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決着と決別

 「む……ん……んん……!」


 昌景に馬乗りにされ、首筋に刃を突きつけられた弥太郎は、力任せに彼を押しのけようと足掻くが、どういうわけか、小柄な昌景の身体はびくとも動かなかった。

 弥太郎の傷だらけの顔に、玉のような脂汗と冷や汗が浮かぶ。

 そんな隊将の姿を見た小島隊の将兵たちは、


「や――弥太郎様をお救いしろ!」

「ええい、小癪な小男めが! 弥太郎様から離れよ!」

「相手は一人じゃ、押し包んで討ち取れい!」


 と、それぞれ声を上げつつ得物を振り上げ、慌ててふたりの元へと駈け寄ろうとする。

 ――と、


()めぇいッ!」


 組み敷かれた弥太郎が、彼らに向けて、地を震わす怒声を上げた。

 その万雷の如き大喝に打たれた小島隊の諸兵は、驚いた顔をして一斉に足を止める。

 そんな彼らを、弥太郎は地に押し付けられた格好のままで、ギロリと睨みつけた。


「貴様ら、無粋な邪魔をするでない! 正当な一騎討ちの決着に横槍を入れて、ワシと殿の名に末代まで落ちぬ泥を塗るつもりか!」

「――!」


 弥太郎の怒声に、小島隊の面々は苦渋の表情を浮かべながら、振り上げた得物を下げた。

 先程まで喧騒に満ちていた一帯に、鉛のように重い沈黙が深く垂れ込める。

 麾下の兵が静まったのを確かめた弥太郎は、彼らに向かって小さく頷いた。

 そして、彼の上に跨がる昌景の顔を見つめながら、ゆっくりと口を開く。


「……我が兵共が無礼をした。……お主の勝ちじゃ、飯富三郎兵衛殿。この“鬼小島”を討ち取りし事、永劫までの手柄とするが良い。――さあ、早く(とど)めを」


 そう穏やかに言うと、弥太郎は自ら顎を上げて首元を露わにし、静かに目を瞑った。


「弥太郎様……!」

「……ッ!」


 遠巻きにふたりを囲んでいる小島隊の中から、呻きと慟哭の声が漏れる。


「……」


 そんな中、昌景は脇差を弥太郎の首に擬したまま、微動だにしなかったが――、


「……」


 無言のまま、脇差を腰の鞘に納めると、馬乗りになっていた弥太郎の上から降りた。

 そのまま背中を向けると、落ちていた自分の手槍を拾い、僅かにふらつきながら、横たわった弥太郎からゆっくりと離れていく。


「……! お、おい、待て! 待たれよ、飯富三郎兵衛!」


 置き去りにされた格好の弥太郎は、慌てて起き上がると、当惑と驚愕と憤怒の入り混じった顔で、立ち去ろうとする昌景の背中に向かって怒鳴りつけた。


「な――何故、首を取らぬ! まさか、情けをかけたつもりか? ――巫山戯(ふざけ)るな! ワシは、お主に情けをかけられる筋合いなど無いぞ! この小島弥太郎を侮辱するのか、貴様ぁ!」

