それは悪魔ではない
リゾラとアンソニーがルーエローズに神の鉄槌を下すより以前、同じく異界に飛び込みアレウスたちを先へと行かせたアイシャ、クラリエ、ガラハ、ニィナもまた一つの終焉へと向かおうとしていた。
「勝てない……っ!」
クラリエは『白衣』でガラハに振るわれたミノタウロスの持つ三日月斧を防ぐ。
「ガラハ! 早く起きて! アイシャ!」
「“大いなる癒やしを”!」
既にガラハは息絶える間際にあったがアイシャの回復魔法が彼の意識を取り戻させる。蘇生魔法を使うか否かの判断はアイシャに委ねられていたが、回復を選んだことは失敗ではなかったらしい。
「オレの斧を返せ……」
血を吐きながらガラハは起き上がり、力任せに振るわれるミノタウロスの三日月斧を取り戻すべく奮起する。だがそれを嘲笑うように牛頭の魔物はクラリエの『白衣』が起こした白い魔力の防壁を打ち砕かんとただひたすらに攻撃を続けてくる。
「マズいマズいマズいマズい!」
ニィナは焦りの色を浮かべながら矢をつがえ、ミノタウロスの喉元を狙って矢を放つ。
さながらそれを見ていたかのように、大悪魔たるオロバスが手で矢を掴んで圧し折る。
「こいつ、気配を消している私に気付いていたって言うの?!」
オロバスはニィナを見つめ、手に人間の幾本もの腕で作り上げた鎗を生み出し予備動作も無しに投擲する。彼女の判断か、それとも本能化。自然と半身を引いたことで鎗は彼女の肉体を掠めるに留まるが、その掠めた先に待っていた真空の刃が二度目の衝撃としてニィナを切り裂く。
「ハーフアーマーが無かったら胸の辺りで真っ二つだったところね……」
「“癒やしを”」
ニィナがうずくまるようにして倒れかけていたためアイシャが再び回復魔法を唱える。
「持久戦は圧倒的に不利。だからって短期決戦をしようものなら」
「向こうもオレたちと同様に全力を出してくる」
クラリエがミノタウロスの三日月斧を避け、ガラハを『白衣』で抱え上げて後退する。それを見て牛頭の魔物は深追いはせずにあくまでオロバスの傍を離れず、迎撃することを重視している。
「落ち着け……落ち着け、落ち着け」
アイシャは絶望に陥りそうになっている弱いメンタルを言葉で励まし、血の気が引いて立ち眩みを起こした自分自身の崩れかけたバランスを整える。
「あたしたちの攻撃は大悪魔がほとんど防いじゃう。だからってこっちが防御に回ろうものならミノタウロスがなにもかも破壊する威力で三日月斧を振り回す。ガラハが斧を奪われたのが痛すぎる」
「ああ、オレもまさか筋肉で刃を止められるとは思わなかった」
「責任を取れって言っているわけじゃないからね?」
「言う必要はない」
クラリエは発した言葉がガラハへのイヤミと捉えられたくないため補足したが、彼自身はそもそもそんな風に言葉を受け取ってはいなかった。
戦闘を始めて程なくして、ガラハの三日月斧はミノタウロスの肉体を切り裂きこそしたが刃は筋肉によって防がれてしまった。しかし両断こそできなかったが深手を負わせることはできたと考えた。その一瞬の安堵、同時に油断が牛頭の魔物に猶予を与えてしまった。
ミノタウロスは自らを切り裂いた三日月斧の刃を片手で掴み、そこから力任せにガラハごと三日月斧を振り回し始めたのだ。彼は斧を手放さないように努めてはいたが、次第に振り回し方が石畳への叩き付けへと変わり、それは即ち斧を握り締めている彼自身が石畳に何度も何度も打ち付けられることを意味していた。それでも数十度の叩き付けにガラハは耐えた。その間にクラリエもなんとかミノタウロスに致命傷を負わせようと立ち回り、ニィナも矢を射掛けるのをやめはしなかった。
だがそれらは全てオロバスが片手で阻み、肉体で阻み、ガラハは遂に三日月斧を手放さざるを得なくなった。するとミノタウロスは刃ではなく柄を握り直して、まるで自分自身が最初から持っていた武器のように乱雑に、乱暴に、揺るぎないほどの暴力でもってクラリエたちを襲い始めたのだ。
