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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 後編 -神殺し-】
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エピローグ 5


「結婚式はバートハミドで?」

「そっちの方が俺と彼女の親類も多いので」

「だったらそのままバートハミドで生活するように取り図ろう」

 アルフレッドはすぐさまバートハミドの町長に向けて手紙を書くため羽根ペンを握る。

「いえ、当面の間はシンギングリンで。俺も彼女もこの街での仕事がありますので」

「冒険者と貴族の家事手伝い。そのどちらも捨てたいと仰るのであればぁ、うぁたくしもギルドで調整しますけども」

 ニンファンベラはアルフレッドの秘書のように傍で立ちながらヴェインに伝える。

「捨てることはありませんよ。落ち着けばその内、バートハミドで暮らせたらいいねとは言っていますけど、ここでの暮らしが嫌だからバートハミドで早く暮らしたいと思っているわけじゃないので」

 それを聞いてアルフレッドは羽根ペンを置き、先ほどまで見ていた書類に再び目を通す。

「アレウリスが、君たちの結婚式を手本にしたいと言っていた。まぁあいつは何回、式を挙げるかまだ分からないが苦労はするだろうなとは思っている」

「だったらあんまりふざけた結婚式にはならないように気を付けなければならないな」

 ヴェインは街長室の外で待っているエイミーにも聞こえる大きさで言葉を発する。

「ですが、結婚……とても良い響きです」

「そうか? 式を挙げる暇もないくらいに忙しいと言うのに」

「……夢がありません」

 ニンファンベラはアルフレッドの返事が気に喰わなかったらしく、声の調子を落とす。

「わざと言っています?」

 なのでヴェインが彼に問い掛ける。

「街長代理から正式に街長に任命されて、あれやこれやと面倒事が舞い込んでくる。式がどうだのこうだのは考えている余地がない」

「つまり面倒事が一段落すれば考える余地が生まれる、と?」

「そういうことになる……ん?」

 ヴェインの言い方に違和感を覚え、そしてアルフレッドは誘導尋問に引っ掛かったことに気付く。

「ニンファンベラさん、彼の面倒事の中でギルドで扱える依頼を集めてください。俺たちが可能な限り、達成してみせますよ」

「分かりましたぁ」

「おい、一体なにを勘違いしているのか知らないが」

「する気はない、なんてことを言う人ではないですよね?」

 彼が持つ優しさの圧力にアルフレッドが屈する。

「片付けられるだけ片付いたら、考えておく。だが、その前に俺がニンファンベラと交際していることを住民たちに明かさなければ、」

「気付かれていないとお思いで?」

 街長室にエイミーが入り、告げる。

「な……そんなまさか」

「もう周知の事実ですよ。街長とギルドマスターの逢い引きは住民たちも知っています。公表を今か今かと待ち望んでいる雰囲気すらありますが、もしかして気付いていないんですか?」

 アルフレッドとニンファンベラが顔を見合わせる。二人はどちらも外に出る気質ではない。どちらかと言えば家や部屋に籠もって、仕事や趣味、或いは修行に没頭する気質だ。だからこそ住民たちから向けられている視線には鈍感であり、どう思われていても興味が無い。お互いがお互いのことを分かっていればそれでいいという考え方は、街の雰囲気にすら気付けなくなってしまっているようだ。

「俺たちはそんなに分かりやすかったか?」

「日に日に分かりやすくなりました」

「あぅううう……」

 恥ずかしそうにニンファンベラが唸る。

「なにを恥ずかしがる必要があるんですか? 交際が公然と認められること以上に嬉しいことはありません。私が彼の婚約者であり、そしてもうあと半年も断たない内に結婚できることも同じです。私はヴェインの妻であり、生涯を共にするパートナーであるとこれからは誰にでも分かるように見せ付けることができるんですから」

 そう言いながらエイミーはヴェインの腕に抱き付く。

「結婚すると普段見えていない部分が見えるようになる。俺はそれが怖くてな……君たちにその不安はないか?」

「ありますよ。でも、大体は昔と変わっていないと思いますので」

「もしも見えていない一面が見えたなら、相談できる相手もいます。アレウスさんやリスティさん、ドナ様など私が愚痴を吐ける相手は沢山いらっしゃるので」

「羨ましい限りだ。だが、もしその相談が不安を増長させることになったらどうする?」

「なりません」

「どうして言い切れる?」

「アレウスさんたちは私たちに誠実ですから」

 その言葉を聞いてアルフレッドは天井を仰いだ。

「それは、あなたたちが誠実であり続けたからだ」

 そして再びヴェインたちに視線を向ける。

「あなたたちがアレウリスたちに誠実であったから、邪な感情を抱かない。あなたたちがどこまでも愛し合っていて、互いを認め合い、進み続けたからだ。不安を心の隙間と思い、その隙間で悪さをしようとしない。いや、そもそもアレウリスたちがそういった心の隙間に入り込む悪人ではないからなのかもしれないが。しかし、あなたたちの誠実さには、誰にも敵わない」

