夜襲開始
日が沈むまでに策は練り終え、アレウスたちは帰路において必要最低限の食料を分け、夕食を摂った。夜襲前にお腹を空かせることがないようにするためだ。朝食、昼食、夕食というのは三食で一日を終えるために最低限必要な食事量である。特に夕食後から朝食までの時間が長くとも問題が無いのは睡眠によって活動が最小限に抑えられるところにある。しかし、今回は夜間も活動する。人体は計算通りには行かないが、アレウスはお腹が減るだろうと見立てている。なので夕食は食料をふんだんに用いた。それでもお腹が空いた場合の夜食用には毎度おなじみのドライフルーツなどの保存食を各自が携帯するようにした。
そして夕食を摂ってから、警備役を交代しながらおよそ三時間の仮眠を取った。これでも睡眠としては物足りないものがあるのだが、深く寝入ってしまっては夜襲の意味が無い。むしろ相手は厳戒態勢を取って仮眠すら取れていないのだろうから、アレウスたちが三時間だけでも眠れたのはありがたいと思わなければならない。
「野営用の荷物と食料は置いて行く。なるべく鞄の中身は軽くしておきたい」
アレウスは小瓶に入った自身の血液を周囲に撒きながら指示を出す。いつものように獣除けであり魔物除けである。ガラハもその血に関しては臭いで察するものがあったらしく、なにも文句を言っては来なかった。
「ランタンの灯りで居場所を気取られる。ここから先は闇夜に紛れる」
「あたしは夜目が利くからヴェイン君を連れて行けるけど、アレウス君たちは大丈夫?」
「僕も一応、夜目は利く方です。それにアベリアも問題ありません。ガラハは、山で生活しているんですから元より目は良いでしょう」
ガラハが鉱石掘りをしていたかどうかはともかくとして、自然が豊富な山での生活をしているのだから夜目が利かないはずがない。
アレウスとアベリアは異界での暮らしで明るいところよりも暗いところでの活動の方が落ち着くほどだ。加えてアレウスは『蛇の目』を持つため、熱源感知も出来る。
「そういや、嘘を見破られた割には僕のことをアレウリス・ノールードとはまだ見破ってはいなかったな」
「じゃぁ、アルフやアルフレッドって呼んだ方が良い?」
「可能ならそうしてくれ。ヴェインとシオンさんも」
「分かったよ」
「りょーかーい」
「いつまで待たせる気だ?」
戦斧を抱えて、ガラハがアレウスを待つ。
「“水よ、力を貸して”」
アベリアの杖から膨れ上がる水の塊はヴェインの鉄棍を濡らす。水属性の付与魔法であるため、見た目では分かり辛いがその効果は事前にチェックしている。火属性の付与魔法も同じように成功しているのだが、魔法の炎を宿してしまっては松明のように辺りを照らしてしまう。それは夜襲向きではない。
「さっきアレウスと相談した通り、ヴェインにはおおよそ四十五分間の付与魔法を掛けた。アレウスは悪霊と遭遇してから十五分の付与魔法で良いんでしょ?」
確認を求めて来たので大きく肯く。人数差があることも加えて、ヴェインが祓う術以外で悪霊と戦う方法を持っていなければシオンの負担が大きくなる。そのことを考えて、二人で一時間の効力を半々に分けるのではなく、アレウスよりも彼に長く付与魔法が残るように比率を変えた。
「よし、行こう」
アレウスはヴェインと軽く拳を小突き合わせてから宣言し、そこから二手に分かれた。
「彼奴らが失敗すれば、オレの野望も潰える……か。やはり、手を取り合うのは博打と同じだ」
アレウスたちは二人が攻めてから数分後に町へ突入する。まず最初の襲撃によって、教会に集まっているであろう信徒の数を減らす。そのために二人が襲撃する地点は教会とは真逆の場所だ。恐らくは策略だと踏んで信徒に動くなと命令されるだろう。しかし、そう来るのなら二人には更に深くに踏み込んでもらう。町民のほとんどが罪人に近しいが、それでも武装していなければ手は出せない。冒険者も軍隊も同じである。非武装の人々に手を出すのは『悪』に該当する。同時に武器庫などではないただの家屋の破壊も禁止である。制約はあるが、しかしこれを守らなければ神官モドキと霊媒師と同じ穴の狢となってしまう。
盲点を突く、或いは制約にはなっていない部分を突くのならば、武装した信徒には手を出しても構わない。襲い掛かって来た町民に対して取る行動はどれもこれもが身の安全を確保するための致し方の無い手段となる。そこだけは軍隊や兵士と違い、冒険者にだけ許されているのであろう搦め手だ。しかし、ヴェインとシオンの性格を熟知しているからこそ二人がそのような残虐な行為に走ることはないだろうという確信がある。
そうなると、どうやって音を出すか、又はどのようにして町民たちにとって危機感を与え、二人の居る方角へと注意を引くかが難しいところとなって来る。それでも二人は「幾らでもやりようはある」と声を揃えて言っていたので、アレウスたちは移動しながらその「やりよう」という物がどのような物なのかを見届けなければならない。
「なぁ、ガラハ? 復讐を遂げたあとは一体どうするつもりだ?」
「どうするもこうするも、復讐し、オレの生き様は終わる」
「この世に生を受けたクセに、勿体無い生き方だな。『異端審問会』が存在する限り、復讐は終わらないとした方がもっと長く生きようと思える」
「貴様はそうなのかも知れんが、オレはそのようには考えられない」
「堅苦しい生き方だ」
「だが、堅苦しく生きたからこそオレは同胞との絆を強く、固く信じている。それを嘲笑い、同胞を虐げ、切り捨てたヒューマン共は必ず殺す」