人間と魔物のキメラ。そのように捉えていたがこのミノタウロスとアレウスが呼称した魔物に知性や理性などというものはない。ただひたすらに破壊衝動だけで肉体を動かしている。もしかすると痛覚すらないのではないか。でなければ体を両断されかかっていながら動けるわけがない。
その喪失した知性を補っているのは大悪魔である。牛頭の暴走をオロバスは理性的に見つめ、牛頭の致命傷をクラリエやニィナが狙おうものなら自らを盾にして守り通す。それでいて牛頭の暴走に自らが巻き込まれないように瞬時の移動を繰り返す。その防御態勢はクラリエに「勝てない」と言わせるほどであり、気配を消しての奇襲であるはずのニィナの矢すらも掴んでしまうほどだ。
「どうしたら良い?」
アイシャは自身に問い掛ける。しかしその問い掛けに答えてくれる強靭な魂を持っていないことは自身が一番よく分かっている。それでも答えを探してしまう。この場所に明確な答えなどなく、また答えを見つけ出すまでの時間があるわけでもないのに。
「アイシャ!!」
ニィナの叫びに応じてアイシャは身を強張らせ、放出される魔力が異界の深層に沈んだ多くの人間の魂を呼び覚まし、オロバスが投げた鎗から彼女を守る盾となって散る。
「っ! 御免なさい」
屍霊術を無意識に防御に使ってしまった。大切な人間の魂を身を守るためだけに使ったことに激しい罪悪感に囚われる。
「謝る前に!」
クラリエが黄色い魔力の帯を片手に巻いて、強固な魔力の拳とする。そして突っ込んできたミノタウロスが振るう三日月斧に正面から打ち込む。
「ちゃんと避けて! あなたが先に倒れたらあたしたちも倒れちゃう!」
神官は回復の要である。魔法使いよりもパーティの生存力を高めるために必須とまで言われるその職業において、前衛よりも先に倒れることは絶対にあってはならない。だからこそ誰もが全力で守り、守られている間は神官も僧侶も全力で前衛の回復や支援を行う。前衛が後衛を守り通せば、パーティ崩壊は最終的に後衛の死亡で終わる。それが最も正しい全滅の仕方で、最も適した死に方である。
分かっている。だが、アイシャは思う。目の前でクラリエやガラハ、ニィナが死んでいく中で理性を絶望に囚われることなく保ち続けることができるのか。
「無理」
呟く。これはすぐに即答できた。自分自身の弱さを知っているからこそ言葉になって出てきた。
「スティンガー!」
ガラハが空高くを舞う妖精を呼ぶ。ミノタウロスはクラリエへの猛攻を続けていたが『妖精の悪戯罠』を踏んでグルリと百八十度、体を回転させられて後方に立っていた大悪魔へと振り下ろされた。
大悪魔は避けもせず、ミノタウロスの三日月斧でその身を両断される――が、すぐに元通りに再生する。
「なに今の」
あれほどに切り込まれた肉体を牛頭の魔物は既に再生を終えている。大悪魔もまた同じように再生したと考えるのが自然であるがアイシャはその自然さの中に不自然さを感じ取る。
そして、アレウスと神様について話したときのことを思い出す。加えて『天使』が偶像崇拝で成り立つ存在であることも脳裏をよぎる。
「ニィナさん」
「なに?」
「……私のために、命を懸けられますか?」
その問い掛けにニィナはアイシャからの強い意志を感じ取り、そして揺るぎない確信もまた目から読み取ってなにも言わずに肯く。
「ガラハさんとクラリエさんはミノタウロスを抑えてください」
「抑える、か」
言いながらガラハは背負っていた予備の戦斧を抜く。
「どれくらい? 言っておくけど五分は無理だからねぇ」
「一分で構いません」
「なら」
「やってみるかな」
ガラハとクラリエがミノタウロスへと果敢に攻め込む。三日月斧を振り乱す牛頭の魔物は二人がタイミングを合わせつつも攻撃のタイミングはズラして向かってくることをすぐさま察知し、ただ迎え撃つのではなく二人から訪れる攻撃のズレに適応しつつ三日月斧を振っている。その間にアイシャとニィナが大悪魔の正面に走る。
「私、アイシャのためなら命なんて放り出せるけど、どんな自信があるのかぐらい聞きたいな」
「この世界にアレウスさんの呼んでいた大悪魔は存在しません」
「オロバスだっけ?」
「はい、なのでまだこの世界に定義付けされておらず認識もされていません」
