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――剣術はあとで幾らでも付いて来る。だから、小ズルい強さを恥じるな。知能の低い魔物どもの虚を突く強さだけで構わないんだ。雰囲気であり、空気感を大事にしろ。なにも持っていないと臭わせたところで繰り出す決死の一撃。それだけで今は良いんだ。
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日程を一日ズラすことになった。外へ連れ出す人数が一人から二人になった分、ヴェラルドとナルシェの負担が大きくなったためだ。アレウス一人だけならばまだしも、少女を加えたなら一つのミスも許されなくなった。冒険者とはそもそも、甦る前提が無くとも、命のやり取りをする職業ではあるのだが、死線を潜るのだけは最低限に収めたいという気持ちは未だヴェラルドの心からは消えていない。
だから、アレウスと少女がどこまで出来て、どこからが出来ないのかを把握する必要があった。冒険者となり、異界を渡る者としてはそれなりの場数を踏んだと勝手に思い込むことで自信としているヴェラルドが、ナルシェが二人のなにをサポートし、なにを信用すれば良いのか。アレウスは採掘に精を出していたこともあって、それなりに力はある。だが少女はこれまでずっと、そのような世界とは無縁で、ついでに食事も満足に摂れては来なかった。恐らく、最初にスタミナが切れるのは少女だ。
「舌が貧乏なのと悪食なのは、良いことだがな」
食べられる物と分かればなんでも食べる。それどころか不味い物であっても、それを不味いと言わずに平らげる。食欲の強さがそうさせるのか、堕ちる前に文句を言わないように教え込まれたのか。なんにせよ、少女はとても従順だった。言葉数は少なくとも、多少のことでは不平不満を漏らさない。
見捨てられるのが怖いから、なにもかもを押し込んでいるようにも見えるのだが、ならばその必死さを脱出まで利用する。世界については、外へ出てから教えても遅くはない。むしろ外についてここで語り、期待を高めるのはマズいだろう。その高揚感によって足元をすくわれて死んでしまったら、ヴェラルドは耐えられない。
「あの子だけど、ロジックを開いたらヴェラルドの思った通りだったわ」
「……奴隷か」
「今は見る影も無いけれど、肉さえ付けば、相応の顔立ちになると思うわ。だからこそ親を亡くした悲しみの中で、不意に出会った奴隷商人の口車に乗って、そのままさらわれてしまった」
「調教は?」
「従順な面を見れば分かるでしょ? でも、辛うじて生娘よ。小道具で知識を付けさせられて、それからというところで言いようのない恐怖に襲われて、逃げ出したのよ。奴隷の中でも素直に従っていたから、足枷も外されていた」
「奴隷商人の油断から活路を見出したか」
「でも、逃げている最中に穴に堕ちた。そしてこの異界へ……五年前に」
「五年前……なら、なんだ? あの子は五年もの間、物乞いをし続けて来たということか?」
「仕事を知らない上に性すらも売れなくなったこの環境はある意味で過酷だったのかも……とても認められはしないけど」
「怒っていても仕方が無い。奴隷として生きることも、異界で物乞いとなるのも、どちらにしてもあの子には地獄だ。ただ……」
「ただ?」
「アレウスが堕ちたのも五年前、少女もまた五年前に堕ちた……偶然か? なにか神の意思を感じずにはいられないな」
「普段から信仰心の薄いヴェラルドがなにを言っているんだか」
「因果関係は無いんだな?」
「無いわ。ロジックで読んだ限りは、ね。お互いに知らず知らずに縁があったりしたら、別だけど。当事者同士が知らないのなら、テキストには記されない」
短剣を振る練習をしているアレウスと、装備の重さに耐え忍んでいる少女。片方には決死の一撃を体に染み込ませ、もう一方には装備の重みに慣れてもらう。さすがに装備の重量ですらバテられては、いつまで経ってもここから出られない。一日で慣れてもらおうとする考えも無茶苦茶であるが、異界に長居はしたくはないのだ。時間感覚は勿論のこと、生きている感覚も曖昧になる。魂を削られてもいないのに、廃人のようになってしまいかねない。
「魔力はどの程度で、回復魔法が唱えられる?」
「おおよそ、三割増しかしら。五割増しや二倍じゃないだけマシだけど」
「異界獣はさほど大喰らいではないということか」
「基点の人々から吸っているとしても、私以外にも充分に腹を満たせる魔力を誰かが持っているとか……アレウスと、アベリアの二人は怪しいわね」
「アベリア?」
「アベリア・アナリーゼ。それが彼女の名前。とても良い名前よ。呼ぶなら『アリア』かしら? でも、アベリアと呼んでも長ったらしさは感じないわね」
「『アリス』と『アリア』なんて笑えないな」
「なにか言った?」
「いや、取るに足らない独り言だ。年齢は?」
「十四。ここに来たのは九歳と一ヶ月。丁度、九歳の誕生日にさらわれた。両親は誕生日の三日前に殺されている……奴隷商人がやったのかしら」
「顔立ちが良ければ、金になる。金になるなら、外道も辞さないってことだ」
「既に奴隷を売っている時点でド外道だけど」
「違いない」
ヴェラルドは立ち上がり、アレウスの元に行く。
「アベリアはそこで見ていろ。我慢し、耐え忍ぶのもお前には必要だ。それで、アレウス」
「なんだ……なん、ですか?」
