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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第2章 -大灯台とドワーフ-】
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突然の感覚

 汚れた衣服を脱いで、『身代わりの人形』の入った小さな入れ物を腰巻と共に縄で腰に括り付け、小川に体を沈める。頭の先まで沈め切り、顔も髪も纏めて水に浸ける。浮上して、顔や髪を手で洗って行く。石鹸も植物油も持ち込んではいないが、こうして体を手で擦るだけで死臭は水によって流れて行く。沐浴はよく儀式の一環と捉えられる。体を清めるという意味では、水は神聖なものである。その理論が正しいならばアレウスの体に纏わり付いている穢れはこれでほんの少しは払われてくれるのだろう。


 一通り洗い終わったところで人気(ひとけ)を感じ、アレウスはなるべく音を立てずに静かに移動する。

 当然のことながら、自身が沐浴をしているところを他人に見られるのは落ち着かない。そういった理由で街でも人目の付かない河川を利用している。なので、すぐさまこの場から去ってしまいたいところだった。


「あら、偶然ですわね」

「……は?」

「アベリア・アナリーゼが沐浴を終えて、わたくしの番がやって来ましたのに、まさか独占することが出来ないとは思いませんでしたわ」


 裸のクルタニカがアレウスの前に立っていた。なにも身に付けず、纏わず、産まれたままの姿で堂々とした調子で小川に入り、アレウスに近付いて来る。


「な……な、んで!?」

「なにをそんなに驚いているんですの?」

「いや、いやいやいや! なんで隠さないんですか?!」

 手には布を持ってはいるが、それで素肌を隠そうという気はまるで無いらしい。

「わたくしの体のどこにも隠さなければならないところなんてありませんもの」

 アホの子ではなく、頭がおかしい。アレウスは家族同然のアベリアの裸は見慣れているが、クルタニカは異なる。


 見てしまった、なにもかもを。


 意識が混濁しそうになる。よく分からない感情に呑まれ、思考が安定しない。

「戸惑うことがありまして?」

「無い……です、けど!」

 クルタニカの性格からして、大きな声で叫ばれるものだと思っていた。しかし、彼女もまたこの世界の“当たり前”に身を置いているのだ。冒険者として生活を始めた頃はそれこそ動揺や悲鳴を上げていたのかも知れない。数限りない戦いを経て、神経が図太くなってしまったことも含めて、裸など見られてもさほど思うこともないのだろう。

「それよりも、聞きましたわよ? オークを二匹討伐したのは下賤な輩のパーティだと。中級に上がり立てにしてはなかなかですわね」


 水に体を浸け、それからサッとアレウスの近場までやって来る。


「いや、だからなんで近付いて」

「近付かなければお話は出来ませんわよ?」

「それはそうですけど」


 マズい。アレウスは逃れられないと悟っても、今すぐにでもここから逃げ出したい感情に囚われる。

「オークを討って、なにか思うことはありまして?」

「……レベルは、元々が中級相当だったので……ランクだけが中級に上がり立てなだけなので……それでも、力試しには丁度、良かったのかも知れません」

「力試し」

「あ、いや……言い方としてはマズいものだと思っています。多くの村人を殺した魔物を前にして、そのような挑戦する感情が湧いて出たことは、恥ずべきことだとも、思っています。けれど、オークを倒せずしてこの先、それよりも強い魔物と対峙して……生き抜くことが出来るのか。そういう気持ちも、あったんです」

 クルタニカの方は見れない。見てしまっては、タガが外れるかも知れない。

「なにをそうビクビクとしていらっしゃいますの?」

「……クルタニカさんの、話を聞いて……向こう見ずだった面が、あったなと思ったから、です」

 クスクスと笑う声が聞こえる。

「『祝福知らず』に向けて言ったわけではありませんわ」

「アベリアから聞いたんですか?」

「ええ。アベリア・アナリーゼは魔法のこと以外はほとんどあなたのことしか話しませんもの」

「は……ぁ?」


「羨ましいですわね。わたくしも初級の頃にあなたのような、命を繋ぎ止めることだけに全てを注ぎ込む戦い方をする方々と共に過ごせていたのなら、この肩に背負う死の数もそれほど多くはならなかったのかも知れません」


「ただのワガママですよ」

「けれど、下賤な輩にしては常々に考えているのでしょう? 戦いにおいて、生き抜く方法を。それも自分自身だけでなく、パーティ全員が生き残れる方法を。それでも『祝福知らず』をどこか負い目や引け目と感じていらっしゃる面があるのではなくて?」

「……一度だけの命と威勢を張ったまでは良いですが、進むのであればいつかは教会の祝福も必要なのではと思わずにはいられないので」

「その通りですわね。わたくしとて、甦らない仲間をパーティに加えるなど常に落ち着かないですわ。それも、下賤な輩はリーダーと来ている。真っ先に死なれては、集った仲間も離散するしかありませんのよ」

「そう、ですね」

「リーダーはあなた。あなたが居るから、パーティは成立しますの。欠け落ちれば、そこまで。そう言った意味では、あなたはしっかりとリーダーとしての素質を持っていると言えますわね」

「どうしてですか?」

「人望に溢れているとは思ったことはないんですの?」


「心無い言葉を浴びせられることが今日、あったのでイマイチそういうのは思ったことはありませんが」


「他人の言葉など気にしては生きていられませんわ。大事なのは他人では無く友人であり、そして仲間ですのよ。言わせておけばよろしいでしょう。リーダーとしての素質に飢えているが故の僻みですわ。魔物の導線を見て、すぐさまそれを断ち切るように飛び込みつつ、それでいて自身が死なないように立ち回る。そんなあなたには、これからも良き出会いが待っているはずですわ。それでももし、教会の祝福を欲するようなことがあれば、わたくしに相談することですのね。わたくしは神聖魔導士。わたくしが信じる教会の元で、しっかりとその祝福を与えますわ」


