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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 後編 -神殺し-】
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【-シロノア-】


 生きている理由なんてない。

 将来の夢なんてなかった。

 だからなんとなく仕事を続けている。

 毎日が毎日がずっとずっと同じサイクルで続いているような感覚。曜日は曖昧になり、日曜日というたった一日の休日ですらたまに早朝に目を覚ます。そういう日は決まって損をしたという気持ちになって寝直そうとするが本当に今日は日曜日なのだろうかと不安になってスマホに手を伸ばし、待ち受けにしているカレンダーを見て安堵する。続いてスケジュールを確認して、気付いたら二度寝なんてできないほどに覚醒してモソモソとベッドから起き上がり、冷たい床の感触を足裏に感じながら自分以外が住んでいないマンションの一室で朝食の支度を始める。

 自炊なんてしたくもないが気付いたらするようになっていて、けれど怠慢に怠慢を重ねて朝にテキトーな物を食べるだけで済ますようになった。そうしたら昼に突然の食欲が湧いてきて、抗いがたい暴食の勢いに任せて脂っこいものを喰らう。

 そして日が沈む頃に胃腸の調子が悪くなって、夕食はロクになにを食べるわけでもなく過ごす。すると寝る前にお腹が空いて夜食の量を増やす。

 気付いたら体重は増えていて、自身の若い頃の新陳代謝――言ってまだ二十代だが十代の頃よりも確実に衰えていることで軽い運動程度では落とすこともままならなくなる。


 年を取るとは良いことなのか。二十歳を過ぎれば大きく大きく祝われるが、十代の頃の無限の時間も無限の体力も静かにゆっくりと失われていくというのに。

 老いとは大したことなのだろうか。老いることは成長の証だろうか。俺ならばずっと若いままでいたいと願う。ずっと十代の頃の体力で感覚で、常に新しい技術に接して最前線をひた走ることのできる脳の情報伝達能力を維持したいと祈る。

 仕事でこなすルーティンワークなどどれもこれも脳が記憶していることを繰り返しているようなものだ。そこに多少のアドリブを入れるだけ。対処方法は頭に入っているわけではなく、こうしたらああなって、ああすればこうなるという感覚だけで物事を進めている。

 リスク管理なんて言葉だけだ。気を付けろとは言い続けるがヒューマンエラーは気を付けようがなく、続けていれば必ずどこかで変な要因が重なってリスクと呼ばれる事態が起きる。

 人間がそうであるように全ての物質は朽ちる。機械ですらも衰えていく。この世の全ては消耗品に過ぎず、かと言って消耗と釣り合うだけの報酬が手に入るわけでも決してない。

 だから、「無駄」という言葉や「無意味」という言葉がある。

 目を逸らし続ける。消耗していることから目を逸らし、いつまでもそれが続くと考える。朽ちることも老いることも考えず、無茶をさせる。すると人間も機械もいずれ壊れる。


 壊れることを前提でシステムは作られていない。なのに人間は壊れないことを延々と願う。本当に本当にくだらない。新しい物が全てにおいて必須であるのに古い物を捨てるのにもコストが掛かり、新しい物を入手することにもコストが掛かる。そしてコスパは驚くほどに良くない。だから誰も状態を維持したがる。リスクを避けるために最新でなければならないのに、最新と安全を得るためには金を掛けるしかない。さながら金がなければリスクと共に生きろと言わんばかりに。


