正しさのベクトル
「ここに来るまでの間に一体どれだけの人間を騙してきた?」
剣戟の打ち合いの中でシロノアがアレウスへと言葉をぶつけてくる。
「騙してなんか!」
「お前の原動力は『異端審問会』への復讐心。その私利私欲の感情のために帝国の皇女だけでなく様々な人間をこの戦いへと追いやった。全ては自分の復讐のため! お前は自分の欲を満たすためだけにありとあらゆる立場の人間を巻き込んだんだよ」
短剣と剣で弾き合い、距離を一旦置くがシロノアの方から間合いを詰めてくる。
「それのなにが悪い?」
「悪くないとでも思っているんだったらとんだ性悪だな」
「悪いとは思っている。だからお前とは違う」
間合いを詰められても足運びに乱れさえ起こさなければシロノアの剣戟を浴びることはない。防ぐこともできれば弾くこともできる。避けて反撃に移ることもできる。アレウスの短剣が持つリーチの短さというデメリットを差し引いてもこれだけ戦えているのならシロノアの剣技はさほどの脅威ではないはずだ。
「俺とは違うだって?」
「お前だってそうだろ? 自らの私利私欲のためだけに多くの人間を犠牲にし、その欲望の赴くがままに利用し続けてきた。一体どれだけの人間が悲しんだと思う? どれだけの人間が泣いたと思う? どれだけの命が! なのにシロノア! お前はそれを悪いとは思っていない」
「当たり前だ!」
剣圧が強まり、アレウスが力で負けて押し飛ばされる。
「俺が俺の私利私欲を満たすために行ってきたことにどうして俺が罪を感じなければならない!?」
声が大きくなれば感情も昂ぶり、そしてアレウスのみならずシロノアの剣技が加速度的に高まっていく。脅威ではないと判断したことを撤回したくなるほどの激しい激しい剣戟で、もはや乱撃と呼んでも遜色ないがそのどこにも付け入る隙が見当たらない。いや、隙は見えるし反撃の余地もある。だがそこに剣戟を差し込めば、同様にアレウスも剣戟を浴びることになる。傷を互いに付け合ったところで優位性は得られない。シロノアだってアレウスの急所を突けはしないしアレウスだってシロノアの隙に差し込んでもその刃は急所に至らない。そんな無意味な傷の押し付け合いは不毛だ。アレウスの『超越者』としての力で掠り傷は癒やせてしまうしシロノアも回復魔法でそれらは癒やしてしまう。
だから剣戟を制した側による絶対的な一撃が必要となる。
「お前は、」
「アリス! 神藤 理空より先に死ねて良かったよなぁお前は!」
言葉の勢いが強すぎる。剣と剣のぶつけ合いではアレウスの方が勝っていても言葉での威圧はシロノアが勝っている。だからか足運びは完璧であるはずなのに、どういうわけか短剣の刺突がシロノアの急所に届かない。
「しかも『産まれ直し』だ! 想いを捨てることも! 新たに想いを馳せることもできたんだから! 神藤 理空を捨ててアベリア・アナリーゼと恋に落ちることができた! 俺と違ってお前は感情や想いの面で救われているんだよ!」
「救われてなんか」
「救われているだろう? 良かったなぁ、アベリア・アナリーゼにロジックを書き換えてもらえて! 良かったよなぁ、アベリア・アナリーゼが美人で! 良かったよなぁ、ロジックの書き換えに気付いたあとでも愛情を抱くことができて! これでもしアベリア・アナリーゼがアリスにとって好まない性格と顔の持ち主であったなら、お前はロジックの書き換えに気付いた時点でアベリア・アナリーゼを捨てていたはずだ」
「ふざ、けるな!! そんな世迷い言を言うな!」
「世迷い言なものか! 俺はただ事実を口にしている! だが恥じるべきことじゃない。美女に惚れるのは男の本能だ。しかも自分自身が好む顔、性格、体格の持ち主であったのなら尚更のこと」
シロノアはアレウスとアベリアの絆を壊そうとしている。戦いの最中に別のことに意識を向けられる余裕がある。しかし剣と剣の打ち合いではアレウスが優勢なはずだ。言葉に意識が囚われすぎて剣技が疎かになっているのだとしたら本末転倒だ。
「俺の剣技の底を見たつもりでいるな?」
一瞬、反応が遅れる。シロノアの剣はアレウスが想定した軌跡を描かずに振り抜かれ、強引に上半身を逸らして避けてもアレウスの着ている衣服を裂いた。
「ミスリルの鎧か」
切り裂いた衣服の隙間から見えた防具からシロノアはその材質をすぐに看破する。
「確かに強固な防具ではあるが、貴重な鉱石を大量に使って全身は覆えない。だとしたらそれは恐らく胸部のみ。動きやすさも考慮してハーフアーマー。腹部を守れてはいないな?」
