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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 後編 -神殺し-】
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君は行くべきだ

 悲鳴、絶叫、雄叫び、ありとあらゆる叫びが響き渡る世界でジュリアンはただ、その波が過ぎ去るのをひたすらに待ち続ける。見たくないものまで見せられて、思い出したくないことまで思い出して、ただただ自分自身を自分自身の記憶で痛め付けているこの時間が、『衰弱』によってもたらされたものだと分かっているのに、心苦しく、逃げ出したく、そして嫌で嫌でたまらない。


『……て』

 自分の声とは違う声が聞こえた気がする。だがそれもジュリアンの記憶の中の声であるはずだ。そう、きっとこの声は姉のように慕っていた親戚の人の声。自分の目の前で魔物に襲撃され、助けもせずに逃げ出したジュリアンへ怨嗟を届けにやってきたに違いない。

『届いてくれ!』


 いや、女性の声ではない。


「誰、誰、だ?」

 ジュリアンは恐る恐る口を開き、閉じていた瞼を開き、塞いでいた耳を開く。これら全てが現実の動作には伝わっておらず、精神世界で行われていることぐらいは把握済みだが、いつもならこうやって視覚と聴覚を意識すると信じられないほどに猛烈な後悔と絶叫に耐えられずに心の底から死にたいと思ってしまう。しかし、聞こえていた叫びも、見せられていた嫌な景色や光景もどこにもない。

 真っ白で、純白で、一つの穢れもない世界だ。

『僕は……いや、なにも伝えはしないよ。自己紹介をしても、君はきっと目を覚ましたときに僕のことを忘れてしまうだろうから』

「……あなたは、一体」

『君になるはずだった僕……なのかもしれない』

「ちょっとなにを言っているのか……」

『僕は死ぬはずだったんだ。でも、命を犠牲にして命を救われた。君が慕う人と、その人が過去に好きだった人のことだよ』

「アレウスさんの……?」

 『産まれ直し』だと聞いている。ジュリアンが暮らしている世界とは異なる世界から記憶を引き継いでいる、と。最初はどうにも信じられない話で話半分程度にしか信じていなかったのだが、周囲がそのことを信じているようだったので次第にジュリアンもアレウスは『産まれ直し』なのだと信じるようになった。

 そしてもう一人はリゾラベート・シンストウのことだろう。アレウスは彼女のことを話すときだけ懐かしそうに表情を変える。そういった顔色、感情の変化は慕っているからこそ見るだけで分かる。

『僕は死ぬはずだったんだ。あのとき、マンションからの落下物で死ぬはずだった。でも、その人が僕を突き飛ばして代わりに犠牲になった。今でも分からないんだ。どうして落ちてくる物が見えていて、どうして僕を突き飛ばしてまで救おうとしたのか』

 声の主は本当の本当に分からないようで、言葉のどこかには震えがある。思い出したくもないことを口にして、怖くなってしまっているのだろう。

『そして、もう一人。僕が河川敷で流されたときに必死に泳いで助けてくれたのに力尽きたあの人のことが、ずっとずっと頭から離れないんだ』

「なんで二人分の?」

『分からない。もしかすると並行世界のことなのかもしれない。僕はそのどちらでも、死ぬ運命だったんだ。とても怖い話だけど最近ではそういう因果の中で生きていたんだとしか思えない』

 並行世界。そんな言葉が飛び出てきてジュリアンは思わず笑いそうになった。だが、自分自身に話しかけてくる声の主は『衰弱』状態の自らを守るために生み出した存在とはどうにも思えない。

「因果が変わった?」

『多分、そうなんだと思う。あのとき僕は死んで、きっと君として産まれ直すはずだったんだろう』

「……どうにも納得できない話だ。だって、なんでそんなことをあなたが知っているのか分からない。まるで見てきたかのように話すあなたのことを僕はどう認識すればいいのか分からない」

