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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 後編 -神殺し-】
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希望は潰えない

「空間を越えて『至高』の冒険者の流す生命エネルギーが流れ込んできておる」

 リリスは正面から放たれる矢を避けながら呟く。

「『御霊送り』を最上級の付与魔法に昇華させておるとは、なるほど冒険者は面白い」

 しかしその喜びも束の間、彼女の胸部を白騎士の放った二本目の矢が貫く。血を噴き出し、リリスは倒れていくがゆっくりと白い空間の景色に雲散霧消する。

「幻影のワラワを殺してきたのは貴様で三人目じゃ。カプリコンと貴様に殺されるのは不快感しかないのう。アレウスに幻影を消されたときはむしろ悦びの方が強かったんじゃが」

 黒髪を振り乱しながらリリスは再び景色から現れ出でて白騎士の周囲を舞うように跳ね回り、矢で狙いを付けられないようにする。その攪乱中にユークレースが攻め込み、自身を狙い直して放たれた矢を紙一重でかわしながら懐に入る。

「秘剣、紅葉鹿」

 体の五点を狙う刺突の秘剣が白騎士に放たれるが、鎧によって全てが弾かれる。白騎士は傍で狙いを定められないため弓そのものを鈍器のように振り回すことでユークレースの密着を拒み、大きく後ろへと飛び退いた。

「そこはワラワの領域じゃ」

 飛び退いた白騎士の背後に回り込んだリリスが鋭く伸びた爪で鎧の隙間を突くが、肉を貫いた感触が得られなかったため即座に引き抜く。

 爪の先から腐食が始まっており、リリスは忌々しげに自身の右手を左の爪で切り落とす。

「中身が腐っておるのか、白騎士の魔力がワラワを腐らせるのか……勝利の上に勝利を重ねることを使命付けられた騎士は、『不死人』であるワラワのような存在を拒んでいるだけとも考えられるが」

 勝利とは即ち死を与えることである。勝つとは誰かが負けて力尽きる。その理の外にいる『不死人』は白騎士にとっては忌むべき存在であるため、触れるだけでその存在を腐食、或いは塵へと変える力を秘めている。そのようにリリスは推理するが、アレウスほどに自信を持ってこの自論を三人に伝えることはできない。

「来る! 避けてください!」

 ユークレースの号令によってリリスは景色に消え、マルギットの腕を掴んでオラセオが右へと走り抜ける。地面を抉るほどの威力を秘めた矢が駆け抜け、衝撃波が起こる。その衝撃波を受けてリリスは無理やり炙り出され、空に描かれた魔法陣から魔力を込めた無数の矢が降り注ぐ。浴びないために大きく大きく地面を滑るように走りつつ、リリスは指を鳴らして再び気配を消して景色に溶ける。魔法陣の照準は彼女に向けられていたが、見失ったことで矢の雨が止まる。

 オラセオがマルギットの手を離し、ユークレースが白騎士の左側から仕掛けたのを見て自身は右側から仕掛けに行く。白騎士はまずオラセオを押し退けようと弓を振るうが、それを盾で防ぐ。

「秘剣、」

 僅かに出来た隙にユークレースは刀を鞘に納める動作の中で鍔と鞘で音を鳴らす。

梅鴬(ばいおう)

 白騎士の足が震え、バランスを崩す。倒れる勢いを利用するためにオラセオが回り込み、剣を白騎士の鎧の隙間に通し、突き立てる。

「よいぞ、よい動きじゃ」

 リリスが褒めながらオラセオが剣を抜くと同時に蹴飛ばした白騎士に再生した右手を再び切り落とし、投擲する。鋭く爪の生えた右手が首元に突き刺さるが白騎士は何事もなかったかのように右手を引き抜き、弓に矢をつがえる。

