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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 後編 -神殺し-】
682/705

想って願って、擦れ違い


「どうしてだよ……」

 シロノアがアレウスを絶望させるために映し出した外の景色には、ありとあらゆる障害を乗り越える仲間たちの姿しかなく、むしろ『異端審問会』が手駒としていた全てが討たれ、制圧された事実だけがあった。

「どうしてお前はそんなにも前を向いていられる!? どうしてお前たちは!」

 剣の雨を避けながら、雷鳴の速度で動くシロノアに対応しながら短剣を振るって弾き飛ばす。

「僕はいつまでも神藤 理空の後ろを歩いているわけじゃない」

 産まれ直す前、ずっとずっと神藤 理空の後ろ姿を見ていた。それは高校からの帰り道でも変わらなかった。ほんの少しだけ彼女と同じ道路を通る。そこで神藤 理空の背中を見つけても追い付かないように、追い越さないようにとずっとずっとゆっくり歩いていた。

「僕はもう神藤 理空を追い越すつもりでいる」

 この世界でアレウリスとリゾラとして再会してから、あのときに見た情景は全て過去となった。少なくとも今のアレウスにはリゾラの後ろを付いて行くだけにしようなどという気持ちは一片もない。

「冥剣技・異界渡り」

 剣の持ち方を変え、荒々しくアレウスへと突き進んでくるシロノアの剣戟を対処しつつ、疎かになっている足を蹴飛ばして転ばす。

「……良いよなぁあああ、お前はさぁああああ」

 心の奥底からか細くも、しかし強すぎる怨念のような言葉をシロノアは吐き出しながら起き上がる。

「見つけてもらえて、救われて、拾われて、認めてもらえて、羨まれて、信じられて、前を向けて!」

 剣戟の圧が強い。乱撃にも近く、軌道の予測が困難だ。これだけでルーファスの剣技も織り交ぜられているのが分かる。ヴェラルドとルーファスの合わせ技。それを作り出しているのがアレウスのもう一人の存在であるシロノアであるのは皮肉にも思えてくる。


 その二人に憧れて、その二人のようになりたいと願い続けていたというのにシロノアこそがどちらの剣技も形として体現することができている。分かりやすいほどの嫉妬、そして羨望がある。


「お前だって『異端審問会』に見つけられて、拾われて、認められて、羨まれていたんじゃないのか?」

「違う違う違う違う! そう言うのじゃない! お前と俺とでは根本的に違う! お前には才能があって俺には無い。なんでお前はそんなんで誰からも慕われる? なんでそんな程度で、どんな女もお前を選ぶ? それもどいつもこいつも美人と来たもんだ」

「そういう目でみんなを見てはいない」

「だったら、お前の中にある欲望はどうしてそんなにも自身を慕う女性を独占したい?」

 アレウスは言葉に詰まり、その動揺がそのまま動きに伝わってシロノアの強烈な振り下ろしを短剣で受け止めるも衝撃を流し切れずに後ろへと滑る。

「そうだよなぁ、お前は俺で俺はお前だ。好きでもない女でも自分を慕ってくれているのなら満更でもない。どうせなら自分の手元に置いておきたいと願う。だが恥じることじゃない。それは男が性欲に目覚めてから切り離そうとしても絶対に切り離せない欲望であり願望だ。異性であれば誰からも好かれたい、特に美人には」

「違う」

「違わない。言っただろ、俺とお前は一緒だと。俺が抱いていた感情をお前が抱いていないわけがない。『産まれ直し』はしていてもお前は俺と精神年齢はほぼ同等。肉体に精神が引っ張られているなんてまさか言わないよな?」

「僕は、」

「外見は二十歳前後だが、その内面はもっと年老いている。年老いていながら若者みたく泣いたり笑ったりしている様は、薄気味悪い。いつまで若者気分でいるつもりだ? お前は俺だぞ?」

「そういうお前だって、若さに執着して冒険者のロジックを身に宿しているじゃないか」

「そうだ、だから同じなんだよ」

 鋭い剣戟をアレウスは浴びて、腹部を深く切り裂かれる。貸し与えられた力を発揮してすぐさま止血したが、シロノアに反論することのできない自分自身にもどかしさを感じる。

「そうかそうかそうか、お前はそうやって見ないフリをしてきたわけだ。俺が見て見ぬフリをせずに向き合っている中で、お前は産まれ直したことで再び若い肉体を得たことをラッキーと思って、若い女をかどわかし続けてきたわけだ」