「白野さん、いつ昇進するんですか?」

 後輩に訊ねられる。

「さぁ、知らない」

「昇進してもらわないと困るんですけど」

「……なに? イヤミ?」

「いや、そうではなくて」

 後輩は首を大きく振る。

「白野さんが昇進してくれないと俺みたいな平凡な奴らが苦労するんです。同じ土俵で仕事をしたら、白野さんに敵わないんですよ」

 同僚は辞めたりいなくなったりすることが多かったが、同時に昇進して部署を移動することもあった。そうして気付けばここにはもう同僚はいなかった。

「そうなると昇給もキツくなると言いますか」

「……言われても、昇進の話とかされたことないからな」

「マジっすか……」

「悪いな」

「いや悪いのは上ですから。白野さんをちゃんと評価してないせいで苦労しているって言ってやりましょうか」

「まるで俺がお前をけしかけて文句を言っているみたいになるからやめてくれ」

「えー」

「もし給料関係で話が拗れるようなら俺が辞めるから」

「そーゆー自己犠牲はやめた方が良いっすよ。どの業界も長く続けている人に信用を置きますから」

「転職が当たり前のこの世の中に?」

「あんなの建前ですよ。そりゃ転職で良い仕事にありつけることもありますけど失敗だってあるんですから。転職転職ってどいつもこいつも言いますけどその転職を勧めている人も同じ労働者ですからね。転職サービスはいつだって俺たち労働者を利益のために喰う気でかかってきますから、良い仕事にありつきたいのなら転職サービスを逆に喰いに行く気で行かないとずっと転職してしまいますから」

 さながら喰っていくために転職を勧めているみたいな言い方をするが、この世の中はブラック企業みたいな分かりやすいところもあれば所々がグレー判定受けつつ誤魔化している企業も幾つもあって、完全なホワイト企業を目指そうとすれば途端にキツくなる。そう思えば後輩の言うように転職サービスを逆に喰い荒らす気概は必要なのかもしれない。

「闇営業を勧めている連中も労働者か」

「いやあれは犯罪者っすよ」

「そりゃそうだ」

 入力業務を終える。いや、キーボード入力は既に当たり前の時代なのでPCへのインプットなど業務ですらないなんて言われることすらある。

 人は人との関わりを重要視する。PCと向き合う事務作業より営業で人間関係を築いて会社に仕事を運ぶ方が偉いとすら思っている頭の堅苦しい人たちがいるくらいだ。


 見て覚えろと言われて育った世代はなにかと付けて先輩との交流を大切にしろだの飲み会には絶対に参加しろだのと言うのだが、見て覚えられないPCに対して文句を言っているのは滑稽ではある。だから攻撃されるなら別なのだが、単純なPC関連の詐欺は無くならない。ただし、そんなことは口が裂けても言ってはいけない。なにせ俺もいつかはそちら側に付くだろうから。音楽系の流行に付いて行けなくなり始めて既に焦っているのだから。


「とにかく自己犠牲なんてなんにも得られるものはありませんからね」

 どういうわけか後輩に強く言われ、苦笑いを浮かべながら誤魔化す。この話題は永遠に毒を吐き続けるようなものなのでさっさと考えないようにしたい。


 そう、考えなくていい。なにも考えなくていいのだ。労働者は社会の歯車とよく例えられる。しかし本当にその通りに生きられるならどんなにマシか。

 頭の中は煩悩で一杯で、後悔と未練が延々と精神を刺し続ける。死ね死ね死ね、死んでしまえ。そのように呪詛を唱え続ける。こんな人間にはなりたくないと思っていたのになってしまっているのだから、きっと抗える人だけが人生を謳歌することができるのだろう。

 ネガティブではなくポジティブ。それもネガティブが考えるポジティブの更に上をいくポジティブだけが一世を風靡する。


「それじゃ、また明日」

「あ、はい。これから出先でしたっけ?」

「ああ、そのあとはもう帰宅するから」

「お疲れ様でした」

「ああ、お疲れ」

 営業のため会社を出なければならない。椅子に掛けていた背広を着て机の下に置いていた鞄を手に取る。壁に掛かっているマグネット掲示板の端にある自身のネームプレートを取って貼り付け、その下に水性ペンで『直帰』と書く。防犯対策の扉を通る前に社員証を忘れていないかだけ確認し、問題なかったので丁度やって来ていたエレベーターへと駆け込む。

 オフィスビルを出て大きく大きく背伸びをする。これから別の会社で製品の進捗状況を伝えに行かなければならないのだが、もう既に眠い。疲れたし帰りたい。気の良い言葉が自身の喉から出てくるとは思えない。


 なのにどうしてかいつもいつもなんとかなってしまう。反発されて、会社に迷惑を掛けたことさえ今や昔のことにさえ思えてくる。


「会社に迷惑が掛かるってなんだよ。会社に迷惑を掛けたってなんだよ」

 自分は企業に属してはいるが、企業に忠誠を誓ったつもりはない。そりゃ社員として迎え入れられるときに契約書を提出こそしたが、自分自身は永遠に人の子であって法人格を有していたって人間が作り出したカンパニーから生まれ落ちた気は全くない。


