二つ、極致
空と太陽が赤い月によって翳り出した今まさにそのとき、マーガレットが見つめていた決闘に決着がつかんとしていた。
こんな不毛な戦いはいつ以来だろうか。いや、初めてかもしれない。
虚無を感じながらリスティの握る剣の切っ先はグランツの首元に当てられている。
「私の勝ちです、お父様」
「勝ち……勝ちだと? ふざけるな愚女めが。私はまだ負けてはいない」
一瞬の閃き、僅かな足運びと反撃の兆し。それらをリスティは直感的に読み解いて身を捻り、半身を引き、更には華麗な足運びまで加えて避ける。そして尚も剣の切っ先はグランツの喉元を捉えたまま離れることはない。
「お父様、あなたは偉大なるクリスタリア家の当主でした。あなたが見せる剣の閃きは私に騎士を目指すきっかけをお与えくださり、あなたの剣技の数々は今の私の基礎となっています」
「感謝などするな!」
グランツは喉元に切っ先を当てられたまま必死にリスティの剣から逃れようと様々な反撃の手段に講じるが、どれも事前に見てきたかのようにリスティは捌き、やはり白銀の騎士の喉元から切っ先は離れない。
「クリスタリア家に産まれたことを後悔したことは一度もありません。そして、これからも後悔することはないでしょう」
「家柄を没落させた貴様が! 家柄を語るな!」
「けれど私はリスティーナ・クリスタリア!! お母様がお与えになられたこの命と、あなたがお与えになられたこの名ばかりは! どれほどあなたに否定されようとも! 世界に認められずとも! 捨てることはありません!」
「この化け物め!」
「どれほど罵られようとも、あなたは私にとって良き父であり、同時に良き師父でした。だから、こう言い返しましょう。あなたが私という化け物を作り上げたのだと。あなたを越える娘の基礎を作り上げたのだと」
「……死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね! 死ね、リスティーナ! 負い目を感じているのなら私の目の前で喉を掻き切って死ね! 死ね、死ね死ね死ね!! 死ぬのだ、我が娘よ!!」
狂人の叫ぶグランツの表情は先ほどまでの凛然とした落ち着きはなく、ただただ娘を呪うだけの獣へと成り果てている。
「さようなら」
別れの言葉を告げてリスティは剣を前方へと突き出す。その刺突がグランツの喉元を貫かんとする一秒にも満たない間をマーガレットが盗み取ったように動き、グランツの体を動かすと同時に彼女の剣は空を貫くだけに留まった。
「見届け人であるマーガレット・ピークガルドが宣言する。この決闘の勝者をリスティーナ・クリスタリアとする」
「ふざ……ふざけるな! 騎士同士の一騎討ちを! 決闘を穢すな!!」
「やめにしよう。こんな不毛な争いは」
グランツが握る剣をマーガレットは男の手を強く握ることで手放させ、無力化させてから力強く地面に投げるようにして叩き付けた。
「血の繋がり合った者同士が血を流し合うなどという不毛なことは見届ける私にとっても苦痛でしかない」
リスティは強張っていた表情を解き、同時にありとあらゆる切迫感や焦燥感、責任感から解放されて足をガクガクと震えさせて立っていられなくなりその場にへたり込む。
「わた、私は……私は……っ!」
「分かっている、リスティーナ。私だって兄上と殺し合えと言われれば殺すことはきっと出来ない。しかし貴女は戦い抜いた。戦い抜いただけではなく、殺せないからと決闘を投げ出さずに殺せずとも殺す直前まで精神を擦り減らして辿り着いたのだ。だからこそこの貴女が勝者で、貴女の父親は敗者と私は判定した」
もう家柄について流すことはないと思っていた涙が溢れ出て、リスティは大人になった自分自身がこれほどまでに弱かったのかと驚くほどに泣きじゃくる。
