日天
シロノアの敗北、魂の虜囚となったルーエローズの登場。アヴェマリアを追うアベリア。そのアベリアを追うアレウス。彼らの帰りを待つクラリエとガラハ。そして先に撤退したリゾラとアンソニー。各々が異界で駆け回る中、ドラゴニアと早期に相対することになったクルスとエルヴァ、アンジェラが途轍もないほどの『王威』に触れて、思うような戦いを展開することができていなかった。
「どうした? 我は未だこの王座を立ってから一歩も動いてはおらんぞ?」
ドラゴニアは三人を侮蔑するような眼差しを向けながらほくそ笑む。エルヴァもクルスもドラゴニアに鎗を、そして土塊で作られた鈍器を振るうことはできてはいるが、それらは全て受け流されている。アンジェラも謁見の間という狭い空間であっても高い天井のおかげで頭上からの攻め立てることができている。だが、やはり二人と同様に剣戟は受け流され、そして反撃とばかりに振られる大剣によって全員が薙ぎ払われ続けている。致命傷は負っておらず、その剣戟も防いではいるが重すぎて密着することも近接での立ち回りを継続することも難しく、距離を置かざるを得ない。それを繰り返し、一瞬でも見つけた隙に飛び込もうとすれば待っていたかのようにドラゴニアは『王威』を振るって三人の足を、武器を止める。
「敵わんのだ、我には。貴様たちのような幼さでは」
言いながらドラゴニアは大剣の切っ先で床を叩き、柄に手を置いて君臨者然とした立ち居振る舞いを見せる。
「ハゥフルの王位継承権を持つ……誰だったか」
「アンナ・ワナギルカン?」
「そうだ、そいつだ。そいつの体を奪い取っただけにしてはどうにも姿形が想像と違うんだが」
「魂に肉体が引っ張られた結果よ。肉体が魂を引っ張ることがあるように、魂が肉体を作り変えることだってあるわ」
「『天使』が言うんなら間違いないか」
ドラゴニア・ワナギルカンの器はアンナ・ワナギルカン――ハゥフルの女性であるはずだ。しかし、目の前に立つ初代国王はどう見ても女性らしさはどこにもなく、男性らしさが際立っている。肉体も女性特有の曲線美などどこにもなく、筋骨隆々としていて顎からはヒゲまで生えている。アンジェラが説明した通りならば、もう既にアンナ・ワナギルカンと呼ばれていた魂はどこにもなく、初代国王に肉体ごと喰われてしまっている。
だからこそ『魂喰らい』、『魂喰い』などとギルドの手配書では呼ばれていた。それがまさか初代国王の魂などとは誰も思っておらず、そして誰もがこんなことになろうとは想像も付かなかった。
「あなたはこの世に甦ってなにを成そうと言うの?」
「大陸の統一。そして世界の征服」
「それが出来なかったからあなたは死んだ」
「否。我が成し得なかったわけではない。我にはそれを成すだけの力があった。しかし、時間がそれを邪魔した」
「時間だと?」
「我に老化させ、ありとあらゆる力をこの身から奪い去った。それこそが時間! 時、そして未来!」
怒り心頭とばかりに強く大剣の切っ先が床を叩く。
「未来が我を過去に変え! この身を枯れ果てさせ! この気高き魂を亡き物とした! それどころか! 暴君と罵り! 『御霊送り』にて異界へと我の魂を葬り去った!」
「悪霊や怨霊として世界に留まる危険があったからこそだな」
エルヴァはドラゴニアへと鈍器を振り下ろすが、やはり一歩も動かずに大剣を軽く振られただけで鈍器ごと薙ぎ払われてしまう。
「テメェみたいな王様は異界に送ってしまう方が得策だってことだ」
「それは我への恐怖からか? 我が世界を征服しかねんことに恐れをなしたからか?」
ドラゴニアは笑う。
