クルスとオルコス
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「エルヴァージュを帝国に置いてきたこと、実は後悔しているでしょ?」
新王国へとこっそりと帰還を果たしたクルスにアンジェラが背中から抱き付きながら訊ねる。
「そんなわけ、」
「帝国の皇女様と良い感じになったらどうする?」
「そ、そんなこと起こるわけないし」
クルスはアンジェラを背中から払い除けつつも、しかしその一連の行動には嫌悪感を見せることなく微笑む。
「オルコスの傍に付いていてあげて。でないと、」
「『異端審問会』はもう気付いているわ。ゼルペスの人間たちがあなたを信じてオルコスを信じて、そしてマーガレットを信じているから今回のデタラメな話に付いてきているのよ」
「デタラメ……嘘八百。オルコスの後ろには私がいる。それでも、私が決めたことだからきっと意味があると信じている」
「そうよ。そのおかげで何人かの『異端審問会』を牢獄送りにしただけでなく、ユークレースも味方になってくれた」
「あれはオルコスの手柄よ。牢獄から出しても逃げもせずにゼルペスに留まって、民草に付き添ってくれている。おかげで私のやることに更に民草は信頼を置いてくれるわ。二人の王位継承権を持つ者が私側にいることはこれ以上ないことだから」
それに、とクルスは付け足す。
「禁足地で屍霊術によって甦ったマクシミリアンと会ったわ」
「え……でも遺体は」
「私のミスで運び出されてしまっていた。今、オルコスに手配してエルフの森を経由しつつまたゼルペスで安置する手筈になっているわ。それで、甦ったマクシミリアンは王として正しく死に直して、私の勝利を正しいことだと認めてくれた。正直、敵だったはずのマクシミリアンの言葉なんて……とも思ったけど、あのとき……私は思ったのよ」
「なにを?」
「ちゃんと王国を統べる人間にならなければならないって。新王国、このゼルペス近郊を治めるだけで留まっちゃ駄目なの。私は、王国の正しい王になる」
「そう」
アンジェラは翼を広げ、その先端を優しく自身の手で撫でる。
「その意気よ、クルス。私はあなたのその生き様を見届ける。もっともっとあなたの生きている証を、この私に見せてほしい。ゲオルギウスのようにあなたを庇うことはできないけれど」
「できないの?」
「あなたとエルヴァの未来をゲオルギウスが変えた。その変えた未来を私は見たいの。結末を知るのはまだ神様だけ。私は変えられた未来の揺らぎを未だ捉え切れていない。あなたの終わりが近いのか遠いのかも分からない。だから、あなたの生き様を正しく見届けたあと、私はアンジェラとしての生を終わらせるわ」
その言葉にクルスは目を見開く。
「私はあなたの死をきっと受け入れられない。見届けて、そのあとにあなたを追う」
「そんなこと!」
「させて欲しいの。あなたと共に戦うことはできても、あなたの死を阻むことを堕天使だったジョージのようには出来ないから。お願い、クルス。私を『天使』としてではなくてあなたの友として、あなたと戦った人としてこの命を終わらせて?」
「……馬鹿なことを言わないで」
クルスはアンジェラに迫り、指先を額に当てる。
「私はまだまだ死なない。おばあちゃんになるまで生き続けて、孫や曾孫に囲まれて大往生するのよ」
「……ふふっ、それで? 孫が産まれる前にはあなたの息子や娘が産まれないといけないけれど、誰との子を産みたいの?」
「それ、は……っ! そういうことはまだ考えてない!」
「まだってことは、なんとなくは思ってはいるってことね」
「なにその顔は!?」
「いえ、きっとエルヴァージュなんだろうなと。でも私は反対よ。ずっとずっと反対し続けているわ。あんなのと一緒になったら私のクルスは変な道に行ってしまいそうだから」
「あんなの、って」
「帝国の皇女にも言い寄ってそう」
「そんなことしていたら切り落とすわ。それだけは許さない。それに、あの皇女にそんなことをさせる気はない。そこまでは許してないから」
「あらあら、女性同士の甘いお話かと思いきやたった一人の男を奪い合う泥沼のお話でしたか?」
クスクスと笑いながらオルコスが扉を開けて私室から出てくる。
「よければあたしもご一緒させてくださいな」
「『念話』でのやり取りは?」