「グランツ・クリスタリア殿。あなたが狂人に未だ落ち切っていないことを望む。もはや貴公は誉れ高き白銀の騎士でもなく、気高き貴族でもない。ただの父親として娘の成長を受け入れることはできないと申しますか?」
「どうして私が!」
「彼女は帝国に渡ったのち名前を変えることもできたのです。家名を捨てることさえできた。それでも与えられた名と家名を使い続けた。見知らぬ地で彼女が唯一縋ることのできたものが家名であったと、自身に与えられた名であったとどうして分からないのですか?」
「その家名に縋り続けた結果! 私の家は没落し! 一族は死で償うことしかできなかった!!」
「……どうやら、亀裂ではなく深い溝、いいえ谷であったようで」
マーガレットはグランツの腕を縄で縛り、布を轡とする。それから強めに頭部に衝撃を与えて脳を揺らし、抵抗できなくしてから馬に荷物のようにして乗せる。
「グランツ・クリスタリアを捕虜として連行する」
「殺さない……の、ですか?」
「言ったはずだ。血の繋がっている者同士の殺し合いなど不毛だと。こんなことで永劫のトラウマを植え付けられる必要はない」
「でも」
「戦いでは全てのことを刹那で判断しなければならないが、人生までそうすることはない。時には時間を掛けてしまって構わない。時間だけが、隔てられた谷を、溝を埋めるための唯一の資材となることもある。それとも父親と和解することは主義に反するか?」
「…………いいえ、私はこれからの人生の全てでもって必ず、必ずお父様と和解してみせます」
「それでいい。ならば私はグランツ・クリスタリアを後方部隊に捕虜として預けたのち、再び戦線に立とう。リスティーナはどうする?」
「帝国のアライアンスに合流して担当者たちと冒険者のサポートに移ります」
剣を鞘に納め、リスティは震える足を何度も拳で叩いて立ち上がる。
「お父様との決闘は私がやりたかったことじゃありません。だから、これから全力で私のやるべきことに向かいます」
「分かった。グランツ・クリスタリアについては丁重に扱うように指示を出す。君の父親は家柄が没落したとはいえ白銀の騎士と呼ばれた男だ。暴力を振るえるような輩は新王国軍にはいまい」
「お願いします」
深々と頭を下げ、リスティはアライアンスを組んだ冒険者たちを後方支援しているであろう担当者の陣営へと走り出そうとして思い切り転ぶ。
「馬を貸そうか?」
「いいえ、自分の足で走れます」
からかい気味に言ったマーガレットに負けず嫌いの一面を見せ、リスティは頼りない足取りで進む。
「あのとき、エルヴァージュのみならず貴女が死ななくて本当に良かった」
彼女の遠くなっていく背中にマーガレットはそう呟き、やがて馬に乗ってグランツを運ぶために一時撤退する。
一つの決闘が終結へと向かった中で、もう一方――クルタニカとカーネリアン、エキナシアたちとクォーツの決闘はリスティとグランツの決闘など比にならないほどに強烈で熾烈、苛烈で激烈な形で続いていた。
カーネリアンが炎を宿す薙刀を空高くから切り込めば、炎を宿した飛刃が縦にのびやかに伸びて大地を裂くほどの火炎に変わり、それをクォーツは正面から大太刀で受け止め、右に薙ぎ払うようにして断ち切る。火炎に燃える体など気にも留めずに腐った少女の口元が不敵な笑みを浮かべる。
「“飲めや歌えや”」
「飛べ、クルタニカ!」
地上からカーネリアンをサポートしていたクルタニカはその一声で黒氷の翼を羽ばたかせて飛翔する。
「“『泥濘』に『鈍』りきった大『地』の愚かさよ”」
ただのガラクタにしか見えないクォーツの機械人形――ラベンダーがボロボロと崩れて、その部品がクォーツの大太刀へと装着されていく。刀身に変化はなく、ただし彼女の『悪酒』によってクルタニカが立っていたところから大きな大きな円を描くように大地は抉られ、泥沼が穴に満ちる。
