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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 後編 -神殺し-】
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十二の敗北

 動きに不規則性はなく、シロノアの剣技をそのまま踏襲したような立ち回り。幽炎が隙をカバーするように放たれるため剣戟が通りにくい。鎧もまた剣戟を防いだ瞬間に幽炎を噴き出すため、攻撃回数での押し込みはむしろ状況を不利にさせる。

 なによりもアレウスと戦っているのではなく青騎士はリゾラと戦っているかのように執拗に彼女を狙い続けている。魔法、魔物で対処しているが近接格闘術を持っていないリゾラにとって接近戦を常に要求され続けるのは精神的な疲弊をもたらす。それをどうにか引き剥がそうと尽力しても、青騎士は常に彼女への攻撃が可能かどうかを意識している。

「私への執着」

『生命を排除する。即ち、命に執着する者たちを断ち切る。我は死に執着し、与える者。奪うのではなく授け、至らせる者』

「糧になったのがシロノアだから、まず私を殺すことを前提で動いている」

 シロノアは神藤 理空に執着していた。だからこそ並行世界であっても産まれ直した同一とも言うべき存在のリゾラを殺したくて殺したくてたまらない。ただその執念が彼女への攻撃の苛烈さに繋がっている。

「答えろシロノア!」

『我は青騎士』

「ふざけるな! 僕が自分自身の体に入り込んできた意識如きに乗っ取られるわけがない!」

 その言葉に赤い淑女が脳内で高らかに笑った。

「青騎士のフリをするな! 流れ込んできた青騎士の力に従っているような言葉を並べるな!」


『死なば諸共』

 幽炎がアレウスを焼く。

『俺はお前を殺したくてたまらない』

 しかし、焼かれているが肉体が痛みを訴えてこない。

『この衝動は間違いなく青騎士の力によるもの。次第に意識は薄れ、俺は青騎士と化す』

 短剣と剣での打ち合いの中で青騎士――シロノアは言葉を零し続ける。

『執着が俺を突き動かす』

 幽炎がリゾラに伸び、それを彼女は魔力の障壁で弾き飛ばす。

『アリス。この殺意に満ちた俺に、なにを望む?』

 殺意と言ってはいるが、幽炎には一向に焼かれる気配がない。魔力の炎への耐性はあるが、この炎は疫病をもたらすものを炎のように見せているだけのもの。浴びれば病に冒されるはずだが、『耐毒』で防げているのかそれともシロノアの意識で許されているのか分かりにくい。

 分かりにくいが、これはシロノアによって許されているのだとアレウスは思う。そして戦っている風を装っているのはヴァルゴによる監視を怖れてのことだ。見た目として本気で戦っているように見せかけている。大々的な軍事演習と同じだ。そう見えるようにすることで監視の目から逃れる。


 だが、リゾラへの殺意は本物だ。幽炎をリゾラは意識的に防いでいた。つまり、アレウスとは戦う気はないがリゾラを殺したいという思いは抑え切れていない。『死なば諸共』とはアレウスに向けた言葉ではなくリゾラに向けた言葉なのだ。


「魔王をどうやって止める?」

『俺が止め方をしっているとでも?』

「なら倒し方なら知っているのか?」

『知らないな』

 本気で戦っていないとはいえ、気の抜けた動きを取ればシロノアはアレウスを切り殺せる。貸し与えられた力を用いても圧倒できないのだから、青騎士の力を十全に使っていると考えて間違いない。

「止め方も倒し方も知らないなら、もし自分の手に負えなかった場合の対処はどうするつもりだったの?」

 シロノアがリゾラの元まで駆け抜けて、アレウスの炎の障壁すら擦り抜けて剣戟を放つ。魔力の障壁はその一撃で砕け散り、彼女は幽炎を纏った剣を紙一重で避けるものの、ほんの僅かでも避け方を間違えれば縦に両断されていた。その恐怖はたとえ彼女であっても激烈であったらしく、足が震えて思うようには動けなくなっている。そんな彼女を守るように複数の魔物が魔力から呼び起こされてシロノアへと押し寄せる。