「では我は正しく世界を征服することが出来る器であったということだ! そんな我を封じ込めようなど、それはただの僻み! 弱き者が強き者に対して向ける劣等感ではないか!」
「いいえ、劣等感ではありません」
アンジェラが空から光の剣を放つ。
「あなたは確かにこの世を統べるに足る王だったのかもしれません。しかし民草がそれに続かなかった、続けなかった。あなたの思想、理念、見ているものが超然過ぎて理解することができなかった」
「愚民が我の見ている景色を知らんのは当然のこと」
「でも国を成すのはそういった愚民たちの心を掴んだ人だけ。あなたは確かに国を作った。国を興した。でも、国として相応しい形だったとはとてもじゃないけど思わない」
光の剣を身に浴びてもドラゴニアは一歩も動かず、自らを貫いた光の剣を素手で砕き、一本は引き抜いてアンジェラへと軽く動作で投げ返す。さながら小さな石を放り投げるかのような軽さであったにも関わらず投げ返された光の剣は高速を抱き、アンジェラの右翼を貫いた。
「そうだ、愚民に合わせるが統治者の定め。愚民の声を聞き入れるのが王の務め。しかし、聞き続けたこの国は一体どうなった? 愚民どもは揃いも揃って人頼み。戦争に赴く王族にすら祈りを捧げることしかしない。応援の声を投げかけることしかしない。自らの国が戦争の当事者であることにすら頭が回らず、普段通りに暮らす。騎士が、兵士が、命を投げ打ってまでこの国と愚民は守られなければならないのか?」
「国民に戦争観を与えれば、誰もが戦うことしか考えない暴力の国になるわ。そんな国とどんな国も貿易しようとは思わない」
落ちてきたアンジェラを受け止めてクルスはドラゴニアに反論する。
「大陸の全てを支配するというのに他国との貿易など考えるは愚の骨頂だ。どうしてそうも繋がりを求める? どうしてそうやって繋がり続けようと願う? 人とは所詮、個に過ぎずまた孤独の中で死ぬ。誰もが一緒には死ねない。死ぬときは必ず一人で向き合う。なぜなら死は“全”であるからだ。全ての命の終わりに等しく死があるのではない。全ての命の終わりに異なる死が与えられているのだ」
「大陸を支配したところで、海を越えた先の国が俺たちを締め上げる」
「だったらその国も支配してしまえばいい」
「本気で言っているの!?」
クルスは強く問い掛ける。
「世界を支配するとは、国を統べる君臨者になるとはそういうことだ。我らを阻む全ての国を壊し、奪い、手にし、支配する」
「その先に待っているのは王を倒せと口を揃えて叫ぶクーデターだろ」
「そうだ! 王となった者は王を討たんとする者どもに討たれるが定め! しかしそれこそが我の望んだ死だ!」
エルヴァがドラゴニアと激しく鈍器と大剣での命のやり取りを行うが、やはり初代国王は一歩も動かずにエルヴァの鈍器を手で掴み、砕き、拳で打ち飛ばす。
「だったらあなたは私たちに討たれるべき」
クルスは鎗を回しながら接近しドラゴニアに刺突を放つも、大剣によって払い除けられる。
「貴様たちでは力不足だ。我を討たんとするのなら、我を越えねばならん。しかし貴様たちの誰も、我を越えてはいない。越えていない者に王の座など渡す気など、無い!」
『王威』によって三人が足を止める。
「どうしても国を手にしたいと願うなら我を越えろ。王のいるこの場所まで辿り着いた貴様たちが我を討てんのならば、この国は落とせない。なぜなら、“全”を貴様たちは持っていないのだからなぁ!」
覇気――大声だけでエルヴァたちは尻餅をつく。
「……どいつもこいつも、揃いも揃って無様だな。くだらん子供の児戯に付き合ってはおれん。オエラリヌの方がよっぽど歯応えがあった」
「オエラリヌ……『戦人』の……『至高』の冒険者のことか」
エルヴァは惨めな格好を直そうと体を動かす。