「ありがとうございます」

 ヴェインがアルフレッドの言葉を汲む。

「街長として色々と見えていなかったものを見ているのかもしれません。でもあなたは、あなたを見ている最も近しい人はあなたのことをしっかりと捉えています。心配はなさらないでください。俺も聖職者です。不安があればどちらの心の声も聞くことができますから」

「それはありがたい限りだ。クルタニカに相談するよりはずっと心強い」

「クルタニカさんは考え方が冒険者寄りですからぁ。話されることもそちらからの知識や経験によるものが大きいのではないかと」

 ニンファンベラがクルタニカを擁護する。

「『聖者』のヴェインさんが神官長を務めると仰れば、彼女も席を譲ると思いますけどぉ」

「いや、俺は今の雇われ聖職者で十分ですよ」

「ニィナさんもそれでよろしいのですかぁ?」

「ええ、彼が言うのであれば」

「役職に興味が無いのか、それとも役職に縛られるのが嫌いなのか。どっちだ? 上に立てば報酬の額も大きくなる。冒険者との兼業も必要なくなるだろうに」

 ヴェインは一瞬だけ俯き、すぐに顔を上げる。

「正直、魔王に言われたことは俺の心を抉りました。自分は寄付によって生かされている。誰かが汗水垂らして稼いだお金を恵んでもらうことで信仰は成り立っている、と。言い返そうとして、必死になにか綺麗事を並べようとしたんですけど、難しかった。まさにその通りだと、まさに言われたままの通りだと思ったからです」

「それでも屈しなかっただろう。魔王じゃなく誰かにはいつか言われることだったかもしれない。最初が魔王であっただけに過ぎず、そこまで気にすることじゃない。誰もが生きるために誰かが稼いだお金で生きる。そしてそのお金が自身の手元からまた別の誰かの手元に渡る。お金の循環とは即ち、人の稼ぎを他人の稼ぎに還元することだ」

「けれど聖職者はお金に対してがめつい印象を与えてはなりませんから」

「一人、異常というか例外はいらっしゃいますが……」

 ニンファンベラは視線を逸らしながら言いにくそうに言う。


「ただ、俺は今なら思うんです。寄付してもらうことで俺たちは神への、人への奉仕を続けることができている。まさにその通りではあれ、俺たちは報酬が欲しくて神の御言葉を説いているわけではないのだと。結果的にそこに金銭の授受が発生しているだけに過ぎないのだと。施しをして、そのお礼を貰えると思ってはやっていないんです。たとえ俺の奉仕が人の心に届かなくとも、その行いを咎めることはしませんし、見返りを求めもしません。考えてみれば、俺たちは叶うともしれない祈りを神へと捧げ続けています。叶わなくても俺は神を恨みはしませんし、見返りを求めて祈りを捧げ続けているわけではありません。だから、人へと捧げる奉仕が、たとえ無意味に終わろうとも俺はそこに苛立ちも不満も怒りも抱くことはないんです」


「…………その心を全ての聖職者が抱けていたならば、『異端審問会』なんて集団がこの世に発生することもなかっただろうな。あなたの言葉は、あなたのひたむきな神への奉仕に俺たちはただただ感心することしかできない。どうかあなたは変わらずその心を抱いて、美しいご婦人と(あたた)かな日々を送ってほしい」

「『異端審問会』……そう言えば、彼らはあのあとどうなったんですか?」

 エイミーはアルフレッドに訊ねる。

「集団の軸として存在していた人間に化けていたヴァルゴが消え、そこに連なる多くの名を持つ人物も死んだ。特に指名手配されていたルーエローズやヴィオールの死を知らされた構成員は心の拠り所を失い、自然消滅した。だが、残党は未だ健在だ」

「信仰は消えません。心に信仰を抱いたそのときから、潰えることがないものです」

「ヴェインさんの言う通りです。彼らが仰いだ言うなれば『異端信仰』は絶対的教祖とも言うべき核を失っても尚、残留し続けています。その全てを駆逐することは難しく、監視下に置くにもお金、人員、労力が掛かります。それらの隙を縫って彼らは再び派閥のように数を増やし、残党から新たな名を掲げて暗躍するかもしれません。今はまだ、拠り所を求め合う者たちが固まって動いているだけに過ぎませんが」

「多くはさっきも言ったように自然消滅――いや空中分解とでも言うべきか。とにかく指導者を喪って、ほとんどの構成員は生きる希望を見失った。この大陸中のありとあらゆる国や種族の集まりが無抵抗の構成員を拘束している。それぞれが裁きを与えることになるだろうが、よほど大きな悪さをしていなければ死罪に問われることもないだろう。それが俺は少しばかり不満だ」

「信仰することは罪深いことではありませんから。罪があるとするならば信仰を利用する指導者や教祖を騙る、名ばかりの偽善者や詐欺師です」

 ヴェインはアルフレッドの不満に対し優しく諭す。

「『異端審問会』の名の下で行われていた神官の暴挙や、彼らの暴走によって心に深い傷を負った女性も少なくありません。さすがに彼らは死をもって償うことになるとは思いますのでぇ……それでも、やり切れない感情はあります」