「なんでクォーツの『悪酒』を屍霊術で操っているだけなのに使えるんでして?」
「恐らくだがクォーツは『悪魔』に既に三度応じている。いや、応じていなくとも死んだクォーツにラベンダーが『悪魔』として宿ったはずだ」
「それが祓われずに残っている?」
「祓われはしたが死体に魔力の残滓が屍霊術に反応してしまっているんだろう」
カーネリアンは唇を噛み締める。
「死者を弔うどころか、このように弄ぶなどガルダは決して許しはしない!」
「『泥濘鈍地』」
決意表明をした彼女にクォーツが冷たく呟く。瞬間、カーネリアンと空で合流したクルタニカを飲み込まんとする大穴が上空に生じる。カーネリアンと手を繋いでいたエキナシアが俊敏に反応し、中空でありながら主人を地上に投げ、続いてクルタニカに抱き付くようにして身を回転させ、同じ方向へと投げ飛ばす。
空間に空けられた大穴は傾いて存在しないはずの濁流の滝を生じさせ、エキナシアを押し地面に激突させる。
「“暴風よ、」
クルタニカが手元に集約した風の魔力を球体に変えて投げる。
「弾けなさい”!」
球体から放出される暴風を全身に浴び、その身が切り裂かれながらクォーツは大きく大きく吹き飛んだ。ガラクタ同然のラベンダーが人間の動きを凌駕した速さで飛んでいくクォーツを追い掛け、その身で受け止める。互いに地面を転がり、大きな部位の損傷が起きる。しかし彼女たちは平然と立ち上がり、傷付いた体はそのままにしながら損傷した部位はラベンダーが掻き集めて繋ぎ合わせることで再生する。
「わたくしの最上位の魔法でしてよ?!」
「『泥濘鈍地』」
足元ではなく頭上に大穴が空き、エキナシアを押し流した濁流の滝が降ってくる。羽ばたきながらクルタニカは濁流を凍結させ、カーネリアンがその氷塊を薙刀で砕く。
「“冷氷の礫撃”」
彼女が砕いた氷を再利用して本来必要とする魔力を踏み倒し、クルタニカは大量の氷のつぶてをクォーツに射出する。対してクォーツは大太刀を構え、前方を薙ぎ払うだけで全ての氷のつぶてを一掃してしまう。
「あれも秘剣でして?」
「技の名を口にせずに口にしたも同然の威力だな」
クルタニカとカーネリアンが氷のつぶてを薙いだことで生じた彼女の飛刃を左右に分かれて避ける。
「私ですら至れないその高みに至ったのは、ドラゴニア・ワナギルカンの器として使われていたがゆえか」
器であった事実だけでクォーツは死んでいながらも生きていた頃の剣技を超越した。それを示すかのように避けたカーネリアンにクォーツは密着するように立ち回る。薙刀と大太刀、互いの得意不得意とする間合いを行き来しながら飛刃と斬撃の繰り出し合いとなっても両者互いに譲ることはないが、クォーツが若干押している。
カーネリアンとクォーツとの間には彼我の差があった。決して届くことのない鍛錬の差が。それも彼女の成長と共に埋めてくるのだろうとカーネリアンは思っていたが、こんな形で力の差が拮抗するとは考えてもいなかった。
「『天炎乱華』!」
既に『悪酒』は使っている。炎の柱も自在に噴き出させ、クォーツの逃げ場所を奪うように立ち回っている。秘剣を声に出さずとも用いてもいる。『芒月』による一時的な肉体強化も行っている。
だが、それでもクォーツはカーネリアンに喰らい付いてくる。恐れのない瞳、死んだ人間のする冷たくどこまでも暗い瞳にはただただカーネリアンだけが映る。
飲まれそうなほどの闇。陥るほどの暗黒。彼女は最も恐れていた死を克服しているだけでなく、傷付く痛みすらも感じないままに大太刀を振るってくる。ある意味での無我の境地。ある意味での戦う者の極致へと至ってしまった。
