キモひろしさんの要求のエスカレーションと愛ちゃん
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もう何も考えられなくなった2
パート2:キモひろしさんの要求のエスカレーションと愛ちゃん
わたしなんぞがひろしさんの新たなヒマつぶしなどにはならないのだろうが、ひろしさんってば、事業の合間を縫っては私にラインだの、電話だのをしてくのである。私ももっぱら暇であるし、なおかつ構ってな部分などもあり、それらに喜んで呼応する………のだが、ひろおさんの私へのいじめかたは相当なものがあった。容姿に関してもそう、活舌に関してもそう、性格についてもそう、人生に対してもそう、なにもかもちくちくちくちくちくちくといじめてくるのだ。
「さゆりさん、今、飴玉を口中に含み、舐めまわしながらしゃべっていますね?」
むろん、言っておきたいが、電話をしている最中に、口中にでかい飴玉を含み、舐めまわしながら、電話をするなどという、無礼を働くことは、私は人生中、なかった、と断言できるような気がしないでもない。そんな風に、ちくちくちくちくちくちくと、私は48年も生きてきたというのに、気が付かなったような、コンプレックスと呼ぶべき点が相当まだまだあるという、指摘をしてくださる。いや、言葉遣いが丁寧であるのは、ありがちな、怒りというエネルギーが沸点に達しそうな時に起きがちな現象であり、内心のわたくしの心のうちは「ひろし、畜生」であったのです。
ところで特に今まで言及してこなかったのですが、私の住まいは越谷市、最寄りの駅で言うと南越谷というところにあり、グーグルによると、駅から7分の所にある。ひろしさんの住まいは、前に少し触れたけれども、中目黒で、中目黒1丁目にあり、まあ、遠いわけです。けれど、その遠さは、私にとってははるか彼方に思えるのだけど、ひろしさんにとってはそう遠くはないらしくって、電車でやってきてみたり、車でやってきてみたり、ラインや通話では飽き足らない、とでもいうのか、わが南越谷まで、やってくるようになった。初対面であった日は、夜だったのだけど、南越谷にも、規模の小さいゴールデン街という暖かい場所、暑苦しい場所もあり、焼き肉も、串も、ホッピーも、モルト専門店も、ダイニングバーもあるという感じで、また居酒屋も駅前には点在し、余談ではあるけれど、その割にラブホテルが1軒しかなく、需要と供給という問題について、考えざるをえない機会も往々にして持つ街でもあるのです。そのゴールデン街の一角にある、シルクハットというバーでひろしさんと私は飲んだわけなんだけど、ひろしさんはそのときは、そう多く、私への罵詈雑言を言わず、心中に引っ込めている様子で、ただ、シーバスリーガルのハイボールをがぶりと飲んだかと思うと、
「いや、さゆりさんは、ほんっとにかわいいっすよ」
と言う。我々は競うようにウイスキーを次はロックで、次はストレートで、しかもどんどん味もアルコールも重いものばかり選びつつ、ガブリガブリ飲んで、燻製した沢庵にクリームチーズとパプリカの切れ端を乗せたものを、ポリポリと噛みながら、そして、飲み、私はひろしさんの先ほどの
「いや、さゆりさんは、ほんっとにかわいいっすよ」
という言葉に何らかのリアクションをしようと、満面の笑みをたたえながら
「そうですかあ?」
と答えたのでした。ハゲデブキモのひろしさんではあるものの、そう女性にもてない風でもなく、幼少期にベルベットや、ルーリードでも聴いてしまったのか、現在ノイズのバンドを営んでいて、新宿でライブを開いている、等々、私自身が少々酔っていたようで、ひろしさんの言葉をあんまり覚えてはいないのだけど、ま、そんな話をして、終電ちょっと間際に、ひろしさんは、先ほどのお店と比べると、懐かしいほどに明るい駅構内の、東武伊勢崎線の改札を通っていき、振り返ることはなかったのです。私は、もしひろしさんがふりかえったら、この場所に立っていて、必ずしも大きく手を振って、
「ひろしさん、また!」
と言うつもりだったので、すこーしの落胆を感じたけれど、その落胆とは、歩いていてら、すぐに消えてしまうような、誰かにぶつかるという失礼を犯したら、そちらに気を取られ、霧散するような、そんな淡い気持ちでしかなかったのも事実だと思う。