「俺たちに出来ることがあれば仰ってください。出来る限りのことはやってみますよ」

「危ないところへ行かせたりすればたとえ街長であっても許しませんから」

 ヴェインはやる気ではあるが、エイミーの言葉には鋭さがあってアルフレッドはたじろぐ。

「このやり切れなさをアレウリスはどう思っているのか……彼なりの復讐の決着には至ったかもしれないが、満足しているのだろうか」

「俺たちが考えることじゃありません。アレウスは自分で自分の心に決着をつけますよ。それに、恐らくですけど最も復讐したかった相手は……討ったと思うので……いや、とても難しい話です。復讐だからといって人を殺すことを肯定することは聖職者としてやってはいけないことなんですが、アレウスの場合は……俺は聖職者である前に人として理解が、出来てしまうので」

「だったら、その重たい部分は私が背負う。私がアレウスさんの陰を背負う。だからあなたは変わらず接してあげて。居場所を傷付けられ奪われた気持ちは私にだって分かることだから」

「それを言われたら、俺はもうとやかく言うことはできないな」


「……バートハミドで式を挙げる日程が決まったら招待状を寄越してくれ。必ず参加する」

「シンギングリンの街長がしがない聖職者の結婚式に?」

「無論だ。あなたは誇り高き『至高』の冒険者にして『聖者』。シンギングリンの全住民を代表してあなたたちを祝福したい」

「アレウスさんが言っていた通り、私たちもあなた方の式を手本にしますのでぇ」

「そこまでは言っていない」

 ニンファンベラが外堀を埋めようとしてきたがアルフレッドが阻止する。それを二人は笑い、やがて小さく会釈をして街長室を出て行った。


「もっと上から目線で来られると思ったが」

「ヴェインさんはそんな人ではありませんのでぇ」

「むしろもっと上から目線で来てもらいたいところだ。魔王を討ち、世界を救い、『至高』にして『聖者』。シンギングリンの街長程度では肩を並べるなど出来はしないと言うのに」

「肩書きを笠に着ない方です。そこはアルも同じだと思いますけど」

「俺は肩書きを濫用しているぞ」

「そうですか? だったら、彫金細工師の修行なんて辞めてしまえばいいのにぃ」

「街長なんてずっと出来る役職じゃないからな。手に職はつけておきたい。なにより、ここで諦めると師匠に笑われる。お前は街長をやりながら修行も出来ないのかとな」

「そんなに厳しい方なんですかぁ?」

「だから見せてやりたいんだよ。出来ないと思ったら大間違いだったな、って」

 ニンファンベラはアルフレッドに優しく微笑み、椅子に座る彼に後ろから抱き付く。

「私との交際はいつ公表するんですかぁ?」

「時間をくれ。まぁ、そう掛かりはしない。必要なのは俺の覚悟の時間だけだ。お前の人生を背負う覚悟を」

「人生は背負うものじゃありませんよ? 手を繋いで一緒に歩くものです」

「ふっ、そうだったな。なら、明日にでも公表してしまおう。いや、自分で自分を追い詰める理由も……なんだその目は? そうやってまた結局、公表しないだろうって? ……分かったよ、ちゃんと明日に公表する。今度ばかりは嘘をつかない」


 ヴェインとエイミーの仲睦まじい姿を見せられた以上、アルフレッドも後には引けなくなった。男としての意地が出た。自分自身が進んでいる道も、決して彼らと引けを取らないのだと愛する相手に見せ付けたくなったのだ。無論、ニンファンベラは反対することもなく彼の頬に優しくキスをする。


「あとはお前のその独特な口調だな。俺に向かってなら幾らでも構わないが、他人に向けてのときだけ矯正してほしい」

「一人占めしたいんですかぁ?」

「どんな風に受け取ってくれても構わないが、別に俺は今のニンファンも否定するつもりはないことだけ伝えておく」

 そう言ってアルフレッドは業務を再開した。




*冒険者の憧れの街『シンギングリン』

・街に残った冒険者と獣人たちの手によってシンギングリンは『異端審問会』や魔王の悪意から守られた。獣人と魔物の周期、ラブラ・ド・ライト率いるガルダの襲撃、異界獣リブラによる異界化、白騎士の襲撃。これらを受けても尚、この街は復興への歩みを止めなかった。冒険者たちの士気が下がらず、彼らが復興の手伝いをほぼ無償にも近い金額で引き受けてくれたことで住民たちも復興を諦めることなく力を尽くし続けた。


 この冒険者と住民による協力体制はアルフレッドが街長代理、ニンファンベラがギルドマスターに就いてからは特に顕著であった。シンギングリンが長らく抱えていた問題は彼らの手によって解消され、柔軟で緻密、且つお互いの利益を損ねない絶妙なバランス感覚の中で街は遂に復興を果たす。この頃にはアルフレッドは代理ではなく正式に住民から街長として認められ、ニンファンベラとの交際も公表する前から住民たちに認知されるようになっていた。


 一部では街長とギルドの癒着を指摘する者もいたが、この噂の出所は大抵が貴族からのものだった。平民と冒険者の力が強まれば地位が危ぶまれる。そのように考えた貴族による抵抗だと知ったアルフレッドはシンギングリンの復興に伴う区画整理と拡張において貴族領を広げ、また定期的な貴族たちとの会合を行い、そこで話した一部は平民たちへも共有。貴族と平民たちの間にある溝を少しでも埋めようと努力した。その真摯な対応に多くの貴族は心を改め、ノブレス・オブリージュの精神でもって街に尽くした。