 カッとなってアレウスは炎の飛刃をシロノアに放つ。しかし狙いは大きく外れてシロノアは軽く避けたのち、アレウスに接近して再び剣戟で腹部を撫で切る。それを貸し与えられた力で止血しつつアレウスは後退しながら心臓の鼓動を落ち着かせることに努める。

 感情に支配されてはシロノアの思う壺だ。これを脱するには感情ではなく論理的にシロノアの言葉が破綻していることを証明しなければならない。


 だが、シロノアの言うことには一理あるのだ。自分がアベリアたちと同じように若者として生きていていいのかという疑問はずっとずっとあった。あった上で、目を逸らして若者振ってきた。だから会う人たちにはいつも驚かれた。その年齢でそこまで考えられるのか、と。

 分かっている。精神年齢がいくら肉体に引っ張られようとも産まれ直した以上は過去の記憶を持っていて、それだけの経験が自分自身には積み重なっていることぐらいは。


「言うなれば独占欲も、ロクに恋愛することのできなかった自分自身の暴走とも言えるな?」

 思わずアレウスは肯きかける。

 自分を好いている女性を理由もなく好きになっているわけではないのだが、好かれているから気になって、好いてもらえているから独占したくなる。誰の手にも穢されたくないと思う。それが積み重なって積み重なって、ミーディアムのためだとのたまいながら帝国の特例制度を受けようとしている。

 仕方がないことだと。好かれているのだから仕方がないと。そうやって自分を騙して、言い聞かせて、正しいことをしているのだと思い込ませて。


 まるで自身を好いてくれている女性を物扱いするかのように――


「下心で世界を救うなよ、気色悪い」

 激しく心が掻き乱されアレウスは大声を上げてシロノアへと獣剣技を撃つべく構える。


「いつまでもウジウジグダグダグチャグチャと」

 発作のように炎を纏い、まさに放たんとばかりに振りかぶったアレウスの首根っこをリゾラが掴んで一気に前方へと力を込め、前のめりに倒れさせる。

「いい加減にしてよ、そういうの。女の子に声を掛けられなかった自分自身を傷付けたくないからって女の子と仲良くやってるもう一人の自分を傷付けるのはダサいでしょ」

「リゾラベート」

「へぇ? 私には執着しないんだ?」

「当然だ、お前は」

「神藤 理空であって神藤 理空じゃない。そう言いたいんでしょ?」

 シロノアの言葉を先回りしてリゾラは言いつつ、自身が突き倒したアレウスに立つように命令してから言葉を続ける。

「だって私が処女じゃないから」

 言われるがままに立ち上がったアレウスが突然なにを言い出すんだとばかりにリゾラを見る。

「こいつ――シロノアにとっての神藤 理空は理屈を屁理屈で捻じ曲げて、斜に構えていて、大人じゃないからゆえの子供の道理で現実を否定する女の子。それでいて清らかで眩しくて高嶺の花であり、誰よりも美しい。それでいて誰にも処女を奪われていない神聖さを帯びている。奴隷商人に攫われて娼館で働いていた私が神藤 理空の産まれ直しであったとしても、私はこいつにとっての神藤 理空じゃないってわけ」

「そんな子供みたいな」

「子供の頃の恋心だからこそ大人になればなるほど神聖さを持ち、色褪せても尚、基準として揺らがなくなる。シロノアは恋愛観を拗らせている。どんな女の子を見ても、私と比べるから興味を抱かない。相手から興味を示されても、基準となっている私に届かなければ仲良くするに値しない。それぐらいに捻くれている。そうでしょ? (こじ)らせおじさん」

 シロノアは分かりやすいほどにリゾラの挑発に乗り、彼女への殺気を露わにして電撃のように駆け抜けて剣を振るう。それを読んでいたかのようにリゾラは一撃をかわし、続けざまの連撃も見てから華麗に避けていく。