 神藤ならなんと言うのだろうか。


「ああ、またか」

 ふと思ってしまったことに激しく嫌悪する。苦しいと分かっているのに脳が勝手に想像するのだ。もはや頭の中にスイッチが出来てしまっている。そのスイッチは虚無になった瞬間にいつも入るようになっている。そのせいで気分良く出社したことも気分良く帰社したことも気分良く帰宅したこともない。

 人はいつだって虚無感と生きている。フッと正気に戻る。さながら仕事中は正気じゃないかのような言い草だが、身の回りでやれることが限られたときに思考が虚無と対峙する。勿論、仕事のことも考えるが並行して『無』とも向き合う。


 俺はこのとき、神藤を思い出すようになってしまっている。


「キツいキツいキツいキツいキツいキツいキツい」

 呟きながら歩道を歩く。出先はまだ近い方なので車を出すまでもない。社用車をマンションの駐車場に停めるわけにもいかないし、私的利用はご法度である。どうしても車を出したいなら帰社が求められる。しかし今日はもう直帰と書いてしまったし、直帰だと上司にも話してしまっているのでそこの調整はもう面倒臭いので諦めた。というかそもそもマンションの駐車場利用は入居時に申請して許可を出してもらわなければならないので、車で帰るという選択肢はないのだ。


 どうしてこの年齢になっても高校の頃の想い人に執着している。もはや気色が悪く気持ちが悪い。そして相手は死んでいるときた。常人では考えられないほどに引きずり続けている。その理由もなんとなくは分かっているし気が付いてもいる。しかし解消方法が無いことも分かっている。

 呪い。俺は神藤が死んだとき、呪われたのだ。それも彼女に狙われて呪われたのではなく、自分で自分を呪った。その結果、いつもいつもいつもいつもいつも気が狂いそうな毎日を送る。気でも狂った方がまだマシなのではと思うが、気が狂った人間に成れるほどの理性が崩壊するような状況にも陥っていないのでどうにもならない。


「なんで俺が生きていて、神藤が死んでいるんだろうな」

 彼女には確固たる意志があり、俺のように意志薄弱な生き方は絶対にしなかっただろう。だからこそ彼女ではなく俺が死ぬべきだった。もしも生と死を交換することができるのなら、などとオカルトみたいなことを考えながらでしか生きられない。

 そうすることで平静を保っているのだ。そして、擦れ違う学生たちを見るたびに嫉妬することで感情を制御しているのだ。


 こんな未来を誰が望んだ? こんな未来に、なんで俺は生きている?


「ちょ、」

 そんな風に思いながら歩いていると女子高校生が視界に入る。スマホを手に持ち、今にも赤信号を渡ろうとしている。歩きスマホで前が見えていない。そんなことがあるものかと思う現実が今まさに目の前にある。小さな道路ならまだしもここは大通り。大型トラックも行き来する。見通しが良いので彼女のために停止することもできるが、前方の信号に意識が囚われていると前方車両の急ブレーキに対応できずに追突する可能性もある。無論、車間距離を適切に維持し、全てのドライバーが前方車両のブレーキランプを目にして、適切にブレーキを踏むことができれば人身事故も追突事故も起こらない。


 そんなことは絶対にない。全てのドライバーが同じ行動を取れるはずがない。


 体が勝手に動いていたわけではない。俺は意識して体を動かした。無意識に体が動いて人を助ける人がよく取り沙汰されるが、そんなものは当時の興奮によって前後の記憶が曖昧になっているだけに過ぎない。


 人は無意識で命など投げ捨てられない。常に意識して動く。常に意識して命を投げ打ってでも命を救おうと思えるのだ。


 こんな俺が意識して命を救おうとするなど全くバカバカしい。それでいて、間に合わないかもしれないのに駆け出しているのは愚の骨頂である。

 それでもと手を伸ばし、女子高校生の体を掴んで引っ張る。これであとでセクハラだ痴漢だと言われるかもしれないんだから狂った世の中だ。

 間に合った。自分にまだこれほどの足の速さがあったのかと思うほどだ。女子高校生は間一髪で赤信号を渡らずに済み、寸前に通り過ぎた大型トラックの震動が未だ全身を揺らしているような感覚がある。