「じゃぁなんで私たちの攻撃を阻むことができたの?」
「恐らく魔力で防ぎ、魔力で肉体を成しています。まだ実体がありません。不確かであり不定形。生きてはいてもまだ存在として確立できていない。ただ私たちがアレウスさんが呼んだ大悪魔、オロバスとして認識していることで存在できているんです」
「じゃぁ私たちが死ねば」
「この不定形の悪魔は消え去ります。でも、そうしなくても済む方法もあります」
アイシャは大悪魔と対峙しつつも冷静さを保つ。
恐怖がないわけではない。逃げ出したいわけではない。
だが、もう二度とガルダと戦ったときのようなこの世の終わりの景色を見たくない。あのときは力足らずで、足手纏いで、どうにか命を拾っただけ。
だからこそ取り戻さなければならない。あのときに見失った自信も、名誉も、そして心も。
なによりもアイシャは示したい。
反撃の狼煙は、この世界にあるべき正しき意志の力の始まりは己自身から。
この弱くて愚かで未だなにもかも足りていない自分自身から始まる勝利を反撃の角笛にしたい。
弱くても戦い、勝つことができることを仲間たちに届けたい。それは必ず、世界を愛する者たちを奮起させる。
「大いなる悪魔、オロバスと呼ばれた者よ。偉大なる君主よ」
オロバスは腕でアイシャを叩き潰そうとしたが寸前で止まる。
「この世界はあなたを創造し、あなたを産み落とした世界ではありません。そしてここは異界。この世界にとっての魂の中間地点。あなたはまだ世界に立っていないのです」
オロバスは腕を降ろし、アイシャの言葉を待っている。
「あなたは異なる世界に呼び出され、不自由な状態にあります。この世界であなたは悪魔でもなく大悪魔でもなく偉大なる君主でもありません。この世界はあなたを認識していないのです。それはあなたを織り成す魔力でお気付きでしょう?」
ミノタウロスがアイシャとニィナを三日月斧で薙ぎ払おうとするがクラリエの白い魔力が遮り、ガラハの渾身の体当たりによって牛頭の魔物はバランスを崩して倒れる。
「この世界はあなたが征服するに足らぬ世界であり、あなたを認めない世界。あなたを創った世界にお帰りいただきたい。偉大なる君主と呼ばれ、大悪魔と怖れられ、オロバスと呼ばれて書物に記述されているあなたが誕生した世界に!」
オロバスは馬頭でありながら梟のように首を信じられないほどの角度に傾げ、すぐに戻す。続いて空を見上げ、アイシャとニィナを見る。
突如、嘶いて背中に蝙蝠の翼を生やす。羽ばたかせて、その身が宙に浮く。
「召喚されたのに代償も支払わずに帰ってもらえるんだ?」
クラリエが呟く。
「“逃れられぬ死”」
「え……?」
そして呟くように唱えられた死の魔法を聞いて呆ける。
大悪魔はアイシャの言葉を聞いて見逃し、帰るための方法を探ろうとしていた。その帰り際の目線と目線がぶつかり合ったまさに立ち去る最後の瞬間に彼女は『死の魔法』を唱えたのだ。
「私は聖職者ですよ?」
なんで、と言い出しそうなクラリエにアイシャは無理やり作った強気の笑顔を震えながら見せる。
「どんな世界の悪魔でも、見逃すわけ、ないじゃないですか」
オロバスは再び降り立ち、怒りを露わにしてガラハを振り払って起き上がったミノタウロスを両腕で叩き潰し、三日月斧を手にして牛頭の魔物と同じように暴虐の斧刃を放ってくる。
「逃げてください!」
アイシャはニィナと共に逃走を始め、ガラハとクラリエに叫ぶ。
「悪魔は私目掛けて向かってきます! 私のいる場所から外れるように横道に逸れればあなた方を襲うことはありません!」
オロバスはアイシャの真正面からの提案を、そして言葉を評価して立ち去る意思を見せた。だがそれをアイシャは死の魔法で踏みにじった。不定形でありまだ魔力で肉体を構成し切れていないオロバスだが、死の魔法も魔力で構成されている。だが、この大悪魔は死の魔法だと理解してはいない。純粋な自らの魔力にアイシャの魔力が混ざったことについて大悪魔は激怒している。
だからこそ逃げるのだ。距離を取ってしまえばあとは死の魔法が悪魔を死に至らしめるのだから。