それからは、我が家、十畳ほどのワンルームのアパートに、ひろしさんはごく短時間、遊びに来るようになったのでした。夏でした。窓は閉め切り、セミの音も静か。たまにはストロークス、たまにはプライマルスクリーム、たまにはフー、たまには、ニルヴァーナと言った風に、懐かしめの洋楽ばかりかけて、団欒を行うのです。夏のことです、当然、冷蔵庫には冷えた緑茶や、麦茶、たまにはアクエリアスなどが常備されているときもあり、アイスコーヒーもわけなく入れられるというのに、ひろしさんは決まって、ウチの近所の自販機で「炭酸梅ジュース」なる、私には少々珍妙に思える飲み物を買い、持参してきて、それを飲み終わると、缶を持ち帰ろうとするので、
「いや、ひろしさん、いいっすよ。私が飲んだ体で、捨てときます」
と言うと、ひろしさんは、そこポイントじゃねーよ、と突っ込みたくなるほどの、申し訳なさそうな表情を浮かべ、
「では、なるべくコンパクトに」
と言って、その、炭酸梅ジュースを飲みほした缶を、ぐしゃりと、厚さ3センチ程度につぶしてくださって、シンクの上に、小さく置いて、玄関で一回よろめいて見せると、近いうちにまた来ます、と言って、帰っていくのでした。
ある日のこと、また、朝起きると、ひろしさんから、こんなメールが入っていたのです。
「さゆりさん。おれはヤリモクだ。けど、ヤリチンではないんですよ。今は、きよみさんのおっぱいのことしか考えられない。お願いです。乳首吸わせてください」
一般的にこういった申し出を受けた48が、どう思い、どう感じ、どう考え、どうこたえるのかという点について、私は女友達もいないせいか、極端に疎く、また、一般的にどう思うだの、考えるかだの、そんなことは本来どうでもいい話なはずで、私はお湯でざぶざぶと顔を洗い、ワセリンを顔面に塗り、紫外線吸収剤不使用のお気に入りのユースキンの日焼け止めを、またしても顔面にマイルドに塗って、しばし、アンティークな楕円形の鏡に映る、朝陽に照らされた、私の顔を、眺めたのち、コーヒーを入れてみて、口を付ける前に、
「ひろしさん、ぜひとも。楽しみにしております。さゆりおばあさんより」
とメールして、洗濯だの、掃除だの、朝の通常の日課を滞ることなく、いつもの順番通りに済ますと、朝の空気の中へ、ブルーのナイキを履いて、食パンを買いに行ったのでした。
そっからなんだけどさ。
ひろしさんは、少しひどかった。ま、以前から、ひどい方だなあという印象は持っていたのだけど、そこから、いじわるの度合いが増すというわけではないのですが、要求が増えていったのです。そう、要求。はじめは、こんな具合だったのでした。
「さゆりさん、写メ送ってもらえませんか?」
私は、恥ずべき趣味として、一つにはケータイにての自撮りがあります。朝、メイクを仕上げると、一枚パシャリ。そんな具合に毎日毎日、ルーティンとして、自撮りを行う癖があるわけ。んなもんかんたーん、とその日もメイクを終えると、パシャリと一枚、それを、ひろしさんに送ったわけです。我々老人同士、ひろしさんと、私のライン及び通話は、つらつらつらつらつらつらと、如何にも老人らしく、とめどなく続いていましたが、要求のエスカレーション。が見られるようになってくるわけですよ。
「さゆりさん、すっぴんお願いします」
「さゆりさん、お風呂上がりの髪が濡れているやつお願いします」
「さゆりさん、脚を願いします」
「さゆりさん、セクシーショットお願いします」
というわけですね。私は唯々諾々と、それに従っていたし、少しノリもあったりなんだりして、楽しく、ひろしさんに胸の谷間の見える服など着てみて、かなり古いものの「だっちゅーの」というポーズをとりつつ、マスカラをたっぷり塗ったかと思えば、マスクをした状態で写メを何とか工夫してとってみたりして、老人同士のケータイ遊びもなかなかに楽しいもので、これがサルの毛づくろい! というような情感も、わたしとひろしさんの間には漂っているような気が、私にはしてきて、楽しくそれらのごっこを行っていたのです。
