祭儀
「おかえり。気分転換にはなったかい?」
「ヴェイン……あとで、相談に乗ってもらいたい」
「物凄く深刻そうな顔をして言われても……いや、俺に助言できるような相談だったら良いけれど」
「頼む」
「そこまで言うなら、分かったよ」
アレウスがここまで縋るような目で頼み込んで来ることは初めてだったので、ヴェインには戸惑いも見られたが了承する。
「全然、気分転換出来てないじゃない……」
ニィナはその様を見て、呆れるように言う。その隣でシオンは含みを持たせた笑みを浮かべていた。
夜も更けて行き、いつもなら馬車で就寝の準備を始める頃、アレウスたちはクルタニカに言われた通りに午後十時を前に外に出て村人も冒険者も混じって集合する。
「これより、御霊送りを行います。この地に根を張る前にその怨恨を天上へと送りましょう。この世の全ての命に等しく、巡りの導きがありますように」
木で組まれた舞台にアベリアとクルタニカが上がる。アレウスの知る服装では無く、ギルドが用意したのであろう祭儀のために用意された格式の高い衣装である。
アベリアは青色を、クルタニカは黄色を基調としたその衣装を身に纏い、背中合わせに立って、それから木の葉と赤い実を残す短いヒイラギの杖を柔らかく振り、同じ歩幅、同じタイミングで動き、そして舞台で踊る。
激しいものではなく、繊細で、一つ動けばピタリと止まり、そしてまた一つ動けばピタリと止まる。そんな緩やかに舞う二人の姿に、集まった全ての者は言葉も無く、ただただ見つめていた。
一際強く、二人がヒイラギの杖を振る。それを待っていたかのように大地から幾つもの光の粒が溢れ出し、天上へと静かに昇って行く。
「御霊送りは、神官だけにしか行えない全ての命を天上に返す祭儀なんだよ」
シオンが静かにアレウスに伝える。
「ここで亡くなられた全ての人種の命に限らず、草木や花々、家畜や野生動物。それらが消えてしまった命がこの光の粒になる」
「神官がやるのと村の人がやるのとでは意味合いが異なって来るんですか?」
「神官は天上に返す。けれど、神官でない者では天上には返せない。同じように舞い踊っても、それは御霊送りではなく霊鎮めになってしまう。つまりは霊が残ってしまうんだ。それが人種の恨み辛み、妬み嫉みなんかと反応すると悪霊に変わっちゃうんだよ。どんなに美しく咲き誇り、そして散ってしまった花も、憑り付かれてしまったら毒を撒き散らす花へと成り果てる。だから霊鎮めも意味はあるんだけれど、御霊送りが一番だとされているの」
「そう……ですか」
銀の髪が揺れる。金の髪が揺れる。二人の美しく麗しい姿に、アレウスも目を離せなくなって行く。
「青色の衣装は大地に流れる水や海を表して、黄色の衣装は夜空に光る星々や月を表す」
「舞台の中心にあるのはヤドリギの枝葉」
「彼女たちが持っているのはヒイラギの枝葉。どちらもこういった祭儀には外せない」
舞って、空を仰いだ二人に見送られるように多くの光の球が昇って行き、やがて見えなくなる。
ヤドリギの葉は枯れて、ヒイラギの葉も同じように枯れ落ちる。アベリアとクルタニカが同じ歩調を維持し、背中合わせに始まった舞踊は顔を合わせ、その場に静かに座ることで終わる。全ての光の粒が空高くへと消えて行き、緩やかに感じた時の流れは速度を取り戻し、周りで起こる小さな拍手に合わせアレウスとシオンも同じく手を叩く。
舞台を降りて、アベリアが早足気味にアレウスの元にやって来る。
「どうだった?」
「どうだったって」
「失敗していなかった?」
「失敗もなにも、なんて言うかその……」
シオンは空気を読んだのか、既にアレウスの傍には居なかった。アベリアは言葉を待っている。冒険者の視線が痛い。踊っているアベリアはフードを被ってはいなかったから、その美しさに心奪われた者も多いのだろう。
「綺麗……だった」
それでもアレウスは有耶無耶にはせずに率直に言葉をぶつける。ここで梯子を外すようなことを言ってしまっては、後々に響く。特に女の子はこういう些細なことをずっと根に持つと聞いている。
なにより、ずっと一緒に居るというのに、こんな簡単な言葉すら口にしないのは男として失格だろうと。そのようにアレウスは思った。
「ありがとう。こんなこと、言うような祭儀じゃ、無いんだけど」