「でも、それは弱さの裏返し。拗らせたのは自分自身だけど、それを認めたくないから他責的になって弱さを隠す。あの子は神藤 理空よりも化粧が濃い、あの子は神藤 理空よりも賢くない、あの子は神藤 理空よりも太っている。だから俺は付き合わない。そうやって理由を探して、興味を惹いてくれた子の心に踏み込むこともせず、踏み出しもしない。そんなことで、誰かがあなたの拗れた恋愛観を分かってくれるわけないでしょ? 言わずに分かると思う? 言われても気付くと思う? 雰囲気で察せるわけないでしょ? だってあなたに興味を向けた子は一歩を踏み出しているのに、あなたは一歩も動いていないんだもの。ずっと一緒、ずっと変わらない。私の背中を見つめて、横に並ぶことも追い越すこともできなかった頃とあなたはなんにも変わっていない。そんな風に大人だから現実を知ったみたいな雰囲気を出していたって、私はちっともあなたを大人だとは思わない。むしろここにいるアレウスの方がずっとずっと大人に見える」

「うるさい、うるさい、黙れ黙れ黙れ!」

「結局、アレウスは前に歩いているのよ。私への恋心を持っていても前に踏み出して、私の背中を追うのを諦めて通り過ぎて追い抜くことにした。だからアベリアを好きになって、他の子からの好意にも理由こそ付けるけど無下にしたくないと思う。それは欲望から来ているのかもしれないし、産まれ直す前の世界じゃ複数の女の子をかどわかすのなんてクズのやることだって言われても仕方がないことだけど、あなたはちゃんと理解しているの? この世界は産まれ直す前の世界の常識からちょっと外れているしズレている。女の子をかどわかす男なんてアレウス以外にも幾らでもいるし、帝国も王国も古い時代からひたすら複数の女を孕ませているじゃない。帝国はここ最近は違っているみたいだけど、少なくとも王国はドラゴニア・ワナギルカンの時代からずっとずっと延々とやっている。だから、あなたが真に見るべきは王国の実情で、なのにあなたは王国を利用して私たちの前に立ちはだかっている。破綻していない? あなたの生き様」

 連撃に弱さが見える。リゾラはそれを見逃さずに接近し、手に溜めた魔力の塊をシロノアの顔面に掌底で打ち込んだ。弾けて、男が吹き飛び石畳を転がる。

「もう良い、リゾラ。あいつには『アレウリス・ノ―ルードに勝つ』ようにロジックが書き換えられている」

「だったら余計に私がやらないと」

「良いんだ」

 アレウスはリゾラの肩に手を乗せ、前に出る。

「僕が勝たなきゃならないことだ。僕が越えなきゃならない相手だ。越えたあとは、君に任せるけど」

「アベリア?」

「先に行かせてしまっている。無茶はしないだろうけど、早く傍に行きたい」

「…………そう、ならさっさと倒して」

 面倒臭そうに言いつつリゾラは後ろに下がる。


「シロノア」

「なんだ?」

 立ち上がり、シロノアはアレウスを睨む。

「お前は僕で、僕はお前だ」

「そんなことはさっきからずっと言っている」

「正しいよ、お前が言っていることは全部、僕がひた隠しにしてきた心の裏側を暴いている」

「そうだ」

「でも、同時にお前も自分自身が抱いていた心の裏側を暴露している。僕を傷付ければお前も傷付き、お前を傷付ければ僕も傷付く。言葉での刺し合いはやめにしよう。お前は僕を妬んでいて、僕はお前に復讐したい。そういう単純さで終わらせよう」