「また来る」

 マルギットが詠唱を始める。

「“盾よ”!」

 下がるユークレースとオラセオを狙う白騎士の正面に障壁を張る。

「ならん! それでは白騎士がお主を狙うだけじゃ!」

 しかし、その補助魔法をリリスが咎める。その意味をマルギットが理解する前に白騎士は引き絞った弓矢の狙いを彼女に向ける。

「夢路に惑え」

 まさに射掛けられる瞬間、リリスが白騎士を惑わし、放たれた矢はマルギットのすぐ横を駆け抜けるに留まる。ただし、生じた衝撃波は地面を抉り、全員を吹き飛ばす。

「っ、リグ! お願いもうやめて!」

 起き上がるマルギットに白騎士はなにも答えない。

「ウチがなにかしたなら謝る! 謝るから! あなたを知らない間に傷付けていたのなら、謝るから!」

 左肩から先を喪ったリリスが怒気を込めつつ、爪を縮ませて手の平でマルギットの頬を(はた)く。

「まだ分からぬか? 奴はお主のその態度が気に喰わんのじゃ。お主のそのどっちつかずの態度があの者の心を傷付けた。前にも後ろにも進めなくさせた! パーティリーダーを助けるために異界に向かったのは仲間意識からか?! お主の身を案じ続けるリグとやらの言葉をないがしろにしたのはわざとか!? パーティリーダーの言うことは信じ、リグの言うことは右から左に聞き流し続けた。違うか?」

「違う……違う、ウチは、ウチは」

「良い女のハッキリとしない態度は美徳じゃが、それは(たぶら)かすのが上手くなくては成り立たん。お主にその気がなくとも、リグはそのように感じた。いい加減に距離を見極めよ。お主はオラセオとリグ、どちらを愛しているのじゃ!?」

「それ……は、それ、は…………」

 マルギットの視線は泳ぐが、助けを請うようにしてオラセオに向く。

「早い内にお主がリグの恋心に引導を渡しておれば『異端審問会』に惑わされることもなく、お主たちとの関係を別の形で組み直して共に歩んでいたじゃろうな」

「『不死人』よ、それ以上の人間関係に足を踏み入っていては白騎士に射抜かれるぞ」

「ほざけ、王国のガルダよ。ワラワは白騎士ごときで死にはせん。お主たちが死ぬかもしれんことが面倒と思うくらいじゃ」

 リリスは左肩から先を再生させながらオラセオに近付く。

「お主もお主じゃ。恋心を保留させたままでは不和を招くは道理。それこそ人の業だとなぜ分からん? マルギットからの感情に対して見て見ぬフリをしたこと、万死に値する」

「俺の、せい、か?」

「誰か一人に責任を求めるのならパーティリーダーであるお主の責任じゃ。しかし、人間関係を万事上手く成り立たせることは複雑怪奇。出来ん者の方が多い。であればこれはパーティ全体の責任じゃろう」

 言いながらも、リリスは微笑する。

「あの女には喝を入れたが、しかし、人間関係に惑うことこそ人間臭さと呼べる。人の別れなど生き死に以外では環境と価値観と恋愛観でしか起こらんのだからな」

 白騎士が矢をつがえるがユークレースがその矢を一刀両断して阻む。

「人に道理を語り、物事を見つめ直させるのは間違ってはいませんが、このような場面で味方の戦意を削がせるなど正しい判断とは思えません」

「言うておるじゃろう? ワラワは白騎士ごときでは死なんと。必要なのは覚悟。白騎士を討ったのち、この者たちが覚悟を持てるかどうか。それだけじゃ」

 言いつつリリスはユークレースに近付く。

「自己を見つめ直し、甘えを捨てさせ、どんな後悔も背負いながら前を進む。そのように促さなければまた同じことでつまずいて、今度は立ち上がれなくなってしまう」

「全て同意しますが、僕はそんな些末事に意識を向けている暇はありません」

「はんっ、つまらん男じゃ。しかしいずれお主も異性への欲望を抱く。そればかりは逃れられん。なぜならお主もまた人間であるからじゃ。だからこそワラワはお主たち人間の理想を要求する」

「理想、ですか?」

「オラセオからは『勇者』への理想を頂戴している。しかし所詮は理想で空想。思い描いた『勇者』の強さは、それを抱いた者が思う『勇者』でしかない。理想は高ければ高いほどに強い。ならば全ての冒険者にとっての『勇者』の理想像とは極限まで高く、強烈である――わけではない。そんな理想はまやかし。理想に足らないのは理解。理解してこそ理想は成り立つ。そうじゃろう、ユークレース?」

「……まさか」

「お主は正しく『勇者』の強さを目の前で見せつけられ、そしてオルコスから正しく『勇者』について語られたはずじゃ。それこそクラリェット・シングルリードという娘についても」

