驚天
シロノアの剣技はどれもこれもアレウスの短剣技に比べれば見劣りする。足運びも覚束ない瞬間が何度かある。しかし、それらを補うのはアレウスへの強い強い嫉妬心。産まれ直した自分自身には負けたくないという執着が彼我の差を埋めてくる。
なによりも今、シロノアが放つ剣戟の数々はアレウスの心に動揺を与えてくる。
ずっとずっと憧れていた、ずっとずっと感謝していた人の剣術。これもただの模倣に過ぎないが剣の振り一つ一つが想い出に被さってくる。苦々しくも断ち切ったヴェラルドが亡霊のように目の前に立っているのではと思うほどに。
リオンの異界で決着をつけた。見切りをつけた。終わらせた。分かっていても、忘れられない。捨てられない、ずっと抱き締めていたい想いの全てをシロノアは踏みにじってくる。
「ヴェラルドも愚かな男だ」
短剣で捌ける範囲だ。ヴェラルドの剣術はリオンの尖兵と化していた時点でもアレウスに見劣りしていた。だからそこから更に模倣しただけのシロノアの剣戟は捌き切れないわけがない。なのに、勢いで負けている。剣と剣の弾き合いの段階で負けている。
「リオンの異界にわざわざ自ら飛び込まなければ、その命を喰い荒らされることもなかったというのに」
「お前が殺したわけでもないのにどうしてヴェラルドの称号を……」
「奪った称号に見合った技を使えると言っただろう? 別に俺が異界に赴いて殺さなくてもいい。『異端審問会』はありとあらゆる称号をギルドと同じように把握している。俺は冒険者と称号、名前と剣技、容姿を見れば済む。あとは、その称号の持ち主が死ねば強奪できる。なんなら体型はともかく顔すらも自由自在だ」
ほんの僅かな剣戟の隙間に、シロノアは自身の顔を片手で滑らす。すると先ほどまで憎くて憎くて仕方がなかった男の顔は心の底から憧れ、追い掛け続けていたヴェラルドの顔に変わる。
「無茶苦茶だ」
「そうさ、無茶苦茶だ。だが、お前だってその身に無茶苦茶を宿しているだろう。アーティファクトと言う形で。その左耳と右腕は他人の物。他人のものをお前は喰らい、合力でもって我が物とした。なんなら右目もそうだったか? 『原初の劫火』の『超越者』にもなったお前にとやかく言われるようなアーティファクトじゃない」
動揺をアレウスは見せてしまい、そこを突かんとばかりに男はヴェラルドの剣技の合間にルーファスの剣技が混ぜてくる。混ざり合った剣技によってアレウスは男が踏み込みを誤ったと見て反撃に出ようとしたが実はそれは誘いであったために体中を次から次へと切り刻まれた。
「“癒やして”」
再びアベリアの回復魔法でアレウスの傷口は縫合される。
「やはり回復魔法は厄介だな。だが、狙って殺しはしない。俺はアリスを殺せればそれで満足だ。アリスを喪い絶望し、戦う余力を失い『原初の劫火』に身を焼き尽くされるその様を俺は見るだけでいいのだから」
そのためなら、と続けながらアレウスの周囲を剣を振りながら舞い踊り、そして時に強く剣を叩き付けてくる。
「何度でも何度でも何度でも、アリスを傷付けよう。何度でも何度でも何度でも死の淵に立たせてやろう。回復させる気力が無くなるまで!」
強い一撃を受け止め、アレウスは下がる。
「お前もお前だ。女にさっさと魔法で攻撃させればいいというのに俺との戦いに過干渉させないように控えさせている。数の有利を使わずに勝とうとしている。それが因縁を断ち切る唯一の方法と言わんばかりに! ナメられたものだ!」
「アベリアは僕の想いを汲んでくれている。アベリアの復讐は『異端審問会』全体に向けられたもの。だけど僕が抱えている復讐心はそれ以外にも、僕を異界へと堕とした者たちへのものも含まれる。シェスは殺した、クリュプトンには正しく死んでもらった、ヴィオールも裁いた。残りはお前と、あと一人だけだ」
「あと一人?」
「とぼけるな。『異端審問会』を牛耳っているのはお前じゃないんだろう?」
「だからそのあと一人というのは、」
「私のこと?」
一体どこから、どのようにして現れたのか。その一切が分からないからこそアレウスとアベリアは動揺し、同時に彼女が放ったのであろう魔力の糸に雁字搦めにされる。
