要塞
アレウスの腕の封印は傍から見れば痛々しく見える。棘が刺さり、色白な肌が青白くなっている。しかし、アレウス本人は筋力ボーナスを失った違和感以外は、特にこれといった痛みや怠さを抱いてはいない。
「服の袖はともかく、鎖帷子まで千切られてしまったな……」
衣服については動きやすい物をまた見繕えば良いのだが、鎖帷子を新調するとなるとまたお金が飛ぶ。右肩から肘関節までの少しの部分が駄目になった程度であるので、ひょっとしたら鍛冶屋に行けば編み直してくれるかも知れないが、なんにせよ金銭は必須となるだろう。
「大長老が貴様を追い払うのみに留めるならば、我らも鎖帷子の一つくらいはくれてやろう。それで手切れ金とでもするが良い」
「それはありがたい。殺せと言われたくはないものだ」
「滅多なことを口にするな」「大長老は人を殺めることを命じる御方ではない」「次に世迷い言を口にすれば、その舌を切ってやろう」
この山に住まうドワーフにとって、最終意思決定機関は大長老の命令となるらしい。それに対して礼儀の伴っていない言葉を口にすれば、彼らの怒りを買ってしまうのも無理はない。
「愚かなことを口にした。反省している」
「口では幾らでも言える。死臭を放ち、どうにも人ならざる物体をロジックに収めるヒューマンよ」
「態度でも示せるように努めさせてもらう」
毛皮を着た男たち――ドワーフたちは返事もせずにアレウスたちを連行する。
身長は成人していないアレウスと同じか、やや低いぐらい。髭を蓄えており、やや老け顔。しかし筋骨隆々としており、ガタイが良く、力では敵わないことは外見からでも察せられる。これが成人したドワーフの特徴と、全て断定するのは良くないのだろうが、例外を除いてほとんどのドワーフはこの容姿をしているに違いない。街で見掛けた商人のドワーフも例に漏れず、この特徴を有していた。
「妖精が見ているから、変な気は起こさない方が良いよ」
シオンがボソッと呟く。
複数の光の球がヒュンヒュンと辺りを飛び回り、やがてドワーフの耳元に近寄ったところでその発光が弱くなる。光に守られていた妖精は翅を生やしており、小さな布切れを身に付けてはいるが雌雄の区別は付きそうにない。そもそも妖精に全ての動物に存在する男女、雌雄が存在するのかもアレウスは知らない。
「付近に怪しい者たちはもう居ないらしい」「四人で全員か」「単独行動をしているような輩も潜んでいると思っていたが」
「僕たちはパーティだ。分かれて行動するとしても最低二人で一組だ。こう言うと自虐的になるが、まだ単独行動出来るほど強くはないからな」
「自身の力量を弁えている」「思慮深いのか?」「妖精が言うことを疑う余地は無いだろう」「こうして連行されることまで織り込み済みとは到底思えはしないがな」
「ああ、まさか連行されるとは思っちゃいなかった。それでも、僕たちだって争いを起こしたくてここに来たわけじゃない。だから、妙な真似はしないし、変なことも考えちゃいない。大体、右腕まで封じられて、解く方法も知らないのに逃げたって僕になんの得もありはしないだろ?」
それもそうだと言わんばかりの視線が向けられるが、どれもこれもが刺すような睨みであった。言葉の端々からはどうにかしてアレウスたちを理解しようとするような部分が見え隠れしているが、ドワーフとの間にある亀裂は相当な物であるらしく、態度が軟化する気配は無い。
「一体なにをやったんだか……」
アベリアは嘆息する。ドワーフの失礼極まりない態度にではなく、ここまで彼らを怒らせてしまったヒューマンのやらかしについてである。ヴェインは「聞いてみなくちゃ分からないよ」と言い、シオンはなにやら物思いに耽っている。みんなの表情はぎこちない。命の保証はあると思われるが、それでもこのまま連行されて断頭台にでも掛けられるのではないかという不安は拭い切れない。アレウスだって同じ思いだ。特に「死臭を漂わせている」と何度も言われるぐらいにドワーフには危険視されている。そんな自分が、封印を掛けられた程度で大長老と会話することが許されるのかどうか。ひょっとしたら自身だけは牢屋か、もしくは見せしめの磔刑に掛けられるのではと思うと、今すぐにでも逃げ出したい恐怖に駆られているのだが、その逃亡はありとあらゆる信用を失わせるだけでなく、全員の命の保証が無効になることを意味する。
黙って従う。それが最善であるのは自明の理であるが、ヴェインはなにやらボソボソと呟いている。アレウスの判断には従ったものの、彼も彼なりに得策が無いだろうかと思考を巡らせているのだろう。それでも、相談もせずに大それたことをするようなことはしないはずだ。
最大の問題はシオンである。彼女だけはこのパーティにおいては例外に該当する。前回の依頼でパーティを組み、冒険者としての能力は信じているものの、人間性を信じ切るまでには至れていない。つまり、なにかをやらかした際に彼女の尻拭いのように殺されるのだけは勘弁してもらいたいのだ。出来ることならば、自制してもらいたい。抑制が利かないようならばロジックを開いて一時的に意識を失わせることもやむなしだろう。