 立ち上がり、クルタニカがアレウスの正面に回り、それから翻る。目を背けなければならないその姿に、アレウスは思わず見惚れてしまう。金の髪に金の瞳、白く清らかで、水を弾く肌。どこまでも可憐であり、どこまでも美しく、どこまでも麗しい。正直に言ってしまえば、生唾を飲み込むほどにその美貌に酔い痴れていた。


「どうかいたしまして?」

「傷……が、あると思って」

 それでも肌の所々には傷痕見える。特に背中に見えた二ヶ所の肩甲骨付近が酷い。背中から肉を抉られたかのような深すぎる傷痕がある。

 教会の祝福を受けても、傷痕は次の肉体に残り続ける。魂が、生き様が記憶していることは体に浮かび上がるものなのだ。そして、傷痕になってしまっているが故に魔法による治癒も働かなくなっている。異常を正常と肉体が捉えるならば、それは異常では無くなる。

「わたくしに興味がおありでして?」

「そういうわけじゃ……無い、ですけど」


「でしたら、その野蛮なものをわたくしに向けるのは早計でしてよ。わたくしはそれほど貞操の緩い女ではないんですの」

 妖しく笑うクルタニカに言われ、アレウスはすぐさま自身の下腹部を両手で押さえ込むようにして隠す。

「それではごきげんよう、アレウリス・ノールード。『御霊送り』にて、また会いましょう」


 クルタニカは沐浴を終えて林の中に消える。アレウスはしばらくその場で煩悩を抑え込むことに意識を集中し、落ち着いてから小川から出て、体を拭いて予備の衣服を身に纏った。


「産まれて初めて、アベリア以外の体をマジマジと見てしまった……」

 アベリアの体は見慣れている。それでも共に生活する上での最低限のことを教えたあとは見ないように努めて来た上に、見せるなと教えて来た。だからこそ、クルタニカの衝撃は大きかった。恐らく、家族と思っていない相手の裸を見たのは転生してから初めてではないだろうか。ニィナの半裸姿も見たことはあるが、少なくとも全裸ではなかった。


 そして同時に、嫌な感情も湧き起こっている。


「戻って来ているのか……」

 五年間、異界に居たことによる弊害で『性欲』は限りなく低くなっていた。しかし、一年経って、沢山の刺激を外部から受ける機会が増えたことで少しずつそれが戻って来ているようだった。だからクルタニカを前にしてあのザマだったのである。


「……どうしよう」

 このままアベリアにまで反応するようになってしまっては、もう一緒に過ごすことは出来なくなってしまう。離れて住んだ方が良いだろうし、家族としての接し方よりも分別を弁えた男女の接し方に変えなければならない。

「それは嫌だな……」

 家族でもあり、アレウスは勝手にだがアベリアの保護者としての意識も持ち合わせている。なのに、自分自身の粗相で離れて暮らす。それは責任の放棄になる。あの時、自分がパンを渡したのだ。だったら彼女が幸せになるその瞬間を傍で見届ける義務がある。


「でも、壊しかねない」


 自分がアベリアに手を出したらどうするのか。彼女は酷いトラウマを持っている。それを呼び覚ますようなことをしてしまえば、信用どころか彼女はもう冒険者としてもやって行けなくなる。信じていたはずのアレウスにすら裏切られ、きっと誰一人信じることが出来ないままに生き地獄を味わい続けるのだ。

「バレないように、湧き起こって来たらどうにかして自分で始末するしかない……」

 それを口にするのは(はばか)られることであるし、アレウス自身も呟いてからどうしようもない羞恥心に見舞われたが、それでも自身の中にある欲望を処理し、落ち着かせなければいずれはアベリアすらもそういう目で見かねない。


 家族だとは思っていても、血の繋がりはないのだ。それがあまりにも、今は憎々しく思う。


「……駄目だ。脳裏に焼き付いている。これはしばらく、離れない……」

 なにかを考えればクルタニカの裸が鮮明に思い浮かんでしまう。時の経過を待つにしても、消えてくれるかどうかすら怪しく辛いものがある。男として『性欲』が乏しいのはどうかとも思っていたが、逆に今まで感じていなかったそれが現実として自身の前に立ち塞がって来るとなると悩んでしまう。五年はあまりにも重い。あまりにも自身から奪って行った。欲望をどう発散し、どんなことで誤魔化せば良いのかすらも思い付かない。いや、一番簡単な方法ならば思い付くのだが、それ以外のことも見つけなければパーティ単位で活動する際に色々と問題が生じてしまう。


「ヴェインに訊ねて、なんとかなるものだったら良いけど」

 婚約者の居るヴェインにこれを訊ねて、果たして求める答えが返って来るかどうかも不明である。


 アレウスは怖いのだ。まさか『性欲』如きでここまで狼狽(ろうばい)し、震え上がるなど思いもしなかった。


「大体、なんで……いや、文句を言ったって仕方が無い。僕が、どうにかしなきゃならないんだ。僕の意思で、僕は僕を律するしかない」


 正しい道を突き進みたくはあるが、男としての(さが)が邪魔をするというのなら、それを除去する方法はちゃんと学ばなければならない。今後のアベリアとの接し方も、考えた方が良い。

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