毘と記憶
翌朝、日も昇らぬ早暁の内に葛尾城を発った武田軍は、街道を北西に辿って海津城を目指す。
その途上で、前夜の内に川中島方面へ放った乱破たちから、敵に関する詳しい情報が次々ともたらされる。
「敵は、やはり――というか当然というか、上杉ですな」
「まあ、他にはおるまい」
馬上で乱破の報告を受けながら、信繁と義信は頷き合う。これで敵の素性は知れた。
そして、その兵数は一万程という事も分かった。こちらの兵数の倍だが、本来の上杉軍の最大動員数に比べると、かなり少ない。やはり、此度の出兵は急な事だったのであろう。取り敢えず頭数を掻き集めて、急ぎ出兵してきた事が窺われた。
ここまでは十分に予測通りだ。
――が、次にもたらされた報せに、ふたりの表情は大きく曇った。
「……毘の字の旗――!」
敵――上杉軍が善光寺に構えた本陣に、『毘の字の旗』が翻っているというのだ。
軍神・毘沙門天の“毘”の一字を書き抜いた軍旗は、他の旗印に比べて、特別な意味を持つ。『毘の字の旗』を掲げるという事は、上杉輝虎ここにありと敵味方に広く知らしめる意味を持っているのだ。
――つまり、
「……上杉輝虎自ら、軍を率いて川中島まで出張ってきた――という事か」
信繁は、唸るように呟いた。
「……これは、難儀な事でござるな……」
義信も、兜の下の顔を僅かに青ざめさせた。
ふたりの脳裏に、三年前の激戦の記憶が、嫌が応にも呼び覚まされる。
立ちこめる濃霧の中、まるで山津波のような勢いで、こちらに向かって攻め寄せてくる上杉軍の先頭で翻っていた“毘”の一文字――。その旗の下に従った兵達の士気と勢いとは凄まじかった。迎え撃った信繁たち武田軍は、兵力の多寡以上の何かに圧倒され、あわや壊滅する寸前のところまで追い詰められたのだった。
「……なれば」
と、信繁は、その苦い記憶を追い払おうとでもするかのように、大きく頭を左右に振った。そして、キリッと口元を引き締めて、義信に向かって言う。
「相手方に、あの上杉輝虎が居て、自ら指揮を執っているのなら、尚更急ぐ必要があるな。上杉方が海津城を囲む前に、我らも辿り着かねばならぬ。――太郎」
「……ええ」
信繁の呼びかけに、義信は大きく頷いた。その顔からは、既に先程の臆した様子は綺麗に消えている。覚悟を決めた漢の表情だった。
義信は、横溢する戦意に全身に震わせながら、毅然とした態度で信繁に言った。
「飯富を――赤備え隊を先行させましょう。千曲川を渡られて、海津城の背後に回り込まれては厄介です。――上杉の渡河は断固阻止せねば」
「良きお考えです、若殿」
義信の言葉を聞いて、信繁は口調と態度を改めた。甥に接する態度から、総大将に対するそれへと変えたのだ。
信繁は、馬上で恭しく頷くと、軍扇で前方を指しながら言った。
「――それでは、某も飯富の隊に加わり、共に先行致します。若殿は、六郎次郎と共に、海津城へ向かわれよ。――真田弾正!」
「はいな」
名を呼ばれて、ふたりの後ろをぽくぽくと付いてきていた幸綱が、緊張感の欠片もないのんびりした声で返事をする。
信繁は、幸綱の方へ振り返って、断固とした声で言った。
「お主も、若殿と共に海津へと向かえ。万が一接敵した際には、その、数千の兵にも勝るという頭を存分に使って、若殿をお助けするのだぞ」
「ははーっ! 畏まって御座る! 必ずや、典厩殿のご期待に添いましょうぞ!」
相変わらず、本気なのか、それともからかっているのか分からない大袈裟な身振りで、馬上で深々と頭を下げる幸綱。信繁は、その剽軽な仕草に苦笑を浮かべながらも、決然とした声で叫んだ。
「――では、若殿。ご武運を!」
◆ ◆ ◆ ◆
義信率いる本隊と分かれた、朱塗りの具足を身に纏った騎兵を中心とした二千の兵は、跨った馬の尻にしきりと鞭を入れながら、千曲川に向かって急いでいた。
率いるのは、飯富兵部少輔虎昌。そして、自隊の指揮を嫡子信豊に任せて、僅かな供回りだけを連れた信繁だった。
左手に緑に覆われた稜線が見える。妻女山の山裾だ。
「……思い出しますな。三年前の事……と、――失礼仕った」
信繁と並んで馬に鞭を入れていた虎昌がボソリと呟き、信繁の横顔を見るや、慌てて詫びた。彼の八幡原の戦いで、瀕死の重傷を負った信繁の心中を慮ったのであろう。
「……いや、良い」
だが、信繁は、そんな虎昌の配慮に笑って首を振った。この地で危うく死にかけたのは確かだが、だからといって、今は感慨に耽る時では無い。
代わりに、軍扇で前方を指して、虎昌に尋ねた。
「――この道を辿れば、千曲川の岸に出るのだな?」
「はっ! 御意に御座います!」
信繁の問いに、虎昌は大きく頷いて答える。
「川に出たら、左に道が折れ申す! そのまま、千曲川を右に見ながら岸沿いに進みますと、雨宮の渡しへと辿り着きまする!」
