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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 後編 -神殺し-】
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エピローグ 4


「本当の本当に一人でやっていけるんだな?」

「姉上、そう何度も確認しないでください。オレはキングス・ファングとして群れを纏め、正しく獣人を導いてみせる。セレナ姉さんがいなくても、この群れはなくならない」

「そこまで言うのなら、ワタシはセレナを預かるが」

 狼の頭を撫で、ノックスは小さく溜め息をつく。

「行くアテはあるんですか?」

「まずはエルフを訊ねる。こういった呪いや魔法の類はやはりエルフの連中が最も詳しいだろうからな。そもそも、この呪いの始まりもエルフからだからな」

 パルティータの問いにノックスは答え、狼も小さく吠えて同意を示す。

「すぐに姉上たちを受け入れてくれるんですか?」

「ああ、話はアレウスが通してくれている。イェネオスはエレスィに見張られはするが、それでセレナが少しでも早く人に戻れるのならそれぐらいは甘んじて受け入れる」

「それはそれは……良かったですね、アレウスさんに会えて」

「な、んだその言い方は?」

「オレは最初、この群れにアレウスさんたちを招いたときに決めていたことがあるんですよ。姉上たちをさっさとアレウスさんと結婚させて群れの中の掟から逃れてもらって自由に生きてもらおうと」

「な、ななな、な……っ?」

「言っていませんでしたっけ?」

「言っていたような気もするが、あの当時のワタシたちは父上とヘイロンに操られていたからな」

 判然としない記憶の中で、パルティータが語った内容を思い出せはするのだが、ハッキリと思い出せている事実を弟に伝えることをノックスは渋る。

 アレウスのことで弟にからかわれるのは気に入らないのだ。あのヒューマンのことになると自身がどれほど気を付けていようとも発言でボロを出してしまう。

「姉上は姉上の生きたい場所で、オレはオレの生きる場所で。それでいいじゃないですか。それに群れの中でも追放した姉上を受け入れようという声も出ています。さすがに群れに再びというわけにはいきませんが、ヒューマンたちが行う里帰りのように、好きなときに帰ってきて好きなときに去るぐらいは許してもらえそうです。なにせ姉上は、」

「魔王を討った偉大な獣人だから、だろ?」

「その前置きさえあれば、どんな獣人も黙らせることができます。オレではなく、姉上がキングス・ファングを名乗ってもきっと今なら受け入れてくれるでしょう。もしも姉上が望むなら、」

「望まない」

 ノックスは木製のスプーンを手元で弄びながら即答する。

「お前の居場所を奪いはしない」

「……元はオレが奪ったようなものなのに、ですか?」

「それでもワタシにはまだ居場所がある。お前はこの群れを失えば、居場所探しに放浪してしまう。別にキングス・ファングの称号にはもう拘っていない。ワタシはノクターン・ファングでありノクターン・カッツェ。そしてお前はキングス・ファングでありパルティータ・ファング。セレナもまた同じ。ワタシたちはそれだけでいいんだ。ワタシたちはこの血の繋がりさえ互いに分かっていれば、あとはどうとでもなる。そんな気がする」

「そう……ですね」

 パルティータはどこか自信が無さそうに答える。

「ワタシたちはアレウスのところに身を寄せるが、パルティータ? お前はしっかりとハーレムを作れ。まさかまだ作っていないとは思っていなかった」

「オレはまだまだ若輩者ですから」

「そう言って逃げるな。父上から続く血を途絶えさせるな。キングス・ファングから頼まれれば誰だってハーレムに加わるだろ」

「ここ最近、随分と獣人たちも自由に生きていますけどね」

「……ああ、そうか。ワタシたちもミーディアムではあったから、呪いから解き放たれてはいるのか。これっぽっちも感情に変化が起きなかったから気にしていなかった」

 アレウスへと向けている感情が以前も以後も変わっていない。そのことをノックスは思わず声に出してしまった。隣の狼は失言を聞いてしまったことに呆れているように見え、パルティータは明らかに表情が変わる。

