憑依
「ガラハ、魔法の炎は必要か?」
「必要無い」
問い掛けられても答えることは一つだけだったかのような速度で返され、そしてガラハがスペクターへと突撃する。
「“火よ、力を貸して”」
アレウスの剣に魔法の炎が宿り、辺りをぼんやりと照らす。しかし、それくらいの光源ではスペクターたちは怯みもしない。そして動物的、野生的な勘を失っているためにアレウスが宿しているのが彼の者たちにとって効果的であることさえ分かっていない。
だからスペクターはガラハの突撃にも、アレウスの進行に対しても緩慢な動きを見せる。
「刺せ!」
戦斧で前方を薙ぎ、衝撃波でスペクターの体が揺れる。そこに妖精が急接近し、そして接触。なにをされたのか分からずスペクターはガラハへと接近し、霊体の爪を振りかざす。振り切った戦斧を戻し、今度は真下から真上に切り上げる。スペクターが爪を腕ごと刎ねられ、激しく体が揺らめいた。
「なにをしたら斧だけでスペクターを切り裂けるんだ?」
そう呟きながらアレウスはガラハの邪魔にならない位置まで滑り込み、二体目のスペクターに切り掛かる。剣戟で当たった感触はまるで無いが、剣に宿っていた炎が移り、彼の者の体を焼き、一部を焼失させる。
だがどちらのスペクターもうろたえ、もがいてはいたがすぐに失った部位を自身の体から生み出し、元に戻す。
「人種は体を切り裂かれれば血を流すけど、悪霊は違う。霊力がある限りは幾らでも再生する」
「だが、霊力は人種で言い表すなら体力。体力を消耗して肉体を再生させるような魔物なんて異界獣以外に知らないが、そして悪霊如きをそれと同列には語りたくもないが、霊力はいずれ尽き、体は滅びる」
「当たり。“火の弾、踊れ”」
アレウスとガラハが担当していない残った一体にアベリアの魔法の火球が飛ぶ。
「刻んで刻んで刻み続け、そして始末出来るのならこれほどオレの恨み辛みを吐き出せる相手は居ない!」
スティンガーが刺したスペクターのみを集中的に狙い続け、ガラハがその四肢を断つ。スペクターは再生を試みたが、失った半分しか元に戻りはしなかった。そこに戦斧という重量のある武器を自在に操り、ガラハは圧倒的な力を見せ付ける。霊力を失い切った悪霊は塵のように粉々となり、空に還る。
「さっきからどうやって有効な攻撃を出しているんだか分からないな」
そう呟くくらいにはアレウスにも余裕がある。一見して理屈の通らない存在に見えるが、宿した炎が有効と分かればどうと言うことはない。魔物が持つ野性的な勘が無いのだから、ただ揺らめき、そして単調な爪での攻撃ばかりだ。そして、炎を宿した剣であればそれらも防ぐことが出来る。それでも油断はしない。剣で防げてはいるが、自身の体は魔法が関わっていない。つまり、防ぎ方を間違えれば肉体を擦り抜けて、急所にだけ確実な一撃を与えられてしまうかも知れない。悪霊と対峙するのはこれが初めてであるが、その性質について未だ手探りな現状、あの霊体が建物はともかく、どれくらい肉体を擦り抜けられるのかは不明である。心臓だけを狙えば、まさに心臓だけを切り裂かれて絶命する可能性も考慮する。あり得ないことは、想定しておかなければいずれあり得ないことではなくなる。いずれは起こる必然へと変貌する。
だから考慮した上での着実な剣戟を浴びせ続け、スペクターの首に剣を突き刺す。全身が炎に包まれ、灰となってスペクターが文字通り、昇天する。残った一体へと向かおうとしたが、立て続けに放たれる火球が容赦なく悪霊の体を焼き尽くし、極めて短い時間でもって昇天した。
「魔法が一番効率的か」
「そうみたい」
「話している暇は無い。さっさと次の悪霊を捕捉しろ」
ガラハが急かして来るため、情報共有が密には出来ない。だが、事実を見た。アレウスの剣に付与された炎は通じ、スティンガーが一刺ししたスペクターはガラハによって昇天し、アベリアの魔法は彼の物に暇すら与えないほどの速度で焼き尽くした。
つまり、これらの対策は全て通用する。アベリアが捕捉することが前提で、彼女にはかなりの負担を掛けてしまうが、これが最高効率である。勿論、襲って来ない悪霊が居るのならば相手をしないのが一番である。
「教会までの道すがらだけで良い。遠くのスペクターは放置する。霊媒師が掻き集めたのなら、そいつの魔法さえ解くか、始末さえしてしまえば大体は昇天する」
分かっていること前提でアベリアへと指示を出す。ガラハはアベリアのやや後方に居るが、今にも教会の方角へと走り出そうとしているのが見て取れる。その欲求を抑え付けているのは、やはり復讐心である。自身のミスで好機を逃しては意味が無い。ましてや気に喰わないヒューマンと組んでまでの策略である。水泡に帰した場合、ガラハは恐らく自分から命を絶つだろう。
「先ほどから黙り込んでいるが、スペクターは居ないのか?」
「居ない……けど」
「来るな……来るな!!」
アレウスはアベリアが立ち止まった意味を知る。前方に信徒が数人ほど立ち塞がり、手には棍棒や包丁、ナイフなどを握り締めている。怯えた様子を見せており、震える足と手で必死に教会への道を遮るだけでなく、言葉の選択を間違えれば恐怖と勇気を履き違えて襲い掛かって来てしまいそうだ。
「僕たちに町民を傷付ける意思はない」
