1-8
――堕ちる前に……拷問を受けました。
「四層は魔物が少なかったから三層も余裕かと思ったが、どうやらそういうわけにも行かないようだ」
「なにが変わったんですか?」
「さっきまで通路を進んでいたが、この先は広間だ。持参した剣を振るえて実に心地良いと言いたいが、こういった形は外の未開の地にもよく見られるものでな」
「広間に魔物が必ず潜んでいるのよ。そしてこの構造は一回では終わらない。通路、広間、通路、広間って続く。どこまで続くのかはそれこそ深さによって違う」
「魔物の巣窟――モンスターハウスじゃないだけマシだが、さっきよりも戦闘回数は増える。合わせて、魔物の数も二匹以上は確定だろう」
見えるだけで三匹。もっと奥を照らせばその倍は居るかも知れない。
「アレウス、お前には何匹見えている?」
「……六匹」
「予想が当たったが、嫌な方の当たり方だな。仕方が無い、負担は大きいがまず三匹を釣る。あの三匹は群れだ。離れようとはしないだろう」
「釣る?」
アベリアが首を傾げながら静かに呟く。
「広間で戦えばヴェラルドは剣を振ることが出来る。でも、一気に六匹に囲まれる。だったら、剣を使うのを我慢して通路でまず私たちでも目視出来ている三匹を引き寄せる。それを始末してから、もう一度、広間の魔物の数を調べてから残りを始末する。六匹じゃなく九匹だったならあと一回は引き寄せなきゃ駄目。これを、冒険者界隈じゃ『釣る』って言うの」
「釣る魔物は見定めろよ。魔物の形が二足歩行に近いならその分だけ知能が高い。四足歩行にも例外はありそうだが、この魔物はまだ群れとしての形成力に弱さを感じる。だから『釣る』ことが出来る魔物だ」
一匹釣ったつもりが、勘付いて魔物同士が声を出して一斉に押し寄せるような悪夢だってある。ここでその恐怖をアレウスたちに経験させても良いのだが、ヴェラルドには余裕を持ったまま全ての魔物を始末出来る余裕はきっと与えられないだろう。崩壊の起因にもなりかねないことは先達者の教えとは呼ばない。
経験は、安全な物から語る。姿として見せる。そして学ばせる。それを実践するかのようにヴェラルドは小石を投げて魔物の一匹に当てる。反応は無いが、二度、三度と繰り返すとようやくこちらを魔物が見る。二匹を呼び寄せるような仕草を取り、三匹が通路へと入って来る。その直後に、一匹の魔物の脳天に棍棒を叩き付ける。これで仕留め切れてはいないが昏倒はした。突然のことで驚き、動けないもう一匹に棍棒でそのまま挑み掛かる。
魔物にとって最重要なことは驚異の排除になる。それも、一番脅威度が高い相手を集中的に狙う。ヴェラルドは二匹にとっての最大の脅威となった。だから、後退しながら身構えているアレウスではなく、二匹纏めてヴェラルドを襲う。
「動けない奴を先に仕留めろ」
どれに攻撃すれば良いのか迷っているアレウスにヴェラルドは指示を出す。爪が軽鎧を掠めた。これを装備していなかったなら、今頃は脇腹から大量に出血していたことだろう。重鎧は異界向きではないからと軽鎧を選択し続けてきたが、やはり防具のありがたみはこういった際に訪れる。アレウスが昏倒している魔物を始末するまでにどれくらい掛かるかは分からないが、二匹がヴェラルドの周囲を踊るように駆け回っている以上、一匹を処理する際に危険は伴わないだろう。それよりも、強気に出ているこの魔物たちに振り回されていることが問題だ。小回りが一々利いて、棍棒が当たらない。使い慣れていない武器を使うのは選択ミスとしか言わざるを得ないが、界層を登るに連れて魔物の強さが変化しているせいだ。
これは実に不思議なことが起こっている。通常、異界は深いところに強い魔物が潜んでいる。なのにこの異界は登れば登るほどに魔物が強くなる。
「ナルシェ、頼む」
「“軽やかに”」
装備の重みを忘れて、ヴェラルドの動きが加速する。棍棒の一振りが確実に一匹を捉えて打ち払い、残りの一匹は手甲に噛み付いて来ているところを蹴飛ばして、もう一方の手で引き抜いた粗製の剣でトドメを刺す。その数秒後に装備重量が戻って来て、体への負荷が強まり足が止まるが、アレウスの処理が追い付く。打ち払った魔物は彼の持つ短剣によって切り裂かれ、息絶えた。
「良い動きだ」
「動けていない魔物を倒しているだけです」
「いや、機転が利いている。俺がもう一匹を始末する予定だったが、お前が思ったより動いてくれたおかげでその負担は減った」