死んでその先を得る。そこにはガルダの誇りも、刀を握り同胞のために戦う決意も無い。これほどまでに彼女の死んだその先までも踏みにじられていいものか。
しかし、カーネリアンの想いとは裏腹にクォーツの優勢を崩すことができない。クルタニカが炎の合間に風を起こし、濁流を凍らせ、時にはクォーツを氷塊で包み込もうと試みるがどれもこれもが思い通りの形として実現しない。
「『泥濘鈍地』」
掠れた声で呟いた。
「え……?」
空間に空いた大穴がクルタニカを落とす。
「飛ぶんだ!」
黒氷の翼を羽ばたかせる彼女が大穴からの脱出を行おうとするが、クォーツはカーネリアンとの戦いを中断して迷わず大穴に飛び込み、大太刀で彼女の翼を貫き、砕く。
絶叫にも似た笑い声が大穴に響き、氷の翼を喪ったクルタニカが彼女と共に落ちていく。
「駄目!」
律していた自我を発現させてカーネリアンは彼女たちを追うように大穴に飛び込む。
「駄目駄目駄目駄目! 絶対に、絶対の絶対に、駄目!!」
このままならばクォーツはクルタニカと共に大穴に落ちていなくなる。『泥濘鈍地』の力が失われれば大穴も閉ざされる。放っておけばカーネリアンは勝つ。
ただし、クルタニカを代償として支払って――
「そんなのは!」
想定にも、思考における選択しにもない。カーネリアンにとってクルタニカのいない未来など存在しない。だから大穴に飛び込み、どこまでもどこまでも続く深淵で翼を羽ばたかせて落ちていく二人を追い掛ける。
これが狙いだったのだろうか。
クルタニカを落とせばカーネリアンは必ず追い掛けてくる。逆もまた然りだが、クォーツは戦闘においてクルタニカを狙った方が相討ち以上の結果をもたらせると判断したのではないか。このままクォーツが大穴を閉ざせば、三人纏めて世界から消える。永遠に続くこの闇に囚われ、死ぬまで脱出することはできない。唯一死んでいるクォーツのみ、すぐにこの暗澹から逃れる。ここは異界ではなく世界にできた大穴に過ぎないため、魂は輪廻に還ることができるのだから。
即ち、『異端審問会』の思い通りの結末となる。
「まだ、間に合うんでしてよ! カーネリアン、大穴から戻ってください!」
「でも私は、私は……私は! あなたのいない世界では、生きていけない……!」
これほどまでに強く親愛し、これほどまでに固い友情をカーネリアンは捨て去れない。
「わたくしはクルタニカ・カルメンでしてよ!? こんな大穴から出るくらい、あなたの力を借りずともお茶の子さいさいでしてよ!」
それは強がりだ。
彼女の悪癖だ。
カーネリアンは首を必死に横に振る。
「脱出するんでしてよ、カーネリアン。あなたの力はアレウスにとって必要になる」
「そうじゃないそうじゃない! そうじゃないの! クルタニカ! あなたが! 私にとっての力なの! あなたと一緒にいないと! あなたが生きていてくれないと! 私は力を発揮することなんてできない」
「いいえ、出来ましてよ。だから」
クォーツと共に落ちていくクルタニカから放たれる風の塊がカーネリアンにぶつかり、吹き荒れて大穴の入り口まで彼女の体を押し戻していく。
「いや、イヤ! 嫌だ! クルタニカ! クルタニカ! お願いだからこんなこと!」
必死に翼を羽ばたかせて抗おうとするが、彼女の風魔法がこの程度の羽ばたきで打ち破れるわけがない。
「世界を、頼みましてよ」
『救いたい?』
「救いたい」
『力が欲しい?』
「欲しい!」
カーネリアンは分かっている。これはエキナシアからの悪魔の囁きであることぐらい。一度は既に応じ、もう一度しか猶予はなく、三度応じれば『悪魔』に魂を喰われて肉体を奪われる。
分かっていても、断続的に響いたエキナシアからの囁きにカーネリアンは答えてしまった。