「大丈夫か?」

 声を掛ける。腰が抜けている様子もなく、女子高校生は立ち上がる。自身も足は震えてはいるが、どうにかこうにか立つことができている。

「なんで」

 呟かれる。

「え?」

「なんで」

 再びそう呟くと彼女は俺を突き飛ばした。


 クラクションの音が耳障りなほどに響く。世界がスローモーションになり、倒れていく体のバランスを取り戻すこともできないままに、女子高校生の冷たい眼差しから逸らすように視線が動く。


 スマホ。壊れたスマホが落ちている。先ほどのトラックに撥ね飛ばされて、原形すら留めていない。そんな壊れたスマホの一部分が見える。


 あり得ない。

 あり得ないがあり得ている。

 俺はスマホを壊された鬱憤を晴らすために――しかも道路へと突き飛ばされたのだ。本人に殺意や殺人の意思はなくとも、不意に出た癇癪が俺を死へと誘おうとしている。


 抗えない。


 いや、抗おうにも抗えない。

 当然だがようやく死ねるなんて思っちゃいない。これまで死なずに耐えてきたのにこんなところで命を手放そうと思わない。


 ただ、


 この死の流れからは逃れられな――


--------------------------------------


 飛び起きて、体中に掻いた冷や汗の量に俺は自分自身でドン引きする。

「随分気持ち良さそうに眠っていたけれど」

「……そんな風に見えますか?」

 アヴェマリアに俺は苛立ちながら言う。

「また悪い夢でも見ていたのかしら? こんなときに、暢気に悪夢を見られるなんて随分と余裕じゃない」

「夢というよりは記憶ですよ」

 ベッドから起き上がり、俺はさっさと部屋を出ようとする。

「あなたは私が近くにいるといつも悪い夢を見るのね」

「……そう言えばそうですね」

 彼女から発せられる言いようのない気配から眠っていながら本能的に恐怖を感じ、それに最も近しい情景を夢として見てしまうのかもしれない。そう思いつつも俺は結局、アヴェマリアの傍を求めてしまうのだが。

「逆に言えば、あなたが傍にいなければ俺は悪い夢を見なくて済みますが」

 そのように冷やかし気味に言ってはみるが、彼女は俺への執着はない。だからこそ、このあとになにを言われるかも分かっている。

「だったら私を殺す?」

 やはり思った通りの答えが返ってきた。

「いいえ、殺す気なんてありませんよ。それで、『国外し』はどうなりました?」

「あなたの想定通り――いいえ、狂った方に想定した通りになりつつあるわ」

 帝国外しを行おうとしているのに王国外しが着々と進行している。アレウリスによって狂わされた想定を修正したが、状況は決して良い方向には向かっていない。

「なら総力戦がこれから始まりますよ。どうせ他の国はどこもかしこも戦争をやっているフリを始めます」

「やっているフリ?」

「帝国が全面戦争を宣言し、他国と衝突しているように見せかけながら王国を落とす。この方向に動いています」

「よく分かるわね」

「分かりますよ。だって俺が考えることですから」

 アレウリスが考えることは俺でも考えることができる。

「でも前回はそれで痛い目を見たけれど」

「だからこそ次は痛い目を見ることを想定しておくんです」

 俺は自然と作り笑いを――決してまともじゃない笑みを浮かべる。

「随分とやる気ね」

「安心してください。返り討ちにしてみせますよ。王国がどのような状況に陥ろうと知ったことではありません。奴らは必ず俺やあなたの前に現れるんですから」

 出向く必要がない。迎え撃つだけならば、ただ待っていればいい。王国をどうこうしたいわけでも、世界を征服したいわけでもない。そんなことは『魂喰らい』に任せてしまえばいい。


 だから俺はアレウリスを殺せばいいだけだ。もう一人の自分を殺せばいい。


 神藤 理空よりも先に死んだ自分自身をこの手で殺せば、きっとその境遇に嫉妬することもなくなるのだから。

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