 しかし一部の貴族はそれでも立場や考え方を変えず、それでもシンギングリンに居座り続ける彼らをアルフレッドは疎ましく思いつつも決して追い払わず、他の協力的な貴族と同等に扱い、差別や区別、貴族領における行動範囲の制限などを設けることはしなかった。


・ニンファンベラはアルフレッドとの交流で人見知りを克服することはできなかったが、人前での口調を整えることはできた。しかし彼の前でだけは砕けた口調で、いつもと変わらなかったという。彼女の仕事振りは復興後のシンギングリンにおいても敏腕ではあったもののアルフレッドとの交際が公表されてからは担う仕事量を徐々に減らし、夕食時の七時から八時には同棲先のアルフレッド宅へと帰宅するようになり、朝昼晩関係なくギルドに閉じこもって仕事をし続けることはなくなった。


 担当者たちは彼女の変化を快く受け入れ、また彼女が自分自身だけが先に帰るのは忍びないということでギルドが冒険者たちに開かれている時間は午後六時から七時前後までとなり、緊急事態が起こらない限りは担当者たちに『定時帰宅』という権利が与えられたことでアルフレッドとの交際を陰ながらに応援した。


・シンギングリンは複数回の魔物の脅威を追い払ったことから多くの冒険者たちにとって憧れの街となり、冒険者を目指す者たちにとっても「活動拠点とするならシンギングリンが良い」と言う者が増えた。アルフレッドは彼らを受け入れ、帝国の新米冒険者のほとんどはこのシンギングリンで魔物との戦いを学び、ギルドの使い方、そして先輩冒険者たちの知恵を頼ることとなる。


・復興を前にヴェインとエイミーがバートハミドで結婚式を挙げる。アルフレッドとニンファンベラのみならず、多くのシンギングリンの住民たちは現地に行った者行けなかった者問わず大いに祝福した。その際に投げられたブーケを取ったのはフェルマータで、エイラがジュリアンを取られるのではと酷く動揺した。その数年後、アルフレッドとニンファンベラもシンギングリンで式を挙げた。


・ヴェインは『次代の至高の冒険者』にして『聖者』であったが、本人はそういった肩書きや与えられた役割を用いて他者に圧力を掛けたり、より上の地位を求めはしなかった。地位すらも清貧であれという向き合い方は今までになく「でもあの人『聖者』ですよね? なんであんなに普通の人みたいな感じなんですか」と多くの教会関係者及び信者に疑問を抱かせた。

 クルタニカの説法は冒険者たちの心の支えとなりヴェインの説法は老若男女、職業や地位、平民貴族問わずに人気であった。クルタニカは「ヴェインは神官長の仕事が重たいから地位に拘らないんじゃないんでして?」と訊ねるも「真の『聖者』は自ら求めないものですよ」と言い包められたという。


・エイミーとの式はバートハミドで挙げたが、生活拠点はシンギングリンで維持したまま二人の結婚生活は始まった。結婚生活はこれまでとなにも変わらないはずだったが、なにかと物入りになったりエイミーの心が不安定になったりと最初こそ躓きかけたが、ヴェインが仲間たちに相談することでエイミーはリスティやニンファンベラ、そして雇い主であるドナに気を掛けてもらって立て直すことが出来た。そうして二人で歩く人生は常に祝福の中にあり、ヴェインが疲れているときは傍からエイミーは離れず、エイミーが寂しそうにしているときヴェインは冒険者と聖職者の仕事を休んだ。

 そういった互いを気遣い合える関係性を維持できたのは二人の置かれた環境が良好であったため。ドナはエイミーが休みたいと言えばすぐに応じ、二言目には「心をしっかり休めてね」と言い、アレウスもヴェインが休みたいと言えば「エイミーさんと一緒に心を休めてくれ」と応じ、二言目には「僕たちが付いている」と続けた。そして結婚して一年も経つと生活も波に乗り始め、二人はお返しとばかりに多くの人々の相談事に乗ったという。


・魔物の数が減っていく中で冒険者稼業に一段落がついた四年後、ヴェインはエイミーを連れてバートハミドへと生活拠点を移している。このとき既にエイミーとの間に子供が産まれていたこともあり、アレウスは彼のパーティ離脱を承認し、以後は仲間ではなく親友として彼との交流を続けた。二人は会うと――その場にガラハがいれば三人で酒場へと赴き、家庭では普段は言えないようなくだらないことを話して笑い合った。


・異界から脱出したアレウスたちの最初の仲間。当時のアレウスとアベリアは大人や年上を信用しないと言い張り、常に二人でなにもかもを達成しようと躍起になっていたが、ヴェインやリスティとの出会いが彼らの考え方を改めさせる機会を与えた。人は誰しも悪人ではないこと、人は時折、悪意に囁かれてしまうこと、人はそれでも信じてくれる相手に言葉や態度で示したいと思うこと。他にも沢山のことをヴェインとリスティから学んだ。ヴェインのその誠実な人間性と年上であっても決して高圧的に接さない態度は徐々に二人の警戒心を和らげた。結果として最初に仲間と認めた彼の存在が二人の幼かった精神を成長させる要因となり、特にアレウスは「ヴェインがいなければ今の自分はいない」とすら周囲に語るほどだったという。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「断固として断る」