 突拍子もないことだ。並行世界だの違う世界の自分自身だの、全てが常識からかけ離れている。


 ただ、信憑性というか、頭が勝手にこれを真実と受け入れようとしている。言葉巧みに惑わされて、再び狂気に落とそうとしている『衰弱』の罠かもしれない。だからこそジュリアンは身構え続ける。


『夢に見るんだよ。君の世界を、ずっとずっと夢に見る。途切れ途切れだけど、ずっと。そしてこれも僕が見ている夢の光景なんだけど。初めてこうして君と話をすることが出来ているんだ』

「夢、か」

 確かに夢は見る。別の世界の、ジュリアンが生きている世界とは全く別の世界の景色を。それこそどこか異なる世界の自分自身と繋がっているのではと思うほどに鮮明で激烈な夢もある。大抵はそれは殺される瞬間だったり、死ぬ瞬間だったりするわけだが。

「もしかすると僕が一度死んでしまったからかもしれない」

 夢として激烈に、強烈に声の主に届いてしまった。もしも、違う世界の自分自身と繋がっていると仮定するのならの話だが、しかしジュリアンはこの仮説をどういうわけかすんなりと受け入れてしまっている。

「それで、夢に話しかけて一体どういうつもりなんだ?」

『君はまだ分かっていないかもだけど、君みたいな存在がもう一人いる』

「転生?」

『違う、そうじゃない。僕みたいに誰かが犠牲になって助けられたもう一人の存在がいるんだ。でも、そいつは僕と違って生かされたことに感謝もせずに、救われた命をないがしろにして死んでその世界に渡ったみたいだけど』

「そんな奴が?」

『そいつが今その世界で起きているほぼ全ての元凶だ。君と同じように魔力の糸を操る魔法を使えて、そして君とは全く違う過程でその世界の人々の敵となっている』

「魔力の糸……」

 そこまで知っているのなら、夢で見てきたというのもあながち嘘ではないのかもしれない。ジュリアンは自身の魔法を声の主には公開していないのだから。

『その糸は、人と人とを繋ぐ糸。人を縛り付けるための糸でも、人を絡め取るための糸でもないと僕は思う。こっちの世界では因果を糸でたとえることがある。君とそいつが持っているのはそれぐらい世界に関わる重要なものだってことだ。『束縛』の魔法じゃないんだ。君とそいつのは『因果』の魔法なんだ』

「憶測で言われても」

『このまま眠り続けていては駄目だ。このままだと、そいつの良いようにされてしまう』

「アレウスさんが」

『頼り続けちゃ駄目だ。君の手で変えられることだってある。お願いだ。僕を救ってくれた人たちにこれ以上、辛い思いをしてほしくないんだ。それに、分からせないといけない』

「分からせる?」

『命は軽く捨てるものじゃない。軽々しく放り出すものじゃない。救われたことには意味があって、助けられたことは幸福なんだ。尊い犠牲によって生かされた。そのことが僕を苦しめることもあったけど、それでも命とはこんなにもありがたいんだと思う。僕は僕の世界でこの命を全うする。だから君が、君の手で、死のうとして救われたのに救ってくれた命を恨み、自らまた死んだ大馬鹿な奴に知らしめてほしい。命をないがしろにすることがどれほどに罪なことかを』

「……正直、なにを言っているのか一つも分からない。一つも分からないけど……僕はこのままここで眠り続けているつもりはないよ。眠り続けていたいわけ、ないじゃないか」

『そうか。だったら……あぁ、僕も直に目を覚ますみたいだ。もう君が見た景色を夢で見ることはないかもしれないけれど、君になるはずだった僕のことを忘れてしまうだろうけど……僕の言葉だけは、僕が零した言葉だけは忘れないでほしい。自分自身の言葉として認識して、記憶してほしい』

