興味や関心とは時に利用されるもの
今まで見たこともない巨大な生き物が人の言葉を話している。失礼ながらもアレウスはドワーフの大長老の余りの巨体にそのような感想を抱いてしまった。魔物ではなく人種の、しかも体格だけで威圧されるような感覚に陥るのは産まれて初めてである。こんな人物が要塞を牛耳っているのでは、誰一人として悪事など働けはしないだろう。
「答えよ、と私は申しておるのだが、沈黙が答えと見て良いのか?」
白髪混じりの髭を指先で触れながら、大長老が蔑みながら返答を待っていた。
「あ……いや、その……あまりにも体格に差があって、動揺しておりました」
これは非常にマズい。アレウスは跪いたままの姿勢で思う。自身は人の神経を逆撫でするような発言をたまにしてしまうことがある。単純な不注意で口から零れ出るのだ。もしもこの大長老を激怒させるような発言をしたならば、その大木のような両腕で引き千切られるかも知れない。両腕で無くとも片腕で体を絞め殺される可能性もある。
「して? 私になにを求めておる?」
「ヒューマンの街とのゲートが壊されているのですが、何故でしょうか? ここまで案内される間に、我々が全てを反故にしたとは聞き及んでおります。問題は、なにを反故にしてしまったのか。関係修復や修繕を行うためではなく、恥ずかしくも無知蒙昧な僕たちに教えて頂きたいのです」
「死臭の香りを放つ若造に話せることがあるか、と問われれば無いと答えたいところだがのう」
「嫌われていることは、承知の上です。場合によっては、下山するという選択肢もあったのですがドワーフの方々に一応のお許しを得て、ここに来ております」
「……なるほど、右腕を封じておるのか。山の守り人も難儀なことをする」
「しかし大長老」「この者の右腕からは魔物に等しき臭いを感じ取っております」「それだけに限らず、眼球、そして耳に至っても怪しい香りを持っておるのです」
「厄介なヒューマンは万に等しく目にして来ておるつもりなのだが、この程度でどうこう騒ぎ立てておったら、お主たちはずっと山から出られはせんぞ? じゃが、危惧するのも仕方の無いこと。封印を施した点については正しき判断と言えよう。このような若造が、どのような物を隠し持っておっても、その全てを捻り潰すぐらいは出来ると思っておるが、念には念を入れよとも言う。私の身を案じたのであれば、感謝する」
大長老の言葉にドワーフたちが平伏する。
「ゲートを壊したのは私だ、若造よ」
「……何故?」
「私たちドワーフを智慧の無い人種と決め付け、言葉巧みに誑かした。私はそう思っておる」
「その内容を知りたいのです」
「ドワーフは山で産まれ、山と共に生き、山と共に死ぬ。全ての山々は過去、そして現在に至るまでにドワーフの手が施されておる。野生動物が暮らしやすい環境を整え、清流となる河川を用意し、木々を植えたのは我らだと自負する者も多い。私もまた、その言葉を信じておる口でな……山を切り拓くのは構わん、野生動物を殺し血肉に変えることも構いはせん。我らも同じようにして生きておる。そんなことで一々、口出しなどせんわけだ。ヒューマンの所業についてはエルフの方が厳しく捉えておると思ってもらいたいところだ。だからこそ、少しばかりの期待をした。期待をして、裏切られた。そうとしか、私は思えん」
「約束を破った、のでしょうか?」
「ここより先に海岸があるのは知っておるか?」
「内海があることは、地図で知っております」
「我らドワーフも、山ばかりで暮らしておっては頭が凝り固まってしまう。新しい世界、新しい土地、新しい感覚。それを知るには、山を出なければならん。そこの内海は、まだどの人種も手を付けておらんところでな。山の幸ばかりを食べるのに飽いた私は、少しばかり海の幸というものに興味を抱いた。そして港町、漁業という形を知った。だから、ヒューマンにある提案をしたのだ。建築、地盤の踏み鳴らし……それらは私たちドワーフが行う。じゃからヒューマンは漁業における経済を、港町の経営を提供して欲しいと。要は条件付きで、協同に内海を開発しないかと言ったのだ」
そこで大長老の巨腕が振り下ろされ、大きな椅子の一部が折れ曲がる。
「しかし! 若造よ! ヒューマンは開発の全てが順調に進み、経済と経営も回り始めたその時! ドワーフの弾圧を始めた!」
「それは、本当ですか?」
「私の妖精が確かめに行っておる! 疑う余地も無く、あの港は! あの町は! ヒューマンだけの物となった! その場に残り、権利を簒奪したヒューマン共に抵抗する者もおった。しかし、なにを血迷うたか! ヒューマン共は私たちドワーフをありもしない罪によって牢屋にぶち込んだのじゃ」
言葉が出て来ない。目の前の大長老の怒りがハッキリとしているため、なにか言えばそのまま怒りの矛先が向いてしまうような緊迫した状況である。
「それだけなら許してやろう。ああ、許してやろう。牢屋など我らドワーフが作り上げた物。簡単に打ち壊し、そこから出ることも容易いことじゃ。しかし、平和ボケとでも言うのかのう。私はその状況においても、まだヒューマンが考えを改め、共に手を取るのではと期待しておった。だから、牢屋におるドワーフにもしばらくは静観するようにと伝えた」
「……まだ、捕まったまま?」