「……情け? そんなものをかけた覚えは無いが」


 弥太郎の怒号に歩みを止め、首だけで弥太郎に向けた昌景は、抑揚の無い口調で答えた。そして、横目で弥太郎の朱に染まった顔を見据えながら、静かに言葉を続ける。


「拙者はただ……大将の命に従ったまで。『首などは捨て置き、ただただ先を進む事にのみ専念せよ』――という、な」

「な――ッ?」


 昌景の言葉に、唖然とする弥太郎。そんな彼に向かって、昌景は「――それに」と言葉を継いだ。


「貴殿の首は並みよりもずっと重たそうだ。腰に吊って、広瀬まで持ち運ぶには邪魔すぎる。――置いていった方が良い」

「は――?」


 呆気に取られて二の句も継げない様子の弥太郎を尻目に、昌景は、倒れた己の馬を助け起こす。

 昌景の馬は、あれだけ派手に転んだにもかかわらず、立ち上がるや元気に嘶いた。

 彼はそんな乗騎の様子に小さく頷くと、ずれた鞍を直し、鐙に右足を掛け、その背に乗る。

 そして、地面の上で胡座をかいて座り込んでいる弥太郎に向けて、兜の庇を摘まんで軽く頭を下げた。


「……では。拙者は、これより本隊を追いかけねばならぬので、これにて失礼仕る。――御免」

「――待たれよ、飯富殿!」


 弥太郎に言葉をかけ、馬の横腹を蹴ろうとした昌景を、弥太郎が呼び止めた。

 そして、馬上でゆっくりと振り返った昌景に対し、彼は北東を指して言った。


「広瀬へ向かうのなら、武田本隊の後を追うよりも、一旦こちらの方に抜けてから南下した方が良いぞ! こちらの方が幾分か、展開している陣が手薄じゃ」

「……」


 昌景は、弥太郎の言葉に一瞬躊躇う素振りを見せたが、やがて小さく頷くと、馬首を弥太郎の指さした先へと向けた。

 そして、弥太郎に向けて、小さく会釈する。


「……ご助言、忝い。恩に着る」

「何の! 命に比べれば安いモノじゃ! ガッハッハッ!」


 律儀に礼を述べる昌景に、満面の大笑で応える弥太郎。――と、その顔が真剣みを帯びた。

 彼は、馬上の昌景に言う。


「だが、お主の行く手に待ち受ける、我が上杉の将兵共を努々(ゆめゆめ)侮るなよ」

「無論、承知している。……が、ご忠告、痛み入る」


 昌景は、引き締まった顔つきのまま、弥太郎に向かって謝意を示した。弥太郎は、うんうんと大きく頷き、そしてニッカリと破顔して叫ぶ。

 

「飯富殿……ご武運を!」

「……小島殿こそ、お元気で」


 弥太郎の言葉に、今度は微笑みを浮かべながら頷いた昌景は、勢いよく馬の横腹を蹴り、疾駆(はし)り始めた。

 馬はみるみる速度を上げ、その姿はみるみる小さくなっていく。

 弥太郎と小島隊の面々は、昌景の朱い甲冑の背中を、微動だにせずにずっと見送っていた。

 やがて、馬を駆る昌景の姿が丘の向こうへ消えると、弥太郎は八幡原の草の上に寝転び、抜けるような六月の夏空を見上げる。

 その髭に覆われた口元が、僅かに綻んだ。


「……久しぶりに、気持ちの良い闘いだったわい。――ふふふ、負けたにも関わらず、心が斯様に晴れ晴れとするものだとは思わなんだわ」


 そして、昌景の去っていった方へ目を向けて、静かな声で呟く。


「――また再び、戦場で相見(あいまみ)えようぞ、飯富三郎兵衛尉昌景よ!」

 人の首の重さは、身体全体の10パーセントほどの重量があると言われています。大体、5~6キロほどでしょうか。なかなかの重さです。

 戦国時代の合戦で、一番の手柄は、言うまでも無く敵を斃す事であり、その証明となるのは、討ち取った者の首です。

 敵を討ち取ったら、小刀や脇差を用いて、首を落とすのですが、落とした首は、敵の着ている衣服のを剥ぎ取って包んだり、“首袋”という網で作った袋に入れたり、髻を解いたりして、自分の腰帯や馬の鞍に提げて持ち運びました。連れている従者に運ばせる者もいたようです。

 ですが、5・6キロある首をぶら下げて戦うのは大変です。更に、戦いを経るごとに、首の数は二つ三つと増えていきます。中には、討ち取った首が多すぎて、その重さで身体の自由が利かずに、敵に己の首を取られたり、味方に提げていた首を持ち逃げされたりする者もいたようです。

 最悪な場合には、味方同士で首の奪い合いになり、同士討ちをするケースもあったとか……(奪首ばいくびと言います)。


 もちろん、盗んだ首や拾った首を持ってきて、「自分が討ち取った」と嘘をつく者もいます。それを防ぐ為に、戦後に行われる首実検の際には、討ち取った状況をつぶさに聞き取り、本当にその者が討ち取ったのかの真偽を確かめる事もありました。もし、拾い首・奪首である事がバレた場合には、厳しい処罰が待っています。


 後には、首級ではなく、討ち取った首を持ち運ばずに、目印になる物を添えて、その場に置いておく者などもいました(可児才蔵が『笹の才蔵』と呼ばれたのは、彼が討ち取った首級に笹を咥えさせて、目印とした事が所以です)

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