『アヴェマリアは言っていた。人間に屈服させられていない力がある限り、魔王の復活は可能だと』

「屈服……屈服?」

 呟くアレウスをシロノアは一瞬で詰め寄って蹴り飛ばす。炎のように早く、それでいて強烈。防いだつもりだったが防げていない。体中の骨が軋み、激痛に喘ぎ、口からいつの間にか溜められていた唾が一気に吐き出される。

『これ以上は言えない』

 途端、シロノアは剣を落として頭を抱えて苦しみ出す。

『我の糧となった人間の、その執念を絶命させよう』

 シロノアは――青騎士は剣を拾い直して、更にリゾラへの攻撃を集中させる。

「あと一分しかない!」

 リゾラが叫び、アレウスが痛みに表情を歪ませながら立ち上がる。

『終焉を。生命の全てに終わりという終わりを』

 青騎士の腕がリゾラに迫る。


 その間際、アレウスは青騎士の背後を取る。


「“開け”」

『無駄だ、我のロジックは貴様には開けない』

「いいや、お前のロジックを開けなくてもシロノアのロジックは開ける。僕が並行世界の僕のロジックを開けないわけがない!」

 青騎士が停止し、アレウスの声と手の動きによって本を開くように幽炎によって燃え尽きかけているロジックが開く。

「どこだ……どこにある? 一体、どこに」

 シロノアの言っていたことの真意。それを把握するためにアレウスはロジックをひたすらに捲り続ける。

「あと十秒!」

 そうリゾラが告げた直後、止まっていたはずの青騎士が動き出してアレウスに剣を突き立てる。

「まだだ!」

「“ハイ・ヒール(大いなる癒やし)”」

 剣に貫かれ、傷口から病魔が入り込もうともアレウスはロジックを読む手を止めない。

「魔王討伐、その方法は――!」




『魔王を討つというのか?』

 急に周囲の音が聞こえなくなり、見回してみるとリゾラどころか青騎士の姿すらない。見えるのはぼんやりとした人影。そしてシロノアの声だけだ。

「討つ」

『なんのために?』

「僕が僕であるために」

『己が欲望を満たすためだけに魔王を討つというのか』

「そうだ」

『……アレウリス・ノ―ルード。どうやら俺は僕ではなく、僕は俺ではなかったようだ』

「なんだって?」

『俺とお前は確かに別の時間軸、それでいて並行世界の同じ存在なのは間違いない。だが、それでも俺もお前も生き方は違っていて、死んだ理由だって異なる。そう、決して同じではない。同じ人間なんているわけがないんだ。それでも、俺とお前には同一の部分がある。それが自分自身の欲望を捨て切れないところだ。思い出せ、そこがお前の力の源だ』

 シロノアのような人影は空を見上げる。

「なんでそんなことを」

 いや、シロノアは理由など語らないだろう。


『これはヴァルゴが『異端審問会』においてよく説いていたことだ』

 そうシロノアは呟いて、言葉を紡いでいく。

『心せよ、


 安らぎこそ、かけがえのない命の平穏であることを。

 雄々しく猛る男の剛健さを、

 双つとして同じ肉体はないのだと、

 爪を剥がれれば痛み苦しむ理由を、

 牙を磨いて神に歯向かう愚かさを、

 命を与え(たも)う女の神秘性を、

 秤に乗るは常に生と死である以上は対等である意味を、

 毒を盛られれば簡単に命の火が消えることを、

 射抜かれることがあれば何者であっても死ぬ恐怖を、

 悪魔に心奪われることの虚しさを、

 水を飲まねば生きられない事実を、

 魚のようにいつまでも泳ぎ続けられない無力さを』


「十二……十二の断片。異界獣のことを言っていたのか?」

『さぁな。死んだ俺にはもう関係のない話だ』

 人影が消えていく。

『俺を殺したことで、お前はようやくたった一人の存在になった。お前の知る神藤 理空がそうであったように、お前が本来手にしていたはずの力もようやく行くアテを見つけるだろう』

「シロノア」

『なんだ?』

「僕はお前を許さない」

『……ああ。俺もお前を絶対に認めない』

「だから」

『俺というロジックを糧にしている青騎士をさっさと殺せ。そしてヴァルゴも魔王も討て。俺にとってはどうなったっても構わない世界だが、お前にとってはそうじゃないんだろう?』