 牢屋の向こう側でグランツはせせら笑いながらリスティの要求を突っぱねる。

「それはクリスタリア家の当主としての意見ですか? それともグランツ・クリスタリア個人としての意見ですか?」

「どちらもだ。私が愚かな娘の意見に耳を貸すことなどない。舌を噛み切って死んでしまいたいところだ」

 グランツは視線をリスティの腰に提げている剣に向ける。

「このまま私を突き殺したいならそうしなさい。私はもはや生きることに意味を抱けない。全ては貴様のせいだ、リスティ」

「……クリスタリア家が没落してしまったことは確かに私のせいではありますが」

 リスティは決して自身の剣の柄に手を掛けることはない。

「お父様が狂ってしまったのは別に私の責任ではありません」

「まだ言うか! このクリスタリア家に不幸を招いた愚か者め!」

「狂いに走ったのはお父様です」

「貴様が帝国に渡りなどしなければ!」

「お父様が狂おうとしなければ」

「クリスタリア家は栄華を極めていた!」

「お母様たちがお父様に殺されることもなかった」

 話は平行線で、どちらも譲らない。そもそも二人揃って譲歩の念などないのだ。グランツの行いはリスティからしてみれば凶行であるが、グランツからしてみればリスティこそが凶行に走ることとなった原因という考えがある。

 そっちが悪い、自分は悪くない。この感情に変化が訪れない限り、二人が分かり合うこともない。


 溜め息をつき、リスティは看守に自身が引き上げることを告げる。


「貴様さえいなければ。貴様が無能な愚か者でさえなければ」

「また来ますよ、お父様」

「はっ、私はその顔が憎い。家を潰したクセに幸せそうにしているその顔が」

 グランツの罵声を浴びつつもリスティは牢獄から階段を使って地上に出る。牢獄塔の見張りをしている兵士に頭を下げて、外で待っていたニィナとアイシャと合流する。

「どうでしたか?」

 アイシャの質問に首を横に振って答える。

「そう……ですか。いつかお互いに分かり合えるときが来ると良いのですが」

「死ぬまでの間には和解する気はありますよ。ああ見えてお父様は強情で、ついでに根性があります。死にたいと言いながら死にはしない。情けなくも生き足掻くことでしょう」

「なんでそんなことが分かるの?」

「舌を噛み切って死んでしまいたいと言う割に、一向にそうしないからです。別に牢獄には特別な魔法陣が敷かれているわけではありませんから、自死の行動は制限されていません。なのに死なない。言ったことを実行しない。本人は狂ってはいても、この世界で生きる意味を見失ったと言いながらもその実、まだ生きていたいんですよ」

 ニィナの質問にリスティはそう返事をする。

「だったらお父様よりも先に死なないように私も長生きするだけです。死ぬまでに和解できれば私の勝ちです」

「でも死ぬまでに和解しなければあっちの勝ちと考えてもいるんじゃないの?」

「それならどっちの心が先に折れるかですね。まぁ私は負けませんが」

 時間は有限なためこの戦いは永遠ではない。永遠に続くかもしれなかった闇は一時的ではあれ払われた。だからこそリスティの心には余裕がある。

「わざわざゼルペスまで付き合わせてしまって申し訳ありませんでした」

「いいえ、リスティさんの身になにかあればアレウスさんになにを言われるか分かったものじゃありませんから」

「そうそう。と言うかアレウスがリスティさんを一人でゼルペスに行かせているのも悪いんだから」

「アレウスさんは必死にリゾラさんを探している最中ですから。あんまり文句は言わないであげてください」

 二人の口から揃って出るアレウスへの不満に対してリスティは苦笑いを浮かべる。

「それでは次に行きましょうか」

「せっかくゼルペスに来たんだし、友達と話でもしてきたら? 私たちは全然待つから」

「エルヴァと話したいことはありませんよ。ユークレース様やオルコス様と謁見が叶っても、仕事を邪魔するだけですし」

 そしてその二人とはあまり親交はない。エルヴァやクルスがいれば話せるが、二人がいないなら話題が出せない。そんな気まずいことになるのなら会わないで帰るのが得策である。