「俺も冒険者だった頃がある。その名を聞くことは沢山あった」
「私だって“大いなる『至高』の冒険者”のことなら耳にしているわ」
クルスも彼に続くようにとにかく身を起こすことに意識を集中する。
「奴は異界獣のピスケスを喰らい、この異界の主になっておったが、それを我が喰らった」
「そんな」
アンジェラは翼の再生を試みるが上手くいかない。
「あの『戦人』と謳われた……ドラゴニュートが?」
「今や我の糧となった。喰らい、奪い、手にした。奴が持っていた全てを。この我が、っ!?」
ドラゴニアの右腕が動いて自分自身の胸部を貫く。まだ話の途中であったことは確かであり、なによりドラゴニア自身が一番驚いているのが分かる。
「なん、だ……と……!?」
『肉と心臓、魂を喰らったからといって全てを手にしたなどと思うは滑稽の極みだな』
ドラゴニアの口が二度動き、一度目は驚き、二度目は冷静な口調で語らっている。
「貴様……!」
『糧にするのは構わないが、喰われた我が貴様を喰らっても構わんだろう?』
右腕が胸部から心臓を引きずり出し、赤く輝きながらその手の中で脈打つ。
「この身に喰らわれた力だけで、動き、おった……!」
『全て喰らったのだから我が動けるは当然のこと。穿て、人の子らよ。我はこの男を喰うことが最善であったが、逆に喰われてしまった。ならばこうして人の子に討ってもらうだけのこと。むしろこの方が人の子の道標にはなり得るか……』
「貴様は『勇者』に騙され、魔王を討つなどという大業を背負わされたと言うのに!」
『騙されたのではない。憧れたのだ』
クルスがエルヴァよりも先に立ち上がり、一気に駆け抜けて鎗を前方へと突き出す。
「う、ぉおおおおおおおお!!」
雄叫びを上げ、ドラゴニアは自らの右腕を大剣で切断する。続いて大剣を落とし、右腕が握る心臓を左手で掴む。クルスの鎗は一足遅く、初代国王の右腕を刺すだけだった。
「こんな些細なことで我は仕留められん。我の中に竜人の意識があるのなら、我の『王威』と我の意思によって支配するまで」
左手が穴の空いた胸部に心臓を納め直し、ドラゴニアの瞳に生気が戻る。
「エルヴァージュ!」
「内側に『王威』を使っているのなら!」
下がるクルスに対してアンジェラとエルヴァが同時にドラゴニアへと攻撃を仕掛ける。
「俺たちに『王威』を使う余裕はなくなったよなぁ!?」
鈍器がドラゴニアの左腕を打ち、剣が首元を掻き切る。
「……あぁ、死が迫っても尚、我は死なん」
両腕が骨の音を鳴らしながら元通りに動き、首の裂傷によって噴き出す血を片手で拭うようにしてドラゴニアは止める。
「我は選ばれた人間であるがゆえに!」
「誰もテメェを選んじゃいねぇよ」
エルヴァは再びドラゴニアに詰め寄る。
「テメェがテメェで選んだことを、さも世界が、他人が選んだみてぇに言うな」
「我が選ばなければ誰が選ぶ!?」
「“落上”」
鈍器での振り下ろしをフェイントとし、エルヴァの魔法がドラゴニアを天井高くへと打ち上げる。
「やっと動いたな? “落底”」
そして阻まれるかのように今度は床へと叩き付けられる。それでも尚、ドラゴニアは屈することなく立ち続け、動きこそしたものの自らが落とした大剣を拾い上げた。
「『王威』を己自身に用いなければならないとは。しかし、それもまた我の業。受け入れよう。受け入れた上で、貴様たちを屠る」
ドラゴニアが動く。先ほどまで一歩も動こうとしなかった初代国王はその一歩で床を揺るがし、その加速で空気を振動させ、その接近でエルヴァたちに死線を見せる。
迸る力の波濤が謁見の間にある一切を吹き飛ばし、大剣の一振りが万象全てを薙ぎ払う。
「分かって、いたけど……!」