「良い人ぶるな」

『お前も名残り惜しそうにするな』

「……死ね、シロノア」

『消えろ、アリス。永遠に。だが、これで夢を見ずに済みそうだ』




「“人に非ず(テリオン)”」

 アンソニーの死の魔法が木霊する。開いていたロジックに拒まれるようにアレウスは弾き飛ばされ、同時に剣は体から引き抜かれる。

「時間です」

 鐘の音が響く。先ほどまでのシロノアとのやり取りは決して十秒以内で収まるような出来事ではなかったはずだが、どうやらあのやり取りは世界にとっては一瞬でしかなかったらしい。

「6、6、6のリズムで聞いてください。死ねますよ?」

 そう青騎士を挑発し、同時に自身の死の魔法の効力を伝える。この一言によって青騎士は鐘の音を無視しようとしても意識するようになり無意識の内の6、6、6の回数で頭の中で鐘の音を切ってしまう。

「貫かれたところは!? どうなってる?」

 リゾラがアレウスに駆け寄り、傷口を覗く。傷口は塞がっているが、体に入り込んだ病原菌は生きているようで腹部から全身に蛇が這うように広がっていく。

「どうすれば……!」

「焼き切るから、離れて」

 言われるがままにリゾラは離れる。アレウスは貸し与えられた力を全身に巡らせ、自分自身を燃やす。炎はアレウスの肉体を何度も焼き焦がし、しかしその身は何度も再生する。それが繰り返されることで病原菌がアレウスの肉体から焼き尽くされた。


 大量の汗を掻き、同時に心臓が強く脈打つ。さながら命が燃え尽きるのが近付いているかのような錯覚すらある。もはや『種火』としての自分自身は限界を迎えているのかもしれない。


『この場全員を貴様の死の魔法で殺す気か? それは不可能だ』

 青騎士はアンソニーの打撃格闘術に応じながら呟く。

『仲間を殺すことになる。必ず貴様は途中で死の魔法を解く。必ずだ』

 鐘の音が響く。アレウスが病原菌を殺している間にどれくらいの回数、鐘が鳴ったかは分からない。

「十二回」

 リゾラに伝えられた瞬間に頭の中で自然と6、6と区切ってしまった。

「僕を巻き込む気か?」

「巻き込む気だけど?」

 そう返してくるだろうなと思ったがやはりそのように返されたことにアレウスは恐怖する。やはりリゾラには敵わない。そして、彼女を好きになってしまった産まれ直す前の自分自身も、とうの昔にこの危なげな魅力に捕まっていたのだと自覚する。

「あと4回」

 アンソニーがカウントダウンのように青騎士に告げる。

『無駄だ』

「あと3回」

『我を脅せると思うな』

「あと2回」

『我を殺すためだけに貴様たちは犠牲にはなれない』

「あと1回」

『我を殺すことができる者などいない』

 最後の鐘が鳴る。


「さようなら、青騎士さん。あなたとの想い出は……なぁんにもないのでなんにもありません」


 18回の鐘の音を聞いた青騎士の動きが止まり、空を見上げる。アレウスたちには見えないなにかに激しく動揺して剣を振り回す。幽炎も放たれるがどうやらそれでも見えないなにかは消え去らないらしく絶叫している。

「私たちにあなたを殺すことはできなくても」

『神が……! 我を! 殺すと言うのか!? だが、どうして我だけが!!』

「死の魔法は重ね掛けができない」

 アレウスはリゾラに心配されながら立ち上がる。

「事前に連合の聖女から僕たちは死の魔法を掛けられている」

 死の魔法は複数あり、その中でも『逃れられぬ死(フェイタル)』と『否定されし命(タナトス)』の効力は距離で変化する。詠唱者から離れれば離れるほどありとあらゆる事象が死なせようとしてくる『逃れられぬ死』は相応しくなく、逆に詠唱者に近付けば近付くほど存在が曖昧になって消失する『否定されし命』はアレグリアから距離を置くこの状況において最も効果が薄い。だからこそアレグリアの死の魔法を受けておけば、たとえ鐘の音が聞こえようともアンソニーの死の魔法を受けることはない。


 『人に非ず』は範囲である。範囲に含まれてしまえば強制的に掛かる。青騎士はそれを知っているからこそ、リゾラやアレウスを死なせないために彼女が途中で死の魔法を解くと思ったのだ。だからこそ解けるその瞬間まで手を抜いた。詠唱している本人を殺すのを怠ったのだ。