隙間から覗き見た防具の材質のみならず形状まで言い当てられる。鎖帷子で腹部は守っている気でいるがシロノアの剣ならば貫通するかもしれない。
先ほどの軌跡は、軌道はアレウスに焦りを生じさせる。一体どうやって、どのようにしてあの剣の閃きが起きたのか。どんなに思い返しても分からない。
いいや、分からないと思い込もうとしている。
「その剣は……その柄に彫られた意匠はアームルダッドの」
「ああ、この魔剣か? いや妖剣なんて呼ばれもしていたな」
自身の剣をシロノアはアレウスへと見せびらかす。
「ルーファスとかいう男からその称号ごと奪わせてもらった。元々、『聖女』共々に狙ってはいた。ルーエローズは『蜜眼』を欲していたし、俺は俺で奴の剣を欲していたからな」
「奪う……称号ごと奪った、だって?」
「気付くのが遅いな」
シロノアがアレウスに肉薄する。
「冥剣技・魔の剣舞」
剣の軌道は読めた。回避も難しくないはずだった。しかしギリギリで避けようとしたのが良くない。先ほどの軌跡の変化をアレウスは考慮しておかなければならなかった。
体を捻って避けたはずの剣戟がまるでピタリと引っ付くかのようにアレウスの左腕を薙いだ。
「“癒やして”!」
腕から大出血する中、アベリアの回復魔法によって即座に傷口の縫合を開始する。だが、その回復に安堵している暇はない。シロノアの剣は一度では止まらず、二度、三度、四度――数えられないほどの回数でもってアレウスを追い立ててくる。
避けることも受け止めることも造作もない剣技が、一瞬の内にアレウスが予測した軌道から逸れて隙を切り裂くものに変わった。これは明らかにこの男が持ち合わせている剣の妙技ではない。
憶えがある。この剣の閃きを、この剣に合わせた肉体の動きを。それでいてさながら剣が生きているように自由自在に舞う様をアレウスは見たことがある。
「ルーファスさん」
剣に導かれるような技はルーファスが取り入れていた戦いだ。自らが握り締めている剣の力を知っているがゆえに、その力を服従させるわけでも使役するわけでもなく自由にさせる。対価を求めず、代償を支払わず、互いに協力関係を結んでいたあの剣の持ち主とそっくりな戦い方だ。
「俺はな、アリス。奪った称号に見合った技を剣に取り込むことができる」
切り上げを受けるも短剣が弾かれ、続いての振り下ろしを即座に抜いた淑女の短剣で受け止めるも大きく打ち飛ばされる。
「いや、取り込むんじゃない。これはあくまでも真似をしているだけだ。本物には届かない。だが、本物が既に死んでいるがゆえにこの児戯にも等しい真似は誰の目にとっても模倣を越える。残念ながら奪った対象の磨き上げた剣技以上に高めることは不可能だが」
ルーファスから奪った魔剣と、ルーファスの剣技。どちらもあるからこそシロノアの剣舞は模倣でありながらアレウスを切り刻んできた。記憶の中のルーファスとシロノアが被ることはないが、しかし厄介であることには変わりない。
アレウスは一度も指導においてルーファスに勝ったことはない。師事するために勝ったその一戦も油断を突いただけであり、あの時点でルーファスは降参したが実際には逆転することさえ難しくなかったに違いない。
そうしなかったのは、アレウスを鍛えたいと思ってくれたからだ。
「イライラするか?」
「しないよ。だってお前はルーファスさんじゃないから」
ルーファスの持っていた技能までしか模倣できないのであれば、それは確かに紛い物だとアレウスは思う。あの剣技の師匠がシロノアと衝突することなく研鑽を積み続けていたのなら、この程度の剣舞で終わることは決してない。それこそ『至高』にすら届いていたはずだ。それを終わらせたのがシロノアだとするのなら、そのことには苛立ちを抱かずにはいられない。
だがその苛立ちは復讐心を越えない。
「正しく僕を理解することだ」
「理解しているさ。だってお前は俺なんだから」
「違う」
「なにも違わない。俺はお前でお前は俺だ。お前の善意は、お前の偽善は、お前の優しさは、俺が過去に備えていたもの。或いは捨てたもの。捨てなければならなかったものだ。だがお前はそれを抱いて様々なものを手に入れている。なんと言う強欲だろうな」
「僕がなにも失わずに前に進めていると思うのか?」
弾かれた竜の短剣を拾い直し、アレウスはシロノアへと切り込む。
「本当に僕がなにも失わずに生きているとでも思っているのか!?」
「思っているさ、アリス! お前は孤独を知らない! お前は突然放り出された世界で生きる苦しさを知らない! 唐突に変わった環境の変化に付いて行くときの心の悲鳴を聞いていない! 誰一人として、言語すらも曖昧な場所に放り出されて毎日を送らなければならない恐怖を知らない!」