装備の重みを噛み締め直し、ヴェラルドは粗製の剣を鞘に納める。
「浄化は……速いな」
パシャッと聖水をアベリアに掛けられたので、多くは語らずに済んだ。が、やはりアベリアは聖水の扱いが雑である。魔法の素質があるからこそ聖水が機能しているが、これで素質が無かったならただ水を浴びせ掛けれているだけになる。それに、聖水はもっと丁寧に扱って欲しいところだ。
「アベリア、聖水がなにで出来ているか知っているか? これは、」
ズドンッと頭にナルシェの杖による一撃がお見舞いされる。
「たった一人の前衛になんてことをする」
「それを教えるのはもっとあと」
「今、知っておいた方がショックが少ないだろ」
「黙れ」
「……はい」
神官の裏事情は語れそうにない。語れても、ここで命を落としてしまいそうだ。
だが、茶番を繰り広げられる程度には余裕があるということだ。軽鎧を掠めた爪だったが、素肌を若干だけ掠めたのか、血が流れている。小瓶のポーションを一本飲んで傷の縫合が始まり出した間に、広間を再びアレウスに見てもらう。残っているのは三匹ということなのだが、通路から広間全体を見回せるわけではないので慎重に慎重を重ねて、やはり通路に釣った。同じように一匹は棍棒で昏倒させ、残り二匹は先ほどよりも手早く打ち飛ばし、動けないところを三匹ともアレウスに始末してもらった。少年の動きが良くなったので、ヴェラルドも後衛を気にせずに戦えた良い流れだった。
広間で地図を描き、通路に入って再びの広間で魔物の数を調べ、数匹を釣って始末し、再び釣って始末する。これを四度ほど繰り返したところで穴を発見する。
「一旦、休憩する。場合によってはキャンプだ」
穴を前にしてヴェラルドは言って、その場に鞄を置き、腰を下ろす。「なんで?」という顔をアレウスとアベリアがしている。
「ここなら、大量の魔物に襲われても穴に逃げ込めるでしょ? それに運良く通路に穴がある。前後どちらかからしか魔物は来ない。両方から来ても、やっぱり逃げることが出来る。登ってからの休憩だと、地形を把握できていないし魔物も倒せていないからまともな休憩は出来ないの」
合点が行ったという顔を二人がして、アレウスは右肩、左肩の順で回して筋肉を労わる。登るのはいつものことながら難しいが、お荷物が上等なおかげでこうして休める場所まで辿り着いた。
ナルシェがランタンを置き、鞄から水の革袋を取り出して口に含む。ヴェラルドも同じように水を飲み、それをアレウスに回す。懐中時計で確かめると、昼を回って三時を過ぎている。思ったよりも速いペースであったために、一日で出られるかも知れないと感じていたが、時の進みは好調であればあるほど早く巡る。
「これは、少し微妙だな。進んでも良いが……」
「理想はキャンプをすることね。私とヴェラルドで代わり番をして仮眠を取れば、深夜になってからでも登るのを再開出来るわ」
「……だな。焦って登って、馬鹿を見るのだけはやめた方が良いか」
ベースと違って、安全な場所とは言い切れないが現状、一番安全な場所である。
「穴が移動しないことを祈るだけだな」
「そればかりは私にも分からないことだし」
固定化出来る穴があれば、これほど嬉しいこともないのだが、常に穴は不安定だ。動くかも知れないし動かないかも知れない。
「休まなきゃ、どうしようもないって点では目を瞑るしかないな」
アレウスとアベリアはまだ元気そうに見えるが、それはそう見えているだけだ。興奮して、自身の体力に気付けていない。どこかで突然、スタミナが切れる。それが最も怖ろしいことだ。
「水はまだ二つ革袋にあって、食料は干し肉と、ペミカンと、一日だけなら大丈夫だろうと思った野菜が幾つか」
「ペミカン?」
「肉や炒めた野菜を油に沈めて固めた保存食だ。油にはラードを使った」
アベリアに持たせていた装備の中から底が深い持ち運び用の鍋を取り出す。五層で掻き集めた枯れ木にランタンを使って火を起こし、水を沸かしてペミカンを溶かし、スープとして全員に回す。
油分は多くなってしまうが保存食の中では腹持ちが良い。体も暖まり、そこでドライフルーツを何粒か食べればそこそこに眠気はやって来る。アベリアは既に眠りに落ち、アレウスも時間の問題である。
「眠れるのなら眠れ。番をするのは力のある者の仕事だ。子供がムキにならなくて良い」
瞼を擦り、睡魔と戦っているアレウスに言う。
「でも」