「やっぱりアレウスさんに惚気てしまっているわけですね?」

 これが嫌だった。嫌だったから拒んでいたが、自らの発言で隙を作ってしまった。

「ワタシのことは良いんだ。お前のことの方が問題だろ」

「つまりもうアレウスさんから頼まれれば応える準備はできている?」

姉弟(きょうだい)でもそんな話はしないぞ」

「いえいえ、オレのハーレムをどうこう言うのなら姉上の恋路について語ることぐらい許されるはず」

「ああもうっ、そうだよ。ワタシはアレウスのところで生きる。だからパルティータはさっさとハーレムを作れ。無理やりは控えめにして、可能な限りキングス・ファングのハーレムに加わりたいという女を集めろ」

「それだと子供同士での争いが起きてしまいませんか?」

「起こさないようにするのが群れの王としての腕の見せ所だろう」

「別にハーレムに腕の見せ所なんて無いと思いますが」

 話はどうにも進展しない。パルティータが予想以上に頑固だ。

「ワタシは群れの心配を…………はぁ、いや、こんなことを言うつもりはなかった。心配なんてしていない。お前はワタシがなにも言わずとも群れを導くし、しっかりと血を遺す。これは過度な姉から弟への執着だ。ワタシにとってお前はいつまでも弟だからな」

「姉上たちもオレにとっていつまでも姉上ですよ? だから、もう群れに関わらないようになんてしないでください。オレは一人でもやっていけると自負していますが、ただ姉弟(きょうだい)として姉上たちに会いたい気持ちはあるんですから」

 それがひょっとするとパルティータが一番言いたかったことなのかもしれない。

「どんなに離れていようとも、ワタシたちは血を分けた姉弟だ。亡くなった兄貴も」

 言いながら父の骨で作った短剣をノックスはパルティータに渡す。

「ワタシは兄姉妹弟(きょうだい)の絆を短剣に秘め、お前は父上の強さ、そして誇りをその短剣から受け取れ。暴君になることは許さないけどな」

「はい」

 受け取ったパルティータは骨の短剣を腰に差す。

「それじゃ、そろそろ行く」

「ご自愛ください、姉上。そして、姉上たちの旅が一路平安(いちろへいあん)であることを祈ります」

 ノックスは狼のセレナの背に乗り、シンギングリンへと旅立つ。


 キングス・ファングの娘――獣人の姫君はキングス・ファングの姉となった。もう姫君と呼ばれることもない。

 だがそのことをノックスは微塵も後悔しておらず、そして気にも留めることもない。肩書きから解き放たれたノックスの顔はとても澄み切っていて、狼のセレナもその足はとても軽く、そして速かった。




*獣人の群れ『キングス・ファング』

・ノックスとセレナが決戦の地に赴いたときに彼女たちを手助けしてくれたのはウリル・マルグの群れだった獣人たちだった。そして彼女たちが体を張って同胞を守ろうとしたその姿に王国の獣人たちは決起し、共に王国の闇たる『異端審問会』と戦う道を選んだ。力があるから束ねられるのではなく、力を束ねる力を見せたことで他国の獣人たちも彼女たちの生き方に続くこととなる。力こそが全て、支配こそが獣人のあるべき姿。そういった考え方は決して獣人の中から消え去ることはなかったが、自然と生きる人間としての矜持を捨ててまで力に固執することはない。そのことを彼女たちは全ての獣人たちに見せたのである。また、帝国の獣人たるパルティータが新王国のゼルペスを救ったことからオルコスはエルフに獣人との交流を打診し、少しずつだがエルフと獣人の間にあった分かり合えない谷は塞がっていく。しかし、それらは完全に塞がることはなかった。とはいえ、エルフにはエルフの、獣人には獣人の生き方があると互いに理解したことで以前のような絶対的な忌避というものは失われていった。