各々が床を転がり、全身に走る痛みに悲鳴を上げる中でクルスが発する。
「こんなにも力の差が、あるなんて……!」
「王の資格無き者が王を討たんとすればそうなる」
「いいえ、私には」
「王が拾った養女に王の血など流れてはおらんのだ」
「…………そう、そういうこと……だったのね」
リッチモンドがクルスに王の血が流れていないことを事実として伝え、エレオンはそれでも王族の末席として自身が存在するのかを語らずに死んだ。だが、ここに来てドラゴニアの言葉によってクルスは己が出自を知る。
「私は前王――父上と呼んでいいかも分からない王様が孕ませた女から産まれたのではなく、余所から寄越された養女ってことか」
「貴様は影武者として育て上げられるはずだった。だが、そうはならなかった。スチュワード・ワナギルカンの手によって」
「……大体、察しは付いたわ」
「絶望したか?」
「いいえ、自由になった」
背負っている物は変わらないはずなのに気持ちは急に軽くなった。クルスはそれを証明するように軽やかにドラゴニアと対峙し、鎗を回しながら大剣を受け、払い、隙を突く。
「私には自由にできる権利がある。国を、王を、新たに定める自由がある」
「そうだ、クルスは王国を自由にする」
アンジェラが言いながらクルスに加勢する。
「過去に縛られない自由な国を作ることができる!」
エルヴァもまたドラゴニアに喰らい付く。
「王が自由など愚の骨頂だ!」
しかし、それでも初代国王には届かない。再び三人揃って薙ぎ払われる。
「王は縛られる者! 縛り付けられ、価値観を固着させられ! それでもありとあらゆる障害を捻じ伏せる者! 己が種を撒き、世界に王の血を流し、その全てを支配する者!」
果敢に攻めるエルヴァを再びドラゴニアは大剣で打ち飛ばし、立ち上がったアンジェラの腕を掴んで壁に投げ付ける。背後に迫ったクルスの鎗を掴み、天井へと投げ飛ばされ激突、そして床に落ちる。
「見ていろ、王の所業を」
ドラゴニアは上半身を脱ぎ、続いてアンジェラの衣服を掴む。
「なに……なに!? いや、なにをする気?!」
「孕ませるのだ」
「いや!!」
「『天使』を孕ませた王など未だかつて存在しない。我はまた、新たな種族に王の種を撒く」
「やめて、やめてやめてやめてやめて!!」
クルスが起き上がろうとするが、痛みで体が動かない。
「その身に刻め、『天使』よ。人とは、人を孕ませることでしかその数を増やすことのできない不完全な命であることを」
「いやぁあああああああ!!」
王の鬼畜の所業にアンジェラがもはやこれまでと悲鳴を上げるも、その行為が始まる寸前にエルヴァが投げた鈍器が王の真横を抜けて壁を砕き、その壁を背にしていたアンジェラは出来た道から尻餅をついたまま後ろへと逃げる。
「王になった者は次第に淫蕩に溺れるようになる。それが王国に残り続ける呪いだ。それは初代国王であるテメェが仕掛けた呪いだろう?」
「呪い? 呪いではない。繁栄を我を異界へと送られるときに願った。それがこの地に宿らしめたのは、誰もが王族の繁栄を願ってやまなかったから。国の繁栄とは即ち、王の繁栄。王族がいることで民草は人任せにする。王がいるから大丈夫だと安心する」
「なら願いが呪いに変わった? 祈りが呪いに変わったとでも?」
エルヴァは新たな土塊の鈍器を作り出し、握り締める。
「ふざけるな!!」
背後から襲い掛かるエルヴァにドラゴニアは上裸のまま大剣を握り、鈍器を防ぐ。
「そんなものは王ではない! そんな所業を行うことが王のすべきことであるわけがない!!」
そのように叫ぶが初代国王の剣戟に対抗し切れずに倒れ、足で踏まれる。
「アデル・ワナギルカン」
「貴様が、俺の、名を……?」