「分かった」

『ありがとう。僕は償いを君に預けてしまうけれど』

「仕方がない。あなたは生きているんだから」

『そうだね……そうだ』

「任せてほしい。この世界のことを心配せずに生きられるように僕も頑張るから」

 声の主はなにも言わなくなり、やがて純白の世界はほつれるようにして消失する。


 目覚めてすぐに上半身を起こし、大量の汗を流しながらジュリアンは片手で顔を覆い、記憶の海を漂う中で聞こえた声を、その言葉をブツブツと反芻するようにして脳に焼き付けていく。


「ジュリアン……? 嘘……目が覚めたの?」

「エイラ」

「ジュリアン!」

 エイラが起きて間もないジュリアンに抱き付いてくる。

「良かったよ~良かった、良かったよ~!」

「……エイラ、お願いがある」

「なに?」

「僕はこのまま王国を目指す。ギルドの『門』を使わせてほしいんだ。貴族の君なら、ギルドも従わざるを得ないと思う」

「え、ちょ、待って」

 ベッドから降りてジュリアンは自らの足で立とうとするが、思うように力が入らずに倒れる。

「ほらまだ寝てなきゃ駄目だし、運動だって少しずつやっていかないと」

「そんな時間はないんだ」

 立てかけてあった杖を手に取り、ジュリアンは起き上がる。

「僕は行かなきゃならない。行くと決めたんだ。アレウスさんたちのところに」

 鬼気迫るような、強い強いジュリアンの意志にエイラが溜め息をつく。

「分かったから。でも、一人じゃ行けないでしょ?」

 エイラの肩を借り、二人で病室を出る。

「どこに行くの?」

 廊下を歩いているとフェルマータから声を掛けられた。

「フェルマータ? これは、」

「私も行く」

 弁明しようとするジュリアンに対し、フェルマータは外出を咎めなかった。

「私も、このまま、ここにいるのは、嫌、だから」

 不慣れであっても少しずつ学び始めた言葉を聞いたジュリアンはエイラと顔を見合わせ、それから肯く。三人で病院を出て、どうにも騒がしい街中を歩き、冒険者ギルドに入る。


「冒険者を北と東の門を守らせてください。獣人たちは長がいないながらもよくやってくれています。南門は任せ切ってしまっていいでしょう。言いつけを守ってくださっている彼らにはこちらも誠意を見せなければ不満が溜まってしまいますのでぇ」

 ニンファンベラが地図を眺めながら指示を出す中、こっそりとギルドの地下へと向かおうとしているジュリアンたちを捉える。

「待ってくださいぃ。どこに行くつもりですかぁ?」

「あの! ジュリアンを王国に連れて行きたいんですけど」

「『衰弱』から回復したばかりじゃないですかぁ。ちゃんと休んでくださらないと困りますのでぇ」

「でも、私が連れて行くって決めたから」

「エイラ・ウォーカー様の御言葉であっても、承知しかねます」

 貴族ならば『門』の利用に無理を通せるかと思ったがどうやらニンファンベラはそんなことでは通してはくれないようだ。こうなったら強硬突破も辞さないつもりでジュリアンは杖を強く握り締める。


「では私ならばどうかな、ニンファンベラ」

「皇女殿下」

 呟き、ニンファンベラはひざまずこうとするが「そのままでよい」とオーディストラは言って、それからジュリアンたちを見る。

「軍事演習の方は」

「クレセールとプレシオンがよくやってくれている。最初は連合の『不死人』だったから疑って掛かったが、アレグリア様のためならばと私情を飲み込んでいる。だから私がこうしてシンギングリンに来ることができた」