「『門』を使って帝国に戻りますが、観光でもして行きますか?」

「良いんですか?」

「このあとのことを思えば、今の内に発散できることは発散しておいた方がよろしいかと」

 乗り気のアイシャにそう伝えると彼女はニィナの方を見る。

「アイシャがそう決めたんなら私が文句を言うことはないわ」

「御免なさい、このあとにお墓参りもあるのに……」

「お墓参りをするからってその前後で楽しんじゃいけないって理由はないでしょ?」

 二人の間で話は進み、ゼルペスの観光を隙間時間で済ませてしまう方針に纏まる。

「花やお酒を買えたらいいかな。帝国じゃあんまり見ない物もあると思うし」

「口に合わなかったらどうするんですか?」

「まぁ世の中には色んな物があるということで勘弁してもらうから」

 アイシャの懸念をニィナは軽く跳ね除ける。


 魔王を討伐し、世界に一時の平和が訪れ、シンギングリンでの様々な作業が一段落した。そのあとでリスティはまずグランツと話をしたいと思った。ニィナとアイシャは用事で出るつもりだったようだが、リスティがゼルペスに向かうことを知ると警護を申し出てきたのでこれを承諾した。結果的に彼女たちの用事を後回しにしてしまうことになったが、そのことについて文句の一つも出てこないので逆にリスティが気を遣ってしまう。

 二人は墓参りへと向かう準備を整えていた。エルフの暴動によって帝国国内でざわつき、その隙を縫うようにして魔物の周期によってニィナの故郷は崩壊した。ニィナの正体は『不死人』のテュシアである。だが、だからこそ彼女はニィナの故郷で命を落とした村人たちを鎮魂したいのだ。どうやらそれにアイシャが付き添う形であったらしい。


 そのためゼルペスに『門』を使って移動し、再び『門』でシンギングリンに戻って馬を駆りてニィナの故郷に向かうことになる。随分と手間が掛かってしまうが、『門』がなければもっと掛かることが数日で済むことはありがたいとしか言いようがない。


「そういえばお二人とも、アレウスさんからなにか言われてませんか?」

 瞬間、ニィナとアレウスが硬直する。

「なにかってなんでしょうか?」

「いえ、アレウスさんがオーディストラ様から特例を頂戴したのはもうご存知のはずですが」

「あ……あー、あれですか。いえ、私は特にアレウスさんから言われているわけではないんですが」

 チラッとアイシャはニィナを見る。

「ニィナさんはちょっと、なにかあったらしくって」

「なんにもないから!」

「いや、絶対になにかありましたよね? ニィナさんだけ呼び出されて、そのあと帰ってきたときに物凄い浮かれた感じになっていましたし」

「べ、別に浮かれてなんか!」

「でも、それを言うならリスティさんは?」

「私ですか?」

「アレウスさんのことだからリスティさんにも声を掛けているんじゃないですか?」

「私は…………そう、ですね」


 そのときのことを思い出すと一気に脳内で構築していた言葉が崩壊する。考えていたように声を発せられなくなり、急に気恥ずかしくなって委縮する。


「話題を出しておいてなんですが、この話は無かったということでどうか」

「聞くのでしたら聞かれる覚悟もしておくべきですよ。そして私は逃しません」

 アイシャがリスティの手を両手でギュッと握る。

「アレウスさんは人間性が終わっていますが、目的に向かう一生懸命さは私も認めています。本当はそのことも認めたくはないのですが、彼以外の男性がニィナさんやリスティさんを手籠めにすると考えると、耐えられません。だったら仕方なく私が唯一、人間性は終わっていると思うんですが一応は認めているアレウスさんに捕まえてもらえれば、安心できます」

 わざわざ二度も人間性が終わっていると言うのだからアイシャのアレウスへの心象はまさにその通りなのだろう。

「なんでアイシャがアレウスを熱く語ってんの?」

「え、わ、私は別に」

「なーんか怪しいんだよね。実はアイシャもアレウスとなんか話をしたりしてんじゃないの?」


 沈黙。


「これは……」

「洗いざらい吐かせる必要があるわ」

「アレウスさんに直接聞くべきかもしれませんが」

「今はアイシャを問い質す方が手っ取り早い」

「ちょ、待ってくださいよ。なんで急に二人で結託するんですか! ズルいです! 私、勝ち目がないじゃないですか!」


 そんな風にしていると三人の後ろから笑い声が聞こえた。

「ああ、すいません。お話の邪魔をしてしまったようですね」

「ユークレース様!?」

 そう言ってリスティはひざまずこうとする。

「そのままで構いません。僕は国王でもなんでもないゼルペスの首長に過ぎないのですから」

「ですが、その血筋は」

「血筋などもはや関係ありませんよ、もはや。なにせクールクースが王国を統べる。ワナギルカンの血筋ではない、クールクースが。だから畏まる必要はないです」

 そこまで言われるとリスティもひざまずけなくなる。

「首長としてやっていける気はしますか?」

「全く」

 ユークレースは首を横に振る。

「自信なんてありません。僕は戦場の駒であることに全てを捧げていましたので、誰かを指示することに慣れていません。むしろ指図されるほうが合っていますから」

「オルコス様がすぐに森で向かわれてしまったので……エルフの間での物事が一段落すればこちらに顔見せするようになるとは思いますが」

「……まぁ、不安しかないけれど別に前途多難なことが苦しいとは思っていません。エルヴァージュやマーガレット、それにクールクースも気に掛けると言ってくれました。だったら僕も似合わないこと、難しいことに目を向けるときが来たのでしょう。それを肌で感じるしかないゼルペスの民草にはなにかと不便を強いることになるとは思いますが」