「我に連なる血脈の名は全て知っている。だからこそ問おう、アデル・ワナギルカン? 王とはなんだ? 王が目指し、王が至るべき境地とはなんだ?」
「そんなもの」
吐き捨てる。
「“全”に決まっている」
ドラゴニアは笑みを零し、エルヴァを蹴り飛ばす。
「良いだろう、アデル・ワナギルカン! 貴様は王の覚悟と王の“全”を知っている! 我を喰らい切るに値する器ではある! 力が届くか届かないかは知らんが、きっちり殺すまで相手をしてやろう!」
エルヴァは血を吐きながら立ち上がる。
「寄越せよ」
そう呟き、懐から出した土人形を握り潰す。
「俺に力を寄越せ、ゲオルギウス!」
『初人の土塊』の『継承者』の力を土の鎧として纏い、エルヴァはドラゴニアと激突する。
「私……私に、私に出来ること……私に出来ることは」
目の前で惨状が繰り広げられそうになった。そのショックがクルスを襲っており、アンジェラは既に戦えない。それでも自身に出来ることを探すように鎗を掴み、フラフラと立ち上がる。
「私に、私に」
――『私に』じゃねぇよ! 『私が』だろうが。それじゃ女王にはなれないぜ? 姫さんよ。
「エレ、オン……?」
クルスは耳元で響いた声の主を探すも、どうやら幻聴に過ぎなかったらしい。しかしその声は彼女の震えを確かに振り払った。
――あなたが王になる。これほど面白いことはない。だからこそ私は帝国から外れ、あなたと共に戦場を駆けようと決めたのだ。
「エル……」
――全てはオーディストラ様と手を取り合い、進む姿を見るために。
「レスィ」
――王を討つとは即ち、自分自身への挑戦です。道理の通っていない言葉を吐きかけられ、道理と外れた全てが目の前にあったとしても臆してはなりません。それはあなたがなるべき未来の王ではないのですから。あなたはあなたが掲げている理想の王になるのです。
「リッチモンド……」
クルスは自らの蛍光色の瞳が爛々と輝くのを感じる。
――王になりたいのであれば、『こうでありたい』と願うのではなく『こうなる』と覚悟を決めよ。その覚悟も無しに王になろうなどと思ってはならん。
「スチュワード!」
降りて来る。
降りて来る。
降りて至る。
「『二輪の梵天』――じゃない。これは、日天」
アンジェラは震える声で自らの『継承者』の力が変化し『超越者』に届いたことを知る。
「どうか神様! 異界に届かぬとも、彼女が抱きし神への祈りよ。邪悪を祓う力を彼女に……!」
「ドラゴニアァアアアアア!!」
クルスが大きく大きく叫び、穂先の溜まった魔力で床を打つ。魔を拒絶する『聖眼』の力がドラゴニアを包み込んでいた強烈な気力、そして内側へと放たれていた『王威』すら払い飛ばす。
「王になれん影武者として育てられた養女に興味はない」
それでもドラゴニアはエルヴァとの戦いに熱中している。
「おいおい、どこを見ているんだ?」
エルヴァは初代国王を前にして不敵な笑みを浮かべる。それに苛立ち、大剣の一撃がエルヴァを切り伏せる。
「王になるのは俺じゃない」
肩から血を噴出させながらもエルヴァは屈さずに言葉を続ける。ドラゴニアは翻り、正面に捉えたクルスへと向く。
「クールクース・ワナギルカンだ」
鎗が大剣を貫き、ドラゴニアの鎧とその肉体を貫通する。
「んぬぅううううぉおおおっ!」
唸りながらドラゴニアは鎗を引き抜き、クルスを投げ飛ばす。砕け散った大剣を自らの魔力で作り直そうとするが、彼女が眼が魔を払ったことで不可能と知り、腰に携えていた剣を抜く。
「この王剣を抜かせるとは!」
クルスは輝くマントを羽織り、鎗の穂先に光が収束する。それを手元で回せば回すほどに光の強さが増していく。
「私は王になる!」