「それならどんなに良かったことか! 聞け、ヒューマンの若造! 切り拓いてすぐの村、町、都市というのは魔物に襲われやすいのだ。港町もその例に漏れず、魔物の集団に襲われた。その時、ヒューマンは危機的状況においては共に戦うという私が出した条件を守りもせず、そして牢屋のドワーフを誰一人として解き放つこともなく、港町から逃げおった! なにが友好じゃ?! なにが協力じゃ!? 我らドワーフは開拓の道具ではないぞ!? そして誰もが戦う術を持っておるというわけでもない! ヒューマンと等しき命を持ち、等しく血潮を流し、等しく心を持っておる! ましてや捨て置かれるなど! 何故、そのような惨たらしい仕打ちを受けねばならんのだ!?」
大長老は立ち上がり、怒り心頭のままアレウスへと迫る。ヴェインが動きそうになったが、アレウスが手で制止させる。
「手を打てばまだ助かったやも知れん命を、私は見捨ててしまった! ヒューマンを信じたが故の間違った解を出してしまった! じゃが、全ての始まりはヒューマンが起こしたことだ。ならば私は、私の責任をもってこの山に用意されたゲートを壊さねばなるまい!? 我ら同胞を見捨てた人種を、何故、我らは平気な顔をしてこの要塞に受け入れねばならんのだ? 無いだろう、そんな道理は! 私たちドワーフには、存在せぬ! 答えよ、若造!! この私に、なにを求めておる!?」
「僭越ながら申し上げますと、大長老様は人が良過ぎたのではないでしょうか」
アレウスの眼前に大長老の拳が落ちる。
「私を暗愚だとぬかしておるのか?!」
「あなたはこの里のドワーフを束ねる者です。誰からも敬愛され、誰からも畏怖される。けれど、同時に外へと出向く商人のドワーフと同じぐらい、外との関わりについて強い興味を抱き、同時に友好的であった。それは誇るべき美点であると思います。しかし、信じ過ぎれば、人が良過ぎれば利用されるが世の常です。この里においては敬われ、畏れられる大長老も、ヒューマンの街においては一つの山に鎮座しているドワーフの一番偉い人程度の認識しかありません。つまり、大長老という肩書きは僕たちの立場から見れば、いかほどの脅威にもならないのです」
「大長老様に向かってなんと言う口の利き方だ」「即刻、この者は山の外へと放り出してしまいましょう」
「黙れ!!」
大長老がドワーフを諫める。
「私は愚かか?」
「いいえ、愚かでも暗愚でもありません。僕は言いました。お人好しであり、友好的であることは美点であると。あなたに一切の落ち度は無いのです。そこに付け入った輩が、下劣だっただけに過ぎません。そして、僕の住まう街からそのような輩が出るとはどうにも思えないのです。馬車で二日も掛かるこの往路。内海の開拓のために漁港を用意するためには資材の投入が欠かせません。となれば内海に向かえば恐らくは二日半、或いは三日は掛かる。そんなところに、足しげく通うことに意味があるのかどうか」
「開拓するのであれば、その場にしばし身を置くじゃろうな」
「しかし、開拓当初の土地は魔物に狙われやすい……このことを知っているならば、きっと身を置こうとは考えません」
「漁港の開拓のためにヒューマンは百人ほどやって来た」
「数は問題ではありません。その内の一人が煽動すれば、ドワーフを牢屋に入れることも、ドワーフを置いて逃げることも出来てしまう。人心を掌握する者ならば、不可能ではありません」
「人心を掌握となると、信仰の強さを利用するか?」
「敬虔なる僧侶がドワーフを置いて逃げるとは考えにくく、また通常の神官もありもしない罪を着せ、牢屋に放り込むことなどありません。そして逃げ出す際にどちらもきっと牢屋に立ち寄り、逃がすでしょう。罪を赦す。そういった考えが出来るのもまた、正しき僧侶と神官の姿です」
「ならば私を誑かした者は一体、何者だ?」
「異端審問会。ロジックを書き換え、人種の生き様すら塗り替えることさえ恥じることのない神官を装った、非道なる集団」
アレウスは顔を上げ、大長老の目を見る。
「そして……僕の右目を潰し、左耳を切り落とし、右腕をねじ切り、ありもしない罪を着せ、異界へと堕とした集団でもあります」
「また世迷い言を」「貴様の目は潰れていないではないか」「耳も揃っておる」「右腕さえもしっかりとくっ付いておるわ」
「……壊したゲートは魔法の叡智を知らぬ我々では直しようがない。しかし、これから言うことをやってくれるのであればその修復についての方法をヒューマンに仰いでも構わん」
「魔物の脅威が去った漁村を不当に独占する異端審問会の追放」
「言っておくが、信じたわけではないぞ? 故に私は出向かん。手を貸そうなどとも考えん。しかし、奇特な輩は一人居る。貴様と同じく、未だ拭えぬ怒りを身に宿す者だ。復讐の炎に焼かれず、鋼の意志で生き続ける彼奴と貴様で、そのような無謀を果たせるか?」
「果たせるかどうかではなく、僕がやらなければならないことです。やられたならやり返す。それで積年の恨みも怒りも憎しみも全て晴らせるわけではありませんが、恐らく僕は一歩、前に進むことが出来るでしょう。成功失敗に関係無く、進むために僕はその無謀に挑戦します」
「右腕の封印を解いてやれ。そしてこの者の鎖帷子も新調せよ」
大長老はアレウスから離れ、椅子に座り直す。
「牢屋で死んだ目をしておるガラハを連れて来い。彼奴にとっての朗報を伝えねばならん。ようやく我らを誑かした者を討つ手筈が整ったとな」