「アンソニーは死の魔法を使う本人だから影響がない。死の魔法が通じることは白騎士で実証できている」

 一人で歩けている様子からリゾラは過剰な心配をアレウスに向けることをやめて、彼の言葉を繋ぐ。

「「だからこの場で死の魔法に殺されるのはお前(あなた)だけ」」


 幽炎が噴出し、青騎士の鎧が砕け散り、中から青い液体が辺り一面に放出される。絶叫は聞こえなくなり、青騎士だった鎧は塵となって消え去り、幽炎もまた陽炎のようにして消え去った。


「なにか分かった?」

「屈服……あとは、ロジックに刻む」

「ロジックに刻む?」

「魔王の一部の――異界獣の自我を消し去る。人の手で、倒せていない異界獣を」

「キャンサー、タウロス、アリエス、スコルピオ、そしてヴァルゴ」

 塵と化した青騎士だった残骸が再び人の形を成さないか注意深く見守っているアンソニーが異界獣の名を羅列する。

「この四体は異界獣同士の争いによって吸収された側。ヴァルゴは吸収した側で唯一残っている異界獣。つまり、未だ人の手で討てていない異界獣になります」

「つまり私たちの手で異界獣を討つことで自我を消失させればいいってこと? でもさ、アクエリアスは一度討伐したあとでも再誕していたじゃない。肉体を失っても異界獣は自我まで消せない証明でしょ。あと、自我が多ければ多いほど復活した魔王は動けないはずってアレウスは言ってなかった?」

「それは今でもそう思ってる」

 異界獣の自我は消し去れない。屈服とロジックに刻む。シロノアの言葉とロジックに書かれていたテキストから推理を続ける。

「……魔王は『勇者』のパーティによって倒されて十二の破片となって世界に散らばった。そのときに生じた力を阻むためにオエラリヌは自ら異界へと飛び込み、犠牲になった…………もしかして魔王は、ロジックに『敗北』が刻まれることを拒んだ……のか?」

「っ! そうです、そうですよ! 分かった、分かりました!」

 アンソニーが飛び抜けて大きな声を上げる。

「人間への屈服、人間への敗北。異界獣を討ち取ることで人間へ屈服させる。人間には敵わないのだとロジックに刻ませる。異界獣が集約されて魔王となっても、そのロジックが残り続けるのなら復活した魔王は『十二回、人間へ敗北したこと』を刻み込まれるんです」

「そうか!」

「十二回も負けたテキストが残るのなら、魔王はその分だけ弱体化する。そうでしょ?」

「そうです!」

 リゾラとアンソニーの確認によって推測を結論とする。

「でも、でもでも! どうやって巨人から四体の異界獣を引き剥がすんですか?」

「あなたが命懸けで守った子が、私たちにとって最大の奥の手になる」


『話は聞かせてもらったよ』

「ヴィヴィアンさん?」

 念話がアレウスに届く。

『死の魔法のあとであなたたちを運ぼうと思っていたんだけど、とっても良い話を聞けた』

「出来ますか?」

 空を見上げ、火竜をアレウスは捉える。

『ええ、出来る。私だけじゃ無理かもだけど、フェルマータがいるなら出来る』

「なら今すぐフェルマータを、」

『大丈夫。もう私の背中に乗っているから』

「……! 頼みます!」

「ちょぉーっと待ってくださぁい!」

 アンソニーが空中を地面のように蹴りながら火竜を目指す。

「その子は私が命懸けで守るんです! たとえドラゴニュートのあなたであっても、任せるのはダーメーでーすー!」

 滞空していた火竜に彼女が乗り込んだように見えた。

『私とフェルマータは魔王に一番近付くことになる。死んじゃうかもしれないけど?』

「死なせませんよ、私は」

「連れて行ってあげて。あとアンソニー! 自分から乗り込んだんだからそれで死んだら許さないから!」

「お任せくださーい!」

 火竜がフェルマータとアンソニーを乗せて、魔王になろうとしている巨人へと空を駆けていく。

「急ぎましょう、アレウス」

「まずは死の魔法を解いてもらって、それから……どこに異界獣が飛び出すかが分からないと」


『どうにも私たちを甘く見ているのでは?』

 アレグリアの声が響く。

『少しぐらい私たちにも見せ場を用意してくれないと困ります』

 続いてレジーナの声も響く。

『あなた方はあたしの『灰眼』によって位置転換を行います。アイシャ・シーイングの『天眼』による補助があればユークレースを送り込むときよりも確実に、問題なく、完璧にやり遂げますのでご安心を』