「何度でも言う。貴様は王にはなれん」
「それを決めるのはあなたじゃない!」
「王が決めなければ誰が決める?!」
「私が決める! 初代国王の決め付けたことに自由な私が従う理由なんて、無い!!」
王剣と鎗の激突。体格と筋力の差は歴然であったが、クルスではなくドラゴニアが力で負けて押される。
「馬鹿な!」
「全ては私が決めること! 私が、私が! 私が!!」
手元で鎗を回し、光は更に増す。再びの激突。今度は王剣が明らかに弾き飛ばされ、ドラゴニアの体も鎗から迸る力の波濤に耐えられずに後方へと滑っていく。
「なぜ、この我が押される!?」
「クールクース・ワナギルカンが!」
再度の回転で更に光が増す。
「鎗を回して、力を増大させているとでも」
「ドラゴニア・ワナギルカンを討ち取る!」
覇気、気迫、そしてドラゴニアは己の震えに気付く。それは自身が振るっていたものと同等の物――『王威』であった。
「あり得ん。王族でもない者が、『王威』を振るうなど」
『これだから人の子は面白い。その努力を笑うことなどできはしないのだ』
「ええい、死して尚、歯向かうな!!」
ドラゴニアはオエラリヌを黙らせ、自身の体をドラゴニュートのように変貌させる。
「貴様ごときに! 我は倒せん! 我は倒れん!」
三度目の激突でクルスの鎗は王剣を砕く。
「う、ぅ、ぐ、ぉおおおお!」
後退しながら状況の打破を試みるためにドラゴニアは前へと踏み出す。
その床に転がる土塊に足を取られ、バランスを崩す。
「別に俺は王にはならねぇが、テメェの邪魔をしないってわけじゃねぇよ」
「エルヴァ、お願い!」
「あいよ、次代の女王様。壊剣技、」
「天鎗技、」
「こ、の、痴れ者どもめがぁあああああ!!」
「地走り・壊!」
エルヴァの鈍器が防御の姿勢を取るドラゴニアを打つ。その身に再び充填され始めていた気力を少しずつ削りっていく。
「王家の血を引かぬ者をなぜ立てる!?」
「気高い女が好きなんでね。それに、自分の道は自分の道で切り開くし、誰かの付加価値になる人生は歩みたくない」
「傷痕も容姿もなにもかもが自分自身の物。それを乗り越え、守り抜く強さがあれば、もう二度と自分で自分を終わらせずに済む!」
「「自分自身の力で! 憧れた生き方を貫きたい!」」
気力によって作り上げられていた防御は削り切る。
「天の綻び!」
光の溜まった鎗をクルスがドラゴニアに向けて突き出す。光熱が一点を目指し、一つの線として駆け抜ける。
「合技、天地王断!」
二人の力を同時に受けた初代国王の体は大量の光の粒子となって一気に消し飛ぶ。末期の叫びもなにもなく、ただドラゴニアという存在はオエラリヌの力も纏めて全て異界から消え去ったのだ。
「はぁ、はぁ……はぁ……っ!」
『二輪の日天』の力を解き、クルスが崩れ落ちる。同じようにエルヴァも『継承者』の力を解いて崩れ落ちる。
そんな二人をアンジェラが再生した翼を広げて受け止め、そのまま抱擁する。
「御免なさい、こんなことしか出来なくて」
「あなたはそのままで良いの」
「そうだな、それで丁度良い」
「私……あのまま『天使』として終わるかと思った。死ぬより嫌な事が起きるんだと思ったわ」
「私も。動けなかったから……アンジェラがそんなことになったら、もう死ぬしかないって」
「言っていることが極端なんだよ。ただ、その極端さのおかげで動かなきゃならねぇことは分かったけどな」
いつぞやのマーナガルムのことをクルスは思い出す。あのときもエルヴァは動いてくれた。そしてドラゴニアとの戦いにおいても最悪の悲劇を振り払ってくれたのだ。
「「ありがとう、エルヴァ(ージュ)」」
感謝しかない。それは普段、彼を毛嫌いしているアンジェラですらも抱く感情だった。