・獣人たちは一時的な平和が訪れても群れ同士の争いをやめることはなかった。しかし、以前のようにただ争い続けることに全てを捧げるといったことはなく、矜持への侵犯や同胞をコケにされたときに留まるようになった。特にキングス・ファングの群れは最も強くそして最も冷静であったとされ、帝国領のシンギングリンでは獣人を迎え入れての祭事が一年に一度催されるなど、その関係は良好であったようだ。


・ノックスとセレナはエルフの森を訪れ、狼となってしまったセレナの呪いについての研究を委ねる。様々な解呪方法が提案され、しかしどれもが危険と隣り合わせであったために決断ができないまま日々を過ごしていたが、それらを特に気に掛けたのはアレウスであり、彼とクラリエの進言からレジーナやイェネオス、エレスィが動き、様々なエルフへと掛け合うことで『不退の月輪』を用いて自身が浴びた呪いをむしろ自分自身の物とする――解呪するのではなく自らが持つ力の一部として受け入れる方法が試され、セレナは数分であれ人の姿を取り戻すようになる。その後、その方法をノックスとセレナは訓練し続け、最終的にセレナは人の姿を維持するだけならば一週間、全力でも三日は保てるようになった。このことにノックスはエルフたちに心から感謝し、アレウスには格別の礼で応えたという。木製スプーンはセレナの手に渡り、狼の姿であるときも落とさぬように首に掛けられる大きさの肩掛け鞄の中に大切に収められることとなる。


・ノックスは冒険者ギルドで称号として『獣牙(じゅうが)』と『奔放なる獣人』を得る。ランクは『中堅』とされるが、『本性化』時には『上級』以上『至高』未満の実力と記録される。彼女はシンギングリンで唯一、居住を許された存在であり、獣人であったことを明かしたあとも住民たちは快く彼女を迎え入れたという記述が残っている。ノックスは獣人らしい生き方とヒューマンの生活、その両方を尊び、そのどちらにも順応して時にはセレナすらも巻き込んで、小さな子供たちの遊び相手になることが多かった。当初は住民たちも気が気ではなかったが、彼女たちの子供好きは確かなもので、「子供の面倒に迷ったときはノックスさんを頼ること」はシンギングリンで子供を持つ母親の間では標語となった。多くの子供たちと遊ぶことを押し付けられる形となった彼女だったが、僅かな報酬であっても断ることはなく、そのほとんどを受け入れた。群れで沢山の獣人たちと生きてきたノックス、そしてセレナにとって任される子供の数など些末なもので、彼女たちの元では危ないことがっても誰も傷付くことはなく、大人が子供たちを傷付けようとしても颯爽と二人が守り抜いたという。


・シンギングリンで生きていたノックスだが、度々、キングス・ファングの群れを訪れている。それは生まれ育った群れを恋しく思ったり、人の姿を取り戻したセレナを群れに戻すべきではないかという思いから来ており、キングス・ファング――パルティータは彼女たちに弟として寄り添った。そしてセレナは自分の意思で姉であるノックスの傍にいたいと告げ、パルティータがこれを認めることで彼女もまたシンギングリンで暮らすことになる。しかし、人の姿を維持するのは大変なため普段は狼の姿でノックスの傍で飼い犬のように振る舞った。これを何度かアレウスは「妹を愛玩動物みたいに」と気にしたが「この方がここでは暮らしやすい」とノックスとセレナも声を揃えて言うため、彼はそれ以上にその生き方に文句を言うことはなかった。

 時が経ち、パルティータの元へとヒューマンと獣人の間に出来た子供が家族と訪れる。その家族とは――



ーーーーーーーーーーーーーー




「結婚式はバートハミドで?」

「そっちの方が俺と彼女の親類も多いので」

「だったらそのままバートハミドで生活するように取り図ろう」

 アルフレッドはすぐさまバートハミドの町長に向けて手紙を書くため羽根ペンを握る。

「いえ、当面の間はシンギングリンで。俺も彼女もこの街での仕事がありますので」

「冒険者と貴族の家事手伝い。そのどちらも捨てたいと仰るのであればぁ、うぁたくしもギルドで調整しますけども」

 ニンファンベラはアルフレッドの秘書のように傍で立ちながらヴェインに伝える。

「捨てることはありませんよ。落ち着けばその内、バートハミドで暮らせたらいいねとは言っていますけど、ここでの暮らしが嫌だからバートハミドで早く暮らしたいと思っているわけじゃないので」