「だろうな……」
「けれど、スティンガーもガラハさんを追って、精霊の元へ消えてしまう」
「その通りだ。さっきからスティンガーはオレに何度も何度も口うるさく生きて欲しいと言って来るが、オレの意思は変わらん。その時が来れば、スティンガーも分かってくれるだろう」
「自分だけ先に死んで、スティンガーはその死の悲しみを感じながら、消える。そんなのは自己満足な死。遺された側の意思が介在していない」
アレウスから見て、アベリアはクルタニカの言葉を借りているようにも思えた。パーティで後衛を守れたという自己満足な誇りを抱えて死なれても、後衛として未だ生きている側は、死んで行く様を見ながらも生きる方法を考えなければならないのだ、と。たとえ甦ると分かっていても、仲間が死ぬ様は見てはいられない上に見慣れない。そうして心を乱される。
「ならば、オレは復讐を遂げたのち、どう生きれば良いと言うのだ? この身に残っているのは、同胞の悲鳴、同胞の声、そしてあの日、灯らなかった大灯台の景色。それだけだ。オレは常に悲しみという名の重圧を受け続けている。寝ても覚めても、同胞の怨嗟の声がさながら聞こえて来るような切迫感に囚われる。断じて怖れているわけではないが、ヒューマン共を殺したあとも声が聞こえるような感覚に陥ったなら、オレは狂うしかない」
ガラハは自身が生きているのは復讐心が残っているからだと思っている。だから神官モドキと霊媒師によって見捨てられた同胞の怒りと憎しみの声が聞こえているのだと思い込んでいる。何故、外に出ていたのか。どうして自分は生きているのか。どうして共に死ぬことが出来なかったのか。
あまりにも歪んだ後悔――死ねなかった後悔をし続けている。生き恥を晒していると思っている。そんな自分には価値など無いと思っている。
「お前は図太くもがいて、生きようと必死になっていた僕やアベリアとは逆なんだな」
「逆だと? 貴様にこの苦しみが分かるか?」
「なら、お前に僕の苦しみが分かると言うのか? そんな問いにはいつだって正しい答えなんてないんだ。何故か分かるか? お前が、それを苦しいと思い続けて、復讐以外に変換出来ていないからだ。生きることへ変換しろ。生きて生きて生きて、大きなことを果たして死んで行け」
「ヒューマンのガキがなにを分かったような口を、」
ガラハが全てを言い切る前に町の警鐘が鳴り響く。見つかったのではないかと思い、三人が急いでその場に伏せる。しかし、一向に何者かが来る気配は無かったためどうやらこの警鐘は三人に対してのものではないらしい。ならば、手筈通りにヴェインとシオンの二人が町への侵入を開始したに違いない。
「町としての建設はドワーフを見殺しにしたから半ばなんだろうな。門どころか、壁すらない」
そもそも都市になって初めて外壁が用意されるので、大体がそうであるようにこの町もまた門は用意されていてもどこからでも入ることが出来る。ただし、教会のある西側
は困難だ。まず向かおうにも起伏が激しく、更には岩肌を登らなければならない。もし登り切っても行き先を間違えれば岸壁から海に落ちてしまう。攻めにくいという点では教会が建設された地点は正しくはある。
しかし、余程の狂信者を集めていない限り、教会は人種に征服されても破壊されにくい。この町のシンボルは大灯台である。となるば、教会が壊されにくいところにあるのはいささか不自然なようにも、こじ付けなのかも知れないが思えて仕方が無い。そして、シオンは教会の中で床石を怪しんだ。あそこにはなにかがあるに違いない。それを暴けば、信徒も目を覚ますのではないだろうか。淡い期待だけは抱くが、実現する可能性が低いことだけは意識して、アレウスは二人を連れて闇夜に紛れつつ町へと侵入する。まだ二ヶ所からの襲撃という事実を知らせるのは早い。なので、ここからはアベリアを先頭にせざるを得ない。
「頼む」
「私が見て、ガラハさんのスティンガーが鱗粉を撒く。協力してくれる?」
「スティンガーが嫌がらない限りはやってくれるだろう」
ガラハ自身からしてみれば非常に不本意であることを言葉で示された。どう説得したところで、自分の生き様を決めている以上は止めようもないのかも知れない。
「あの監視塔には誰も居ないな。火球で警鐘を鳴らそう」
ヴェインとシオンの夜襲からおよそ十分ほど経ったので、こちらも音を立てて一点から攻めているわけではないことを伝え、状況を混乱させなければならない。
「“火の玉、踊れ”」
アベリアの周囲に複数の火球が生み出され、杖の動きに呼応して前方の監視塔へと全てが一直線に放たれる。警鐘は火球を受けて大きな音色を奏で、残りの火球が木材に着火し、煙が上がる。
「来てる、私の前方から三体」
「スティンガー」
妖精がガラハから離れ、アベリアの前方の中空で舞い踊り、鱗粉が落ちる。たった一粒でも触れれば、水面に落ちた水滴が生み出す波紋の如く広がり、更に付着するほどに悪霊――スペクターは輪郭を露わにし、アレウスとガラハでも視認出来るようになる。
「画家が描く幽霊はどれもこれも紛い物だろうと思っていたんだけどな」
呟き、異界で見たことのある霊体とは掛け離れたおぞましい容姿を持つスペクターを眺める。
「こうして事実を突き付けられたら、今まで馬鹿にしていた画家にはこれから頭を上げられないな」
そもそも有名画家には顔を合わせる機会すら無いのだが、自分自身の認識の違いについての皮肉を吐き出しつつ、アレウスは剣を抜いた。