エキナシアが大穴から直下に――連合が握る銃から射出される弾丸の如き速度で落下してその手でカーネリアンを掴み、クルタニカの風魔法など物ともせずに凄まじい速度で落下していく。
『やっと答えてくれた。やっと聞いてくれた。やっと声が届いた』
「エキナ、シア?」
『ふふっ、こっちの世界では凄い男勝りな口調の女の子なんだね。驚いちゃった……いや、そんなことは言わなくてもいいことか。都合良く消えている記憶に水を差すようなことをしたら異なる世界の理に反してしまうかもしれないから』
違う。
今、カーネリアンが頭の中で会話を交わしている相手はエキナシアであってエキナシアではない。
『言ったよね? 『あなたと私の契約は魂に刻み込まれることだ』って。『あなたが散ったあとも私はあなたの魂を追い掛け続ける』って』
「そんなこと」
『産まれ直して忘れちゃった? でも、魂には刻み込まれている。でも困っちゃった。あなたと私のいた世界では三度応じることで契約になるのに、この世界では三度応じることが『悪魔』に魂を取られちゃうことなんだから』
エキナシアの体が燃える。
『安心して。この子は『悪魔』だったけれど私はずっと一緒にいて、一度もあなたに対しての悪意を感じることはなかった。だからね、あなたと私との契約を破棄することで、あなたに貰っていた物を返すね』
炎はカーネリアンの片腕に燃え移る。
『この体をエキナシアに返す。あなたにあなたの力の半分を返す。産まれ直した魂を追い掛けてやっと話すことができたけれど、所詮、私は異なる世界にしか存在できないから。だから……お別れだね』
炎は決してカーネリアンを焦がさず、焼き尽くさず、ただ暖かに包み込む。
『ありがとう、〇〇 〇〇。異なる世界であなたが私に応じてくれたことで、私はあなたと一緒に戦うことができた。あんなに嬉しかったことはないし、楽しい日々もなかった。苦しい日々、辛い日々も沢山あったけれど、あなたと契約したこと一度も後悔なんかしたことない。最後に、名前を呼んでほしいと思ったことぐらいかな』
炎が全てカーネリアンへと移り、それらは全て魔力として吸収を終える。
『さようなら』
「ありがとう」
灼熱の炎が大穴を照らし出してクォーツと共に沈むクルタニカを捉える。
「アンゼリカ」
エキナシアに垣間見えた別次元の存在はそう呼ばれたことに感じ入って、ポロポロと涙を流す。しかしそれ以上になにかを求めることはせず、存在は陽炎のように掻き消える。
なにも言わず、元の雰囲気に戻ったエキナシアは落下しながらカーネリアンを真下へと投げ飛ばす。
「『天』の『炎』に!!」
放つ炎が二人の横を抜け、その真下で爆発することで彼女たちを押し上げる。
「『天』の『氷』に!!」
続いてエキナシアから剥離したパーツが薙刀を刀へと変え、一振りで彼女たちの背後に冷気を送り込むと同時に大量の氷塊を生み出す。
「「『乱』れる『華』よ」」
頭上のエキナシアとカーネリアンの声が重なる。手に握っていた刀が二つに分かたれて、それぞれが『氷』と『炎』を宿し、互いに放つ冷気と熱気が作用して水蒸気爆発が起き、大穴という局所的な空間で凄まじい勢いの上昇気流が発生する。三人――エキナシアを加えて四人纏めて一気に吹き上がり、一気に大穴から拒まれたかのように飛び出す。
「カーネリ、アン?」
「二度と私の前からいなくならないで」
クルタニカが改めて黒氷の翼を生み出し滞空する中でカーネリアンは込み上げている感情を伝える。
「好きなのよ! 私は、あなたのことが!」
「わたくしも好きでしてよ」
「違う違うの! 私は人としてあなたが好きとかじゃなくて、性の対象としてあなたのことが好きなの!」
「………そう」
「分かってるよ、あなたがアレウリスのことを好きなことぐらい。でも私だって、」