「はじめまして、アレウリス・ノ―ルード。そして、アベリア・アナリーゼ」
「なにを……言っている?」
女性は挨拶をしたが、そのことにアレウスは激しく抵抗して魔力の糸を力尽くで断ち切ろうとする。
「そんな無茶をしたら腕や足が欠損してしまうわよ? あなたがかつて使っていた鋼糸よりもこの糸は頑丈なんだから」
鋼糸を用いた搦め手。それはルーファスに指導を受けるために戦ったときに用いていたし、短剣を引き寄せるために予め結んでいたこともあったが、貸し与えられた力を用いれば短剣は引き寄せられるようになったのでほぼ使用しなくなった。なにより室外、屋外、野外での戦闘が常である魔物相手には思った通りに使えなかった。普通の糸は室外では設置ができない。鋼糸はあくまでもそれを想定していない人間相手、そして室内戦と待ち伏せにのみ無類の強さを発揮するのだ。だからこそ、女性のように魔力の糸を閉鎖空間でなくとも自在に放てるのであればそれらの制限はなくなると一気に状況を覆す力になる。ジュリアンの魔力の糸もそうであるように、この『束縛』の魔法は非常に優秀な代物なのだ。
「さっきから、なにを言っている?」
しかしアレウスは無理やりにでも糸を断ち切ろうとしてしまう。これは感情から来る衝動である。怒りと驚愕、それらが合わさって理性が肉体を制御し切れていない。
「私の名前はアヴェマリア。死ぬ前に聞けて良かったでしょう?」
「だからさっきから、なにを言っている!」
「なにをそんなに怒鳴っている? まさかアヴェマリアが神藤 理空の転生した姿だとは思っていなかったのか?」
女性――アヴェマリアは神藤 理空。そのようにシロノアが言うので、改めて彼女の風貌を確かめる。
「お前……十年の間に忘れてしまったのか?」
シロノアにアレウスは訊ねる。
「なにを?」
女性の姿はまさに神藤 理空をそのまま大人にしたように凛としていて美しく、それでいて自己性を確立しているかのように絶対的な自信を持っているかのように立っている。
「僕が好きだった神藤 理空は……お前がずっと愛してやまない神藤 理空は……!」
だがしかし、アレウスには分かる。産まれ直した神藤 理空を知っているからこそ分かる。産まれ直した神藤 理空と話したからこそ違和感に気付く。
その姿は、その顔は、ありとあらゆる全てはまやかしであると。
――決して異界獣ではないと、叫んだ。
アレウスの心の叫びにシロノアは目を丸くし、続いて躊躇うように、恐る恐るアヴェマリアに振り向く。
ニタァと笑みを浮かべ、全てを嘲るようにただひたすらに笑い声が響く。
「やっぱり、やっぱりやっぱりやっぱり!! アレウリス・ノールードは気付いた! 気付いてしまった! 気付いちゃった!」
「アヴェマリア……? 神藤 理空じゃ、ない……だと?」
「誰それ?」
アヴェマリアと呼ばれた女性の手から伸びた糸がシロノアの胸を貫く。
「ほら、驚いていないでさっさとアレウリス・ノールードを殺しなさい? 他のみんなにもそうさせたかったけれど、通用するか分からなかったからあなた自身で実験してあげる。あなたのロジックに、アレウリス・ノールードを殺せるように刻んであげる」
「やめ、ろ……!」
「『この者はアレウリス・ノールードを必ず殺す。たとえ相討ちになったとしても』」
シロノアの拒絶を無視してロジックは女性の魔力の糸によって開かれ、あっという間に閉じられる。同時にアヴェマリアは指を鳴らし、辺り一帯の水を跳ね除け、アレウスたちの空間にだけ空気の層を生み出す。
「戦いやすいようにしてあげたわ。『原初の劫火』を封じるために水中で戦わせてあげたんだけど、アレウリスもアベリアも出し渋るから、これなら本領発揮できるでしょ?」
途端、アレウスは貸し与えられた力を行使して自身とアベリアを縛り上げている魔力の糸を燃やし尽くし、アヴェマリアに肉薄する。
「残念」
女性の前に刺々しい魔力の盾が生じ、アレウスは本能的にそれに突撃せずに足を止める。
「賢明ね。この盾に触れていたらあなたは猛毒に侵されていたところだから」