 オルコスも念話に加わってくる。

『さぁ、星を詠みましょう。エルフの巫女』

『ええ、詠み合わせを始めましょう。連合の聖女様』

『『私たち二人の星詠みが先んじて異界獣の出現地点を捉えてみせましょう』』

不束者(ふつつかもの)ですが、精一杯やりますので』

『そう気を張らないでください。あたしがしっかりとあなたの『天眼』からの情報を読み解きます。誤差など気にせず見えたままの景色、情報、位置をお伝えください』

 アレグリアとレジーナによる星辰、そしてアイシャとオルコスによる位置転換。これらを駆使して巨人から剥げ落ちた異界獣を人の手によって討伐する。

「ここに置いて行くわ」

 リゾラは青騎士だった塵の上に校章を落とす。

「あなたがこれを握り締めたあの姿が、私の記憶からは永遠に消えることはないから。だからこれは、あなたと共に消えた方がいいものだから」

 呟く彼女の言葉がどれほどの重みを持っているのかはアレウスには分からなかったが、『産まれ直し』と『転生』における一つの区切りをここに刻んでおきたいのだろう。

「行きましょう。『灰眼』に頼りつつ、あなたを無事にアベリアのところに連れて行くから」

 彼女の言動の一つ一つを思い出し、そして物思いに耽ろうとしたが逆にリゾラに急かされてしまう。

「あなたたちは私たちの希望なんだから」

「……いいや、僕は希望なんてものじゃない」

 シロノアのロジックに触れたとき、アレウスは自分自身が常になにで揺り動かされていたかを再認識した。

「それと、この剣は僕が握るべきものじゃなかった」

 淑女の短剣の柄に手を置く。

「ちゃんとした使い方があるはずだ。でも僕には使えない。ちゃんとした使い手の元に運ぶ」

「赤い淑女が認める相手なの?」

「これは先に伝えておくんだけど」

 アレウスはリゾラに囁く。

「ヴァルゴがシロノアに救われたあとに死んだ命なら、リゾラに救われたあとに死んだ命もあるんだ」

 彼女は目を見開いたものの、すぐに驚きの表情を沈ませて溜め息をつく。

「世の中って、上手い具合には回らないものなのね」

「憶えてない?」

「憶えてないわ。思い出せもしない。あなただって死ぬ瞬間のこと、思い出せないでしょ?」

 言われ、肯く。


 だが、ヴァルゴを追い詰める最後の奥の手はまさに今、アレウスの手に握られている短剣にあるのだという確信があった。




 高く、高く、空高く。


 火竜の翼が一度の羽ばたきで駆ける空は目まぐるしくそれでいてあっと言う間に過ぎていく。


「息は出来る?」

「大丈夫でーす」

 アンソニーが返事をする。

「フェルマータを」

 ヴィヴィアンに言われアンソニーがフェルマータを抱えるようにして前に移動させる。

「怖くない?」

「怖くはないです」

「そう、なら良かった。集中して。これから私たちは魔王になりかけている存在に向かって急降下する。滑空とも言うんだけど、なにもぶつかりに行くわけじゃない。ちゃんと軌道を修正して擦れ擦れを避けて、再び空に舞い上がる」

「はい」

「滑空して、巨人と擦れ違うまでの時間は多分だけど十秒から二十秒ぐらい。その間に四つの存在を私とあなたの『竜眼』で別の場所に移す」

「はい」

「あなたは産まれたときからずっと見えている景色の中からおかしなものを見つけるのが難しい。私は古の時代から生き続けて『竜眼』の使い方には慣れているけど、長生きが祟ってロジックにおける変な箇所を見抜くことが難しい。だからあなたがロジックからおかしなものを外に移した瞬間、それを私が別の物に定着させる。石とか草とか木とか、その辺にね。出来そう?」