「わたくし、人としてあなたのことが好きなどという含みを先ほどの言葉には入れていませんでしてよ?」
「え?」
「あなたもアレウスもどっちも、わたくしはどっちもどっちも大好きでしてよ」
拍子抜けする。これまで包み隠してきたものを吐き出したというのに、スルっと受け入れてしまったクルタニカの度量に。
だが、それでこそカーネリアンが好いた女でもある。
「あなたとの蜜月の時を過ごすために、もう少しだけ頑張るんでしてよ」
「……ああ!」
カーネリアンの片翼は黒氷に、もう一方の翼は灼熱に包まれた白い翼に。滞空している間にクォーツは着地を済ませ、ラベンダーと共に秘剣を撃つ構えを取っている。
「二派、氷炎之太刀」
右手に炎の刀を、左手に氷の刀を。心臓は半分が熱を持ち、もう半分が凍て付いている。呼吸は冷気と熱気を規則正しく。体は常に冷たさと熱を行き来している。
しかし、カーネリアンはその状態を全く辛くは思わない。『冷獄の氷』によって全身が凍えるような寒さに包まれていたときよりもむしろ心地良いとすら思えるほどだ。それはきっとこの世界に付いて来ていた存在から、本来持っているべきだった力を返却されたからに違いない。きっとそれはカーネリアンが持つべき炎であって、これまでが出力不足であったから『冷獄の氷』を制御することができなかった。
即ち、今が十全なのである。
「月に盃、月見で一杯。ゆえに“こいこい”」
クォーツの呟きが聞こえる。続いて大太刀を投擲する段階に移っている。
「クルタニカ」
「はい」
クルタニカは『継承者』が持つ力の全てを彼女の一方の刀に乗せる。エキナシアの素体は地上に降り立ち、自身が持ち合わせていた炎の力を増幅させてもう一方の刀が更に炎を噴き出す。それを見てクォーツが秘剣を放つまでの時間を稼ぐためにラベンダーが跳躍して向かってくる。
「“松に鶴”」
縦にのびやかに伸びる炎の飛刃がラベンダーを焼く。それでも空中を蹴って機械人形は迫る。
「“桜に幕”」
カーネリアンとクルタニカの二人を守るように桜の花弁が舞い散り、殴打しにきた機械人形を弾く。
「“芒に月”」
両手の刀で二つの円を描き、二人がその輪を潜る。
「“柳に風”」
横にのびやかに伸びる“柳燕”ではなく、秘剣で自己強化されたカーネリアンがラベンダーの周囲を縦横無尽に飛び回って、その軌道の中で擦れ違いざまに切り抜いていく。
「“桐に鳳凰”」
放たれし気力を込めた飛刃が鳥となってラベンダーを飲み込み、爆発する。そしてその爆風は全て凍結し、空に華を咲かせる。
「光で一杯。ゆえに“こいこい”」
未だクォーツは秘剣を放つことができていない。強さの極致には達してはいても彼女の秘剣はその準備段階でカーネリアンを上回ることができていないのだ。
「“菊盃”!!」
それでもクォーツの秘剣が先に極限に到達し、泥塗れの大太刀が真っ直ぐに二人の元へと飛来する。
だが、間に合う。焼き切れそうで凍り付きそうな脳と筋肉の限界点を容易く飛び越えて、両手の氷炎の刀を持ち上げる。
「「「合剣、“五光の誉れ”!!」」」
エキナシアも加えた三人の声が重なり合い、前方に全ての力を乗せてカーネリアンは刀を振り抜いた。
泥の菊が咲き誇り切る前に氷が、炎がそれらを焼き払い、塵へと変えて――それでも尚、氷炎は駆け抜け強烈なまでの光を放ちながら鳥の形へと変わり、クォーツを嘴を開けて喰らう。
「お休み、クォーツ。せめてあなたに、この光のように眩しい景色の中で永遠の安らぎが訪れますように。そしていつか、あなたがまたこの世界に産み落とされることを切に願う」
光が全てを飲み込み、なにもかもが消し飛ぶ。
その輝きは闇夜に包まれつつあった空の翳りを払い飛ばし、赤い月の輝きが霞むほどだった。