「……気持ち悪い。頼むから普段通りにしてくれ」
最大の功績をエルヴァは嫌い、その態度にむしろクルスたちは安息を得る。お礼や名誉に拘らない彼だからこそ、あの瞬間の恐怖をトラウマとしないまま忘れることができるのだ。きっとエルヴァは全てが終わったあとでも、ここで起こった戦い以外のことを語ることはないのだから。
異界に激震が走る。
「異界獣を――ドラゴニアを討ったから、異界が崩壊する」
エルヴァが言いつつ、緩めた筋力に再び力を入れて一人で立つ。
「早く脱出しないとな」
「でも私たち、どうやってここから出たらいいか」
「見つけた! ほらやっぱり! さっきの物凄い力と音はここからだったんだよ!」
クラリエが謁見の間に入ってくる。
「そう走るな。こっちはアーティファクトを使って、まだまだ立ち直るのに時間が掛かる」
「ガラハはゆっくりで良いよ」
エルヴァはクラリエに歩み寄る。
「ここから出られるか?」
「ガラハはもうアーティファクトを使っちゃった」
「そうか……最初の案では、ドワーフのアーティファクトで脱出するはずだったんだが」
「大丈夫。あたしに『緑衣』があるから」
そう言ってクラリエは緑色の魔力を一瞬だけガラハとスティンガーを除いた三人に見せる。
「早く出ましょう」
「駄目」
そう提案するアンジェラに即答でクラリエが返す。
「まだアレウスとアベリアを見つけられてない。二人を見つけるまであたしはこの『緑衣』を使わない。たとえ異界が崩壊に呑まれても、絶対に」
「でも、」
エルヴァはクルスに向けて舌打ちする。
「こいつらは頑固者だからどんだけお願いしても無駄だ、クルス。頼み込むよりアレウスとアベリアを探した方が早く済みそうだ」
「へぇ、分かってるじゃん?」
「だが俺たちには探す余裕なんてない。王城を出て王都に逃げつつ探すぐらいだ」
「それで良いよ。アレウスとアベリアをあたしたちが見つけたらあなたたちの気配を探して、脱出の際に拾うから」
「俺たちが退避している最中に二人を見つけたら『接続』の魔法で知らせからこっちに来い」
「そんなボロボロで使えるの?」
「その程度はもうずっと前からやっていることだ。接地さえしていれば俺はお前たちの居場所も分かる」
「じゃ、その方針で」
クラリエが手を振り、ようやくガラハに事情を伝える。彼はとても面倒臭そうにその話を聞きつつも受け入れ、スティンガーがヒラヒラとアンジェラに挨拶をしてから先に謁見の間を出た二人を追い掛けた。
「行くぞ」
「私は一人で歩けるから、クルスをお願い」
「いやそれはお前が、」
アンジェラの圧に押されてエルヴァは言葉を途中で切り、クルスを抱き寄せてから手を繋ぐ。
「手を繋ぐだけって……いや別に一人でも歩けるだろ」
「良いから良いから」
『天使』の調子に乗せられていることに苛立ちながらもエルヴァはクルスの手を離さず、そしてクルスもまたエルヴァの手を払おうともせずに受け入れていた。
三人が謁見の間を去ったのち、クスクスと笑いながらアヴェマリアが砕け散った王剣の柄を拾い、霧となって消えた。
―天使が堕ちた日、前日―
「呪い?」
「ああ、悪名高き初代国王の魂はエルフの力添えで封じられたが、宮廷魔導士のテッド・ミラーを私たちは忘れていたのだ」
「誰もがテッド・ミラーになれるように。それがクローン研究の始まりだったと言っていたな」
「そのせいでテッド・ミラーにこの国は恨まれている。奴は初代国王の魂が封じられた際にその怨念をこの地に呪いとして遺した。このことはテッド・ミラーが私たちの前から姿を消してから判明したことだ」
「それが、淫蕩に溺れる呪いか?」