 ニンファンベラに剣を見せる。

「どうせこれを持って行かなければならない。爪も運ぶのだろう?」

「運ばないのは頭骨のみですのでぇ、その通りなのですが」

「この者たちも王国へと連れて行く。まずは『門』を潜らせたのち、拠点にて療養をさせるが」

「皇女殿下の御言葉であれば、私たちはなにも言いは――」


「なりません!」

 ギルドに駆け付けたドナがエイラの前に立ち、その頬を叩く。

「エイラ! あなたを王国に送ることを私は認めません。そちらの二人が向かうことは許しますが、あなただけは絶対に許しません!」

「でも!」

「二人には私たちにはない力があります。でもあなたは無辜の命なのです。あなたを危ない場所に見送ることだけは私にはできません」

「それは皇女である私の命令であってもか?」

「私はたった一人の大切な娘を! 未知の場所に連れ出させはしません! たとえそれが皇女様の命であったとしても! もしも無理やりにでも連れて行くと仰るのであれば! 私を切ってからにしてください!」

 ドナは震える手でナイフをオーディストラに向ける。

「……死にたいか?」

 オーディストラはドナにそう訊ねる。ドナは震えながらもエイラの前に立ち両腕を広げて庇う。

「私にはもう、この子しかいないのです。ジュリアンとフェルマータには『門』を抜けても、再びシンギングリンに戻ってくるだけの力があります。でも、エイラにはない。エイラにはないのです。だからどうか、どうかこの子だけは」

 ナイフを落としてドナは懇願する。

「…………ふ、親の愛を無駄にすることだけはできないな」

 ドナに優しく微笑み掛けて、皇女は彼女の後ろに隠れているエイラの視線の高さに合うようにその場にしゃがむ。

「そういうわけだ。あなたを王国に連れて行くことは、たとえ皇女である私であっても出来はしない。子を想うのであれば連れ出そうとする者に刃を向けるは必然。あなたの行為は母親として恥じるべきことのない正しき行動だ。私への不敬、その全てをあなたの母性に免じて不問とする。いつの世もその想いが、子を育て上げるのだから」

「そんな! じゃぁ私は行けないの?!」

「ああ、こればかりは仕方がない。皇女ですら敵わない君の母親が目の前にいる。私には君の母親へ刃を振るうなどできないし、倒せない。だから確約しよう。この二人は必ず私が責任を持って、命を繋げてこの街へと帰還させる。出来なければ首を切ろう」

「皇女殿下! あまりそのようなことを大多数の民草がいる前で仰られては!」

(みな)! 命を懸けているのだ。ハゥフル、エルフ、ガルダ、獣人、ドワーフ、連合、新王国! 全てが命を懸けている中で、帝国の私だけが命を懸けないなどあるものか」

 立ち上がり、オーディストラは傍付きに言い放つ。

「私も命を懸ける。これは私の意志だ。私の意地だ。よって! この二人の命は私と同等であると思え! 死なせれば、文字通り私が死ぬと思え! 必ず生かせ! 必ずだ! たとえ私が二人の代わりに死んでもだ!」

「国を背負う方々は覚悟が決まりすぎていらっしゃるようで……」

 ニンファンベラはボソリと呟く。

「お通りください」

 ギルド関係者がオーディストラたちを地下へと案内する。


「お母様」

「あぁ! あぁ……! 許して、許してちょうだい、エイラ! 私にとってはあなただけが全てなの。あなたがいないと私は、私は!」

 緊張が解け、力なくその場に座り込んだドナはエイラを強く強く抱き締める。

「……ううん、お母様の言う通り。私にはなんの力もない。あるのは蛮勇だけ。でもそれだけじゃ生きられないことは分かるの」

 泣き付くドナにエイラが自身の感情を整理させ、冷静になりつつ伝える。

「ジュリアンとフェルマータは帰ってくる。私、それを信じて待つから」

「では、私と御一緒に」

 エイミーがエイラに不安ながらに精一杯の笑みを零す。

「私もヴェインを信じて待っています。お互い、祈りましょう。この戦いののち、きっと素晴らしい時間が私たちには待っているのだと。私たちが想う方々の正義は『異端審問会』を前にしても曇ることはないと」

「……うん!」

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