「ふ、ふふふ、良いのか? 俺はお前に勝つようにロジックを書き換えられている。お前に勝つまで俺は死なない。つまり俺は負けようがない」

「それでも僕が勝つ」

「どうやって勝つって言うんだ? この世界じゃロジックこそが絶対だろうが!」

 剣に魔力が宿り、殺意を示すように爛々と剣身が輝く。

「ならその絶対を示す」

 アレウスは淑女の短剣を鞘に納め、竜の短剣の柄頭に触れて剣身を炎の刃で延伸させる。

「冥剣技・勇者」

 発せられる殺気に“大いなる『至高』の冒険者”の力が宿る。

「俺が信じる最強の冒険者の一振りでお前を殺す」

「獣剣技、」

 しかし焦らない。あれは模倣に過ぎず、決してアレウスが届かない相手ではない。ましてやシロノアが勇者と同等の力を持てるわけがない。


 シロノアは『勇者』になろうとして、ビスターと共に『勇者』になることが出来ていないのだから


「“火天(アグニス)()(ファング)”!!」

 下から上へと短剣を振り上げ、放たれた炎の飛刃は気力を帯びて狼の顎となってシロノア目掛けて加速する。

「死ねぇええええええ!!」

 それをシロノアが正面から縦に断つために魔剣を振り下ろす。


 熱、気力、殺意、炎。それらが衝突し、せめぎ合い、破裂し、熾烈を極める。


「俺が勝つ! 俺が! 俺がアレウリスに勝つ!! 勝つようにロジックを書き換えられた俺が!!」

「……もう少し、もう少しお前が時間稼ぎをしていたなら僕はきっと負けていたよ」

 叫ぶシロノアに対し、歯を喰い縛りながら耐え続けていたアレウスが口を開く。

「でも、今この時だけは僕に勝ち筋があった」

 殺意の飛刃を炎狼の下顎が霧散させ、その牙はシロノアの体を駆け抜ける。男の体を炎が駆け巡り、たとえ魔力の障壁を張っていようともそれらを糧に延々と燃え上がった。それでも焼失や焼死こそ免れたようだが、男はもう体を動かすこともできずに倒れた。

「な、ぜだ……どうして、俺が、アレウリスに、負ける……?」

「書き換えてもらったから」

「書き換えてもらった、だと?」

「僕はアライアンスで王国に向かっている最中、最後の休息のときにアベリアにロジックを書き換えてもらっている」

「……だから、俺が負ける? 『シロノアに勝つ』と記されたお前に、俺が?」

「いいや、書き換えてもらったのはそんな文章じゃない」

「じゃぁなんだ? なんだって言うんだ?」

「僕の名前だよ」

「な……ま、え……! あぁあああああああ!!」

 シロノアは自身に干渉され、書き換えられたテキストの落とし穴に気付いて叫ぶ。

「今の僕は『アレウリス・ノ―ルード』じゃなく、お前がずっとずっと呼んでいた『アリス』なんだよ。『アリス・ノ―ルード』とアベリアには書いてもらった。でも分かっている通り、ロジックへの干渉は耐性を持っていたり気付きを得ていると徐々に元のテキストへと戻っていく。お前の干渉能力と違って」

「一時的な名前の書き換え……『人間』を『物』に書き換えてガルダの結界を通り抜けたときのように……」

「なんだ、あのときのヴェインの無茶を見ていたんだな。テキストの人から物体への書き換えなんてほんの一瞬だ。でも、名前に関しては元通りに戻るのに時間が掛かると踏んだ。だって僕は冒険者になろうとしたときから『黒のアリス』と呼ばれていたし、お前だって僕を『アリス』と呼んでいた。違和感はあっても、馴染みがあった。でも、ここまでだ。お前を焼いた瞬間に僕は僕を『アリス』ではなく『アレウリス』だと強く認識した。もう僕のテキストは元に戻っている」

「じゃぁ、俺がもう少し、あと少し……時間を稼げていたのなら」

「僕はお前に負けていた」

 シロノアは倒れながらも首を動かしてリゾラに視線を向ける。

「アレウスのやっていることは分かっていたわ。私たちは決戦の地で合流するだけみたいに思っていたんでしょうけど、念話でのやり取りをしてこなかったわけじゃない。異界に堕ちるのは命懸けなんだから話し合いぐらいする。だからここに来て私があなたを挑発して、切迫させた。ゴチャゴチャと御託を捏ねるあなたが、アレウスとの最後の一撃に乗ってくるように意識させた」