「アヴェマリア……! いや、異界獣ヴァルゴ!!」
「ヴァルゴ? でもヴァルゴは『霧に唄う者』のはず」
「それは別名。まぁ、私の同位体。力が付きすぎると邪魔だから一部を切り離して自由にさせているのよ。だってほら……その方が気付かれにくいでしょ? 極めて人間に近く感じられて、誰も私が異界獣だと気付かない」
やはりアレウスとアベリアを、そしてシロノアを嘲笑う。
「あなたが私を一目見た瞬間に散々とシロノアに警告しようとしていたのは分かったけど、そうさせないために私から話しかけ続けた。大人って前置きが長くって必要なことを全然話してくれないじゃない? だから若者だった私が逆にそれをやってみたってわけ。面白いでしょ?」
「お前は…………お前は……誰だ?」
胸騒ぎが収まらず、アレウスは既に異界獣であると分かっているアヴェマリアに対して単刀直入で短絡的な質問をぶつけてしまう。
「私? 私は、」
「俺を車道に突き飛ばした女子高校生」
シロノアが魔剣を握ってアヴェマリアに振り下ろす。だがその剣戟は決して彼女に届かず、直前で制止する。
「あなたに私は殺せない。そういう風に書き換えているから。ずっとずっと、ずぅっと前に。でも憶えてくれていてありがとう。死のうとしていた私を助けたありがた迷惑なおじさん」
その言葉にシロノアは脱力し、理性が崩壊したように叫ぶ。
「私はね、凄く凄く当たり前の日常風景の中で死のうとしていたのに、あなたのせいで死ねなかった。あのあと沢山沢山沢山、大変なことがあって、私は何度も何度も何度も言った。『私が死のうとしたのを止めた無責任な人だ』って。でも誰もがあなたを英雄視して、誰もが私の言うことを別の意味に解釈して、救われた命だとかなんだと言い出して、とてもとてもとても……酷く酷く酷く迷惑だった」
朗らかに語り、そしてアヴェマリアはアレウスの握る淑女の短剣を視界に収める。
「私が切り離した力。私が与えた力を返してくれない?」
「絶対に、」
『拒否する』
淑女の短剣から炎が迸りアヴェマリアを焼こうとするが魔力の糸で編み上げられた盾がそれらを阻む。
「屈服させられたから?」
『我は貴様が好かん』
「……あぁ、そういうこと。育て上げた亜人に『原初の劫火』の魔力の残滓を与えたのが失敗だったってわけか。これも一つの学び。次はもっと上手くやることにするわ。残滓なんかじゃなく『原初の劫火』そのもので」
アヴェマリアが霧に包まれていく。
「待て、逃げるな!」
「逃げないわよ。見守るだけ。どっちにしたってどちらかは必要だから。『産まれ直し』のアレウリスと『転生』したシロノア。並行世界と時間軸が違うだけの同一の存在。どっちが強くてどっちが負けるの? さぁ、究極の蟲毒を見せてよ」
自我が崩壊したシロノアはアレウスへと標的を変えて飛び掛かってくる。
「あなたの復讐対象にドラゴニア・ワナギルカンがいなかったけど、エルヴァージュとクールクースに任せたってこと? でもさ、それは甘い考えね。利用し、任せた者たちは結局は捨て駒で散ってしまうもの。そこには絆も、繋がりも存在しない。当然、束ねられた力なんて紛い物。ただただ絆と口にして、分かり合った気になって利用し合っているだけの関係性でしかない。だから、互いに利用し合って死んでいく。あなたもまた利用されてきっと死ぬ。ここじゃないどこかで」
アヴェマリアが消え去るのを阻止したかったがアベリアの火球はワンテンポ遅く、女性の姿は霧に掻き消えてしまった。
「魔力の残滓が残ってる。追い掛ける! 居場所だけでも特定するから!」
「頼む。ただ、奴は君の『原初の劫火』を狙っている。そこだけは念頭に入れて、絶対に挑発に乗るな」
「うん!」
戦うのではなく居場所の調査。それならばアベリアに任せても問題ない。もし彼女の身になにかが起こっても、『原初の劫火』という繋がりで気付くことができる。アベリアはアレウスに肯いたのち、駆け出した。それをシロノアは追うことも攻撃することもなく、ただひたすらにアレウスとの剣の打ち合いを続ける。
「悲鳴が聞こえるか?」
その最中にシロノアが訊ねてくる。