 呟くように言葉を並べつつもユークレースは遠くを見やる。

「それならそれで、僕を降ろす運動が起こっても致し方なしです。そのときは受け入れますよ。もはや国は王族の物ではなく、民草の物となったのです。民草にその感覚が芽生えるのはまだ先のことになるとは思いますが、ここから王国は変わっていきます。そしてこの新王国特区も」

「仰る通りです」

「アレウリス・ノールードに会うことがあったら伝えておいてください。僕も一度、模擬戦であなたと戦ってみたいと。この僕を出し抜いたエルヴァージュが認める冒険者の腕前。少しではなく物凄く興味があります。あのエーデルシュタインの当主から一目置かれているのも気になることなんですが」

「アレウスってそんなに――あー、えっと、それほど有名なんでしょうか?」

 ニィナはユークレースへとの言葉を改めつつ質問する。

「有名ではありません。ただ、僕たちにとっては有名です。彼が大々的に魔王を討ったことを世間に公表しないなら、彼の名が耳に入るのは冒険者たちと僕たちぐらい。彼がこれ以上の有名を求めないのなら、ですが」

「魔王を討ったことをあんまり本人が大声で言わないですよね。『勇者』を越える救世主ですよ、もはや。公表すれば死ぬまで働く必要はないですし、望めばどんな女性だって手に入る。いいえ、女性どころかあらゆる地位も名誉も、生き方でさえも」

「……かつて、王国を創り上げたドラゴニア・ワナギルカンはまさにそれを求めました。死ぬまで働く必要がない、という部分は違えども自らの欲望の全てを叶えられる場所に立ち、全てを見て、全てを取り込みました。それは王国を大きくすることに繋がりはしましたが、正しかったかと問われれば僕たちは首を傾げる。欲望が場合によっては国すら巻き込んでありとあらゆるものを壊す可能性があることを彼は理解している。己が名誉に拘らず、己が平穏をただ望む。平穏のためなら、魔王を討ったことさえ彼は語らず、その名誉を捨てる気さえあるでしょう。彼の欲望は、彼自身の幸福のために。それは身近な方であったり、果てにはこれまでに出会った国や種族の代表者にすら向いている。だからこそ手合わせをして知りたい。その世捨て人にも等しい精神を垣間見たいのです」

「それは、ちょっと違います」

 リスティが異を唱える。

「彼は世捨て人のような精神は持ち合わせていません。むしろ欲望に素直です。なのに国や名誉や地位に興味を抱かないのは、その欲望を自分自身が正しく管理できないと思っているからです。まぁ、複数の女性を……というのが彼に出来るのかどうかは分かりませんが、一度決めたことを捻じ曲げたくないという感情もあるのでしょう。なにより、彼はこれまでも私たちにそれとなく伝えてきているので期待させてしまった以上は引っ込みがつかなくなっている面もありますが」

「なるほど……まぁ、世界を救った英雄であれば誰も嫉妬はしませんよ。それに嫉妬するのはそこに至るまでの苦労を知らないから。簡単に至れたと思っているから。恐らくは奇異の視線で見られることもあるとは思いますが、支え合ってください。人数が多い分、支え合うことは難しくないはずです。俺たち義兄弟姉妹(きょうだい)もそうでありたかった……それを語らなかった僕の弱さであることは分かっています。けれど……そうですね……掴めたはずの手なのに、掴めなかったことが…………少々、胸に響くところがあります。しかし、それも過去のこと。省みても、僕たちは歩まなければならない。僕もそうですが、皆様方もお元気で。時折、ゼルペスがまともな方向に進んでいるか調べに来てください。僕にはない視点がゼルペスの歪みを見つけることもあるでしょうから」

 ユークレースはゼルペスの城へと向かい、その場をあとにした。


「私、なにか変なこと言いました?」

 アイシャとニィナがリスティを見つめているので訊ねる。

「アレウスへの理解度が深いなと思った」

「リスティさんの話を聞いて私、決めました。やっぱりアレウスさんの申し出は断ろうと」

「断る?」

「はい。やっぱり人間性の部分で認めていない私は、どこかでアレウスさんとの間に亀裂を起こすと思うんです。だったらいっそ、体だけの関係で……ん? 私、変なことを言いましたね。今のは聞かなかったことにしてください」

「聞かなかったことにはできませんが」

「と、と、とにかくですね。アレウスさんのことを理解できている方々がアレウスさんを支えるのなら私はなにも文句は言わないということです。勿論、ニィナさんのことも応援します」

「私も受けるとは言ってないんだけど?!」

 彼女は彼女なりの答えを出した。アレウスはそれを拒否せずに受け入れるだろう。そもそもアイシャに声を掛けたのは彼女が自分というものをちゃんと見定められるかを知りたかったからだとリスティは思う。恐らく受け入れられたらアレウスはアレウスで困っていたはずだ。望んでいない相手の生き方を縛ることを彼は求めない。

