情熱
病院でジュリアンの様子を窺おうとも思ったが、自身もそうであったが『衰弱』状態の言動は奇妙奇天烈な上に罵詈雑言まみれであるため、そういった姿を知人に見られたくはない。ジュリアンも例に漏れずそう思っているだろうしそう願っている。だったらアレウスはジュリアンと病院を信じて待つ以外にない。だからフェルマータとアンソニーの病室へと伺ったが、フェルマータはともかくアンソニーはもう既に姿を消していた。医者が「病室から脱走する聖女様がいるなんて」と嘆いていたが、アンソニーがシンギングリンを出たのならそれはエイラの伝言が正しく彼女に伝わったからに違いない。
アンソニーはリゾラを追ったのだ。自身を認めた彼女に力を貸すために。
他人の言葉を聞いているようで聞いておらず、自身の心の赴くままに声を言葉を文字を解釈し納得し、過干渉を嫌っているのに孤独ではいられずに仕方なく他人と群れる。それが神藤 理空の本質だった。なのに理空は――リゾラはそういった自分を受け入れつつも、成長のために違う対応を取ることを選択した。だからアンソニーは病院を脱走してでも彼女の元へと走った。これまでのコミュニケーションは決して無駄ではなかったのだと分かり、もっとリゾラを知るために。
「僕だってそんな風に言われたらきっとなにもかも放り出して走っていたんだろうな」
昔なら、産まれ直す前ならば。
彼女に頼られればアレウスは授業も宿題も学校も、ひょっとしたら家族の言葉さえも無視して走り出しただろう。それぐらいに強烈な初恋だった。
全部全部、なにもかも放り出したって構わないと思う情熱が僕にはあった。彼女にあったかどうかは知らないけれど――
「感傷に浸っている場合でもないな」
アレウスたちはいつ皇女に呼び出されるかも分からない。いかなる方法で王国へと攻勢を仕掛けるのか。そのタイミングは王国の動きもそうだが各国が合わせて動く必要がある。王国に入ることはできても決死行のように王都へと侵入することができなければ『異端審問会』の虚を突けない。
「もう逃げ出しているかもな」
シロノアはアレウスのお人好しな思考を読み取って先手を打ってきた。それが通じず、今回は思い通りにならなかった。だったら次が思い通りになるかどうかも分からない。この状況ならアレウスは逃げの一手を取る。まずは潜伏し機を待つ。
「だけど」
そんなに我慢強くないことも自分自身のことであるのだから分かる。潜伏することをアレウスへの敗北と感じるかもしれない。だとすればシロノアは逆に王都で待ち受ける選択も取り得る。リゾラがルーエローズとの決戦の地を王都としたのは希望したわけではなくそう言われたからだろう。
「この思考は少し危険か?」
ルーエローズが言っただろうから王都が決戦の地。そのように全員がなんとなく雰囲気で思い込んでいるが、実は全く違うところに隠れていて空の王城に入り込んだアレウスたちを背後から攻める可能性も捨て切れない。
『異端審問会』が王都を本拠地と変えたことを確定する情報。それがアレウスたちには足りていない。
「らしくないな。そんな考え込んだ顔をして」
道端で普段見ない顔をしていたのか、カーネリアンに心配そうに声を掛けられた。
「そんな辛気臭い顔をすれば、全員の士気にも関わるだろうに」
「……ガルダはどちら側なんだ?」
「言わない。いいや、言えない」
ここでの言葉が正式なものとなってしまえばガルダの立場が確立してしまう。分かっていてアレウスは訊ねたのだが、やはりかわされてしまった。
「意地の悪さを出すな。そんなことをされてはこちらの心象も悪くなる」
「悪かった」
ガルダが帝国側に付くかどうか。それがアレウスの発言も加味されるのであれば、カーネリアンに嫌われるような問い掛けや言葉選びをするべきではない。だが、これまでの経験上、どうしても期待してしまう。彼女もきっとその期待に応えたがっている。しかし立場的にすぐに表明できない。
そう思いたがっている自分自身をアレウスは情けなく思う。頼りにするのならば、頼りにされるだけの覚悟も気持ちも持っておくべきだ。それでも頼りにできなかったなら、素直にそれを受け入れなければならない。なのに今の自分はどうしても目の前のカーネリアンを戦力として数えたがっている。