「つつがなく。とはいえ、盗み聞きされている可能性もありますので、昔懐かしい文でのやり取りも行っています。クラリェット様のお力によって九十九ヶ所の『門』は未だ機能しています。一部は使用不可にさせられていますが、それらを上手く使いこなせばほぼ一日で目的の相手に文を届けることも難しくありません。もっとも、一番なのはこうしてあたしたちのように顔を合わせて話をすることですが。これならばどこかで盗み聞きをしていたとしても、」
言葉を一度切ってオルコスは短剣を背後に投げる。その短剣を曲がり角から現れた人物が受け止め、懐に収める。
「このようにあたしたちは気付くことができるので」
「マーガレット!」
「お変わりないようで安心しました」
「あなたもね」
クルスはマーガレットに駆け寄り、互いに笑顔を見せる。
「マーガレット様には心苦しいことをさせてしまっています。本来の主である義妹ちゃんの傍にいられないなんてストレスでしかないでしょう。こうして人前ではない場所でしかお話をすることができませんから」
「そのようなことは」
「顔に出ていますよ? とはいえ、そのようなことをあたしは咎める気などないのですが」
そこまで言ってオルコスは声音を整える。
「王国での戦いにはあたしも『灰眼』を用いて精一杯の援護を行います。あたし自身は義妹ちゃんが言うまでもなく、ゼルペスから離れるのは難しいと思うので」
「でしょうね。無茶苦茶なことをあなたに任せてしまったわ」
「いいえ、誰かが留まらなければ自治は成り立ちません。ユークレースが少しは政に携われたらよかったのですが、やはり産まれながらの戦士ですので」
「一応は何度か適性があるかどうか私の方で問答などを行ってみたのですが」
マーガレットは肩を竦めて見せる。成果は得られなかったということを示しているようだ。
「ユークレースは戦場でしか兵隊を活かせないのはどうやら本当のようです。まぁ、先の戦でその部分は浮き彫りになってはいたのですが、それでも隠していたり潜在的に秘めているやもと思いましたので。しかし、本人も自覚しているどころか王への野心があまりにも希薄です。他に成れる者がいなければ成る程度のおぼろげなもの。王族でありながら私と同じように剣のように使われることに意義を見出しているようです」
「ガルダの血がそうさせているのでしょう。でも、彼はあのままでよろしいでしょう。見える標的に思うがままに戦う様はむしろ好ましく思います」
「それは異性として?」
「おや? そういった話に持ち込みますか? そのように話を振るのであれば、同じように胸を抉られるお覚悟がおありということですね?」
オルコスは受けて立たんとばかりに自信満々の表情をしているので、たとえそれが虚勢であったとしても太刀打ちはできないと思ってクルスは引き下がる。
「ふふっ、エルヴァージュ様とは上手く行っているようで良かったです」
「上手くは行ってないから」
「あらそうなんですか? お忍びで帝国に向かわれる際には沢山の文句を言いながらも顔はとても嬉しげだったのを憶えていますが」
「だーかーらー!」
「あたしは断然、アレウリス様ですが」
「……あの冒険者は気苦労が耐えなさそうだし、もう何人かに慕われているでしょう?」
「そこを子種だけ奪うのが面白いと思いませんか?」
「思わないけど。考え方が国王に似ているわ」
「前王ですよ、もはや。ですが否定はしません。優秀な子種を得ようとするのはエルフに限らず全ての種族がやりかねないことです。ガルダですら空に攫うほどなのですから。まぁどの種族もヒューマンとの間でしかハーフが誕生しないせいもありますが」
種の繁栄は絶望的になるが、産まれる子供の潜在能力は秀でたものになる。優劣でしか子供を産み育てない。そのような考え方は狂っているのだが、国王――前王の狂気を近くで見ていたオルコスもどこか狂った感覚を持ち合わせてしまっているのかもしれない。
「絶対にやらないで」
「分かっていますよ。レジーナにさえ止められたことです。あたしは義妹ちゃんと親友の言うことには絶対に背かないと誓っているので」
オルコスは冗談混じりには言っているが、それらはほぼ全て真実である。彼女はクルスに絶対的忠誠を誓い、レジーナには親友として絆を結んでいる。それらが崩れるような行いはどのように興味があったとしてもしない。彼女は一見して理性的にも見えるが、そういった抑止力が必要である。もしレジーナと会っていなければそれらは破綻していたかもしれない。