「ってことは、私は望んでいるってことになってしまうのか」

 ボソリと落とした言葉は辛うじて二人の耳には届かなかったらしい。或いはニィナだけには聞こえていたかもしれないが、聞こえないフリをしてくれているのだろう。

「まぁ当面は私たちは待たされると思いますけど」

「それってやっぱりリゾラ?」

「見つけるまではアベリアさんとも結婚しないと思います。そういうところは頑固ですから」

 それを残念と思うか、待ち遠しいと思うか。リスティにとっては少しばかり複雑な感情も入り乱れるが、どういうわけか納得はできてしまっている。


 アレウスがそれを目指したのなら、それを受け入れる。彼の掲げた目標は果たされた。

 だったらご褒美は上げなければならない。


 そこまで考えて自身の単純さにリスティは憂う。自分自身をご褒美にたとえたのはあまりにも下品だからだ。


「でもそう思った方が強気には出られるし」

 上下関係や格付けをしたいわけではないが、頼られる立場を崩したくはない。そこだけはアレウスには譲りたくはない。

 頼られる年上の女性。その位置がリスティにとっては望ましいのだ。その立ち位置が、自身の癖を満たしてくれる。この欲望だけは譲らない。

 しかし果たして、その優位性を今後も維持できるかどうかまでは分からない。ただ確かに言えることはリスティはもう既に完全にアレウスに落とされているということだけである。

「気持ちを切り替えましょう。お墓参りだけでなく、お墓を立てることも考慮するなら急かす感じにはなりますが色々と品物を揃えて行きましょう」

 切り替えでもしなければ頬が綻んでしまう。


 気持ちは真っ直ぐに向いている。もはやリスティはひたすらに進むだけだ。クルスとエルヴァには負けられず、そして二人に比べれば障害など無いに等しいのだから。



*今を生きる者たち

・魔王を討伐し、魔物の数が減少傾向であるのは確かなことであったが、世界に放たれた魔物の数はギルドが把握し切ることはできなかった。また、一部地域においては逆に魔物の数が増加傾向であったりと依然として不安定な状況には変わりなかった。そのため担当者と冒険者もギルドを通しての活動を継続し、どれほどの月日が経っても現在に至るまでギルド、担当者、冒険者の関係性は揺らぐことなく続き、最盛期ほどではないにせよ未だギルドは魔物退治や人々の依頼などを冒険者へと紹介している。


・リスティは父親であるグランツと、どちらかが死ぬまでの間に和解するか否かの根比べを行うことを決めた。狂気に走ってしまったグランツも牢獄暮らしを続ければどこかで諦めがつくだろうという推測だったが、グランツの意志は気高かった頃のように強かった。そんな父親の目を覚まさせたのはリスティが連れてきた彼にとっての孫の存在だった。孫との対面を終えたのち、グランツは牢屋の中で静かに「その子と話ができるなら」と和解に前向きになったという。罪の重さから死ぬまで牢屋から出ることは叶わなかったが、リスティと孫の顔を見るときだけは険しい表情にどこか柔和な――リスティが幼かった頃に見た父親の顔があった。


・テュシアは自身が乗り移ったニィナの故郷にアイシャと共に訪問。当時は逃げることに必死で目を背けてきた屍を一つ一つ丁寧に葬り、鎮魂した。『不死人』としての彼女にとって血縁や親戚、隣近所といった人の繋がりを知ることは難しかったが、ニィナがいたからこそテュシアは人としての倫理観を獲得できた。そのことに感謝すると共に、ニィナの肉体とその家名を背負うことを決め、やはりテュシアと名乗るのではなくニィナと名乗り続けた。そんな彼女をアイシャは陰ながらに支え、最も親しい友人として毎日のように待ち合わせをして、シンギングリンのみならず様々なところを旅した。


 また、アイシャは自身の故郷にも足を踏み入れ、彼女が出たときからすっかり変わってしまった村の風景に思うところこそあったが、その変化を受け入れるだけでなく未だ教会で働き、奉仕し続けている父母と再会し、冒険者として経験した多くを語った。やがてアイシャは故郷に身を置くようになり、シンギングリンで暮らすニィナとの旅行は数ヶ月に一回に減った。


・アイシャは神に純血の誓いを立ててはいなかったが、その容姿に反して男性の陰はほとんど見られなかった。彼女に悪意を向ける者は彼女を守ろうとする多くの屍霊によって阻まれ、また離れていても通じ合っているニィナの助けもあった。アレウスによく会っていたことから、表向きではなく裏で彼との関係があったのではと噂こそ立ったが、証拠も根拠も誰も見つけられず、根も葉もない噂止まりとなった。


・『門』があることで国家間の往来は冒険者や担当者にとって難しくはなく、国境を越えての活動も過去に類を見ないほど活発化するが、同時に不法入国が後を絶たなくなり、責任の多くを国家を問わずギルドが負うこととなり、冒険者は不法入国者を取り締まる仕事も引き受けなければならなくなった。その過程で『異端審問会』の後釜たる宗教組織や残党を捕まえることも多く、撒かれた信仰の種は魔物以上の脅威として捉えられるようになる。一部の冒険者の中には協力者も出始め、これをギルドも国も厳しく咎める。冒険者を支えるギルドが冒険者を捕らえる。その構図は『身から出た錆』などと揶揄されることもあった。しかし、それでも彼らが続けてきた活動が未来に繋がる今を作り出したことを再認識しなければならない。

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