「僕にも弱気になることぐらいある」
「貴様が?」
鼻で笑われる。
「無いな。貴様に限って弱気になることなど」
「さっき辛気臭い顔をしていたと君は言っていただろ」
「それもそうだが、アレウリスは私にそこまで縋り付くほど弱い男ではないはずだが」
傍にいるエキナシアが同意するように肯く。
「カプリコンを討ってから『機械人形』たちも元通りだ。あの一戦でガルダの全ての『機械人形』が使い物にならなくなってしまうのではと不安だったが」
「祓魔の術が及んだのは『悪魔』を対象としていて、もう既に祓われていて心臓を打ち込まれているだけの刀と『機械人形』は対象外だったんだろう」
「私もそう結論付けた。しかし、内心ヒヤヒヤしたものだ。こう見えて私はエキナシアがいないと落ち着かないからな」
「よく自由にさせていて、たまに無茶苦茶なところに放り投げたりしているような気が」
時にはいない者のように扱うことだってあったはずだ。
「ドワーフの妖精と同じだ。傍にいることが分かり切っているから丁寧にではなく雑に扱ってしまう。それだけ絆があるから……と身勝手にも思っているが、実際のところはどうなのか」
ガラハもスティンガーを懐に忍ばせていて、外に出したがらないことが稀にある。危険であったり警戒しているときほど妖精が頼りになるのだが、恐らくあまり無茶はさせたくないのだ。妖精にだけはやたら心配性な彼が、頼らなければならない瞬間に感情のせめぎ合いが起きているのだとすれば、アレウスがスティンガーに色々と頼み込むのはガラハにとっては苦痛なのかもしれない。
「新しい視点を得た。軽率に頼っていたけど、妖精や『機械人形』との繋がりを意識した方がいいか」
「貴様はそうやって新しい視点を得ると、すぐに気を遣えるんだな」
「それだけが取り柄だから」
「その取り柄がここまで全員を連れてきたとも言える」
軽率に褒めてくる。
「私としては、」
「囁くのはやめてくれ」
「だが囁かなければ盗み聞きされるだろう? なんだ? 女に囁かれるのは初めてじゃないだろうに」
「初めてじゃなくても慣れないんだよ!」
特にカーネリアンの声は普段から聞き馴染んているわけではない。そんな人物に囁かれると体が震えてしまう。
「だけど、なにか言いたいことがあるんなら我慢する」
「ああ、我慢してくれ」
言いながらカーネリアンが耳元へと顔を近付ける。
「私としてはガルダの立場など関係なしに貴様たちと共に王国へと向かいたい。しかし、全ての決定が私にあるわけではない。空でどのような決定が出されるのかが分からない以上は、貴様たちと再会できるとすればそれは決戦の場だ」
言い終えて、カーネリアンが顔を離す。
「期待しないで期待しておくよ」
「どっちなんだ、それは?」
アレウスの返事が言葉として完成していないため呆れられる。
「しかし、少なくともドワーフは貴様たちの味方だろう」
「どうして言い切れる?」
「知らないのか? 貴様が仲間と呼んでいるドワーフの里は比較的新しい方だが、そこを統べている里長は結構な名の知れた人物だぞ」
「そうなのか?」
「今、この大陸で最高齢のドワーフのはずだ。長老とも言うべきあの方が『共に行く』と言えば、それはつまり大陸中のドワーフの里のほぼ全てが帝国に味方することになる。王国領のドワーフたちは動けないままだろうが、王国に非協力的な行動に出るところもあるだろう」
「……なんだか不思議な話だ」
「不思議か?」
「ここ最近、都合が良すぎる。ジュリアンが死んだことは都合の良いことでは決してないけれど……なにかこう、表現できないけどあれやこれやが出来過ぎている」
カーネリアンはそこまで聞いて「なるほどな」と呟く。
「それもこれも貴様が成したことだと思えばいい」
「だけど」
「人は異性同性問わず、惹かれることがある。それをカリスマ性と呼ぶんじゃないのか?」
「僕にカリスマ性なんか」
「無い、と言えるか? 今までアレウリス・ノ―ルードとしてやってきたことを思い出しても」
自信はない。
いつだって自信なんてない。復讐のためにやれることをやってきて、出来ることだけをやってきた。その内、人と関わることが増えて気付けば仲間が増えていた。