「種の繁栄。王族の繁栄。王家の血を全ての人間に行き渡らせる。そういった危険すぎる思想が王族を常に苦しめている。俺はお前と出会い、神の恩寵を得たことで逃れたが……息子はどうにもならないようだ」
「だがこれまでの王族の中でも初代国王ほどに狂った行為を繰り返した者はいないはずだが」
「いいや、時折、現れている。恐らくだが初代国王の思想、観念に共感を得てしまうことがマズいのだ。それがこの地に刻まれた呪いの発動条件となっている。これまでも危ぶまれた時期はあったが、狂った世継ぎからは王位継承権を剥奪し、代わりに兄弟が王位を継いできた。だが、私は正室との間にたった二人しか子を授かっていない。そして狂った長男は次男を王権を我が物にしたいからと城から追い出してしまった。息子が淫蕩に溺れてしまうのはもはや必然だったのやもしれん」
「思想、観念に共感か。するか普通?」
「欲望とは肥大化していく。矮小化することは決してない。発散させたところでそれは萎んでいるだけで、再び膨らむ。思えば特別扱いし過ぎたのだろう。私の息子はどんな女も王族であることをチラつかせればかしずくと思い込んでしまった。どんな絶世の美女も手に入れることができると思ってしまった」
「絶世であるのだから、死にたくないからな」
「そうだ。一度切りの人生で授かった美貌を処刑などで失いたくはなく、また奪われたくはないだろう。それも王が命じるのだから、逆らえない。それが欲望を肥大化させ、初代国王の呪いを受けるに至った」
「解く方法は?」
「無い」
「お前が別の呪いを与えたらどうだ?」
「与えたところで初代国王の呪いが増幅するだけだろう」
「試す価値はある」
「呪いなどそうすぐに試しはせん。それこそ死期を悟る頃までは」
ゲオルギウスの言葉を『巌窟王』は一蹴する。
「ではどうやって呪いから逃れる?」
「逃れようがない。だが、王族は呪いに対抗すべく王位を継ぐ際に必ず影武者と称して養子、もしくは養女を迎え入れることにしている。王族の血を引いていなくとも、同じワナギルカンを姓を与えることとしている」
「分からないな。そんなことをして一体どうなる?」
「いつか、そういった養子や養女といったワナギルカンの血を引かぬ者がワナギルカンとして王国を統べる。そうすれば王族はこの地に遺る呪いや血脈の全てから解放される」
「つまり、王であることを捨てるために養子や養女を迎え入れるのか? 古より連なる血脈を断つのか?」
「そうでもしなければ呪いを消し去ることはできん。俺が与えられる呪いなど初代国王の呪いに比べたら小さなものだ。ひょっとしたら種無しにぐらいはできそうだが」
『巌窟王』は激しく咳き込み、血痰を吐く。
「それで? 天使よ。他にどういった話をしようと思っていたんだ?」
「…………お前はこのまま死ぬつもりか?」
「無論、そのつもりではある」
「……そうか。勿体無いな。それでいて、つまらない」
ゲオルギウスはそう言って『巌窟王』の私室をあとにする。
「ふっ、死期を悟ったら……か。心にもないことを言うものだ、この口は」
ベッドに身を委ね、天蓋を眺める。
「明日、天使は突拍子もないことを言うだろう。あの顔はそういう顔だ。だが、俺はどうだ? もはや死が見えてきているこの齢。死にたくないと思うこの気持ちが俺を狂気へと走らせないとも限らない。天使に囁かれでもしたら、俺は止まることはできないだろうな」
呟き、瞼を閉じる。
幾ばくかの時が過ぎ、『巌窟王』は眠りに就く。
その翌日に天使が堕天し、自らが天使に囁かれその通りに行動したことで長子は更なる呪いを浴びる。その呪いがやがて長子から種を奪うことになる。
そんな未来を、『巌窟王』が知るよしもなく――