「全部……全部、俺が、俺が……」

「殺す前に教えてくれ、シロノア」

「なにをだ? もうお前に話すことなんてない。お前をどうして異界に堕としたかも、全部分かったはずだ」

「僕の両親は……冒険者で、『異端審問会』がやっていることに気付いて逃げ出した。僕が合力を持っていたからお前たちは追い掛けた。全部納得できることではあるけれど」

 アレウスは竜の短剣を鞘に納める。

「どうしてラタトスクの人々は殺さなかった? 虐殺しなかった? お前ならそれぐらい平気でやるだろ」

「……実験だ」

「実験?」

「俺自身の干渉能力の実験だ。俺はロジックを書き換えることができるが、時折、書き換えたことがそのままずっとテキストに残り続けることがあった」

「イプロシアのように常にロジックを見張り、元に戻ろうとすれば再度、書き換えていたんじゃないのか?」

「俺はそんなことはできない。俺ができたのは、ロジックを焼くこと」

「焼く?」

「焼き印でしょ」

 リゾラが口を開く。

「テキストに焼いて文字を書いたのよ。焼き文字、焼き印は文字通り焼いているから戻らない」

「そうだ、俺はそれがどれくらいの歳月、機能するのかを実験したかった」

「なら、お前が死んだらラタトスクの住民はみんな思い出すんだな?」

「ああ」

 アレウスへの敗北がそれほどにショックだったのかシロノアは観念したように口を割っている。


「お前が神藤 理空と思っていたあの異界獣はなんだ?」

「あれは……俺が、助けたはずの、命」

「助けたはず?」

「神藤 理空みたいに、人を助けて命を落とす気なんてなかったのに、結果的にそうなった。だが……助けたはずが、助けられたくない命だった」

 魔剣が欠けて、徐々に朽ちていく。

「シロノアは直に死ぬわ。あなたの刃が焼いたんだもの。もう生きていられるわけがない」

「……任せていいか?」

「ええ。そっちに隠れてもらっているんだけどアンソニーもいるから、シロノアがまた立ち上がろうとしたら私たちが対処するから。早くアベリアのところに行ってあげて」

「ありがとう」

 アレウスはリゾラに手を振りながら王城へと向かって走り出した。



「ねぇ、シロノア? 転生した神藤 理空に会ったことはある?」

「ない」

「本当に? 本当にない?」

「ない。俺は一度も会っていない。いや、アヴェマリアをそうだと認識してからは探すことをやめた。やめなければ、見つけられたのだろうか」

「私さー、オーネストと一緒に旅している間に会いに行ったんだけど」

「っ!?」

 もはや力尽きるのも時間の問題であるにも関わらずシロノアは起き上がろうとする。

「どこで、どこだ……どこに! どこにいたって言うんだ!?」

「いたんじゃない。もう死んでいたの。お墓参りをしただけ」

「死んで……」

 落胆し、シロノアは這ってまで動こうとする原動力を失う。

「アルテンヒシェルは私に言ったわ。もう一人の私に会ったことがあるって。オーネストは私が付いて行くと決めたあと真っ先に向かったのは王国じゃなくて帝国だった。そして私は皇帝の秘密の墓に一緒に忍び込んだ。ティルフィストラがイニアストラに成り代わっていることをそこで教えてもらって、アベリアの出生を知った。まぁそこは関係なくって、大事なのはティルフィストラの奥さんのこと。彼女はオーディストラを産んで、色々と兄弟の入れ替わりの果てに謀殺されているんだけど、その死に方はどちらかと言えば自殺に近かったらしいんだけど」

「あ、ぁ……そんな、そんな……」

「それがもう一人の私。オーディストラの母親が神藤 理空だった」

 シロノアのすぐ傍でリゾラは屈む。

「『産まれ直し』も転生も、決して同じ時代や同じ時間に起こるわけじゃない。私とアレウスは奇跡的な合わさり方をしたけれど、実際はあなたたちみたいなことが起きるのが普通なんだと思うわ。同じ時代を、同じ時間を生きられていれば、あなたは……こんな風にはなることは、なかったのかな。それともあなたはもう『異端審問会』でアヴェマリアを私だと思い込んでいたから、探さなかったのかしら」

「俺……俺、俺は……あぁ、そうか。俺が全てを調べ尽くしていれば」

「あなたの思う神藤 理空には会えなかったかもしれないけれど……まぁあなたと違う男と結婚している時点であなたの理想から離れていて、あなたはきっと認めないと思うけれど」

