり、主家から出奔した際には、今で言う履歴書の役目を果たしました。

 つまり、「自分は、前の職場では、こういう手柄を立てて褒められました」という事を示す証明書だった訳です。

 だから、信玄が昌秀に感状を出さなかったのは「俺は、お前を他の家に行かせる(転職活動させる)ような事はしない」という決意の表れ、逆に、昌秀が信玄に感状を求めなかったのは「自分は他の家に移る(転職する)つもりはありませんよ」という意志の表明だったのかもしれませんね。


 ◆ ◆ ◆ ◆


もうひとつの、諏訪(武田)勝頼の初陣のエピソード。こちらも、『関八州古戦録』に収録されているエピソードです。ただ、この物語の勝頼の様に、手柄を賞されるのを拒否したかどうかは分かりません。

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