「あとはお願いします。私じゃ、逃げ切れないので……もしニィナが追い付かれたら、一緒に死んであげます」
アイシャが『初々しき白金』を解放し、液体金属がニィナを包み込む。彼女の肉体全てが液体金属に溶け切って、アイシャの体へと戻る。
『初々しき白金』はニィナを取り込んだが、彼女は『不死人』でありロジックに乗り移ることができる。互いの能力は反発し合い、ニィナをテュシアとしての魂だけの存在にまで自壊させたが、アイシャの意識が彼女を受け入れたことで肉体の制御をニィナが手に入れる。
「私をここまで導いてくれたのはアイシャだもん。私が死んでもあなただけは絶対に異界の外まで逃げ切らせてみせる」
風のごとく走る。そんなニィナをオロバスが翼を羽ばたかせて追い掛けてくる。
どちらが速く、どちらが遅いか。そんなものは当然、ニィナの方が遅い。だが全速力で、全力で、ただひたすらに自らがテュシアではなくニィナとして成り代わってから磨き上げてきた技能を駆使して深層の王都を駆け抜ける。
それでもどんどんと追い付かれていく中で、アイシャとなったニィナの視線に幾つもの光の球が石畳から芽吹くように生じているのが映る。
ガラハのアーティファクトがニィナを導いてくれている。光の球が落ちている地点を正確に踏み抜いて、オロバスの爪を、オロバスの三日月斧を、オロバスの魔力を紙一重でかわしながら決して捕まることなく最後の最後まで、肺とという肺が壊れてしまうほどの速さで彼女は――アイシャとなったニィナは異界を駆け抜け切った。
異界から飛び出した直後に躓いて、仰向けに倒れて空を見上げる。上空をオロバスが羽ばたいており、断頭台の刃のように三日月斧を真下に向けて、落下してくる。
「“鐘の音を響かせよ”」
死を目の前にして瞼を閉じたニィナの耳にヴェインの祓魔の術が響く。落下してきたオロバスの体は三日月斧と共に宙で硬直し、動けなくなっている。その間に仰向けのまま腕と足を這うように動かしてオロバスの真下から距離を取る。
「“罪滅星”」
オロバスの上下に星の形をした魔法陣が生じ、互いが引き寄せられて中間で硬直したまま動けないオロバスの身を焼くように潰していく。
「……祓い切れない、か!」
しかしオロバスの魔力の反発によってヴェインの『罪滅星』が弾かれ、焼かれた肉体に魔力を通して大悪魔はゆっくりと再生していく。どうやら異界を出たことで肉体を得たらしい。やはり数人で認識していたときよりも世界に飛び出して認知されたことで全ての能力が増幅しているのだ。
「こいつはアイシャの死の魔法を受けている!」
もうなにもできないアイシャに成り代わった状態のニィナは叫ぶ。
「アイシャから遠ざけるだけでこいつは死ぬ!」
「“接近禁止令”」
その言葉を受け取ったヴェインが放った光の鎗がオロバスの腹部に突き立ち、そのまま矢のように遥か上空へと飛んでいく。
「空の彼方で、祓われんことを」
十字架を手にヴェインが祈る。
安堵した直後、アイシャに成り代わったニィナは血を吐き、内側から溢れ出る『初々しき白金』の力に悶え苦しむ。
「分かっている。返す、返すよ……ちゃんと、返す」
ニィナはアーティファクトに反発されて液体金属に取り込まれたときのようにアイシャの体から肉体ごと放り出される。
「ニィ、ナ、さん……?」
咳き込み、アイシャはまともな呼吸も体を動かすこともできない状態であることを理解する。そして、こんなにも肉体を犠牲にするほどの速度で走り切ったニィナの強い意思に感銘しながら、どうにかと手を伸ばす。
「死なない、で……」
「安心して……死んだって、私はアレグリア様の元で甦ることができる」
「早くこの二人を僧侶部隊の元へ」
ヴェインが周囲の冒険者に指示を出す。
「城門から出てくるかと思ったら、まさかのこんなにも近くに飛び出してくるなんて。常に身構えてはいたけれど、アイシャさんもニィナさんも運が良い。“癒やしよ、二方より集まり給え”」
ヴェインの鉄棍が地面を打ち、回復魔法が二人の肉体が負った傷を癒やしていく。
「……いや、でも、ニィナさんは肉体の損傷じゃなくて魂の……」