御霊送りは同時に心を鎮めるための儀式だ。踊ったあとの感想にお礼を言うのは、本質からズレてしまう。それを気にしているようだったが、アレウスは構わず彼女の頭を撫でる。
「いや、良いんだよ。実際、綺麗だったんだし」
とても嬉しそうな、それでいてくすぐったそうにアベリアは笑みを零す。
「下賤な輩もこれで少しは自分自身の役得振りに気付くべきですわね」
「私のミスが全然、気にならないくらいクルタニカの動き、完璧だった」
「当然ですわよ。わたくしは何度これをやっていると思っているんですの? けれど、アベリア・アナリーゼ。あなたと踊る御霊送りはわたくしとしても、とても安心できるものでしたのよ? だってあなたは何事にも一直線ですもの。この祭儀がどれほど大切で、村の行く末を祈るものかを理解してあなたは舞った。なかなか居ませんのよ? 世のため人のためとは言え、このような祭儀に真剣に取り組む方は。だって、回数を重ねてしまえばそれは作業になってしまうんですもの。だから、忘れてはなりませんわ。今日、踊ったことの大切さを。御霊を送り届けた重要さを。ちゃんと胸に秘めて、登りなさい」
「……うん」
「それと、そこの下賤な輩」
「一々、僕をそうやって呼ぶのやめてくれません?」
「『英雄、色を好む』と言いますわ。あちらこちらの女性に手を出して、アベリア・アナリーゼを困らせないことですわね」
小川での一部始終を思い出し、その言葉が明らかにアレウスの“それ”に対する叱責であることに気付く。
「精進します」
「良い返事ですわ。ですけれど、答えが早過ぎて不安ですわね」
「あの、本当に考えているので……」
「そうですわね。考えた方がよろしくてよ? でなければ」
スッとクルタニカがアレウスの耳元に口を近付ける。
「食べてしまいますわよ?」
全身に痺れが走る。脳が半強制的に反応させられた。そのようなことは一切、これっぽっちも考えてはいなかったのに、クルタニカの囁きはあまりにも甘美で、刺激的なものだった。縮めていたアレウスから距離を取り、クルタニカは蠱惑な笑みを浮かべ、それから自身の馬車へと歩いて行った。
「ヴォーパルバニーにやられてしまったとはまさにこのことだ」「あの死神と名高いヴォーパルバニーか」「言い方が不敬だぞ」
「……ヴォーパルバニー……か」
首刈り兎とも呼ばれる魔物の名前であるのだが、それらが冒険者間で冗談気味に遣われる際には意味合いが変わって来る。『ヴォーパルバニーに命を刈り取られ、奪われてしまったかのように、あなたの美しさに心を奪われた』。そんな遣い方が主である。
「怖い……なぁ」
アベリアに見惚れたことも、クルタニカの囁きに痺れたのも、どちらもヴォーパルバニーにやられてしまったかのように衝撃的だった。首を刈られた経験など勿論無い。刈られれば冒険は終わってしまうのだが、その遣い方と意味の深さを掴んでしまったような気がして、アレウスは思い知らされるのだった。
そして午前零時を回った頃、身元の確認が取れた死体から埋葬が始められた。
///
「『異端』を殺せないとは、使えない魔物だ」
神官の衣装を纏った手も足も蒼白の男はそう毒づいたのち、オークの死体の背中に乗る。
「やはり、魔物などと言う生命体に期待をしても無駄であるな。『異端』も冒険者になったとは言え、その元はヒューマン。ならば」
錫杖を前方で男は揺らす。金属と金属の擦れる音が幾度となく木霊すると、足元からゆっくりと光の粒が浮かび上がる。
「全ての御霊を送れるのなら、屍霊術士などこの世には存在しないのだ。分かるか、『異端』よ?」
空へと召し上げられるはずの魂の一つを男の手が掴む。
「村の守衛であり、剣術に長けた力自慢の男の魂か……ふん……肉塊に成り果てたのでは死体として運ぶことも出来ず、召し上げることも出来ず、怨霊に成るだけであるな」
光の粒はジワリと黒色が侵食し、やがて全体に至り黒い光の粒となる。
「鼻の潰れたオークはさておき、貴様の方には今一度、命をくれてやる。貴様を翻弄し、沼に沈めた男の臭いは忘れていまい? いや、貴様を沼に沈めた小娘の臭いでも構わんぞ?」
黒く光る魂を男はオークの背中へと押し込む。
「さぁ、立て。村は滅んだ。しかし、何故、滅んだ? 冒険者が来るのが遅かったからであろう? そうだ、まずは『異端』と『泥花』を殺せ。貴様たちが生きてもおらず、死んでもいないその姿に成り果てた全ての原因は、『異端』にあるのだから」