 それを聞いてアルフレッドは羽根ペンを置き、先ほどまで見ていた書類に再び目を通す。

「アレウリスが、君たちの結婚式を手本にしたいと言っていた。まぁあいつは何回、式を挙げるかまだ分からないが苦労はするだろうなとは思っている」

「だったらあんまりふざけた結婚式にはならないように気を付けなければならないな」

 ヴェインは街長室の外で待っているエイミーにも聞こえる大きさで言葉を発する。

「ですが、結婚……とても良い響きです」

「そうか? 式を挙げる暇もないくらいに忙しいと言うのに」

「……夢がありません」

 ニンファンベラはアルフレッドの返事が気に喰わなかったらしく、声の調子を落とす。

「わざと言っています?」

 なのでヴェインが彼に問い掛ける。

「街長代理から正式に街長に任命されて、あれやこれやと面倒事が舞い込んでくる。式がどうだのこうだのは考えている余地がない」

「つまり面倒事が一段落すれば考える余地が生まれる、と?」

「そういうことになる……ん?」

 ヴェインの言い方に違和感を覚え、そしてアルフレッドは誘導尋問に引っ掛かったことに気付く。

「ニンファンベラさん、彼の面倒事の中でギルドで扱える依頼を集めてください。俺たちが可能な限り、達成してみせますよ」

「分かりましたぁ」

「おい、一体なにを勘違いしているのか知らないが」

「する気はない、なんてことを言う人ではないですよね?」

 彼が持つ優しさの圧力にアルフレッドが屈する。

「片付けられるだけ片付いたら、考えておく。だが、その前に俺がニンファンベラと交際していることを住民たちに明かさなければ、」

「気付かれていないとお思いで?」

 街長室にエイミーが入り、告げる。

「な……そんなまさか」

「もう周知の事実ですよ。街長とギルドマスターの逢い引きは住民たちも知っています。公表を今か今かと待ち望んでいる雰囲気すらありますが、もしかして気付いていないんですか?」

 アルフレッドとニンファンベラが顔を見合わせる。二人はどちらも外に出る気質ではない。どちらかと言えば家や部屋に籠もって、仕事や趣味、或いは修行に没頭する気質だ。だからこそ住民たちから向けられている視線には鈍感であり、どう思われていても興味が無い。お互いがお互いのことを分かっていればそれでいいという考え方は、街の雰囲気にすら気付けなくなってしまっているようだ。

「俺たちはそんなに分かりやすかったか?」

「日に日に分かりやすくなりました」

「あぅううう……」

 恥ずかしそうにニンファンベラが唸る。

「なにを恥ずかしがる必要があるんですか? 交際が公然と認められること以上に嬉しいことはありません。私が彼の婚約者であり、そしてもうあと半年も断たない内に結婚できることも同じです。私はヴェインの妻であり、生涯を共にするパートナーであるとこれからは誰にでも分かるように見せ付けることができるんですから」