「嘘だ」「そうやって私たちにまた嘘をつく」「嘘をついて、私たちを裏切る」「そして私たちの中からまた罪人が出る」「誰かが密告するからだ」「一体、どいつが密告しているんだよ」「お前だろ?」「いや、お前だろ」「違う、そうじゃない」「私たちは、黙って神官様に従っていれば良い」「そうすれば、誰も罪になんて問われない」
信仰心とは、信心深さとは、どれだけ対象者の心を掌握出来るかどうかである。神官は神の教えを説くが、神ではない。しかし、偶像崇拝とは時として神の御遣いですら神に近しき者と定義することさえある。
神官モドキはまさにその偶像崇拝を悪用したのだ。
「貴様たちはオレの同胞を、」
「信じられないことをしていたって、最初に信じたんだから撤回することが出来ない。いや、神官を信じなければ他の誰も信じることが出来ないのか」
密告を取り入れたことによる疑心暗鬼。唯一信じられるのは神官モドキだけ。その言葉だけが彼らにとっては真実であり、信じることのできる言葉なのだ。それ以外はどれもこれも嘘にしか聞こえない。
そういう風になってしまった。
「ドワーフを見殺しにしたこと、未だに苦しんでいるんじゃないのか? でも、それを口にすれば背信者だと言われ、どこかへと連行される。僕たちは元凶を討つだけだ。彼らさえ居なくなれば、もう誰も疑う必要なんて無くなる。密告も意味を成さなくなる。連鎖を断ち切りたいだけだ」
「アルフ!!」
なにか、得体の知れない者と睨み合っているような感覚に陥り、反射的に退いた。
「ちっ!」
黒い鷹の意匠を縫い付けてある外套を羽織った男――霊媒師が町民の背後から現れ、聞こえるほど大きな舌打ちをした。
「なにが見えた?」
「スペクターよりも大きな悪霊……禍々しい。角と牙が生えていて、まるでオーガみたい」
「オーガ? 鬼ってことか?」
「鬼がなんなのかは分からないけど、アルフが言うなら多分、そういうの。さっきアルフに抱き付いて……多分、憑依しようとしたんだと思う」
鬼神、般若。色々と表現の仕方はありそうだが、まずは姿が捉えられなければ意味が無い。
「私たちはずっと見ていた。お前たちの一時の迷いすら捨てられないとは、使えん連中だ。“我が命に答えよ”」
「なんだ?」「なにかが、入って来る」「嫌だ! 連れて行かれた奴らと同じになるのは嫌だ!」「自分が、喪われて行く……」「誰か、助け……!」
「……なにが起こった?」
「霊媒師がアルフを狙った鬼の悪霊を従えたまま、別の悪霊を町民に憑依させた」
「恐怖など必要無い。迷いなど必要無い。己の精神で戦うことが出来んのなら、私に操られ、我らが目的を成就すべくための礎となれ」
町民たちから震えは消え去り、確かな握力でもって得物を握り締め、しかしながら瞳には一点の光も見えなくなり、猛り狂った獣のような声を上げながら襲い掛かって来る。
「殺すなよ、ガラハ」
「貴様に命令される筋合いなど無い。だが、己で決断して向かって来るのではなく、強制されて戦わされるのならば、このヒューマン共にも僅かだが哀れみを抱くのもまた事実。手出し出来ないのであれば、オレはあの霊媒師を殺すとしよう」
ガラハは持ち前の身体能力を活かし、全ての町民の攻撃を強引に避け、そして霊媒師へと駆ける。
「本元を叩くのは正しいが……クソ」
あとを追おうとするも、アレウスの前には町民が立ち塞がる。ガラハは通さざるを得なかったが、さすがにアレウスまでも通す気は町民を操る悪霊共には無いらしい。
「祓魔の魔法は習得しているか、アベリア?」
「ヴェインならともかく、私はまだ……」
「そうか……」
包丁も棍棒もナイフも、どれもこれもを丁寧に打ち払いつつ、アレウスは下がる。全ての武器を弾き飛ばすことは出来る。だが、町民を叩けないのではまた武器を拾われてしまう。気絶させるのも手なのかも知れないが、ロジックが有効なのかどうかも分からず、更には町民の意識を途絶えさせたところで、その体を動かしているのはアレウスには見えない悪霊の仕業である。町民の意識はひょっとしたら悪霊に必死に抗っているかも知れない。それを気絶などさせれば、完全に悪霊の支配下に置くことになる。そうなれば、この分かりやすい攻撃の数々も突然、ワケの分からない人種の動きとは考えられない攻撃に切り替わるかも知れない。なにせ悪霊にとってはただの自身を放り込んでいる器である。器がどうなろうと、悪霊にとってはどうだって良いのだ。傷付けられようと、四肢を断たれようと、絶命しようと構わない。器や物をぞんざいに扱うことなど人種にとっても簡単なことなのだから、スピリットにとっても簡単なことに違いない。
「さぁ、殺せるか? アルフレッド・コールズ? 殺さなければ、私にも、そしてあの方にも貴様の刃は届かんぞ」
ガラハの戦斧を恐らくは悪霊を使役することで絶妙なタイミングで避けながら霊媒師が嗤いながら言う。
「人種の死体は沢山見て来たんだが」
「殺したことはない……よね?」
「だが、この町民たちを止めないと、ガラハの元には行けない」
「ガラハさんだけだと、不安が残る」
「選択の時だ、アベリア」
「決めよう、アルフ」
アレウスとアベリアは息を整え、剣と杖をそれぞれ握り直し、町民を正面に捉え直した。