「見よ、ヒューマン共」「ここが我らの住まう場所」「ここが我らの生きる場所だ」
鉄の大きな門に、分厚い扉。何者も寄せ付けないかの如く鉄の壁が並ぶ。山の中に作られた要塞であり、鉄の壁もまた登ることさえ困難な崖の際の際に建てられている。ドワーフの案内されて正規の道を辿ったのだろうが、もしかしたらアレウスたちだけで行こうものならこの要塞の壁にぶち当たり、話をすることさえ叶わなかったかも知れない。だとすれば、途中でドワーフに連行される形になったのは不幸中の幸いだった。
ドワーフが妖精を飛ばし、壁の上に立っている門兵に合図を送る。程なくして扉がゆっくりと上へと持ち上げられて、開かれる。
「こんな重そうな扉を人の手で開けるものなのかい?」
「蒸気機関だ」
「蒸気機関?」
「つまり……ええと、火や地熱なんかで起こした蒸気というエネルギーでカラクリを動かして、足りない分を補っている。扉を吊り上げるためにクランクを回す。そこに蒸気機関を取り入れたら、かなりの負荷を軽減できるんだ」
「ヒューマンの城塞都市には無い技術だよ。地熱の応用か……面白いね」
ヴェインが感心している横でドワーフがアレウスを睨む。
「我らの技術を何故、彼奴は知っている?」「漏洩したなどとは思いたくはないが」「しかし、たとえ理屈は分かったとしても我らのように十全に扱えるわけでもあるまい」
ドワーフの言う通り、この蒸気機関を取り入れようとするならばヒューマンの城塞都市は根底から組み替えなければならなくなる。クランクもレバーも歯車も、どれもこれもが蒸気をエネルギーとして用いることを前提に考えた組み方をしているため、利用しようにもその基礎が無い。なにより、火力の維持は簡単そうに見えて実は複雑であり、地熱も、地盤として存在しない限りは利用できない代物である。
分かっていても使えない。松明やランタンを未だに灯りとして使い、複雑な部分は魔法に頼っている。小物細工、時計、その他諸々の細かな物ぐらいしか街では見られない。それはヒューマンの生き方で、ドワーフは魔法に触れることが出来なかったからこそ、蒸気機関という文明に至った。ここにはアレウスだけが知る複雑怪奇な機械の数々を見つけることが出来るかも知れない。
「さぁ、入るが良い」
ドワーフの一人に促され、しかしながら囲まれた状態でアレウスたちは里へと足を踏み入れる。蒸気が噴き出し、辺りには多くの鍛冶場が、そして鉄を歯車へと加工しているところもある。アレウスたちが歩いているところは土を踏み固めただけなのだが、そういった火を利用するところはどこもかしこも色味の違う床が敷かれていた。
「……コンクリートか」
「塗り固めて、地面の補強にしているのか。街でもよく見掛ける。でも、これだけ多くのコンクリート舗装は見たことがないな」
どこもかしこも職人が集うような店ばかりが並んでいる。知識はあってもアレウスと同じく、ヴェインも驚かされていた。
「山を削ったところで地盤が安定していなかったら、逆に重みになるコンクリートは危険とも取れるけどねぇ」
「土の精霊が居る。依頼で魔物退治をした墳墓と同じ……いや、それよりも物凄く強い加護を感じる」
そう言えば、土の精霊にアベリアは好かれているのだった。そんな彼女の言葉はここに居る誰よりも強い意味を持つ。ここまで山を削り、要塞を作り上げてもその地盤が緩み、崩壊しないのは土の精霊の加護を受けているため。なんとも都合の良い時ばかりに精霊の話が出て来るものの、そういった加護を受けたところに街や村、そして要塞が作られているのだ。加護のある土地を放っておいて、加護のない土地を好んで住まうような人種は居ないということだ。
もっと里の中を見て回りたかったが、ドワーフの監視は続いていたため、彼らに促されるままに歩いて行き、一際大きな鉄で出来た家に案内される。
「これ、鉄が熱を帯びるから、日によっては蒸気と相まって暑くて仕方が無いだろうな」
「寒くなったら鉄も冷たくなるから、保温性も高いとは思えない」
アレウスとアベリアは無粋にも大長老の邸宅と思われる建築物についての感想を零す。それをヴェインとシオンから送られて来る視線に気付いて、すぐに黙る。
「大長老様、ヒューマンの遣いを連れて参りました」「我らの話を聞くだけ聞きたいとのことです」「我らの関係の修復などと、のたまってはいますがボロが出るのは明白」「どうか、大長老様のご意見を窺いたく」
ドワーフたちが跪いたのでアレウスたちもそれに倣う。
「……なに、あの大きな椅子。あり得ないでしょ」
シオンが呟く。アレウスが顔を上げた直後、地鳴りでもしているのかと思うほどの足音を鳴らしつつ、立っていようと見上げてしまわなければ顔を見ることさえ出来ない大男がやって来て、大きな椅子へと腰掛ける。座っていようとなかろうと、その巨躯はアレウスが戦ったオーガのようだ。こんな大男を前にしては、跪いていても全員が竦み上がる。
「人の子を見下ろすのも久し振りじゃのう。して……? 簡潔に訊こう。この私に、なにを求めておる? 答えよ、人の子よ」