 そう言いながらエイミーはヴェインの腕に抱き付く。

「結婚すると普段見えていない部分が見えるようになる。俺はそれが怖くてな……君たちにその不安はないか?」

「ありますよ。でも、大体は昔と変わっていないと思いますので」

「もしも見えていない一面が見えたなら、相談できる相手もいます。アレウスさんやリスティさん、ドナ様など私が愚痴を吐ける相手は沢山いらっしゃるので」

「羨ましい限りだ。だが、もしその相談が不安を増長させることになったらどうする?」

「なりません」

「どうして言い切れる?」

「アレウスさんたちは私たちに誠実ですから」

 その言葉を聞いてアルフレッドは天井を仰いだ。

「それは、あなたたちが誠実であり続けたからだ」

 そして再びヴェインたちに視線を向ける。

「あなたたちがアレウリスたちに誠実であったから、邪な感情を抱かない。あなたたちがどこまで愛し合っていて、互いを認め合い、進み続けたからだ。不安を心の隙間と思い、その隙間で悪さをしようとしない。いや、そもそもアレウリスたちがそういった心の隙間に入り込む悪人ではないからなのかもしれないが。しかし、あなたたちの誠実さには、誰にも敵わない」

「ありがとうございます」

 ヴェインがアルフレッドの言葉を汲む。

「街長として色々と見えていなかったものを見ているのかもしれません。でもあなたは、あなたを見ている最も近しい人はあなたのことをしっかりと捉えています。心配はなさらないでください。俺も聖職者です。不安があればどちらの心の声も聞くことができますから」

「それはありがたい限りだ。クルタニカに相談するよりはずっと心強い」

「クルタニカさんは考え方が冒険者寄りですからぁ。話されることもそちらからの知識や経験によるものが大きいのではないかと」

 ニンファンベラがクルタニカを擁護する。

「『聖者』のヴェインさんが神官長を務めると仰れば、彼女も席を譲ると思いますけどぉ」

「いや、俺は今の雇われ聖職者で十分ですよ」

「ニィナさんもそれでよろしいのですかぁ?」

「ええ、彼が言うのであれば」

「役職に興味が無いのか、それとも役職に縛られるのが嫌いなのか。どっちだ? 上に立てば報酬の額も大きくなる。冒険者との兼業も必要なくなるだろうに」

 ヴェインは一瞬だけ俯き、すぐに顔を上げる。

「正直、魔王と対面して魔王に言われたことは俺の心を抉りました。自分は寄付によって生かされている。誰かが汗水垂らして稼いだお金を恵んでもらうことで信仰は成り立っている、と。言い返そうとして、必死になにか綺麗事を並べようとしたんですけど、難しかった。まさにその通りだと、まさに言われたままの通りだと思ったからです」

「それでも屈しなかっただろう。魔王じゃなく誰かにはいつか言われることだったかもしれない。最初が魔王であっただけに過ぎず、そこまで気にすることじゃない。誰もが生きるために誰かが稼いだお金で生きる。そしてそのお金が自身の手元からまた別の誰かの手元に渡る。お金の循環とは即ち、人の稼ぎを他人の稼ぎに還元することだ」

「けれど聖職者はお金に対してがめつい印象を与えてはなりませんから」

「一人、異常というか例外はいらっしゃいますが……」

 ニンファンベラは視線を逸らしながら言いにくそうに言う。


「ただ、俺は今なら思うんです。寄付してもらうことで俺たちは神への、人への奉仕を続けることができている。まさにその通りではあれ、俺たちは報酬が欲しくて神の御言葉を説いているわけではないのだと。結果的にそこに金銭の授受が発生しているだけに過ぎないのだと。施しをして、そのお礼を貰えると思ってはやっていないんです。たとえ俺の奉仕が人の心に届かなくとも、その行いを咎めることはしませんし、見返りを求めもしません。考えてみれば、俺たちは叶うともしれない祈りを神へと捧げ続けています。叶わなくても俺は神を恨みはしませんし、見返りを求めて祈りを捧げ続けているわけではありません。だから、人へと捧げる奉仕が、たとえ無意味に終わろうとも俺はそこに苛立ちも不満も怒りも抱くことはないんです」


「…………その心を全ての聖職者が抱けていたならば、『異端審問会』なんて集団がこの世に発生することもなかっただろうな。あなたの言葉は、あなたのひたむきな神への奉仕に俺たちはただただ感心することしかできない。どうかあなたは変わらずその心を抱いて、美しいご婦人と(あたた)かな日々を送ってほしい」