妖剣のルーファスの意識の残滓にも言われた。人と人とを繋ぎ、絆とするようにと。それを意識したことは一度だってないのだが、気付けば絆めいたものは出来上がっていて、頼ることも頼られることも増えた。
カリスマ性。エウカリスが欲望を持つ者ほど有しているものだと言っていた。そうならないようにと努めていたが、ラブラとの戦いで力を欲した。それが転機だったのかもしれない。
「産まれ直す前はこんなんじゃなかったんだけどな」
「私だってそうだ。産まれ直す前はこうじゃなかった」
「……そういや、カーネリアンの産まれ直す前の世界って僕やリゾラと同じなのか?」
「違うな」
「だったらカプリースのような?」
「私は罪人を狩る組織の一員だった」
「罪人?」
「悪魔と契約を交わせし罪人だ。ふふっ、どうだ? 不思議な話だろう? 産まれ直しても私は似たような理を持つ世界にいる」
「そこまで不思議な話じゃない。カプリースだって海魔と呼ばれる魔物に滅ぼされそうになった世界から産まれ直して、水域に住まうハゥフルの傍に今はいる」
「ならばこの世界で産まれ直すとき、生前の世界の理に引っ張られるのかもしれないな。でなければこうして……似たような『機械人形』を持つこともなかった」
言いながらカーネリアンは空を見上げる。
「似たような、って?」
「罪人が悪魔を使役するように私たちは人形を使役していた。その人形には天使の魂が憑依していた。小説ではよくある天魔大戦だ。だが、それは決して幻想ではなく私が経験した過去でもあった。桜の花は派遣された国で見た」
エキナシアのような存在を甦る前でも使役していた。それを考えるとカーネリアンはどんなガルダよりも『機械人形』の扱いに長けるとも言える。
「だから『機械人形』の囁きにも問い掛けにも対処できるのか?」
「分からない。エキナシアは私が言わなければ問い掛けてはこないからな。あと二度残っているが、その二度をこの先、使わないとも限らない。そしてエキナシアがどうしようもなく私が弱る瞬間をひたすらに待ち続けているだけとも考えられる。私に従っていれば強くなれるのは分かっているようだからな」
『冷獄の氷』に対応するために『機械人形』もまた成長した。『悪魔』の心臓を打ち込んでいる刀を新たに強固に修復したことで更に力を得たはずだ。
いずれエキナシアはカーネリアンを越える。問い掛けではなく自らが持つ力での制圧を目論んでいるのだろうか。こんなにも彼女の傍から付かず離れず、それでいて彼女を守るために身を捧げることさえあるというのに。
「だが、時折思うことがある。私はエキナシアとの間には絆や『悪魔』の心臓との契約とはまた別の強い強い繋がりがあるのではないかと」
『機械人形』の頭を撫でながら言う。本当の本当に人形なのかと思うほどにエキナシアは愛くるしい表情を見せ、撫でられていることに嬉しそうにしている。
「天魔大戦とは言ったが、産まれ直す前の私は所詮、組織の末端でしかなかった。なにが起こっているかなんて何一つと分かってはいなかった。それでも、私のやっていることが正義であると信じて……戦い抜きはしたんだ。そう、戦い抜いた……」
懐かしそうに、しかし寂しそうに語る彼女にそれ以上の説明をアレウスは求めなかった。カーネリアンが産まれ直したということは、その挑戦はきっと失敗に終わった。もしくは空を見ることはできたが、汚染された空気にやられて生きられなかったのだ。
「思い出したのはクルタニカにロジックを開かれたときだが……まぁ、昔の自分を語るのはここまでにしよう。己が何者なのかも分からないままに戦い続けた少女と人形の記憶など、カーネリアン・エーデルシュタインにとっては不要だからな」
「不要ではないだろ。それは死ぬまで持ち続けていいものだ。想い出のような、それでいて夢のような。薄らいではいても、必ず心に留めておいていいものだと僕は思う。たとえ凄惨な最期だったのだとしても、産まれ直す前に生きていたという唯一の証なんだから」
クスッと彼女は笑う。
「本当に貴様は女を誑かすのが上手だ。残念だが私はクルタニカにしか目がない」
「そういうつもりで言ってない」
「だが、クルタニカがもしも酔狂なことを言い出したなら夜を彼女がいる前提で共に過ごしても構わない」
「だからそういうつもりで言っていない」
「分かっている。分かっているから冗談を言うのだ」