 リリスの頭上の空間が歪み、穴が開く。問答無用でリリスはユークレースの首を掴まれる。しかし彼は彼女のやりたいことを理解し承知し、『夢路』を渡ることを拒まない。

「理想と理解と畏怖。これだけあればワラワが擁する『勇者』は完璧をなぞる」

 『夢路』を渡り終えたことでリリスはユークレースを解放し、歪みの穴からは一人の男が白い空間に降り立つ。

「恐怖の時代を駆け抜けた『勇者』よ。ワラワたちに力を。今一度、力を」

 そう語るリリスに『勇者』が詰めて剣を振り抜きかけるが、彼女の首に触れる直前で止まる。

「ワラワが邪悪に見えるのは無理もない。とはいえ、ワラワの体からは『勇者』が愛する娘の残り香があるはずだ。すると、お主が真に相対するべきはワラワではなく――」

 『勇者』は剣を引き戻し、振り返って白騎士を捕捉する。

「墓を掘り起こすような傲慢さですね」

 ユークレースは自身の機械人形を傍に寄らせてリリスに痛烈な言葉を吐き捨てる。

「アレックス・ナイトハルト様を死しても尚、理想の上で戦わせようなど言語道断ではありますが、僕の力が至らずに白騎士を討てないのであればもう仕方のないこと」

「割と判断は早い方かえ?」

「駒としての判断ならば誰よりも。キンセンカ、ここでお二人を……いえ、お一人だけでしょうか」

 オラセオから発せられる確かな覚悟を感知したユークレースは自身の機械人形をマルギットの傍に置く。

「アレックス様を邪魔してはなりません。“大いなる『至高』の冒険者”もまた災害級。近寄る者全てを傷付けてしまいます。僕たちはあの方が気持ち良く戦えるようにサポートするのみです。この時を持って、僕たちの刃は白騎士を討つためには振るわれません。アレックス様が白騎士を討つ形へと、」

「いいや、討つための一撃は俺が」

「……なるほど、分かりました。では、そのように。しかし討つことで頭が一杯になりアレックス様の動きを阻めばあなたも一緒に死にます。お気を付けください」

 オラセオの意思をユークレースは尊重し、方針を変更する。リリスはもはやなにも言わず、アレックスが大した恐怖感も抱かずに白騎士の前へと歩いて行く様を見つめている。


 白騎士は刹那の反応で矢をつがえ、引き絞る。アレックスは尚も歩いている。力を込め、放たれた矢は大地を抉りながら、そして瞬速で『勇者』に届く。

 剣を振って、容易く矢を弾く。弾かれた矢は宙で回転し再び『勇者』を上空から落ちてくるがこれを再び弾いて矢は白騎士の腹部を貫通して、ただひたすらに白い空間を突き抜けていった。

「なんじゃあれは? あの矢を弾くだけでなく放った者に返しておるぞ」

 人間の為せる技ではないものを見てリリスは思わず声を上げてしまう。


 生じる衝撃波を意も介さず、歩みは止まらず、剣も折れず。アレックスはただそこに無傷のままでいる。白騎士は更に矢をつがえる。リリスが背後に回るも弓を振るわれて爪は届かず、しかし右側からユークレースとオラセオが体当たりすることで重心を崩す。


 アレックスは早足で駆け、そして再び矢の狙いを定めるまでの間に剣を振るう。放たれた飛刃が白騎士の右腕を鎧ごと切断し、血液とは思えない白い液体が噴出する。白騎士は呻き声を上げ、しかし空を見上げて魔法陣から矢の雨を降らせる。リリスは踊るように避け、オラセオはユークレースの指示を受けながら矢をかわしていく。

 そんな中で『勇者』は矢の雨を意識こそしているが、剣の一振りで自らに向かう矢だけを弾き、他は全て紙一重でかわす。一振りで払うのは一本だけではなく数本から数十。しかし薙ぎ払われた矢が更に降ってくる矢と接触して弾き合うためにそこから数百から数千の矢は『勇者』どころかただの一人も射抜くことができなくなる。そもそもの魔法陣としての効果がたった一振りで損なわれ、再び正常に矢を降らせるためには白騎士は魔法陣を解き、描き直さなければならない。

 その思考を読み解いたようにアレックスは走り、白騎士の懐に入る。右腕を再生させた白騎士は弓で拒むが、屈んでこれをかわす。そして足腰のバネを利用して勢いよく剣を切り上げる。白騎士の腹部から胸部を覆っていた鎧は砕け散り、その奥に秘められている肉体もまた切り裂かれて白い液体が飛散する。


 白騎士は絶叫しながらも辺り一帯に魔法陣を生み出す。それらはリリスやオラセオ、ユークレースを狙ったものではなく後ろで動けなくなってしまっているマルギットに向けたものだ。射出は早く、誰もその大量の矢には追い付けない。ただし、マルギットの傍にいたキンセンカだけが――ただその機械人形だけが白騎士にとっての想定外となる。