 リゾラはシロノアの前に記章(バッジ)を落とす。

「これはそのお墓に埋め込まれていたもの。見覚えがないなんて言わせない」

「校章……」

「私たちが通っていた高校のでしょ? あなたに見つけてもらいたかったからこそ、」

「いや、これは俺のなんだ」

「え?」

「俺は神藤 理空と校章を交換していたんだ。校章の裏側には女子用の印があるんだ」

「…………そんなの私、したことないけど」

 リゾラは呟きつつも、つまりそれこそがもう一人の自分でありながらもう一人の自分ではないことの証明だと知る。

「私とアレウスですらしていないことをあなたたちはしていた。私たちは同姓同名ではあったけれど、やっぱりどこか違う世界の住人同士だったのかもしれないわね」

「あぁ…………そう、だな。でも俺は交換した校章なんて、とうの昔に捨ててしまった……」

 激しい後悔の色が見える。リゾラでもってしてもシロノアが捨てた校章がどこにあるかなど分からない。


 手放してはいけない物を手放して、もう二度と手にすることができない。そんなことは誰の日常にも起こることで特別なことでもなんでもないが、取り戻したくても取り戻せないあのなんとも言えない後悔やどこに吐き出していいか分からない表現しようのない感情はリゾラにも分かる。


「あなたは王国で『異端審問会』として蠢くのではなく、オーディストラに忠義を尽くすべきだったのかも知れないわね」

 校章を抱えるようにして掴み、上半身を起こして下半身を引き寄せ、座ったままシロノアは咽び泣く。

「リゾラさん」

 アンソニーが近付くのをリゾラは手の動きでやめさせる。

「擦れ違って、擦れ違って、分かり合えるはずなのに分かり合えないまま、変な世界に転生して。あなたたちはきっと私たちとは違う苦労の中で生きてきた。あなたのやったことは悪いことだって断言できるけど……できるけどさ、私も結構悪いことも酷いこともしているからなんにも言えないけどさ。あなたはあなたなりに頑張ったんじゃない? 私じゃない私への想いを必死に抱きながら、悲鳴を上げながら、ずっとずっと」

「……殺してくれ」

 シロノアはか細く呟く。

「俺はもう、この世界にはいられない。死でもって償う」

「どうせ死ぬからそこは償えると思うんだけど、良いよ」

 リゾラは『蜜眼』でシロノアを睨む。

「“甘すぎる(ハロス)死毒(ハニー)”」

 シロノアの残されていた魔力、そして肉体が死の魔法を受けて蜜のように融けていく。

「あなたの後悔、あなたの想い、あなたの全てを私が()かしてあげる。ここで死ねば生まれ変わることもない。二度ともう一人の私と会えなくなるけれど、それが望みなんでしょう?」

 男は首を縦に振る。

「好きだったと思うよ。こんなにも引きずって、こんなにも愛してくれて、こんなにも拗らせるくらいに、死んでもずっと想いを募らせていたくらいだもの。私じゃない私もあなたのことをずっとずっと好きだったはず。それでも、その想いだけで生きていくにはこの世界は過酷だし、王族に見初められたのなら断ることさえできやしない。オーネストにちょっとだけ聞いたんだけど、ティルフィストラとその夫人との関係は冷め切っていたらしいし、きっとあなたのことを忘れられないから愛し切ることはできなかったんだろうね。だってそうじゃなきゃ死ねって言われてすぐには死ねないでしょ。謀殺とされているけど自殺みたいだし。あなたに会いたかったと思うよ。会いたくて会いたくて……悲しいね、シロノア――いいえ、白野」

「もう良い」

 シロノアは融ける。

「この未練も、この想いも、この欲望も、この願いも、なにもかも俺の物だ。俺ですらない神藤 理空が俺を語るな。俺の想う神藤 理空を語るな。全部全部、俺が抱えて持って行く」

 その身の全てが融けて、カランッと握り締めていた校章が石畳を打つ。続いてゴトッと石が落ちる。

「魔石です」

 アンソニーが呟いた。

「魔石?」

「恐らくは何者かがシロノアに持たせていたのではないかと思いますけどー」


「は、はははは、はははははっ♪」

「ルーエローズ!?」

 殺したはずの女の笑い声がしてリゾラとアンソニーは辺りを見回す。

「遅い遅い!」

 次に振り返ったときにはルーエローズは転がっていた魔石を拾い上げていた。

「そんな! あなたは私たちが殺したはずです!」

「うんうん、そうだよ。ぼくはもう死んでいる。けどさけどさけどさ! 譲れない気持ちは時に怨霊になることを忘れていないかい? 特にここは現世ではなく幽世。ここで死んでも魂の虜囚になるだけ。違うかい?」