“雨宮の渡し”とは、幅が広く、流れも速い千曲川を横断出来る渡し場である。古来から軍事的に重要な渡河地域であり、雨宮の渡しを掌握するか否かで、戦いの趨勢が決まる程であった。
三年前の八幡原の戦いでも、妻女山を奇襲しようとして、まんまと裏をかかれ、主戦場の八幡原に急行しようとする武田別働隊と、それを防がんと、殿軍として別働隊を迎え撃った上杉軍の甘粕近江守隊が、渡河を巡って激しく戦った場所でもある。
この雨宮の渡しを押さえれば、上杉軍が千曲川を渡って、妻女山や海津城の裏手に回られて、海津城を完全に包囲される事を防ぐ事が出来る。
また、逆にこちらは、戦略的に大きく優位に立てるのだ。
上杉軍一万に対し、武田軍の兵数は五千あまり……。その兵数差の不利を覆すには、雨宮の渡しは、是が非でも確保しなければならない重要な場所である。
「――もちろん、海津城の香坂殿も、それは骨に沁みて解っているはずでしょうが……。何分、海津城の常備兵数を考えると、十分な数の兵を渡しの守備に割く事は難しいでしょう。……早く我らが助勢に入らねば!」
「……左様に御座りますな!」
虎昌の言葉に同意を示した声は、信繁のものでは無かった。飯富と信繁は、騎馬を走らせたまま、驚いて振り返る。
「典厩様! 非道いですよ、置いてけぼりなんて!」
「――武藤! 何故、貴様がここに……!」
頬を膨らませながら騎馬を駆り、ふたりに追いついたのは、昌幸だった。その姿に、虎昌だけでなく、信繁も驚いた顔を見せ――、思わず渋い顔をする。
「……昌幸! お主の隊は、若殿に従って海津城を目指すはずであったろう! どうして、こちら側に居るのだ!」
「も……申し訳御座いませぬ、典厩様!」
普段は穏やかな主から強い叱責を受け、ビックリした顔をした昌幸はその顔を曇らせて詫びの言葉を発したが、かといって、引くつもりは毛頭無いようだった。
彼は、決意を漲らせた表情で、信繁に訴えた。
「ですが……拙者は、典厩様の与力ですから。片時も離れる訳には参りませぬ! 若殿にも、きちんとお赦しは頂いております!」
「太郎の赦しがどうのという話では……!」
「まったく……命に逆らって、好き勝手動くとは……。昨日の真田殿と同じじゃなぁ! さすが親子と言うべきかの? 血には逆らえぬな!」
昌幸の言葉を聞いて嘆声を吐く信繁と、彼の父親の行動に準えて揶揄する虎昌。だが、当の昌幸本人は涼しい顔で、ふたりの後ろをピッタリと付いていく。
――結局、根負けしたのは信繁だった。
彼は大きな溜息を吐くと、昌幸に言った。
「……分かった。付いてこい。――だが、くれぐれも無茶はするなよ。戦場では、儂の命には必ず従う事。――それが条件だ。いいな?」
昌幸は、信繁の言葉に目を輝かせた。
彼は、興奮で頬を真っ赤に染めて、満面に笑みを湛えながら大きな声で応える。
「はっ! ――この武藤喜兵衛昌幸、典厩様について参ります!」
雨宮の渡しは、急流である千曲川を安全に渡る事が出来る、数少ないポイントでした。
もちろん、戦略上も重要な拠点であり、古くは源平合戦の昔から、度々激しい争奪戦が繰り広げられました。
この、“雨宮の渡し”がもっとも有名になったのは、江戸時代の儒学者頼山陽が詠んだ漢詩「川中島(題不識庵撃幾山図)」の一節『鞭勢粛々夜河を過る』です。
この漢詩は、第四次川中島合戦の時、武田軍の妻女山奇襲作戦を察知し、いち早く山を下りた上杉軍が、鞭の音をも忍ばせて、静かに千曲川の雨宮の渡しを渡る様を書いたもので、稀代の名文として、現代へと伝わっています。
上杉軍が、武田軍に逆カウンターを仕掛けるべく、未明に渡った雨宮の渡しですが、その数時間後、もう一度脚光を浴びる事となります。
妻女山がガラ空きだという事に気が付いた武田別働隊が、上杉軍の奇襲攻撃に晒され苦戦している本隊を救援するべく、主戦場である八幡原へ、急ぎ向かう際に渡ろうとしたのが“雨宮の渡し”でした。
もちろん上杉軍は、別働隊を少しでも長く足止めするべく、殿軍として、甘粕近江守率いる兵千人を雨宮の渡しに残していました。
川を渡ろうとする武田別働隊と、それを少しでも長く妨げようとする甘粕隊の間で激しい戦いが繰り広げられ、千曲川は血で染まったのでした。
やがて、頑強な甘粕隊の陣を攻め破った別働隊が八幡原に到着し、逆に挟み撃ちにされる形となった上杉軍は撤退戦に移行し、苛烈を極めた第四次川中島合戦は幕を下ろします。
――このように、雨宮の渡しは、川中島一帯で軍事行動を起こす際には、決して見逃す事の出来ない超重要拠点だったのです。
なお、千曲川の流れが大きく変わってしまった為、現在の雨宮の渡し付近には、当時の名残は全くありません。『雨宮の渡し史跡公園』という名の公園となっており、先述の頼山陽の石碑が僅かに、渡しの存在を現在に伝えています。