「お前が任せた者たちが苦しみ喘ぎ、心の中で絶叫をあげている。もうすぐその叫びも聞こえなくなるのだろうが」
「あの異界獣に利用されていると知ってまだ僕と戦うのか?!」
「違う違う違う違う! 利用されていようがいまいがどっちだって構わない。言ったはずだ。俺はお前を殺したくて仕方がないんだよ、アリス!!」
これはシロノアの意思ではない――とは思わない。戦い始めた直後からシロノアはアレウスを殺す気であった。しかし、アヴェマリアの正体をしって自分の存在意義が破壊されてしまい、残されている部分に縋っている。アレウスを殺すのだと自ら決意したことに縋り付いている。先のことは考えず、ともかくもそれを果たすことを命題としている。
皮肉なことに、アヴェマリアが書き換えた文章と今のシロノアの縋る対象は一致している。『アレウリスを殺す』、『アレウリスを相討ちになっても殺す』。この面がロジックへの干渉で強化されたことで、アレウスに見劣りしていたシロノアの剣技と足運びは一足飛びで同等にまで高められた。
「考えないことが、思考停止が楽なのは分かるけどな」
とはいえ、ロジックによる強化があるのではとアレウスは想定していた。
「止まってないで、いつまでも背中を追っていないで、追い越す意思を見せなきゃ駄目なんだよ!」
剣を捌き切って、出来た隙にアレウスはシロノアを蹴り飛ばした。
「追い越す、追い越す……か。じゃぁお前が信じて追い越し、置いてきた連中がどうなるか。その目で見届けろ」
シロノアが魔剣を振ると空間に別の景色が映り込む。
「この世界に映像なんてものはまだなく、伝える技術もないが俺が魔力でそれを模倣する。信じることがいかに無駄で無益であるかを。絆などという言葉がどれほど脆いものかを知れ。知って死ね、アリス」
場面場面の映像に囚われてはならない。だが、シロノアの剣戟の合間にどうしても視線が見えている映像に張り付いてしまう。
「冥剣技・『千雨』」
空高くに数千にも渡る魔力の剣が生じ、その剣先が全てアレウスとシロノアのいる地点目掛けて降り注ぐ。
「獣剣技、群鳥」
空間を引っ掻き無数の炎の鳥を飛び立たせて降り注ぐ魔力の剣の傘とし、アレウスは千の剣から逃れ出る。
「冥剣技・『鬼哭』」
バチバチと稲妻を鳴らしながら瞬足でアレウスの背後を取ったシロノアの魔剣が奔る。接触の瞬間に貸し与えられた力を集約し弾けさせて爆発させる。互いに反対方向へと吹き飛びながら、石畳に体を打ち付けながらもすぐに立ち上がって身構えた。
異界がアヴェマリアの――ヴァルゴの登場で揺れる中で、リゾラとルーエローズの戦いは苛烈さを増していく。
「ははっ! あの女! 遂に尻尾を出しやがったか! これでシロノアもぼくを選んでくれる」
「あの女って?」
アンソニーの拳を避け、リゾラが追い立てさせているハウンドをどれもこれもルーエローズは拳で打ち飛ばす。
「お前とそっくりな女だよ。もしかするとお前の転生した側の存在かもな」
「…………それは違うわ」
しばし考え、その隙を突いてきたルーエローズの攻撃をスライムで受け止め、『滅眼』でスライムが消し飛ばされた瞬間にリゾラは彼女の視界から消える。
「だって私はもうその転生した私にオーネストと一緒に会いに行ったもの」
「なんだって?」
「嘘じゃないですよー、私も会いに行きましたからー」
リゾラを探すルーエローズにアンソニーが真横から奇襲を仕掛けるも、『滅眼』を向けられたために拳は届かせることが出来ず横っ飛びで魔力の消失から逃れる。
「じゃぁ、シロノアが執着しているあの女は一体……さっき一瞬だけ感じ取ったあの魔力の揺らぎは一体なんだって言うんだよ」
「さぁ? 私たちの知らないなにかじゃない?」
頭上からリゾラはゴーレムを落とす。ゴーレムの着地点からルーエローズは逃れ、同時に自身の手の平から眼球をゴーレムに見せる。
「『操眼』よ、その力でそいつを操れ」
リゾラが頭に着地しようとしたが、ゴーレムはそれを拒むようにして動き、真上に振り上げた拳が彼女を打ち上げる。
「ははっ! 良い気味だ!」
「あれくらいでリゾラさんは死にませんよー」