「エルフの巫女様には感謝しかないわね」
「私もエルフの教えを得る中で出会えて良かったと思っていますわ。でないと今こうして、義妹ちゃんやユークレースと一緒にいることもできていなかったかもしれませんから」
さて、とオルコスは言葉を零す。
「物事は順調に進んでいます」
「そう」
「出るときはアンジェラ様とマーガレット様を連れて行ってくださいませ」
「でも、それじゃゼルペスは」
「あたしとユークレースで凌いでみせます」
「あなたは私たちの補助も『灰眼』で行うって言ったじゃない」
「負担が大きいとお思いですか? ですが、それが決戦です。平均的に責任を背負うことも、平均的に負担を和らげることもできない。誰かが大きく負担を強いられ、誰かが大きな大きな責任を背負う。そして代償すらも払う。犠牲の上でしか勝利はなく、勝利の下には擬制が連なります。しかし、勝ったそのとき、払った犠牲は、代償は、背負った負担や責任は栄誉と名誉と歓喜に還元されます。信じていますよ、義妹ちゃん? あなたがエルヴァージュと共に王城にて、高らかに勝利を宣言するその瞬間を。そして、あなたの出生が詳らかになることと、『異端審問会』の撲滅を」
強く、強く信じている。信じられている。言葉は耳からではなく全身から、肌から心の深奥にまで届く。
「決戦には戦慣れしているマーガレットが必要だし、アンジェラが傍にいないと私は『超越者』の力が使えない。私が言わなきゃならないことをあなたが先に言ってくれたことを感謝するわ、オルコス」
「いいえ」
「だからこそ伝えておくわ。決戦で私たちが勝利をもぎ取って果ててしまったそのときは、そのままあなたが王冠を戴きなさい。あなたにも王になる資格がある。いいえ、私よりもずっとずっとあるのかもしれない」
「それは言わない約束ですよ」
「知らない、そんな約束。私たちは明るい未来を王国に訪れさせたいから戦っている。なのに誰も王冠を戴かなければ混迷が訪れてしまう。誰かが束ねなければならないから」
「……そう。でしたら、そのような未来があたしに訪れないよう祈っておきましょう」
オルコスはクルスと手を合わせ、にぎにぎとその感触を確かめている。
「マーガレット、また手合わせお願いできる?」
「あなた様に教えることはもうほとんどないのですが」
「いいえ、まだまだゲオルギウスには届いてない。私はあの人間を好いていた堕天使ほどに強くはなれないかもだけど、クルスを支えられるようになりたいから」
「分かりました。では、私たちが出陣するそのときまで厳しく参りましょう」
「ええ」
「以前のように弱音は吐きませんように」
「……え、ええ」
「難しいでしょうか?」
「大丈夫! 神様の試練に比べれば、これっぽっちも!」
強がるアンジェラをそれを見て彼女の心情の変化にマーガレットは喜びを見せていた。
「けれど」
クルスは呟く。
「なにか不安がおありですか?」
「ええ。偵察隊の話では王都が異界と化していると。それも水底に沈んでいるかのように水に包まれているようです」
「そこはアレウリス様より助言を頂いております。彼曰く、王都が異界化しているのかもとのことです。ドラゴニア・ワナギルカンが異界獣から異界を奪ったか、或いは異界獣に吸収されたか。そのどちらかだと」
「見てもいないのに詳しいわね」
「あの方は異界に関わることには特にお詳しいようなので」
「使える逸材ね」
「駄目ですよ、私が先に目を付けていたんですから。義妹ちゃんはエルヴァージュ様だけにしておいてください」
「逸材と言っただけで異性としての興味を持っているわけじゃないから」
「ではやはり」
「ねぇ? さっきは私から話を振っていたとは思うけど、今はあなたが私にその手の話を振っているんじゃないの?」
「お嫌いでした? 今だけ乙女のようにエルヴァージュ様への愛を語っても構わないんですよ?」
王女同士の会話では不自由しないが、オルコスと私的な会話をしようものならクルスは彼女の勢いに圧倒される。そのことを改めて認識させられた。
決戦は近い。けれど、こんなくだらない日常にも似た会話を続けることこそが今はとても大切なことにも思える。手を伸ばしても届かない可能性もある。だったら、非日常に身を投じる前にこの日常を噛み締めよう。クルスはエルヴァのことを想いながらも、現状で得られる最上限の幸福をありがたがった。
そして、これ以上の幸いを手にする日を夢見るのだった。