 マルギットの腕を掴み、キンセンカは宙へと放り投げる。そして自身は大量の矢を浴びることとなるが、マルギットは宙にいながらもありとあらゆる矢の隙間という隙間――交差こそするが決して矢が通過しない空間で交錯する大量の矢を眺めながら九死に一生を得る。


「上出来です、キンセンカ」

 自らを犠牲にした機械人形を褒め称えながらユークレースが白騎士を斬る。

「酒宴を張れ、『夜翼貫骨』」

 矢を浴びてボロボロになったキンセンカからパーツが剥離し、それらが魔力を帯びて宙を舞う。

「『夜』の『翼』を!」

 ユークレースが刀を振るえば宙を舞うパーツ――骨片を模したそれらが一斉に動く。

「『貫』く『骨』よ!」

 更なる一振りで全ての骨片が縦横無尽に駆け抜けて、白騎士が再度起こした魔法陣から射出される矢を骨片が遮り、防いでいくのみならず魔法陣そのものを貫き、その機能を破損させる。


 アレックスはやはり全能感を持ったオーラを発しながら、しかし一言も発することなく剣を振り、白騎士の再生した腹部と胸部を再び切り裂く。


「何度も再生し続ける。それほどの妄念が未だこの白騎士を満たしておるということか」

 自身の足元に魔法陣が生成されたことをリリスは感知し、真横に飛び退く。オラセオがその魔法陣に剣を突き立て、射出される矢を停止させる。

「俺が悪かったなんて言わない! お前のことも、マルギットのことも全て後回しにした俺が悪い! 認める。だからこれ以上、人を傷付けるような力を振るうことをやめてくれ!」

 白騎士は無反応のままにオラセオに向けて矢をつがえる。アレックスの剣戟が白騎士の両腕を切り落とす。しかし切断された瞬間から再生され、矢は引き絞られる。どれほどに『勇者』が剣を振るってもこれは変わらない。全ての動作が止まらない。


「ごめんなさい!!」

 落ちてくるマルギットが素体となったキンセンカに受け止められながら叫ぶ。

「ウチのせいだから。ウチが、ずっと言わないままにしていたから……苦しかったんだよね、辛かったんだよね? ウチのことを想ってくれていたこと、知ってたよ。知ってた……知らないはず、ないじゃんか……でも、それを都合良く解釈してウチはあなたの気持ちを踏みにじった。もっとあなたを見ればよかった。もっとあなたの言葉を聞いて、もっとあなたの心に真摯に向き合えばよかった。そして、あなたの想いを断ればよかった。それが出来なかった! どうしても、どうしても出来なかった!」

 矢は引き絞られたまま白騎士の動きが止まる。

「だって聞くことも拒むことも、どれもこれもパーティの雰囲気を乱すことに繋がりかねないから! あなたを傷付ければ、あの居心地の良いパーティが無くなってしまうかもって怖かったから! リグ? オラセオがいるからパーティが成り立っているんじゃないんだよ? あのパーティにはあなたがいることも大事なの。あなたがいないとあのパーティにはならないの! だからウチは、ウチは……ないがしろにした。傷付けた、苦しませた。だから言う、言うよ! ウチが好きなのはオラセオなの! あなたの気持ちは嬉しいけれど、ウチはずっとずっと、オラセオのことが好きなの。あなたの想いには答えられない。御免なさい。だから、だから……ウチを殺したければ、ウチだけを殺して満足して……! 満足して? そうすれば、一緒に死ねるよ? 一緒に、死んであげるから。だからどうかもうこれ以上……これ以上、そんな悲しい姿を、ウチに見せないで」