「こいつ、怨霊になっても私たちの邪魔を」

「邪魔をしているのは君たちの方さ。でも魂の虜囚になったぼくは聖女じゃなくなったし、持っていた『魔眼』はもうなくなっちゃった。そしてシロノアもいない。そう、いなくなった。誰のせいかって? 君たちと、アレウリス・ノールードたちのせいさ!」

 ルーエローズは目を見開く。

「だったらもうこんな世界は必要ない。シロノアが必要だって言ったからぼくは現世を生きてきた。でも、もうシロノアがいないんならどうだっていい。これはアヴェマリアの元に持って行くよ。多分、ぼくがこうすることをあの女は見越しているし、渡したらぼくも魂の虜囚でありながらもう一度死ぬんだろうなって思っているけど」

「くっ!」

 リゾラがすぐに接近してルーエローズを掴もうとするが、彼女は飛び退いて逃げ出す。

「死んだあとじゃなくて死なずに君たちのそういう顔が見たかったんだけど、満足だよ。ぼくはぼくらしく生きたんだから。ははっ♪」

 追い掛けようとしたが空から大量の魔物が降ってくる。

「あの魔石、届けられたらマズいんじゃないですかぁ?」

「分かっているけど、この魔物の数を無視することはできない」

「じゃぁじゃぁ」

「もうアレウスとアベリアに任せるしかない……いいえ、アヴェマリアの狙いが魔王の復活にあるのなら!」

 リゾラは校章を拾って服の内ポケットに入れる。

「あ、そっかぁ!」

 魔物たちを二人で力を合わせて一掃しつつ、踵を返す。

「異界から脱出して備えるわよ。ドラゴニア・ワナギルカンを利用しているのもそこにある。きっとあの初代国王が討たれたとき、アヴェマリアの計画は次の段階に進むから!」

「はい!」

 二人はアレウスの向かった王城ではなく、王都の外を目指す。




---


「私、死ぬときは白野の知らないところで死にたいんだよね」

「な……にを、怖いことを、言わないで、ほしい」

「なにその顔? よく分かんないけど、まぁ、なんて言うか知られたくないんだよね。どういう感じで死んだとか、どういう生活をしていたとか。そういうの知られないままひっそりと死にたい。まぁきっと無理なんだろうけど」

「無理って?」

「私が白野を忘れない限り、あなたが私を忘れない限り。きっとどこかで耳に入っちゃうんだろうなって。白野も私のこと忘れたくないでしょ?」

「そ、れは、そうかも、だけど」

「…………私、結構な詰め方したけど」

「な、にが?」

「ううん、別に。まだそんな感じかって思っただけ」

 理空は鞄を肩に担いで教室を出て行く。


 俺は一人、教室の机に座ったまま窓の外を見つめる。夕焼けに染まる街並みはいつもよりもずっとずっと遠くにあるようで、それでいてとても冷たく感じる。


「なにしてんの?」

「へ?」

「白野、そこまで駅までは帰り道一緒なんだからさ」

「え、あ、そう、そうだっけ?」

「そうもこうも、この高校に通っているほとんどの子がそうでしょ?」

「……帰って、いい、の、か?」

「まぁいつも後ろから気付かれないように歩かれるよりは」

「っ、気付いて!?」

「気付かないワケないから。ストーカーって呼ばれたくないなら早く」

 俺は立ち上がり、しかし机で思い切り膝を打って声にならない声を上げる。しかし、そんな痛みなど放り出すように机に引っ掛けていた鞄を掴んで彼女の元へと走る。

「そんな大和撫子みたいに三歩後ろぐらいを歩かないで。やっぱストーカーじゃん」

「え、あ、御免。って言うか、違うから」

 廊下を歩いている中で理空が文句を言うので歩調を早めて隣を歩く。

「その調子で駅までよろしく」

「あ、うん……」

 昇降口で上履きと外靴を履き替える。

「私さ、」

 理空が靴の踵を気にしながら丁寧に履き直しつつ、なにかを言おうとする。


 俺はそのときに彼女がなにを言おうとしたのか――


 それを知ることはもう、永遠にない。


 そして俺は結局、彼女の隣を歩けずに少し後ろを歩いた。

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