しかし。
徐々に問題となってくるのはこのあたりからでした。ひろしさんは、次に顔を入れた、下着をとった、おっぱいの写メを送ってきてほしいと言ってきた。私は、ひろしさんに、
「さすがに、それは………、オザケン風に言うならば、それはちょっと」
と答えると、
「さゆりさん、あなたは、何か、自意識の過剰の病気にでも罹ったのですか? 誰が見るのです。あなたは柏原芳恵でもないんだ。48歳のおっぱい、俺以外の誰が見たいと思うと思うのですか?」
その時………わたくし、どうかしていたのか、ひろしさんの言葉には何の矛盾もなく、完璧な論理にさえ思えたのです。そのため、通常のナチュラルメイクのまま、マスクもせず、上半身には何も、下着も身に着けず、ぼんやりとした表情で、寒そうに、心細げに映っている、私の写メをひろおさんに送ってしまったのでした。
しばし、仕事が忙しいという旨で、数日ひろしさんから連絡はなかったのですが、そのこと自体も気にも留めず、また、送ってしまった、ポートレートの一件もそれほど気にも留めず、何となく、日々を、音楽を聴いたり、スーパーに行ったり、散歩をしたり、近所のバーで飲んでいるところを、会長に拉致られて、スナックに連れていかれ、君、俺はね、金は出すのさ、と御年86歳の会長はいい、お尻より胸のほうが興味が大いにあるのだと語り、それに相槌を打ったりなどしながら、4,5日経過した日の夜に、突然、ひろしさんから連絡があったのです。
「さゆりさん、オマンコの写メ送ってください」
この言葉に、私は大いに、うーーーーーーーーーんとうなってしまわざるを得なかった。オマンコを自撮りする。簡単にも思える行為。しかし、そのころ、私にはとても、一途に思いを寄せてくださる篤志家がいて、さゆりさん、愛しています、どうか僕の彼女になってください、お願いします、といつも行くバーの30代の常連の方に、言われていたものですから、おっぱいとオマンコの差について、考えざるを得なかったとぃうわけよ。つまりですね、その方の、申し出を受けるのならば、私はオマンコを自撮りするべきではないという気持ちが働いたというわけ。不貞という行為をなぜしてはいけないのか? これは私が思うに、ただ単純に思いやりの問題ではなかろうかと、思うのです。己が惚れる女の㊙な部分は、おそらく、ほかの男に見られるのはきっと嫌な気分になるのではないでしょうか? そこで、私は、カクカクしかじかと、実は………と、ひろしさんに私の近辺で巻き起こった、少しの恋愛事件について語ってみたわけ。すると、ひろしさんが言うには
「その男は、さゆりさんを愛しているというわけですね?」
「ええ、まあ、そういうことじゃないんですかあ? そう言われたんだし」
「さゆりさん、僕は、さゆりさんを愛していません。さゆりさんを愛していないんだ。けれど、さゆりさんのオマンコをどうしても見たい。その、オマンコを見たいという気持ちは、どの男より、そのさゆりさんを愛しているという男よりも、強い思いなんですよ。俺はいま、それ以外のことを何も考えられないくらいなんだ。俺は狂っている」
私は、ベッドの前に置かれた、テーブルの上に辞書を置き、それに斜めにケータイを立てかけて、ベッドで、服を脱ぎ、脚を大きく広げて、パイパンのオマンコを、ケータイのタイマーを駆使して、撮り、それをひろしさんに送ったのです。
「ありがとう。おやすみなさい」
ひろしさんから、そんなメールが届き、私も、
「いいえ、お安い御用。おやすみなさい」
と入れて、ベッドに入り、目をぎゅっと固く閉じました。小雨が降る日で、その雨の音は、私を眠りに誘ってくれて、そう、時間もかからずに、寝入ったのだと思います。
翌日は外来の日でした。今年の初め、寒さのせいなのか、日照不足のせいなのか、私は多少、具合を悪くして、3か月ほど入院しているため、外来の待合室で順番を待っていると、いまだ、退院できずに、入院している仲間が、顔を出してくれるのです。そんなとき、天気が良ければ、裏のテラスに回って、皆でお菓子を食べてみたり、ジュースを飲んでみたりして、団欒の時をすごすのですが、その日はもう、さみし気な入道雲が、切迫した夏の終わりを、脅かすように、もくもくときれいなコントラストを空に描いていて、風は湿気を伴わず、メロンソーダを皆で飲んでいました。確かに、それら、患者さんの言うことには、意味が通じかねるときもある。けれど、私自身が、きちがいなので、少し理解する部分があり、他者に通じない論理や思考、言葉であっても、きちがいの脳内ではきちんとした理が成り立っているということがたいていなのです。