「『異端審問会』……そう言えば、彼らはあのあとどうなったんですか?」

 エイミーはアルフレッドに訊ねる。

「集団の軸として存在していた人間に化けていたヴァルゴが消え、そこに連なる多くの名を持つ人物も死んだ。特に指名手配されていたルーエローズやヴィオールの死を知らされた構成員は心の拠り所を失い、自然消滅した。だが、残党は未だ健在だ」

「信仰は消えません。心に信仰を抱いたそのときから、潰えることがないものです」

「ヴェインさんの言う通りです。彼らが仰いだ言うなれば『異端信仰』は絶対的教祖とも言うべき核を失っても尚、残留し続けています。その全てを駆逐することは難しく、監視下に置くにもお金、人員、労力が掛かります。それらの隙を縫って彼らは再び派閥のように数を増やし、残党から新たな名を掲げて暗躍するかもしれません。今はまだ、拠り所を求め合う者たちが固まって動いているだけに過ぎませんが」

「多くはさっきも言ったように自然消滅――いや空中分解とでも言うべきか。とにかく指導者を喪って、ほとんどの構成員は生きる希望を見失った。この大陸中のありとあらゆる国や種族の集まりが無抵抗の構成員を拘束している。それぞれが裁きを与えることになるだろうが、よほど大きな悪さをしていなければ死罪に問われることもないだろう。それが俺は少しばかり不満だ」

「信仰することは罪深いことではありませんから。罪があるとするならば信仰を利用する指導者や教祖を騙る、名ばかりの偽善者や詐欺師です」

 ヴェインはアルフレッドの不満に対し優しく諭す。

「『異端審問会』の名の下で行われていた神官の暴挙や、彼らの暴走によって心に深い傷を負った女性も少なくありません。さすがに彼らは死をもって償うことになるとは思いますのでぇ……それでも、やり切れない感情はあります」

「俺たちに出来ることがあれば仰ってください。出来る限りのことはやってみますよ」

「危ないところへ行かせたりすればたとえ街長であっても許しませんから」

 ヴェインはやる気ではあるが、エイミーの言葉には鋭さがあってアルフレッドはたじろぐ。

「このやり切れなさをアレウリスはどう思っているのか……彼なりの復讐の決着には至ったかもしれないが、満足しているのだろうか」

「俺たちが考えることじゃありません。アレウスは自分で自分の心に決着をつけますよ。それに、恐らくですけど最も復讐したかった相手は……討ったと思うので……いや、とても難しい話です。復讐だからといって人を殺すことを肯定することは聖職者としてやってはいけないことなんですが、アレウスの場合は……俺は聖職者である前に人として理解が、出来てしまうので」

「だったら、その重たい部分は私が背負う。私がアレウスさんの陰を背負う。だからあなたは変わらず接してあげて。居場所を傷付けられ奪われた気持ちは私にだって分かることだから」

「それを言われたら、俺はもうとやかく言うことはできないな」


「……バートハミドで式を挙げる日程が決まったら招待状を寄越してくれ。必ず参加する」

「シンギングリンの街長がしがない聖職者の結婚式に?」

「無論だ。あなたは誇り高き『至高』の冒険者にして『聖者』。シンギングリンの全住民を代表してあなたたちを祝福したい」

「アレウスさんが言っていた通り、私たちもあなた方の式を手本にしますのでぇ」

「そこまでは言っていない」

 ニンファンベラが外堀を埋めようとしてきたがアルフレッドが阻止する。それを二人は笑い、やがて小さく会釈をして街長室を出て行った。


「もっと上から目線で来られると思ったが」

「ヴェインさんはそんな人ではありませんのでぇ」

「むしろもっと上から目線で来てもらいたいところだ。魔王を討ち、世界を救い、『至高』にして『聖者』。シンギングリンの街長程度では肩を並べるなど出来はしないと言うのに」