「知っている! 異界で僕はそれを五年学んだ!」
「五年か」
鼻で笑われるもシロノアの魔剣をアレウスの短剣が打ち払い、淑女の短剣での刺突から逃れるように男が後退する。
「三十年だ」
言葉で示し、アレウスの追撃を避けながらシロノアは再び魔剣の動きたいように動く剣技に移る。この場合、男の動きに囚われてはいけない。必要なのは魔剣がどのように動きたいか、どのように動けばアレウスを殺せると考えているか。そこに注視することで剣舞を完封する。
「俺は三十年、学ばされた。孤独を、苦しみを、悲鳴を、恐怖を」
「三十年……だって?」
年数が勝っているからなんだと言うのだろうか。その三十年の間にシロノアはヴィオールに御子として導かれ、『異端審問会』に加わり現在の地位にのし上がったはずだ。
「茶番だな。そんな三十年は」
「馬鹿にできるほどの経験も無いクセに」
「ある。あるさ」
「子供みたいなことを言うな。お前は、」
そこまで言ってシロノアの表情が強張る。アレウスの目が、視線が、男に対して一瞬の恐怖を与えたらしく踏み込もうとした足に惑いが生じ、立ち止まっている。
「異界での生活が世界に比べてマシなわけないだろ」
「だったら味わったことがあるのか? 言葉の通じない無力感を、怪しまれて拷問される日々を、仕事にありつけずに空腹に嘆く日々を、世界を呪い続けた毎日を」
今度はアレウスが鼻で笑う。
「不幸自慢か? それ全部、僕の五年間に詰まっているけど……もしかして、異界に堕ちたことがないのか?」
シロノアは硬直し、続いて強張った表情が一瞬で激怒に染まる。
「そうやって不幸の経験だけで勝った気になるな!」
「図星か」
剣戟の一つ一つが重い。だがシロノアの表情には余裕が見られない。さながら痛いところを突かれたかのように必死にそれを取り繕うような形相と剣圧だ。
「『異端審問会』がひたすらに異端者を異界に堕としていたクセに、お前は異界に堕ちたことがないなんて笑わせないでくれよ。ちなみにこの異界の王都は計算の内には入れないからな」
「異界を渡ることが偉いのか? 異界を経験していることが偉いわけでもないだろうが!」
「だけど世界で生きてきたお前よりはずっとずっとこの世の終わりみたいな世界を僕は見ているよ」
剣舞でないのならシロノアの剣技はアレウスに劣る。怒りで剣圧は強いが隙が生じている。淑女の短剣を魔剣を振ったタイミングに合わせて刺しに行く。
「無駄だ」
隙だらけだったはずだが、刺突は読まれてしまった。このままだと分の悪い打ち合いになる。遠ざける意味も含めてアレウスはシロノアの魔剣を弾き、自ら下がる。
「お前が得意としているのは刺突。急所を突いての確殺。多くの魔物を斬撃ではなく刺突で屠ってきた。異界獣はさすがに刺突を頼ってはいなかったが」
「見てきたかのように、」
「見てきたからな」
アレウスの挑発をシロノアは無意味であることを言葉で被せて示してくる。
「さて、お前の全てを俺は見てきたわけだが……冒険者が魔物や異界獣以外と戦うことに負い目を感じていないのか?」
「これは僕個人の復讐だ」
「個人だと言うのならアベリア・アナリーゼをここに連れて来る意味もない」
「いいや、意味はある。彼女だって同じように『異端審問会』の復讐心に溢れている」
「そんなものはまやかしだよ、アリス。その女はお前を利用した時点で復讐心などどこにもない。世界に出た瞬間からなんにも考えちゃいない」
抗議するかのようにアベリアが魔力の塊をシロノアに撃つが、魔剣で軽く弾いて防がれてしまう。
「本当は復讐なんてどうだって良いんだよ、その女は。ただアリスと共に生きられるならなんだっていいだけだ。アリスが望んでいるから復讐に同意している。そんな自己を持たない虚像だらけの女だ」
「馬鹿にしないで!」
「実際のところ、アリスに従っていればまともな生活が出来る。そう信じて付いて来ているだけ」
「違う!」
「神藤 理空には程遠い女をどうしてお前が愛しているのか全く理解が、」
アベリアの詠唱が終わるよりも早くアレウスの剣戟がシロノアの右脇腹を軽き切り裂く。
「女を馬鹿にされて頭に来たか?」
「お前はそうやって僕を挑発する。アベリアを挑発する。それは僕たちに対しての劣等感から来ているんだろう?」
「劣等感? いいや、俺はただ笑っているだけだ。ありもしない絆に酔っているお前たちを、」
「たとえアベリアの本心がそうなんだとしても」