 アレックスが白騎士の両腕を切り落とす。今度は再生せず、弓と矢は地面に落ちる。


「今じゃ!」

 オラセオが剣を両腕で握り、走る。白騎士は視線を動かし、複数の魔法陣を発生させて矢を一斉射出させる。

「させません」

 骨片が舞い、ありとあらゆる矢を弾いていく。

「これらはちと邪魔じゃ」

 走るオラセオの行く手を阻む魔法陣を爪でリリスは断ち切る。


 アレックスはオラセオを見て、剣をゆっくりと下ろす。

「“人の想いは、いつの時代も変わらない”」

 誰もアレックスが呟いた声がなにを意味しているのかは伝わらない。

「“だが、いつの時代も人間が変わってはいないことの証明なのかもしれない”」

 白騎士がオラセオから逃げ出そうと動くため、アレックスは自身の拳になにやら呟きながら力を込めて打ち込む。

「“()け、新たな時代の先鋭たち。新たな世代よ。そのまま未来へと、走り抜けろ”」

 オラセオの剣が白騎士の砕け散った鎧のその先――胸部に深々と突き立てられる。

「“娘を頼む、不死なる者よ。その命知らずの命であれば、娘が死ぬそのときまで生きていられる。看取らず死ぬことを許さない”」

 リリスは自身に向けてなにやら『勇者』が呟いており、その内容を知ることはできないが末恐ろしいことを言っていることを本能で理解し、身震いする。

「さようなら、『勇者』。この世界に一人としていない大英雄よ」

 これほどの強さを持った理想の『勇者』が素直に消えてくれるかとリリスは内心では怖れていたが、その気持ちとは裏腹にアレックスは自身の消滅を素直に受け入れ、光の粒となって消える。


 白い空間に亀裂が走り、ガラスのように砕け散る。世界は色を取り戻すが、未だこの決戦の地では戦いが続いているようだった。


「リグ!」

「なんじゃと?!」

 マルギットがリリスの横を駆け抜けた。リグは白騎士になった時点で死んでいる。そしてオラセオの剣に貫かれた白騎士はもう塵となって消えるだけの運命にある。しかし、確かに彼女は名を呼んだ。だからリリスは驚き、振り返る。


 白い鎧が崩れていく中で、白騎士の糧となったはずの男の姿が見える。オラセオの剣は剣先から中腹まで溶けてしまっているが、その男の胸部を貫いてはいない。

「……聞こえた、マルギット」

 男は――リグは呟く。

「俺も馬鹿だが、お前も馬鹿だ。お前に振られれば俺は他の女と新たな恋を見つけるだけのこと。羨ましくもあるが、パーティの雰囲気を悪くすることなんてしない」

「ごめん、ごめんなさい。ごめんなさい」

「謝らないでくれ。これは俺の嫉妬だ。俺がオラセオに向けた、確かな嫉妬だった」

 リグの視線はオラセオに向く。

「こいつはこういうことをする女だ。ちょっと難しい人間関係の悩みを後回しにして手遅れにする女だ。でも、大切な俺の幼馴染みだ。オラセオ……? どうかこいつの想いに応えてやってくれ」

「ああ」

「また、傷付けるようなことをしたら……承知しない、ぞ……?」

 そしてリグは息を引き取る。マルギットとオラセオが大粒の涙を流し、泣き叫ぶ。


「馬鹿者どもが!」

 その二人の頭にリリスが拳骨を落とす。

「白い空間ならいざ知らず、ここはワラワたちの知っている世界じゃ。糧となった人間が生きておったなど信じられん奇跡じゃが、死んだのであれば『教会の祝福』は働く。リグは再びお主たちの前に帰ってくる。そういう生死の戦いをするのが冒険者じゃろう?」

 さぁ立て、とリリスは続ける。

「泣くのは再び(まみ)えてからじゃ。お主たちには生きて帰る希望が出来た。だったら今しばらく、こき使わせてもらうぞ」


「こう言うのはなんですが」

 ユークレースは『悪酒』を解き、矢を浴びてボロボロになってはいても機械人形としては生きているキンセンカの様子を見ながら呟く。

「感情の揺れ幅が激しすぎます。少し落ち着かせてはどうでしょうか?」

「ならん! ワラワの『夢路』の力を使わせた以上はボロ雑巾になるまで戦わせる」

「……あの『不死人』に目を付けられた人は不幸にこそなりはしなさそうですが、きっと苦労と大変でしょうね」

 キンセンカが分かりやすくユークレースに肯いた。

「ふんっ。ワラワが執着するのは一人だけじゃ。事情を知らん者になどなにを言われても痛くもなんともないわ」

 自分自身を正しいと思っているリリスは二人の意見を聞こうともせずに高飛車に言い切った。



 白騎士が討たれ、決戦の地に流れる魔力の流れが大きく変化する。

「レジーナ様!」

「ええ、白騎士は討伐されたようです」

 エレスィに返事しながらレジーナは後ろへと緩やかに下がりつつ魔力の塊を黒騎士に放つ。腕でそれを払い飛ばし、黒騎士は足元の草木を枯れさせながら跳躍して斜め上空から飛び込んでくる。