「出来ます」

「凄く返事が良い。竜狩りには恨みがあるけれど、あなたみたいな小さな子にまで私はなにも思うことはない。怖くない。あなたに降りかかる災厄は全て私が引き受けるから」

「安心してくださぁーい。フェルマータも竜さんも私がちゃんと守りますからー」

 軽い勢いでアンソニーが言う。

「ちゃんと守りますから」

 冷静に言い直し、彼女の言葉に強い意志が宿る。


「エイラが、私に沢山のことを教えてくれた。エイラがいなかったら私は、私一人で生きることをなんとも思わなかったと思います、です」

 フェルマータが心の内を吐露する。

「でも、今はエイラと、ジュリアンと、ドナさんのいる世界が……私が見ていたい世界です。奪われたくない、奪わせたくない、私が私でいるための……大切な居場所。エイラがジュリアンに勇気を貰っていたように、私は居場所をくれたエイラに勇気を貰っています。だから、怖くたって戦います。怖くたって、前を向くんです」

「良い子」

 ヴィヴィアンは優しく呟く。


「行くよ、フェルマータ!! 私たちへの攻撃を凌げるだけ凌いで、アンソニー!」

「「はい!!」」


 ヴィヴィアンは巨人に向けて急降下しつつ翼を大きく広げ、滑空姿勢に移る。


「もう見えているはず!」

 そうヴィヴィアンが言った直後、翼を持つ魔物たちが次から次へと鉄の鏃を持った矢を射掛けてくる。

「“一番星、煌きの星”」

 金属の球体が中空で激しく回転し、その破片が鉄の矢と魔物たちを撃墜していく。それでも懐へと入り込んでくる魔物をアンソニーは星雲の障壁で弾き飛ばす。

「まず一つ目!」

「分かった、()()ね?」

 二人の間でしか見えない存在の受け渡しがロジックから外、外から別の物体へと行われて蟹の異界獣が世界に現れる。

「その調子」

 ヴィヴィアンが勇気付ける間に背中に魔物が飛び乗ってくる。アンソニーが片手をヴィヴィアンを掴んだまま蹴り落とし、続けざまに来る魔物を『煌きの星』が薙ぎ払う。

「二つ!」

()()!」

 同じように『竜眼』によるリレーが行われて世界に蠍の異界獣が産まれ落ちる。


「さっきからなにをやってんのか知らないけどさぁ!」

 ヴァルゴの声が響き、その幻影が空中に現れて魔力の塊を放つ。

「消えろ!」


「ところが! 消えないんですよねぇ!」

 アンソニーが正面に跳んで、魔力の塊を拳で打ち飛ばす。ヴィヴィアンが軌道を修正して跳躍したアンソニーを背中で受け止める。

「次です!」

「っ! 間に合った!」

 僅かにタイミングがズレたがヴィヴィアンはフェルマータが捉えた()()を捕捉し、世界に羊の異界獣が現れる。

「くっ、もう、無理!」

 ヴィヴィアンは巨人の脇を通り抜けて翼を羽ばたかせて上昇に移行する。

「まだ。まだ、まだです! まだ! 翻ってください!」

「翻っても二秒も態勢を維持できないよ」

「二秒でやります!」

「……人の子は諦めが悪い! その諦めの悪さに懸ける!」

 ヴィヴィアンが翻り、巨人の背をフェルマータと共に捕捉する。

「見逃さない」

 フェルマータの『竜眼』は強く煌き、ヴィヴィアンの瞳も彼女がロジックから動かした()()を捕まえる。

「良い眼をしているわ。あなたはもっと世界の景色を見るべきね」

 世界に牛の姿をした――ミノタウロスよりも圧倒的巨躯を有する異界獣が現れる。ヴィヴィアンは態勢を戻し、翼を力強く羽ばたかせて一気に雲を突き抜ける。

「こんな空気の薄いところまで逃げないでくーだーさーいー。人間は簡単に死ぬんですからね!」

 言いながらアンソニーが魔法を唱えてフェルマータと共に酸素を得る。


「よくやったよ、二人とも。これで、」

 魔力の塊が星雲の障壁を貫き、片翼を消し飛ばす。その一撃を皮切りに大量の魔力弾がヴィヴィアンを襲い、滞空できずに落下する。

「なんで!」

 フェルマータは背にしがみ付きながら叫ぶ。

「あなたたちと一緒」

 ヴァルゴの幻影が三人の視界に映る。