カーネリアンは翼を広げ、エキナシアと手を繋ぐ。
「もうクルタニカとは別れを済ませている。貴様と話せて心残りもなくなった。次に会えることを個人的には願う。現実はどうなるかは分からないが」
「僕もそう願うよ」
ひたすらに弄ばれたような気もしないでもないが、カーネリアンがとても満足げな顔をしているのでこちらが不機嫌そうにしていては彼女の心に“申し訳なさ”を残しかねない。今生の別れではないものの、ガルダが手を貸さない未来があるのならその“申し訳なさ”はいつまでも尾を引きずってしまうだろう。
「それじゃ」
「……クルタニカが良いって言ったら君は僕と一緒に夜を過ごすんだな?」
カーネリアンを呼び止める。
「なんだ?」
「その話、乗ってやる。クルタニカが認めるなら一夜だけ、その酔狂な話に乗ってやる」
「…………ふはは、面白いことを言う」
翼を羽ばたかせて宙に浮く。
「ガルダを一度に二人抱いたヒューマンか。もしそうなったら面白い偉業を残す。まぁ、あのクルタニカが認めるわけはないだろうが、貴様がそこまで言うのなら私も自身の酔狂な冗談と済まさず、本気で言ったことにしよう」
リゾラのときと同じ手法を取ってしまう。結局、感情表現が下手くそなせいでこんな方法でしかアレウスは異性に未練を与えることができない。
未練がなければカーネリアンは命を捨てて、相討ちを選びかねない。そんな気がしたのだ。
空へと帰っていく彼女たちを見届けてからアレウスは胸の内にある様々な感情を一段落させてから帰宅した。
「おかえりー」
「ただいま」
先に帰っていたアベリアに挨拶をして上着を脱ぐ。
「どこ行ってたの?」
「ちょっと家でやることがなかったから外に出てた」
「ふぅん、また女の子と仲良くなっていたのかと」
「なんでだよ」
「だってアレウスってそういうところあるから。でも私はそれでも良いよ? そこは妥協できてる」
「妥協するな。君が良くてもモラルとして問題なんだよ」
「でも特例措置を目指しているんでしょ?」
「…………はい」
「私が妥協しないと無理だと思うけど」
「その通りです」
「妥協しなくていいわけ?」
「御免なさい、調子に乗りました」
虫の居所が悪かったのではない。アベリアからしてみればアレウスが他の女性と仲良くしている光景というのは分かっていてもなかなかに受け入れがたいことで、アレウスの返事からして異性と話をしていたことをなんとなく察したのだろう。いくら最初は機嫌が良くても段々と機嫌が悪くなるものだ。
なんで僕は家で普通に生活できなくなる未来に向かって頑張っているのだろうか。そんな疑問が脳内に浮かび上がるが、アレウスは必死に振り払う。
しかし考えれば考えるほどに特例措置後の自分自身の生き方はとてもではないが想像できないのだ。円満な生活なんてちょっとの失言で崩壊する。どうしてそんな危うい生活を得るために頑張っているのか。振り払っても振り払っても疑問が尽きない。
己の欲望に従って特例措置を目指すのなら情熱も燃やせるが、アレウスにあるのは責任や義務感だ。少しは期待もしているが、しかしそれは理性が抑えてしまっている。むしろ解放した方が楽になれるかもしれない。だがクズになる決意をしなければならない。そしてアレウスは元来の真面目さからクズになりたくないと思ってしまう。
真面目であるがゆえに縛られる。もはや己自身に面倒臭さを感じずにはいられない。
「そのまま真面目でいてね?」
心を読まれたような気がした。
「真面目でいてくれないと私、妥協なんてしない」
「はい」
「もしも真面目じゃなかったらアレウスのこと好きにならなかったし、真面目じゃなくなったら別れるから」
「はい」
言葉を心に刻み付ける。
「あと真面目の方向性も今まで通りじゃないと駄目。ちょっとでもズレたら嫌いになる」
「はい」
「分かっているならよし」
アベリアが両腕を左右に広げる。アレウスは意図を察して抱き締め合う。
「もう少しだから」
彼女に囁く。
「うん」
「もう少しで、終わるから」
「うん」
「見届けてくれるか?」
「私はアレウスの復讐を見届ける。そして」
「異界のロジックを壊す」
救われたあの日の誓いを再確認しながら、彼女のぬくもりをただただしばらく感じた。