 イェネオスが黄色い魔力で拳を固め、黒騎士の拳に対抗する。

「御下がりください」

 そう言ってエレスィは乱打を放つ黒騎士に押されているイェネオスに加勢し、どうにか押し返す。


 何度も何度も、これを繰り返している。黒騎士の足の軽さは異常で、それでいて握る拳はどれもこれも魔力を帯びていて普通には受け流すことも防ぐこともできない。そして大地は触れれば枯れていることから、単純に魔力で補強していない武器や拳では人体に大きな影響を及ぼすだろう。レジーナが放った魔力の塊ですら払い飛ばされてから黒くくすんで消え去るのだ。黒騎士は触れた相手の力を枯渇、枯死させる力を持っているに違いない。


「聞いていた限りでは、もう少し弱いと思っていたのですが」

「恐らく黒騎士の糧になっていた人物が力を上手く発揮し切れていなかったのではないでしょうか」

 そう言ってからエレスィは自身のデリカシーの無さに気付いてイェネオスを見る。

「すまない」

「謝ることじゃありません。今、目の前にいるのは私が一度も勝てず、そしてずっとずっと信じ仰ぎ続けてきた父上なのです」

 拳を強くイェネオスは握り締める。

「ですから、必ずここで私たちが止めなければなりません。父上を、必ずや輪廻へと送り返す。それがテラー家を継ぐ最後の仕事」

 黒騎士の一瞬の侵略からの拳を同じくイェネオスが拳で応じる。

「父上の遺体を母上と共に埋葬しましたが、まさか掘り返されるとは思いもしませんでした。だからこそ、だからこそ」

 黄色い魔力が爆ぜるようにして黒騎士を拳ごと殴り飛ばす。

「父上を再び母上の傍に埋葬する! 必ず! 必ず!」

 情念に心を乱してはいてもイェネオスは自らの行いを正しいと信じて拳を振るっている。

 戦いたくない。それこそが彼女の本音だろうとレジーナとエレスィは推測する。しかし、それでも戦っている彼女のために二の足を踏むことはできない。

 せめて苦しみが長引かないように。これ以上、戦い続けることで彼女の心が完全に壊れてしまわないように。

「いや、この焦りが俺たちの隙になっているのか」

 そうエレスィが呟いたことでレジーナもまた自らが焦っていることに気付く。

「焦燥感。こんな物を抱いたままではテラー家を支えたキトリノス様に届くはずもありません」

 レジーナは地面に触れる。足元から萌芽が起こり、草が生い茂って鈴のような花が咲く。それに触れて、光が何度か明滅を繰り返す。

「黒騎士の力が枯渇、枯死であるのなら私はそれを阻んで萌芽を促すだけ。大地を気にせず戦ってください」

 光はイェネオスとエレスィを照らし、黒い空間の中で彼女たちの道標(みちしるべ)となる。

「行きましょう」

 イェネオスの合図と共にエレスィも駆け出して黒騎士に攻撃を開始する。イェネオスは右から、エレスィは左から拳と剣戟を繰り返し行って、二人のどちらかに気を取られ続ければ鎧ごとその身を打ち砕かれ、切り裂かれる状況を生み出す。力と力の押し合いはしなくていい。ただひたすらに押し続ける。駆け引きなど考えず、下がらず前のめりに攻撃を続ける。

 掛け声と共にイェネオスが蹴撃によって黒騎士は打ち飛ぶ。エレスィは追撃のために青い魔力を剣に纏わせ、起き上がった黒騎士に一閃を放つ。

「届かない、か!」

 空間すら断ち切ったという手応えはあったが黒騎士の鎧もその肉体も切れていない。それどころかエレスィに切られたとすら思っていないのか凄まじい勢いで反撃とばかりに迫ってくる。

 密着されて剣を振れない。だが黒騎士は自由自在に動けるばかりか拳がひたすらに止まらない。剣戟こそ触れないが剣で受け止めることはできる。この防戦一方はエレスィの本意ではない。守りに入れば攻撃に移れない。押し続けることで黒騎士を圧倒しなければならないのだが、盛り返されてしまうとこちらは不利になる。


 それはイェネオスも分かっている。だからこそ右腕を振り抜き集約した拳状の黄色い魔力をエレスィの半歩引いた刹那に黒騎士へと直撃されて打ち飛ばす。

 その拳状の魔力を黒騎士はその身で浴びながらも両手で握り込み、枯渇の力によって黒い塵に変える。着地と共に黒い魔力が黒騎士の右腕に集まり、同じように拳状の魔力を振り抜いてくる。

「受け止めてはなりません!」

 レジーナの警告を受けてエレスィとイェネオスが飛び退く。拳状の魔力は黒い空間を駆け抜けていき、遠方で爆ぜる。それを見届ける暇もなく黒騎士はイェネオスに接近し、彼女の首を掴む。