「肩書きを笠に着ない方です。そこはアルも同じだと思いますけど」

「俺は肩書きを濫用しているぞ」

「そうですか? だったら、彫金細工師の修行なんて辞めてしまえばいいのにぃ」

「街長なんてずっと出来る役職じゃないからな。手に職はつけておきたい。なにより、ここで諦めると師匠に笑われる。お前は街長をやりながら修行も出来ないのかとな」

「そんなに厳しい方なんですかぁ?」

「だから見せてやりたいんだよ。出来ないと思ったら大間違いだったな、って」

 ニンファンベラはアルフレッドに優しく微笑み、椅子に座る彼に後ろから抱き付く。

「私との交際はいつ公表するんですかぁ?」

「時間をくれ。まぁ、そう掛かりはしない。必要なのは俺の覚悟の時間だけだ。お前の人生を背負う覚悟を」

「人生は背負うものじゃありませんよ? 手を繋いで一緒に歩くものです」

「ふっ、そうだったな。なら、明日にでも公表してしまおう。いや、自分で自分を追い詰める理由も……なんだその目は? そうやってまた結局、公表しないだろうって? ……分かったよ、ちゃんと明日に公表する。今度ばかりは嘘をつかない」


 ヴェインとエイミーの仲睦まじい姿を見せられた以上、アルフレッドも後には引けなくなった。男としての意地が出た。自分自身が進んでいる道も、決して彼らと引けを取らないのだと愛する相手に見せ付けたくなったのだ。無論、ニンファンベラは反対することもなく彼の頬に優しくキスをする。


「あとはお前のその独特な口調だな。俺に向かってなら幾らでも構わないが、他人に向けてのときだけ矯正してほしい」

「一人占めしたいんですかぁ?」

「どんな風に受け取ってくれても構わないが、別に俺は今のニンファンも否定するつもりはないことだけ伝えておく」

 そう言ってアルフレッドは業務を再開した。




*冒険者の憧れの街『シンギングリン』

・街に残った冒険者と獣人たちの手によってシンギングリンは『異端審問会』や魔王の悪意から守られた。獣人と魔物の周期、ラブラ・ド・ライト率いるガルダの襲撃、異界獣リブラによる異界化、白騎士の襲撃。これらを受けても尚、この街は復興への歩みを止めなかった。冒険者たちの士気が下がらず、彼らが復興の手伝いをほぼ無償にも近い金額で引き受けてくれたことで住民たちも復興を諦めることなく力を尽くし続けた。この冒険者と住民による協力体制はアルフレッドが街長代理、ニンファンベラがギルドマスターに就いてからは特に顕著であった。シンギングリンが長らく抱えていた問題は彼らの手によって解消され、柔軟で緻密、且つお互いの利益を損ねない絶妙なバランス感覚の中で街は遂に復興を果たす。この頃にはアルフレッドは代理ではなく正式に住民から街長として認められ、ニンファンベラとの交際も公表する前から住民たちに認知されるようになっていた。一部では街長とギルドの癒着を指摘する者もいたが、この噂の出所は大抵が貴族からのものだった。平民と冒険者の力が強まれば地位が危ぶまれる。そのように考えた貴族による抵抗だと知ったアルフレッドはシンギングリンの復興に伴う区画整理と拡張において貴族領を広げ、また定期的な貴族たちとの会合を行い、そこで話した一部は平民たちへも共有。貴族と平民たちの間にある溝を少しでも埋めようと努力した。その真摯な対応に多くの貴族は心を改め、ノブレス・オブリージュの精神でもって街に尽くした。しかし一部の貴族はそれでも立場や考え方を変えず、それでもシンギングリンに居座り続ける彼らをアルフレッドは疎ましく思いつつも決して追い払わず、他の協力的な貴族と同等に扱い、差別や区別、貴族領における行動範囲の制限などを設けることはしなかった。