シロノアの魔剣による防御を強引に突破し、アレウスの短剣は深くには届かないにせよ男の体を切り裂いていく。
「その本心を包み隠す偽りのためだけにここまで付いて来てくれているのなら、僕はそれで構わない」
「私はアレウスと一緒にいたいだけ! アレウスと一緒の未来を歩みたいだけ!! “赤星”!」
「この水中で火属性魔法を使えばどうなるか」
知らないわけもないだろう? そんな顔をシロノアにアレウスはぶつける。『赤星』はアベリアの頭上に発生したが、同時に周囲の水を蒸発させて全体の密度に変化を引き起こし、莫大な水蒸気による爆発が起きる。本来の性質とは異なる魔法の炸裂はシロノアだけでなくアレウスたちすらも飲み込むが、その波紋は極めて小規模であることを示すかのように異界全体が波立つことはなかった。
だがシロノアは石畳を転がり、アレウスはアベリアを庇ったことで石畳に共に伏せている。
「ずっと、ずっと違和感があった」
アレウスが立ち上がるとシロノアもまた立ち上がる。
「お前は僕の立場に、僕という存在を羨んでいる。それがなぜなのか。それを考えてきて、お前が手を貸してきた奴らのことを思い出したとき、一つの可能性が出た」
「可能性?」
「ラブラは『蝋冠』を求め、ビスターは『勇者』になりたがった。キングス・ファングは『時代』を恨み、帝王は『魔物研究』に傾倒した。ラブラが『蝋冠』に縋ったのは自身が神官でありながら力足らずだったから。ビスターが『勇者』になれなかったのは『勇者顕現計画』において能力を評価されなかったから。キングス・ファングが『時代』を恨んだのは自身の全盛期に世界が戦争の時代ではなかったから。帝王が『魔物研究』をしなければならなかったのは、自分自身の力が衰えていたから。他にも色々と世界的な干渉を『異端審問会』が行ってきたけど、シロノアの意思が介在している部分に関しては一つの法則が浮かび上がる」
短剣を振って、足腰の動きを確かめてアレウスは答えを突き付ける。
「年齢だ。お前は老いを恨み、若さを羨み、そして恨んでいる。だから若い芽を潰したがるし、老いても力に縋ろうとする者たちに力を貸そうとする。若くして全てを手に入れているような無敵感と無限の時間を持っているような輝きが大嫌いなんだろう?」
沈黙。
長い長い、
沈黙。
「ふ、ふふふふ、ふははははははっ」
やがて不敵にシロノアは笑う。
「他にも僕の知らないところでシロノアがなにかに干渉しているとすれば、どれもきっと若さへの暴力のはずだ。そしてその原動力は、神藤 理空との日々。未だ捨て去れず、拘り続けている過ぎ去った日々。決して巻き戻ることも、元通りにすることもできない時間に対する執着が、若さを破滅へと向かわせたいことへの倒錯した憎悪となっているんだ」
「さすがだな、さすがはアリス。もう一人の俺だ」
「どんなに恨んだところでお前の知る神藤 理空は戻ってこない! やり直せない!」
「そうだ、やり直せない。元通りになることはない。だが、だから羨むな、嫉妬するな、執着するなとお前は言うのか? 分からない、分からないな。若さを羨むこと、老いに怯えること。どれもこれもあって当然の感情だ。若さへの嫉妬も当たり前に持つべきもの。なぜなら若さとは学び成長する時間であり老いとは失い死していく時間だからだ。どちらが良いかと問われれば、誰だって若さを選ぶ。アリス、俺の原動力を見抜いたことは褒めてやる。だけどお前の言葉は浅慮で、全く俺の心に響かない」
魔剣に気力が宿る。
「俺もアリスもベクトルは違えどやりたいことをやっている。そこに善悪の区別を強いるのはエゴでしかない。自分がやりたいことをやっているのに他人にはやりたいことをやるなと強制するのは弾圧であり、強迫であり、さも『自分は大人だから』と言葉の前後に付けたがる押し付けがましい身勝手な正しさでしかない。正しいことのベクトルは一本じゃない。数十、数百、数千、数万、無量大数とあるベクトルの一本を掴んで、『ほら、正しいことをしろ』と振り回すことはその人を破滅に追いやる後押しにすらなり得るんじゃないのか?」
「利己的であることが間違いじゃないと?」
「自己を大切にし、利益を追求することが間違いだとでも? 届かない、届かないなぁ、アリス。大人を知らないお前の言葉は、どれもこれも戯言だ。子供が気持ち良くなるために大人を言葉で刺すときに使う『現実を知らないクセに正しいことを言っている風の言葉』でしかない。そんな自慰行為に付き合う大人はいないんだよ」
だから、とシロノアは続ける。
「お前もまたこの剣技で葬ってやろう。冥剣技・異界渡り」