「イェネオス!」

 駆け寄るエレスィは見もしないで振られた裏拳で殴られ、意識が吹き飛びかけたことで全身の筋肉への伝達が一時的に断絶されたことでその場につまずくようにうつ伏せに倒れる。

「く……そ」

 起き上がろうとするが全身に痺れが走っている。エルフ特有の魔力の流れを乱されたか、先ほどの拳が未だ脳に影響を与えているのか。どちらにしても意地で起き上がるにはまだ時間が掛かる。

「キトリノス様……! 実の娘を、その手で、殺すのですか……!?」


 これはエレスィの推測に過ぎないが、黒騎士はこの言葉をきっと待っていた。ずっと誰かがこの言葉を口にすることを待っていた。言わせようとしていた。そんな気配はずっとあった。だからこそイェネオスを気遣うレジーナもそう問い掛けることはしなかった。

 そうまでして言わせたいのであれば言ってやる。エレスィは自ら相手の求めることを口にした。


 黒騎士はなにも答えず、未だイェネオスを絞め上げ続けている。


「どうすれば……どうすれば、どうすれば」

 レジーナにとって戦闘の最前線はこれが初めてである。加えて今回ばかりは身内に関わった人物との戦い。感情を乱され、窮地に追いやられているイェネオスをどのように救い出せばいいのか思考が巡らない。冷静であるように振る舞ってはいたが、どうやらイェネオスやエレスィのように正しくエルフの怒りに己自身も惑わされていたのだと自覚する。

「鈴の……()?」

 シャンッと確かに鈴の音色が聞こえた。いや、ずっと聞こえていた。今まで聞こえていない気がしていただけで、この黒い空間にも確かにこの音色は届いていたのだ。

「だったら……」

 鈴の花にレジーナは触れる。外から聞こえる鈴の音を反響させるように鈴の花が次から次へと音色を響かせる。響かせては枯れ、響かせては枯れを繰り返すも、レジーナの萌芽の魔力はそれを上回る速度で鈴の花を咲かせ続ける。


 不意にエレスィの意地でもなかなか動かなかった体が浮き上がるように軽くなった。自分でも信じられないほどの勢いで黒騎士へと体当たりをして、これまでこんな物理的な攻撃にまるで怯むことのなかった黒騎士がバランスを崩す。そのとき、合わせてイェネオスも首を絞められながらも片手に魔力を携え、自身の首を掴んでいる腕に拳を打ち込む。黄色く爆ぜて、黒騎士が倒れながら彼女を解放し、エレスィが駆け寄って容態を確かめる。絞められた跡こそ痛々しいがイェネオス本人には意識があり、そしてまだ戦えると言わんばかりにすぐ立ち上がってみせる。


「外で行われている『御霊送り』が私たちに力をお与えくださっています。この世でこのような讃美歌を越える一時的な強化を行えるのはただ一人、ユズリハ様しかいらっしゃいません」

 そしてユズリハは禁忌を犯してはいてもその種族はエルフである。

「あの方の力は私たちが最も借り受けることができます」

 鈴の音をひたすらに反響させることで黒い空間には届き辛いユズリハの『御霊送り』が起こす魂を奮い立たせるほどの生命力を伝える。レジーナはそれに、それだけに集中する。

「鈴の音は私たちにとって最も縁深き音色。あなたたちは私と違って、鈴の音を受け継ぐ者であることをお忘れなきように」

 言われ、イェネオスとエレスィは自分の腰に提げている鈴を見る。

 テラー家、ジュグリーズ家の鈴。ナーツェ家とロゼ家の鈴はもう無い。

「次代に続くエルフを導くのは私ではなく、あなた方なのです」


 直後にイェネオスの黄色い魔力が黄金色(こがねいろ)に燃え上がり、起き上がった黒騎士を殴り飛ばす。その威力は先ほどに放たれた拳状の魔力よりも強く、黒騎士の鎧が砕け散る。


「強く……強く、自分がジュグリーズの血を引くんだと、認識する」

 エリュトロン家として育てられたエレスィにとって自らが引いている血はどうにも重たい。逃れられない宿命であったとしても逃れたいと思うほどに面倒で厄介な代物だ。それでも『青衣』を自在に扱えるようになったのは、誰のためか。幼い頃より周りに隠れながらも『衣』の修練をし続けてきたのはなんのためか。