「そんな顔しないでよ。さっきも言ったじゃん、私は甦るって」
『初々しき白金』に反発されたことで肉体ではなく魂を損傷した。それは回復魔法では決して癒やせない。魂の損傷は即ち、死亡への足掛かりとなってしまう。
「それより、アイシャは死なせないで。絶対に」
「そんな風に諦めてはなりませんよ、テュシア。あなたのその肉体は簡単に捨てていいものではありません。そうでしょう?」
「あ……レグリア、様……!?」
意識を失い掛けているニィナですら驚き、状況を飲み込むことができない。そんなニィナにアレグリアは微笑みを投げかけ、その額に手を当てる。
「『養眼』の魔力をあなたに注ぎます。あなたたちは私の『養眼』から産まれ落ちた存在。この程度の魂の損傷など、時間こそ掛かりますが必ず治すことができます」
そして、額から手を滑らして頭を撫でる。
「よくやってくれました、テュシア。私の可愛い可愛い娘。ただの偶然であっても、私には必然とすら思えることが起きてくれました」
アレグリアはあとをヴェインに任せて立ち上がる。
「連合の信徒たちよ! その目で見た通りです! 王国には私たちが拒むべき悪魔が巣喰っている! もはや王国に私たちを咎める大義名分などありません! 悪魔の巣窟たる王国を! 正しき形へと戻すために! 悪魔から王国の民を救い出すために! 神の名の下に裁きを!」
――世界を連ね束ね合う連合のために!!
ボルガネムの信徒――連合の軍勢が猛々しい雄叫びを上げながら突撃する。
「連合の大部隊は王国へ進撃するための理由がなかった。世界に対する理由付けが見つけられなかったんだ。国として帝国にも王国にも攻められているのに、王都へと進軍するなんて国を捨てるようなものだからね」
ヴェインが徐々に呼吸の安定したアイシャに語る。
「けれど、君たちが異界から悪魔を飛び出させてくれたから、神を信じ崇める宗教国家である連合は王国になだれ込む理由を得られたんだ」
「……狙ってやったわけじゃ、ないですけど」
「君がそうじゃなくてもアレウスはどうだった?」
「まさか」
そんなわけ、と呟いたアイシャにニィナが「ほんっとーにあいつ最悪、ムカつく!」とアレウスへの罵声を浴びせる。
「あれ、実はただの馬頭のキメラだったんじゃないの? それを大悪魔のオロバスなんて定義付けしたから私たちがそう認識したから、そうなっただけ……」
「ニィナさんみたいに実体を持っていなかっただけの……?」
「アレウスはアイシャが悪魔を絶対に許さないことを知っていて、死の魔法の効果も理解していた上で、異界の外に逃げ切ると思ったわけ。そうすると、馬頭のキメラは世界からの偶像崇拝の力を得て『悪魔』入り。晴れて連合は王都を攻める理由を得る」
「だったら、どこまでアレウスさんの想定だったんでしょう」
「そりゃ全部でしょ。全部じゃなきゃあいつが私たちに魔物を任せるわけないじゃん。そのために私たちに魔物講座を受けさせたんだろうし。私、とんでもない奴と一緒の時代を生きてるなぁ、ホント」
最後の呟きはどこか尊敬しているようで、それでいてどこか愛おしさを表現しているようだった。
「あの人のことを好きになるのは駄目だと思います」
ヴェインが聞こえてないフリをし始め、そして露骨に分かりやすく耳を塞いでいる。
「嫌いだって」
「嫌いなように聞こえません。さっきのも『仕方ないなぁ、私のアレウスは』って感じでした」
「そんな風には言ってないでしょ!」
「言っていました!」
アイシャの叫びを体現したかのように、水に覆い尽くされている王都に雷鳴が轟き、異界とは隔絶されているはずの世界すらも震撼する。
「え、なに……今の?」
ニィナがさすがに横になっていられずに上半身を起こす。アイシャは起き上がれないが仰いでいた空が徐々に闇夜に包まれていく異常現象を目撃する。
空には太陽と、赤々と輝く月が浮かんでいる。
「『赤月』の冒険者が暴れ出しているのかもしれない。ここは危ない。後方に下がろう。俺も君たちを運ぶ冒険者と一緒に行くから」
いつの間にか耳を塞ぐのをやめてヴェインが二人に伝えた。




