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――無知は悪ではないが、学ぼうとしないことは心の毒だ
夜は更け、異界における朝がやって来る。ヴェラルドもナルシェもなかなか起きることが出来ず、アレウスに言われてようやくハッキリとした目覚めに至る。懐中時計を確認すれば、眠ってから八時間が経過していた。こんなにも深く寝入ってしまったのも、そして素早く起きることが出来なかったのも全てはこの異界の特徴のせいだ。
アレウスは「朝だ」と言い張るが、やはり朝とは程遠い暗さをこの異界は有している。これでは日差しを浴びて、体が朝を感じられずにずっと睡眠を貪ってしまうのも致し方ない。
手短に衣服、装備を整えてアレウスのスペースから出る。早朝からは掛け離れてしまってはいるが、食事処はまだ開いているようだったので、三人で訪れ、料理を注文する。
「……ぉ恵み下さい」
少々、料理と呼ぶにしては豪快過ぎる代物と、パンと呼ぶには柔らかさが乏しい物が出て来たが、決して喰えない味ではなかったために空腹を満たすため食していると、そのような声がヴェラルドの耳に入る。
見れば、か細い声でひたすらに物乞いをする子供たちが食事処のあらゆるところに見え、そこで余暇を過ごしている者たちに近寄って来ている。三人のところにも例に漏れず、襤褸を纏った少女が両手を差し出し、食べ物を求めるために頭を下げている。
「普段からこうなのか?」
「いえ、そういうわけではないんですけど」
言いながらアレウスがパンを手に取り、少女に投げようとしたところでヴェラルドが止める。
「なんで? 別に構わないじゃないの」
「この子はまだ死んでいない、生者だ」
「だからこそでしょ? 食べ物をあげなきゃ、この子は生きて行けない」
「水はどうやら幾らでも手に入るらしい。だが、今日の飯にありついて、そうしたら明日はどうする? 明日もこの子は物乞いをする。当然、明日も貰えると思って、色んな奴らのところへ恵んでもらおうとする。そうやって、物乞いでしか生きる方法を知らないまま生き続けて来た結果がこれだ。無知は悪ではないが、学ぼうとしないことは心の毒だ。生きるためには他のことをしなければならない。なにか、自分に出来る仕事を見つけてその報酬を貰って、正当な形で食べ物を手に入れる。そういった発想に飛ばず、学ばず、ただ物を乞う。それはあまりにも生き辛い」
「教会はどんな孤児も見捨てはしないわ」
「それは街に孤児たちが生かされているからだ。自分たちが生かされていることを理解し、街のために働いている。ゴミ拾い、掃除、ティッシュ配り、爺さん婆さんの手伝いその他諸々だ。だから教会には寄付金が集まり、孤児たちは食べることが出来る。物乞いはそれすら出来ない、一番下の生き方だ」
そして、孤児だからと街の人々はかわいそうに思い、お金を出すが、浮浪者にはその限りではない。孤児も成長すれば大人になる。大人になれば、仕事を見つけなければならない。教会であれば、働くことを知った孤児たちは相応の仕事を見つけ出すことが出来るだろう。だが、見つけ出せなかった孤児は教会からいつかは追い出され、浮浪者となる。その浮浪者に、街の人々はお金を出そうとは、強くは思わない。
「子供だから、甘えていると言いたいの? 良いじゃない、ちょっとぐらい甘えたって」
「だったら、あげた側の責任はどこに行く? 明日も食べ物を恵んでもらえると思ったこの子が、明日も俺たちをこの場所で同じように待っていたとしたら、どうなる? 俺たちは明日にはここに居ない。だが、この子は俺たちがいつかは現れるだろうと思って待ち続け、いつものように物乞いが出来ないままに死ぬ。懐かれたらどうする? 付いて来ても、魔物に襲われて死ぬだけだ。親切心で与えてはならない。奴隷と一緒だ。親切心で、奴隷を買うな。買えば奴隷商人の懐にお金が入る。儲けが出ると知れば、奴隷商人はまたどこからか人をさらって来る。だから親切心で、食べ物を恵むな」
それよりも驚かなければならないのは、この生者として物乞いをし続けている少女である。アレウスよりは年下なのだろうが、それでも十代中盤といったところだろうか。そんな歳になってもまだ、この少女は物乞いでしか食べる方法を知らないままなのだ。これは異常である。つまり、異界に堕ちる前から少女は世渡りを学ぶ方法を失ってしまっていたのだ。ヴェラルドが話した通りの、奴隷であった可能性が非常に高い。
「親切心でなければ、良いんだろ?」
丁寧口調から突然、ぶっきらぼうに言ってアレウスは立って歩き、少女にパンを手渡す。
「連れて行く」
「は?」
「アレウスがそう言うなら、仕方が無いわね。神官としては、全ての物乞いの子を連れて行きたいところだけど……救える数には、限界があるのは認めなければならない。この子とあっちにいる子でなにが違うのか、どう違うのか。そんな差異はほとんど無いけれど、それでも拾える命なら拾わないと」
「待て。これ以上人数を増やすな。その子がヘマをして俺たちが魔物に囲まれたらどうする?」
「その時は僕を囮にして逃げて良い」
「死ぬぞ?」
「死ぬ覚悟でこの子を生かす」
「変なところで男気を出すな、クソガキめ……」
しかし、アレウスの気持ちに揺らぎは見えない。ナルシェも納得しているらしく、もう少女に声を掛け、襤褸の代わりに自身の外套を羽織らせている。そして、確かな足取りでヴェラルドへと近付いて来る。
「ありが……と……」
見捨てるはずの命に、感謝をされてしまった。ヴェラルドは手で追い払うような仕草を見せ、少女はナルシェの元へ戻る。
「自分が死んでもおかしくない場所で、お荷物を二人……俺の冒険は、ここで終わりそうだな」