「俺の全ては、イェネオスを支えるために」

 森の外で育てられた彼女は森の内側で育ったエレスィよりもずっと自由に見えた。感情表現は豊かであったし、敬語を用いはするが父親譲りの強気の性格の持ち主だった。だからこそ、森に彼女が訪れるたびに心が躍った。

 彼女のためになにかしてやれないかと。

 彼女を助けることはできないかと。

「重いんじゃない。俺にとってこの『衣』は、喜びだ」

 無力ではない。以前として彼女よりも不甲斐なく頼りないものの、並び立つ資格はあるのだ。

 彼女を助けることができる。

 支えることができる。


 共に歩むことができる。


「これを重いなんて、思うわけがない」

 満たされる。()から晴れやかな()色の魔力を纏い、エレスィは走る。

「俺はまだまだ君には届かない。でも、俺は必ず相応しい男になるから」

「……なにを言っているんですか? 血だとか資格だとか、そんなこと私が気にしているとでも思っているんですか?」

 互いの『焦熱状態』に入った『衣』が絡まる。

「私はエレスィだから一緒に頑張っているんです。もしこれでエレスィ以外の人だったなら、ここまで来られてはいません」

 抱え込んでいた闇が、霧が、晴れて澄み渡る。

「行こうか、イェネオス」

 眼鏡を外し、視覚情報に頼らずに魔力の流れにエレスィは集中する。

「あなたに合わせます」

 拳に黄金色の魔力を有し、イェネオスは彼を追い掛ける。


 黒騎士が両腕に黒い魔力を溜め込み、腕を振り抜くと共に放ってくるがレジーナが生い茂らせた草木が阻む。

「無論、私もお二人に喰らい付きます。エルフの巫女としての使命を全うするために」

 鈴の音は二人のすぐ傍で強く響く。


「『黄』は悪しきを打倒する制圧の色! 悲しみを背負いながら奮い立ち、己が拳に全てを懸ける黄金の力!」

「『青』は強者に刃を向ける挑戦の色! どのような障害も自らの手で切り開くと誓いを立てた、迷いを断ち切る紺碧の色!」

 黄金の『衣』から放たれる拳の魔力を剣に纏わせ、水色の『衣』が激しく燃え上がって黒い世界を吹き飛ばす。


 瞬閃の横一文字の一振りが奔り、エレスィが剣を鞘に納める。その身に変化がないために動こうとした黒騎士だったが、上半身がズルリと下半身から分かたれて地面に落ちる。

「「合衣(ごうえ)神結(かみむす)びし力の()()り」」

 切られたことにすら気付かない閃きの刃によって黒騎士は黒い液体を放出しながら絶命し、黒い空間に亀裂が走って砕け散り、三人は元の世界に戻る。


 レジーナが反響させずとも鈴の音は強く決戦の地に響いているのが分かる。


「大丈夫ですか、エレスィ?」

 『焦熱状態』からゆっくりと燃焼を緩めていくイェネオスに対し、エレスィの『焦熱状態』はすぐに弾けて消えた。

「ロジックを燃やすことに、一瞬でも恐怖したのは今日が初めてだ」

 息は荒いが、どうやら生きてはいるらしい。問題はどれだけのロジックを燃やしたかであるため、イェネオスは僅かばかりの不安に包まれる。

「問題ない。ちゃんと燃やすテキストは選んだ。ちゃんと覚えているさ、なにもかも。勿論、君のことも」

 イェネオスが胸を撫で下ろす。

「ようやく晴れましたか?」

 レジーナが二人に歩み寄り、訊ねる。

「はい。ずっと抱えていたものが、軽くなりました」

「では、私たちはキトリノス様のご遺体と共に一度下がりましょう。急な『焦熱状態』に入ったのであれば、休むべきです。どんなに重要な決戦であっても」

「分かりました。でも、これで離脱なんて俺は考えていませんよ?」

「私もです。父上の遺体を運び終えたのち、また戻りたく思います」

 なにか否定的な言葉を言おうとしたレジーナだったが二人の目には強い輝きがあり、それこそ目力だけで圧倒されて「やれやれ」と零す。

「そのやる気を止めることは私にはできませんね。とにかく、一旦は下がりましょう」

 二人を尊重し、レジーナはそう言ってから王都と王城を見やる。

「あとは異界から引っ張り出すだけですよ、アレウスさん」

 恐らく王都周辺に現れた難敵はそれぞれが全て退けた。あとは内部に入り込んだアレウスたちに掛かっている。不安もあるが、それ以上の期待を抱きながらレジーナは二人と共にキトリノスの遺体を同胞たちと協力して運び、最前線から下がった。

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