準備に手間は惜しまない
アベリアの付与魔法が機能するかどうかを確認したのち、ガラハが里で揃えた食材とアレウスたちが近場の食べられる野草などを採取し、それらを調理して夕食とした。特に語ることもなく就寝を迎え、日の出と共に荷物を纏めて出発する。そうすると日時が正午を回る頃には港町が見えて来た。
「ここからオレは同行できない」
「顔を知られているからだろう?」
「そうだ。策も練らずに馬鹿正直に町には入らない。妖精に偵察をしてもらうが、貴様たちはどうする?」
「僕とシオンさんで潜入する。なんなら、僕たちが大ポカをやらかさないように妖精に見張ってもらっても良いが」
「大長老様の妖精が見張っているはずだが……そうか、貴様たちは妖精とは話が出来ないのだったな」
ガラハから離れた光の球はアレウスたち一人一人を確かめるように動き、そして僅かに輝きの中に見えた本体はさながら全員を小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。未知なる生物と遭遇したような気分で、その笑みを不快にすら感じることはなかった。アレウスたちにしてみればあまりにも小さすぎるその生命体にもしっかりとした意思が存在している。それはアレウスが過去に生きた世界で表現すれば「宇宙人を目の当たりにしたような気分」が妥当である。
「あたしたちの失態は同時にあなたの復讐の失敗にも繋がるよ」
「交渉材料のように言ってはいるが、なんとも後ろ向きな発言だな」
「そんなに失敗して欲しいのかな?」
ガラハとシオンは馬が合わないらしい。そもそも、シオンに限らずアレウスたちもまるでガラハとは馬が合っていないと言える状況だ。これではシオンの態度を叱責できない。
「喧嘩腰で話し合うのも良いが、復讐するにあたっての意見を聞きたい。場合によっては僕たちはお前の言った通りの情報を収集してやっても良い」
「上から目線だな」
「それが一番手っ取り早いだろ。互いに利害を一致させて、最短距離、最優先事項を満たそうじゃないか」
「……良いだろう」
アレウスの意見に同調し、ガラハが妖精になにやら語り掛ける。妖精は地面擦れ擦れを飛び交い、翅から零れた鱗粉が地図を描く。
「港町を上空から俯瞰して見た地図だ」
「アベリア、描き起こせるか?」
「任せて」
マッピング用の羊皮紙とペンを取り出し、アベリアは地面に描かれた港町の地図を写し始める。
「ここからも見えるように、あの港町の一番目立つ場所は大灯台だ。漁港として栄えさせるためには闇夜でも漁船を誘導するための大きな光が必要ということで、オレたちが建設した。だが、ここはもうオレが毎日のように眺めていた平穏な輝きは失われている。ここで今、光っているのは仮初の輝きだ」
「人が集まりやすいところかい?」
ヴェインが問う。
「町のシンボルのようなものだ。なにかと人目には付きやすい」
「大灯台は近付かない方が良さそうだねぇ」
「次に、町の西側に大きな教会を建てた」
「海岸……崖に近くないか? 浜辺でもあるのか?」
持っている近郊の地図を開いてみても、内海の西側は入り組んでいる。こういった地図でも分かりやすい入り組んだ海岸線は開拓し辛いはずだ。
「無い。だが教会は岸壁の近くに建ててくれという指示があった。だからオレたちはそれに従って建設した。異端審問会なる集団が神官モドキを多数引き入れているのならば、ここはいわゆる拠点に違いない」
「なにか理由があって、ここに建てた。アレウス君はそう思っているってこと?」
「町の景観を考えてのことかも知れません。杞憂に過ぎなければ良いんですけど、なにかを隠しやすいのではと疑ってしまいますね」
「教会の位置は特に強く制限された」
「なら余計に怪しいってことね。ここも立ち入るのはやめた方が良さそう。潜入って言っても、危険に自ら飛び込む必要は無いから」
「ここが魚市場で、そこから先は大通り。商店を並ばせた。この商業区の奥に居住区。これは商店と住居の移動を最短で結ぶためだ」
ガラハが説明することをアベリアは地図を描き写しながらも、しっかりと羊皮紙の空いているスペースに書き加えている。
「他には?」
「商業区の近くには酒場や喫茶店、そして食事処がある。そこから奥は歓楽区」
「かんら……え?」
「女が男を誘うところと、男が女を抱くところがある」
アレウスはアベリアに顔を向ける。
「行ったら怒る」
「行かないし、なんでそんな顔されなきゃならないんだよ」
そして自身はどうしてアベリアの顔色を窺おうと無意識に顔を上げたのか。心は明らかな動揺の色を見せていた。
「術中にハマるかも知れないから、勿論だけど潜入にかこつけて興味本位で入るのはやめた方が良いよ」
「僕はヴェインに忠告されるほど歓楽区に興味津々じゃない」
「まぁ実際、暗殺の類にはそういったところを利用する場合もあるんだよねぇ……え、なにその目? いや、あたしは暗殺の知識として教えてもらっただけで、利用したことは一度も無いから!」
シオンは恥ずかしそうに言う。そんなにもアレウスは経験豊富な女性を見るような目をしていたのだろうか。
「茶番は終わったか?」
苛立ち混じりのガラハの声がするので喉の調子を整えながらアレウスもシオンも視線を戻す。