「お前の短剣の振り方は確かに俺が教えた。だが、もう自分の癖で振り方を変えているな?」
「それは……」
「まるで真正面から戦うような、真っ向から対峙するかのような振り方だ。足運びも拙いながらも出来ているのに、何故か引き際が見えない」
子供らしく、シュンとした顔をしてアレウスは俯く。そんな彼の頭にヴェラルドは手を置く。
「焦るな。剣術はあとで幾らでも付いて来る。お前に学ぼうとする強い意思、守りたいと思う強い願いがあれば自然と身に付く。だから、小ズルい強さを恥じるな。知能の低い魔物どもの虚を突く強さだけで構わないんだ。雰囲気であり、空気感を大事にしろ。なにも持っていないと臭わせたところで繰り出す決死の一撃。それだけで今は良いんだ。なんなら当たらなくとも、追い払うだけで良いんだ」
「復讐心では、強くなっては駄目ですか?」
「お前をこんな地獄に突き落としたことへの復讐か? そういった私怨は、冒険者としてではなくアレウリス・ノールードとしてやれ。俺たちを指す冒険者で人殺しなんてやられたら、教会はともかくギルドは立ち行かなくなるからな。やるなら、個人の意思だ」
ヴェラルドは冒険者同士での殺し合いがたまに起きることは黙っておく。そんなことを教えたところで、アレウスにはなんの学習にもならないと判断したためだ。
「やるな、とは言わないんですね」
「お前にとって、やり遂げなければならないことになっているなら俺はなにも言えない。それが生きる原動力になっているんなら、よけいにな」
否定はしない。誰にだって復讐心は宿る。殺したいほどの復讐の感情がこんな少年に宿ってしまった原因はあまりにも理不尽で、そして現状すらも地獄なことこの上ない。これで復讐を果たすなとは言えない。ナルシェであったなら諫められたのかも知れないが、ヴェラルドにはその気持ちが痛いほどに理解できてしまう。
「復讐だけで生きたくないって言うんなら、他に生きる理由を探すんだな」
「生きる理由……」
「生きている理由とも言う。ま、とにかくちょっと打ち込んでみろ」
ヴェラルドはそう言って、なにも手に取らずに構える。アレウスが握っているのは本物の短剣だ。切られれば、怪我をする。ひょっとしたら怪我だけでは済まないかも知れない。しかし、少年に短剣を振られて、それを避けられないであっては冒険者としての示しが付かない。なにより、自信を喪失してしまう。
アレウスは付け焼き刃な動きで短剣を振り回し、ヴェラルドはそれを綺麗に避けて行く。短剣の角度、振られる速度、それらを考慮したフットワークの軽さで些細な怪我すら負わず、少年のスタミナが尽きたところで手際良く短剣を奪い取る。
「足運びは良いんだがな。やはり引き際が駄目だ。ずっと攻めては、搦め手が使えない」
「なら……どう、すれば……」
息も絶え絶えにアレウスは問う。
「全ての動物、人種には意思があると思え。魔物も一応は獣と同様の動きを見せる。つまり、首の動きと目の動きを中心に、そして全体の筋肉の動きを見逃すな。特に本能でしか動けない魔物ぐらいなら、大抵は目と首の動きでどっちに行くか、どう動くか、殺意が宿っているか、爪を振るって来るのかは分かる。お前が俺に短剣を振っているその様は、本能と意思を介在しながらも目と首の動きだけでほとんど掴めたぞ。だからお前はその逆をやるんだ。獣ではなく、人種として観察しろ」
「アレウスだけじゃなくアベリアもよ? ヴェラルドはかなり無茶を言っているけど、本質は間違っていないから。後衛の私を彼は、その無茶で守って来てくれた。けれど、後衛である私だって生半可な気持ちで冒険者はやっていないし、守られるからと気を抜いて立っているわけじゃない。観察はするし、ヴェラルドが外せば私が仕留めに行く。ヴェラルドを突破されたら私は死ぬ気で避けながら戦う。パーティとしての、まぁ私たちは二人組だから二人組としての体制が整え直せるまで、ずっとよ? だから、装備を持っただけで疲れられていたら、駄目。でも、これまで碌に動くことが出来ていなかったアベリアにはちょっと現実的に考えて、タフネス、スタミナの面で無理難題が多過ぎる。だから手助けをしてあげる。あなたのこれから先の明るい未来を信じて」
杖を両手で握るナルシェが瞼を閉じて魔力を収束させる。
「“軽やかに”」
その一言で、装備の重さにヘバっていたアベリアが急に軽い足取りで歩き出す。
「これ……凄い」
「重量への軽減補正。あなたは魔法への抵抗が平均だから、今日から数えて四日は、それぐらいの重さなら問題無く歩けるようになるわ。ただ、切れたあとは信じられないほどの筋肉痛と疲労感に苛まれるけど」
「補助魔法に四日分の魔力を使ったのか」
「言って、重量への軽減付与なんて初歩中の初歩よ? 使った魔力なんて一日で回復するわ。マジックポーションは温存できる」
「なら良いが」
「ヴェラルドってホント、魔法に対して興味が無いわよね。私がどれくらいの魔力を使ったかなんて、これだけ一緒に居るんだから分かると思うのに」
「魔の素養が無いからな。ついでに魔力切れを起こす時は事前にナルシェが言って来るじゃないか」
「言わずに済みたいけど、言わなきゃ分かんないだろうなと思って言っているんだけど?」
「……精進します」
いつもの逃げ口上である。だからナルシェも溜め息をつく。
こうして朝から晩までをアレウスとアベリアの訓練と、手での合図や陣形を教え込み、出発の支度に費やした。そしてあくる日、ヴェラルド一行は五層の洞窟調査を開始した。