・ニンファンベラはアルフレッドとの交流で人見知りを克服することはできなかったが、人前での口調を整えることはできた。しかし彼の前でだけは砕けた口調で、いつもと変わらなかったという。彼女の仕事振りは復興後のシンギングリンにおいても敏腕ではあったもののアルフレッドとの交際が公表されてからは担う仕事量を徐々に減らし、夕食時の七時から八時には同棲先のアルフレッド宅へと帰宅するようになり、朝昼晩関係なくギルドに閉じこもって仕事をし続けることはなくなった。担当者たちは彼女の変化を快く受け入れ、また彼女が自分自身だけが先に帰るのは忍びないということでギルドが冒険者たちに開かれている時間は午後六時から七時前後までとなり、緊急事態が起こらない限りは担当者たちに『定時帰宅』という権利が与えられたことでアルフレッドとの交際を陰ながらに応援した。


・シンギングリンは複数回の魔物の脅威を追い払ったことから多くの冒険者たちにとって憧れの街となり、冒険者を目指す者たちにとっても「活動拠点とするならシンギングリンが良い」と言う者が増えた。アルフレッドは彼らを受け入れ、帝国の新米冒険者のほとんどはこのシンギングリンで魔物との戦いを学び、ギルドの使い方、そして先輩冒険者たちの知恵を頼ることとなる。


・復興を前にヴェインとエイミーがバートハミドで結婚式を挙げる。アルフレッドとニンファンベラのみならず、多くのシンギングリンの住民たちは現地に行った者行けなかった者問わず大いに祝福した。その際に投げられたブーケを取ったのはフェルマータで、エイラがジュリアンを取られるのではと酷く動揺した。その数年後、アルフレッドとニンファンベラもシンギングリンで式を挙げた。


・ヴェインは『次代の至高の冒険者』にして『聖者』であったが、本人はそういった肩書きや与えられた役割を用いて他者に圧力を掛けたり、より上の地位を求めはしなかった。地位すらも清貧であれという向き合い方は今までになく「でもあの人『聖者』ですよね? なんであんなに普通の人みたいな感じなんですか」と多くの教会関係者及び信者に疑問を抱かせた。クルタニカの説法は冒険者たちの心の支えとなりヴェインの説法は老若男女、職業や地位、平民貴族問わずに人気であった。クルタニカは「ヴェインは神官長の仕事が重たいから地位に拘らないんじゃないんでして?」と訊ねるも「真の『聖者』は自ら求めないものですよ」と言い包められたという。


・エイミーとの式はバートハミドで挙げたが、生活拠点はシンギングリンで維持したまま二人の結婚生活は始まった。結婚生活はこれまでとなにも変わらないはずだったが、なにかと物入りになったりエイミーの心が不安定になったりと最初こそ躓きかけたが、ヴェインが仲間たちに相談することでエイミーはリスティやニンファンベラ、そして雇い主であるドナに気を掛けてもらって立て直すことが出来た。そうして二人で歩く人生は常に祝福の中にあり、ヴェインが疲れているときは傍からエイミーは離れず、エイミーが寂しそうにしているときヴェインは冒険者と聖職者の仕事を休んだ。

 そういった互いを気遣い合える関係性を維持できたのは二人の置かれた環境が良好であったため。ドナはエイミーが休みたいと言えばすぐに応じ、二言目には「心をしっかり休めてね」と言い、アレウスもヴェインが休みたいと言えば「エイミーさんと一緒に心を休めてくれ」と応じ、二言目には「僕たちが付いている」と続けた。そして結婚して一年も経つと生活も波に乗り始め、二人はお返しとばかりに多くの人々の相談事に乗ったという。


・魔物の数が減っていく中で冒険者稼業に一段落がついた四年後、ヴェインはエイミーを連れてバートハミドへと生活拠点を移している。このとき既にエイミーとの間に子供が産まれていたこともあり、アレウスは彼のパーティ離脱を承認し、以後は仲間ではなく親友として彼との交流を続けた。二人は会うと――その場にガラハがいれば三人で酒場へと赴き、家庭では普段は言えないようなくだらないことを話して笑い合った。

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