懐に完全に入ったアンソニーがルーエローズの腹部に掌底を打つ。ゴーレムがアンソニーを殴り飛ばし、彼女が激突した壁や家屋が二、三棟崩壊する。
「“スプラッシュ”」
水中に水流が生じ、ルーエローズが足元から拾い上げられて高く押し飛ばされる。
「鬱陶しいな」
『滅眼』で捉えた水流は一瞬で消し飛び、彼女は石畳に華麗に着地する。そのすぐ後方にリゾラもハウンドを待たせており、その上に軟着地する。
「カプリコンのときに思ったんだけど、ぼくと君の間にはこれといった技能の差異はない。この戦いは一生続く」
「あなたのそれは『聖女』から『魔眼』を奪い続けて成り立っているものでしょ? 私と一緒にしないでよ、気色悪い」
ストレートな軽蔑にルーエローズが半笑いになる。
「馬鹿にしないでくれよ。これでも掻き集めるのが大変だったんだから。それに……そう言っていられるのも今の内さ。ぼくと君の間には決定打がないように見えるだろう? でも、あるんだよ。決め手が」
「『死の魔法』」
「そうだ。さっきから目を合わせないようにしているのは『滅眼』から逃れるだけでなく、ぼくの死の魔法から逃げるためでもあるんだろう?」
「それはあなたもでしょ。あなたも私の持つ『死の魔法』が怖い。アンソニーには私が使うなって言っているから使わないのも知っていそうだし」
「だからさぁ、考えたんだよ。ぼくだけが見ることができて君だけが見ることができない方法はないかって」
「あるんだよねぇ、これが」
リゾラの周囲に鏡面が現れる。
「『鏡眼』。これを使えば君を捉えられる」
「……呆れた。鏡じゃ直接見たことにはならないでしょ。こんな方法、で、っ!」
鏡面をリゾラが手の平でなぞって破壊したその裏に眼球が浮いている。
「しま、」
「った! て言いたいのかい!? “神との誓約”」
リゾラが見ていた景色は一変し、辺り一帯が漆黒の闇に包まれる。
「迂闊だったな。気を抜きすぎたかしら」
呟き、反省する。
『さて、君はもう知っていると思うけど“神との誓約”では神と戦ってもらう。それも神が示した方法で。ただ、今回の神は君に激怒していると思うよ』
バチバチと稲妻を走らせながら、リゾラを囲うように電撃が迸り、漆黒に雷獣が降り立つ。
『君は『悪魔』に契約させている。神様はそんな『聖女』を認めはしない……ほぅら、ぼくの耳に神の声が聞こえた。君はその身に魔力も、唱える魔法も、なにも与えられない。魔力がなければ屈服させた魔物を使役することはできないし、魔法を唱えられないんじゃ歯向かえない。君はアンソニーと違って打撃格闘術を学んでもいない。終わりだよ』
雷獣はリゾラが動くのを待っている。
「神様」
言いながらリゾラは自身の体をペタペタと触る。
「持ち物の持ち込みを許してくれてありがとうございます」
お辞儀をする。
『急に淑やかになったところで神様は君を決して許してはくれないよ』
そうルーエローズの声が響いた瞬間、リゾラは雷獣の頭部に短刀を突き立てる。
『ははははっ! そんなことをしたって神様は殺せな、っ!』
もがき、足掻き、雷獣が鳴き叫ぶ。
「誤解が一つ、迂闊なのが一つ。まず最初に、オーネストと贖罪の旅をしていたのは僅かだったけどその間に私は契約させていた『悪魔』を解放している」
『馬鹿な……短刀で、そんななんの変哲もない短刀ごときで、神が……敗れる、など!』
「そしてもう一つ。その短刀は“曰く付き”。聖都ボルガネムの競売所で競り落としたもの。使用人が貴族の高慢さに耐え切れずに刺殺したナイフを鍛造し直したらしいわ。そして、自身よりも階級の高い者へと向けた際にロジックの能力値に補正が掛かるのよ」
リゾラは笑う。
「私は『聖女』だけどただの人間。神とは絶対的な差がある。その差があればあるほどに、刺した短刀は私のロジックを底上げする。つまりあの一瞬。あの短刀を刺す一瞬だけ、私は私の精神世界に現れた神を凌駕した」
漆黒の景色が吹き飛び、驚愕しているルーエローズに向かってリゾラは魔力の塊をぶつけて撃ち飛ばす。
「ぼくの死の魔法が、そんな物で……!」
「偽って入札していたなんて知りませんでしたー」