「愛ちゃん! なにしてんの!」
という大声が聞こえ、ナースや、清掃員、事務の方々、外来患者、入院患者が少々ざわつきました。そこで、ん? とテラスから中を覗いてみると、私が入院していた、病棟の患者さんである愛ちゃんが、髪も体もびしょぬれで、水滴をぼたぼたと滴らせながら、エレベーターの前に立っているのです。私はすぐにテラスに戻りました。けれど、聞こえてきます。
「愛ちゃん、さ、病棟に戻ろう、もう一回お風呂に入るといい、愛ちゃん、ここがどこだか、わかる?」
看護婦の砂川さんが、愛ちゃんに語りかけ、婦長が、職員に怒鳴るように指示を出している。清掃員は、院長が通る前にと、床を拭き清め、事務員たちはバタバタと、己が職責に戻っていく。そんな顛末が、テラスにいても、理解できるのです。私たち、テラスでジュースを囲んでいた患者さん方は、愛ちゃんと同じ病棟の人間ですが、愛ちゃんのこと、愛ちゃんの最近については、全く、触れず、話は、笑いに満ちていて、どっと笑いがよく起こり、斜めから刺しだした太陽光は、だれの髪の毛も、少し茶色くさせ、それらはきらきらと、光っていて、まるで、天使の集会のようなのです。
愛ちゃんは70代のレディですが、実は私は入院当時、とても仲良くさせてもらっていました。愛ちゃんは週に2回来る、息子さんに、一回五千円という高額なお小遣いをもらていたのですが、すぐに紛失してしまうのでした。けれど、この秘密を知っているのは、私だけなのだと思います。愛ちゃんには、病院の外にも、中にも、計二名の思い人がいたのです。レトロで、かわいらしいパーマをくるくるとかけ、アイラインを太めに引き、真っ赤なルージュを、べったりと唇に施す愛ちゃんを、ナースはあまりよく言わなかったのですが、私はそんな愛ちゃんを愛すべき、かわいらしい女性であって、様々な相談事にも乗ってもらっていました。そんなわけで、愛ちゃんも私をかわいがってくれていたのですが、愛ちゃんの、私と愛ちゃんんが共有していた秘密とは、愛ちゃんが、毎日タバコを一箱買うこと、毎日、イトーヨーカドーで、化粧品を買ってしまう習慣が抜けないということでした。そのため、週に計1万円のお小遣いとなるわけですが、いつも足りなくなり、愛ちゃんは、財布を紛失した、ポケットに入れていた、札を丸ごと落としてしまった、というウソを重ねざるを得ないかったのでした。
私が外来に赴いた日は、午後は、女性のお風呂の日だった。愛ちゃんは、お風呂を途中で、脱走して、エレベーターに乗ってしまったというわけなのでしょう。かけたパーマはぺしゃんこに濡れ、地肌は透けており、赤い口紅も太いアイラインも塗っていない愛ちゃん。親に連れて行ってもらった案外広い公園で、散歩道から、森林に入ってしまい、散歩道がどうしても見つからないといった目をした愛ちゃん。夏の終わりの午後のテラスでの天使たちの笑いさざめき。
愛ちゃんはもちろん、彼ら天使たちにも、そしてもちろん私にだって、人生の大きな出来事、トラブル、乗り越えたいなにか、どうしても乗り越えることができない何かはあるのです。私にも過去あったし、もしかしたら今も? いいえ、一寸先に何が起きるかも本当のところは、だれにもわからないことかもしれない。なにも解決しやしない。なーーーーんにも解決しないし、終わりも見えないし、終わりもない。多少重いような気がしないでもない。けれど、体重と同じく、いつの間にか増えていく重いもの、それらを引きずることに誰もが、「慣れていく」、「諦めていく」。それは決して解決でも終わりでもないけれど。
そうです。そうなのです。オマンコがどうだっていうのでしょう
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