「私たちを研究して新たな魔法や対策を打つように私も対策を打った。あなたたちにできて私たちに出来ないとでも思っているの?」

「消えてくださぁーい!」

 『煌きの星』に残された全ての金属片がヴァルゴの幻影を掻き切った。

「だい……じょうぶ」

 ヴィヴィアンは残された片翼を羽ばたかせて落下速度を軽減する。

「死なせない。未来を歩む人間を、死なせるわけにはいかない。それに、私たちのやりたいことはやり切った。今更、ヴァルゴが私を殺したって無駄なこと」

「ヴィヴィアンさん!」

 再びの魔力弾が背後に迫る。フェルマータの声によって気付いたヴィヴィアンは反転して、自らの胴で全ての魔力弾を受ける。

「“大いなる癒やしを”!」

 回復魔法によってヴィヴィアンの傷は少しずつ塞がっていくものの、追い付かない。

「気にしないで。古に取り残された種族の一人が、消えるだけ。幅を利かせて、人間を虐げた罰を受けるだけなんだから」


「死なせない!」

 アンソニーが『星眼』を爛々と輝かせる。

「死なせない死なせない死なせない! あなたは絶対に死なせない!! いいえ、私の見える範囲にいるお二人を私は絶対に! 死なせない!!」

 星雲が落下するヴィヴィアンを受け止めるように何層ものクッションとなるが、どれもこれもを突き抜けていく。

「今だけ! 今この瞬間だけで良い! 眼を潰したっていい! どうか神様! オーネストさんのように私に力を!」

 一際大きく作られた星雲が内側から弾ける。幾重にも浮遊する満天の星がヴィヴィアンたちを包み込む。


 揺りかごのように(あたた)かく、それでいて緩やかな揺れ。星雲はゆっくりと地上へと降りていく。


「……アンソニー? あなた……」

 息切れしているアンソニーの片目は血の涙を流し、もはや視力を有していないことをヴィヴィアンは体中が訴えていた痛みから解放されながら気付く。

「片目一つであなたの命を繋ぎ、フェルマータを死なせなかった。このぐらいの代償なら、私は受け入れることができます。これで救うことさえできなかったなら、神様を許しはしませんでしたけど」

 星雲の揺りかごは地上に降りて、ヴィヴィアンたちを降ろすように霧となって消える。

「ま、世の中そんなに上手く行くことなんてないんだよね」

 ヴァルゴの幻影の周囲に魔物が集まり、ヴィヴィアンへとけしかける。


「化け物めがぁああああああ!!」

 ヴァルゴの幻影を背後から三日月斧で断ち切り、続いて薙ぎ払うことで魔物たちが衝撃波で吹き飛ぶ。

「逃さん! 逃さんぞヴァルゴ!! ヴィヴィアンを傷付けた分だけ貴様をオレが切り刻んでやる!!」

 ガラハは激昂しながら魔物を次から次へと薙いでいく。

「落ち着いて。私は生きているから」

「いいや、落ち着けるものか」

 落下地点にグリフとドワーフの同胞がやってくる。

「俺の娘を傷付けた連中はどいつもこいつも始末してやる。その命で償え! 魔物どもめ!!」

「待って、怒りで我を忘れちゃ駄目」

 魔物たちへと立ち向かっていくグリフとドワーフたちにヴィヴィアンは火竜から人の姿に戻りながら願う。

「我を忘れているんじゃない」

 動揺しているヴィヴィアンにフェルマータが呟くように語る。

「あなたのために怒っています。でも、暴れているように見えてちゃんと頭は冷静で、あなたたちを守るために魔物たちを追い払おうとしているんです」

「そう……そう、なんだ」

 もしかすると冷静でなかったのはヴィヴィアンの方だったかもしれない。

「ありがとう、フェルマータ。ガラハとお父さんたちが魔物を一掃したら、アンソニーも連れて一緒に安全なところまで下がろう」

 魔王になりかけている存在に真正面から喧嘩を売った。それでも代償を支払いつつも命を繋げることができている。それこそ奇跡としか言えない。ヴィヴィアンは必ずこの命を無駄にしないと誓いながら、動けないでいるアンソニーの体を抱え上げた。

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