「町の機能については全体的に説明した。次に、オレの仇敵の特徴だ」
ガラハは怒りを抑え込むように、拳を固く握る。
「一人は神官の装いをしている。意匠に黒い鷹のような物があった。奴らにとって、その意匠はリーダー的存在のみが付けている物のようだ。瞳の色は黒。髪の色は薄い茶色だ。そして霊媒師と思われる人物は、服装は違えど黒い鷹の意匠を付けていた。腕に獣にでも引っ掻かれたかのような五本の爪の痣があったな。瞳は同じく黒、髪は白髪混じりだった」
「二人の特徴も地図に書き留めておくから」
言わずとも、アベリアはアレウスのやって欲しいことをもう始めていた。
「他になにか知りたいことはあるか?」
「人目の付きにくいところは?」
「日中は歓楽区だろうな。山場を過ぎれば港もそれほど人は多くないだろう。居住区も割と人は少ない。誰もが働きに出ている。夜になると漁港は更に静かだ」
「漁港が一番安全か。でも人目に付きにくいってことは逆に、悪目立ちしやすいってことでもあるから、あたしたちは居住区周りや食事処付近で動いた方が良さそう。夜は場合によっては歓楽区もやむなし」
「シオンさん?」
この日、珍しく怒気の込められたアベリアの言葉がシオンに向けられる。
「だーいじょうぶ。アレウス君をどこの誰とも知らない女にあげないから。景色に溶け込むには、どうしても町に住んでいる人たちのサイクルに合わせなきゃならないの。あたしたちは、旅人か観光客ってことで入り口でチェックを受けるだろうから、そこまで気にする必要も無いかも知れないから、あくまでもそこに入り込むのは最終手段ね」
「それなら、良いですけど」
アベリアはどこか心配げにアレウスを見る。どんな風に目で伝えれば分からないので、それそのままの意味を込めて見つめ合う。そうすると彼女は溜め息混じりに「知らない女の人と仲良くなったりしたら怒る」と呟きつつ、地図を写し切った。
「気配消しと姿を消す技能をシオンさんは持っていませんでしたっけ?」
「んー、あれって人には効果的なんだけど、霊体には無理だと思う。だって霊体自体が元々、見えない側なんだもん。見えない側のフリをあたしたちはするだけであって、本当に見えない側にはバレバレ。人に憑いていても、見抜かれちゃうよ。だからあたしは悪霊が見えても見えないフリをする。さすがに憑依して来ようとしたら、対処させてもらうけど」
「悪霊に憑依されたヒューマン――『悪魔憑き』はオレでも見分けが付かない。小僧が乗り移られて心臓を止められでもしたら大声で嗤ってやろう」
「申し訳ないが、そんな未来は永劫に訪れない」
地図を受け取り、アレウスはアベリアの頭を撫でてから言い切る。
「荷物の整理に入りましょう。旅人や観光客を装うのであれば、持っている物は可能な限りそのように似通わせます。商人は……駄目か?」
「漁港が機能していた場合、商人としては入り辛そうだからね。商売の話はアレウスもシオンさんも話せないだろう? だから駄目だろう」
一応とばかりにヴェインに確認を取ったが、やはり商談するための知識が無いので、その方向での扮装は出来ない。
「設定はどうする? 二人で行動することに正当な理由を付けなきゃだけど」
「恋人……は、アベリアが駄目だと言う顔をしているので、地方の村から漁港を見に来た感じでどうです?」
「割と有りだよ。俺の村にも家長制度もそうだけど、街に帰依し切らない形で村を維持する方法を見に来るよ。男女で来るのを不審がられたら、互いの知り合いが都合が付かなくて仕方無く二人で来た風を装えば良い。そうだな……村のお隣さんみたいな感じかな」
「名前は……僕は変えるか」
「アレウスは過去から見ても、変えるべき」
「シオンさんが顔を隠している理由はどうする?」
「実際にそうじゃないんだとしても、火傷の痕があることにしよう。幼い頃に火傷して、それから出来る限り顔を隠すようになった。それでも村が自分のために尽くしてくれるから、見聞を広めて、村に恩を返したい。こんなの感じでどうだろう?」
「本当に火傷の痕がある方たちに申し訳ないわ」
「それはそうかもだけど、シオンさん? 相手はドワーフを弾圧し、見殺しにした連中だ。非道なる者たちには、多少の非道な嘘をつくべきだ。悪気がある相手には悪気のない嘘は通じない。女神もあとで懺悔すれば、これぐらいは赦してくれるさ」
「僧侶が言うなら、そうさせてもらおうかな」
「潜入するだけでそこまでするか?」
「だからって、手を抜いて良いわけじゃないだろ。何事も手を尽くす。お前の言うところの復讐は、勢い任せでは果たせない。沢山の事前の準備があってようやく果たされるものだ。そうだろう? そして、」
「そこに至るまでの準備に時間を掛ければ掛けるほど、討った時の喜びも強くなる」
「……ああ」
ガラハには、なによりも「復讐のため」という言葉が通りやすい。それを利用していることも彼には気付かれているだろう。しかし、そうやって利用されていても構わないのだ。自身の復讐のためならば、自分すらも利用されてやる。そのような自暴自棄から成り立つ今の生きることへの執着心は正しいとは言えない。
しかし同時に、間違っているとも言うことが出来ない。なにせアレウスにもガラハほどではないが、復讐してやりたいという気持ちが渦巻いているのは事実であるのだから。