「もし魔物が襲って来た時、眠くて動けない。それで死んでしまったってのは理由にならないんだ。俺たちよりも万全な状態で戦えるように、寝ろ」
それは注意力が散漫か、気を抜いたツケであり、なによりも休むことの重要性を見失ったパーティに起こる不幸である。
「堕ちる前に……拷問を受けました」
眠そうにしながらアレウスは言葉を紡ぐ。
「右目を潰され、左耳を切り落とされ、右腕をねじ切られました……そして、ここに堕ちた……周りには、エルフと、人のような蛇の死体が転がっていて……あとは、見たこともない生き物の、死体も……」
「子供に……拷問……神官が?」
ナルシェは拳を固く握り締めている。その握力は凄まじく、自らの爪で皮膚を裂いてしまいそうなほどだった。
「必要な……こと、だったんです。生きるためには、必要で……だから……エルフの耳を、蛇の眼球を、そして、見たこともない生き物の、右腕を……」
「死体から盗ったのか?」
「……御免、なさい」
アレウスはそこでフッと意識が落ちた。
「切って張った、縫ったじゃないんだぞ?」
「子供ながらに思ったんでしょう。欠損した部位の代わりになる、って」
「そしてその願いは成就した」
「継ぎ目なんてまるで見当たらない。自らの耳、眼球、腕にまで形質が変わった。外見からでは判断できなくとも、きっとテキストには収納されている」
「アーティファクト……こんな子供が三つもロジック内に収めているのか?」
「なにより取り込んだのが怖い話よ。アーティファクトはテキストには格納されても、表面化しないはず。でも、この子は耳が、眼球が、腕が残った部位と変わらないレベルで回復していて動かせている。才能とは言わない。これは、体質の問題。この子にだけ与えられた固有能力なのか、アンネームドななにかよ」
「蛇はスネイクマンのことだろう。見たこともない生き物は……一部の魔物が襲うのを渋るとなると、二足歩行の小鬼」
「ゴブリンじゃレベルが低いわ」
「豚鬼なら酷い獣臭さが残るが、それほどの悪臭じゃなく僅かに臭い程度なら……大鬼か」
「エルフ、スネイクマン、そしてオーガ。どれも死体から盗ったなら、テキストには『スカベンジャー』の称号と『死者への冒涜』の称号が刻まれているはず」
ロジックを開けて広がるテキストは、その生命の生き様そのものだ。人種であるのなら人生が全て書かれている。だから、過去に犯した罪も刻まれる。
「『スカベンジャー』は見た目じゃ分からないが、『死者への冒涜』は、ドワーフと妖精には嫌われるな」
「魔物の臭いを僅かに発する以上、そもそもその二種は寄り付いて来ないからさほどの問題にはならない。問題なのは、」
「神官が、そんな称号持ちとは組ませたがらないから教会からの協力を取るのは至難で、ギルドも相応な扱いをしてしまう」
冒険者になり、冒険をする上で教会の力は必要不可欠だ。異端審問会のような腐敗した連中も確かに教会所属の神官であるのだが、真っ当に人種の心を癒し、助けようとする神官だって居る。神官が駄目なら僧侶でも構わない。どちらにせよ、この二つの職業は回復を専門分野とする。どちらかを連れて歩かなければ、一つの傷すら治せない。ポーション頼りでは金銭面で枯渇する。
ただし、アレウスのロジックは開けない。どんな神官ですら開けられないのであれば、『死者への冒涜』を隠し通してパーティを組むことも、やろうと思えば出来る。ただし、なにかの間違いでロジックが開いたりしたならば、アレウスに待っているのは再びの断罪である。
「こりゃ、外に出たなら色々と叩き込まなきゃヤバいか」
「思わぬところで弟子を取ることになりそうね」
「弟子を取る歳じゃねぇんだよな」
「私だってそうよ」
「……ま、そんなことは出てから考えりゃ良い。ナルシェ、先に寝ろ。まずは俺が番をする」
「お言葉に甘えさせてもらうわ」
ナルシェは微かに笑みを浮かべつつ、アベリアの隣で横になる。
「神官を頼らずに神官を騙す方法……か」
ヴェラルドは寝息を立て始めたナルシェをジッと見つめる。
「そんな生き方が出来るのなら、俺だって苦労はしてねぇよ……しかし、その前に、だ。アベリア・アナリーゼ。お前については、確かめておきたいことがある」
そう言って、ヴェラルドは眠りに落ちているアベリアの手を取り、それをアレウスにかざした。そして「やっぱりか」と呟き、アベリアの手を離した。
「それで、ナルシェ? 俺はいつお前に殺される?」