アンソニーは瓦礫の中から自身の負傷を回復魔法で癒やしながらリゾラの元へと戻る。
「あなたが暴れたときに『念話』がすぐ出来たのはすぐ近くにいたからよ、アンソニー」
言いながらリゾラは自身の腰に提げている鞘ごと短刀を彼女へと投げ渡す。先ほどの短刀は精神世界にあったものであって、現実世界の短刀を使ったわけではない。“曰く付き”はそのままアンソニーの護身武器として使うことができる。
「これでルーエローズは私に死の魔法を唱えられない。次に唱えるとしたらあなた。でもあなたも『聖女』だけれど、神という上位存在とは差があるから、その短刀で精神世界の神は殺せる。本物の神様には通用しないでしょうけど」
「でも、もし私に先に使ってきたらどうしていたんですかぁー!? 私、死んじゃっていたかもしれないんですよー?」
「使わないわよ、こいつは。最初にアンソニーには使わない。だってあなたは打撃格闘術を備えているもの。使うなら確実に崩せる私から。なによりも、私を殺したくて殺したくてたまらなかったはずだもの」
「……ははっ、でも面白いことを言っていた。君は『悪魔』を解き放っていると。だったらもう、貸し与えられた力に怯えなくてもいいってわけじゃないか!」
そう強がる彼女にリゾラはほくそ笑みながら、指を鳴らす。ルーエローズの背後に雷が落ち、振り返ってその事象がなぜ起こったのか思考が追い付かないのか全体的な肉体の動きが緩慢になる。
「どうしたの? 私は『悪魔』を解放したけど、別にアーティファクトも一緒に失ったなんて言ってないわよ?」
再びリゾラは指を鳴らし、雷はアンソニーに落ちる。その落雷を魔力として練り、彼女は自らが羽織る外套に宿らせる。
「私は『継承者』で、アンソニーが『超越者』。あのときアンソニーに死んでほしくなかったのはそういうこと」
「って言ってますけど強がりだって私は知ってますからねー」
顔を覗き込んでくる彼女からリゾラは面倒臭いとばかりに視線を逸らす。
「は、はははは、ははははは」
空笑いを続ける。
「あなたの『死の魔法』は一度、神を打ち破った者には再び掛けられない。アンソニーから短刀を奪い取っても、彼女なら実力で神を打ち破る。そして、私はあなたにまだ『死の魔法』を使っていない。そして私たちは『雷』のアーティファクトによる『継承者』と『超越者』でもある。勝てる? 勝てるわけないでしょ。というか、勝つ気でいたのがそもそものお笑い種」
邪悪な笑みをリゾラは浮かべる。
「大変だったわ、ずっとずっと笑いをこらえるのが。だってあなた、私と対等であるみたいに言うんだから。対等なわけないでしょ? 私は才能だけど、あなたは『魔眼』に頼っているだけ。常に私の方が上なの。そこはどれだけ足掻いたって覆らない。あははっ! 私はアレウスみたいに正義一辺倒じゃないしまともじゃないの。こんな私に腹立たしさを与えてきたあなたをどれだけコケにできるかをずっとずぅっと考えていたのよ。だから、とてもとても大変で、思うように体を動かすこともできなかった。でも、もうそれをする必要はないのよねぇ? もう我慢しなくていいんなら、ああ、とっても気持ちが良い」
「ルーエローズ・ルーエ。数多の『聖女』を殺し、『魔眼』を我が物とするために奪い続けたあなたに今、神の裁きをくだします。この神の代弁者たる私たちになにか言うことはありますか?」
「……………………クソ、クソクソクソ!! 神様なんてやっぱりクソ喰らえだ!! 弱音なんて吐くものか! ぼくはぼくらしく生きた! ぼくの生き様に恥じる部分なんて一片もない!! なのに神様はその化け物みたいに笑う連中の味方をするって言うのか!? ぼくと同じように『魔眼』を奪った女と沢山の人間を『死の魔法』で殺した女を生かすのか!? だったらもう良い! 神様なんてもう信じてやるものか!! ほら早く! 裁け、殺せ! 殺せよ!! 神を騙る代弁者どもが!!」
「「……合魔拳・一番星、」」
アンソニーの右の手が煌き、雷鎚を握る。
「「神の鉄槌」」
その場から微塵も動かないルーエローズにリゾラもアンソニーも慈悲を見せることなく、雷鎚は振り下ろされた。




